第5話 大善寺先輩と放課後。
5.
やけ食いだよ、と先輩は机の上一杯に菓子パンを積み上げていた。これで昼休みも食べていたんだと言うから、一体、始めは何十個の菓子パンを購入していたのだろうか。
まだ残暑厳しい暑さにも関わらず、今日は冷房を点けていなかった。開け放たれていた窓から、申し訳程度の風が入ってくる。しかしそれも生温かく、体温を下げることに対してなんの効果もなかった。
「………」
菓子パンを開けては頬張り、一つ食べてはまた一つと手を伸ばす先輩をいつもの席に座って眺めた。俺の方が胸焼けしそうだった。けれど、先輩の手は全く止まる気配を見せない。
ずっと無言で眺めていたら、やっとその手が止まり、咀嚼する口の動きも緩やかになってきた。ごくり、と飲み込み、暫しの間、静止していた。
「………」
「………」
「…………みないで、」
言葉と、涙が零れるのは同時だった。その光景はぐっと俺の心を締め付ける。先輩は崩壊したダムのように次から次へと涙を溢し、それを止める術を知らないらしかった。
「…………っ、ふ、……」
息を噛み殺して、泣く。食べかけのドーナツが小刻みに震えている。いっそ、抱き締めてしまいたかった。その涙をこの指で掬って、彼に触れたかった。その欲望を、拳を固く握ることで抑える。代わりに、静かに席を立ち、全ての窓を閉めてエアコンのスイッチを押した。万が一にでも、誰にも、彼の泣き声を聴かせたくなかった。
「…………ぼくは、ずっと……満春が、すきだったんだ……」
「知ってます」
エアコンの作動する音がする。涙が落ちては、机の上の菓子パンの袋を泣かせた。汗と一緒に拭ってしまえば良いのに、先輩はこめかみから流れている汗すら拭こうとする気配はない。…その為に、エアコンを点けなかったんじゃないの?汗だと嘯いて、涙を拭うつもりだったんじゃないの?
木戸野先輩は今朝、告白されたらしい。渡り廊下を歩いていたら、呼び止める声があったそうだ。その子は彼の部活の後輩で、夏休みに会えなかった事がその想いを募らせる原因になったのだとか。木戸野先輩は二つ返事でその告白を受けたとか。今日一日、木戸野先輩はにやける顔を隠そうとしては失敗した気色の悪い顔をしていたそうだ。
「…………気色悪いなんて、思ってない。満春はいつだってカッコいいよ…」
「いや、にやけてたんでしょ?きしょいですよ」
やっと、いつものような調子で会話が出来る程に落ち着いた先輩は、俺が渡したハンカチで溢れる涙を拭いた。食べかけだったドーナツを食べる作業を再開させる。俺も許可無く菓子パンを手に取り、袋を開けてかぶり付く。……甘っ。
(あんにゃろ……。俺に「盗ってみな」とか言っといて。なんなんだ?自分は彼女作って幸せですと?なんなの?マジで)
口の中一杯の甘ったるい粉砂糖でも、この芯から沸き上がる怒りは中和されない。
大善寺先輩は一体どんな想いでこれらを口にしているのだろうか。裏切られたような怒りと、深い悲しみ。胸を抉る傷。きっとそんなもの達を無視しようとしても無視できなくて、どうしようもないはずだ。
目の前で先輩は、甘ったるい菓子パンを甘ったるいイチゴミルクで流し込んだ。
「糖尿病になりますよ」
「未来の事ばかり気にして、今を楽しく生きられると思えない」
「………なるほど」
何が成程なのかと言うと、そういう価値観があるのなら同性を好きになったと気が付いた時もあまり動じなかったのかもしれないな、と思った。
まじまじと彼を見てしまう。指についたチョコレートを舐める先輩にドキリとした。そのまま、鼓動がいつもよりも大きな音を立てて胸を打つ。先輩が失恋した今、あわよくば…。なんて思ってしまう。一緒に失恋を痛んであげたり出来なくて、ほんの一握りくらいは申し訳無いと思うけど。
これからどう、じわじわと自分のことを意識して貰おうかと考える。打算的に生きて何が悪い。好きな人に好きになって貰いたいと思うのは人間の真理だ。
(傷心中はつけ込む隙ありまくりだからな…)
指についた粉砂糖をペロリと舐めた。さて、どうしようか、と思いつつ、焦りは禁物だな、と冷静にシナリオを組み立てる。何にせよ、今日からあの不愉快な音がこの放課後の静寂を破る事がないのかと思ったら心が踊った。俗世から切り離された、俺達だけの時間。………あれ、でも?
(……何で今日、放課後、教室に残ってたんだろ、この人…)
もう木戸野先輩を待つ必要がないのだ。
まさか、俺に会う為に?……なんて、思っていたら、そんな舞い上がりかけた俺の思考を嘲笑うかのように、ガラガラと音が聞こえた。誰か忘れ物でもしたのかと思えば、その人影は紛れもなく、木戸野先輩、その人だった。
「は?」
ぽかりと口を開けて現状を理解できない俺を余所に、「満春!」と大善寺先輩はいそいそと残りの菓子パンを鞄の中に押し込んだ。
「何お前、どんだけ腹減ってんの。今日」
「へへへー。んじゃ、木野、また明日っ!」
「…………また、あした、……」
どう言うこと?
先輩はいつものように、まるで寄り添うように木戸野先輩の隣を歩く。俺はやっぱり、いつものようにその姿を見送った。
「三週間」
「いや、三日とみた」
「……二人共、それは流石に。きっと一ヶ月は続くんじゃないのかな…」
次の日の放課後もいつものように二年四組の教室を訪ねると、先客がいた。正義先輩と鈴原先輩だ。二人は腕組みをして、座っている大善寺先輩を囲うように立っていた。
「………」
少し遠巻きに見ていると、こちらに気が付いた鈴原先輩が「やっと来たか」とそんな俺に声をかける。気が付かれたならと、仕方無しに「なんのお話ですか…」と歩を進めてその輪に加わる。
「いや、今回は満春、何日持つかなって話をしていた。お前も賭けるか?」
「……………今回は…?何日持つかって…?」
それはつまり?…木戸野先輩は初めての彼女ではないと言うこと?いつも、その交際期間は短いと言うこと?
「あいつは、彼女が出来てもいつも彼方優先だからな」
「すぐ振られるんだよ」
「…………」
鈴原先輩の言葉を正義先輩が引き継ぐ。無言でいた大善寺先輩を見れば、少し頬を赤らめてもじもじと俯いている。
…………は?
何それ。じゃあ、昨日の涙は?眩暈がしそうだった。何それ?が、頭の中でぐるぐると回って洗濯機の中のようだ。俺の脳みそ、ぴっかぴかになっちゃうじゃないか。…何それ?何それ?
それから短い会話を二、三して、「邪魔者はこれにて」なんて言い残し、鈴原先輩は正義先輩の背中を押して帰っていった。
「……」
「……」
二人になった教室で、冷房の音だけが耳につく。暫くの間、俺は、どんな言葉を紡ごうかとすら考えられないでいた。
そんなことも知らないで、先輩は机の中からいそいそと本日の分厚い本を取り出す。相変わらず茶色のブックカバーに覆われていて、タイトルがわからない。座らずにつっ立っていた俺に首を傾げるものの、そのままペラリと本を捲り始めたので、思いっきり音を出して椅子に座ってやった。
「うるさっ!もっと静かに座れないの?」
「……どう言うことです?」
「何が?」
音を立てて椅子に座ると言う不快さに、じとりとこちらを睨んだ先輩は、しかし直ぐに視線を本の活字へと移して「何が?」なんて言う。俺は苛々とする心をそのままに、机の端で頬杖を付いてそんな先輩を穴が開く程見詰める。苛立ちに、もう片方の指先がトントントンと机を叩いた。
「昨日、くっそ泣いてたじゃないですか。何なんですか?あれ。何だったんですか?」
「何って、失恋の涙じゃん」
「いやなんか、そんな感じしなかったですけど?何かさっき、勝ち誇ったみたいな顔してましたけど?」
「そんな顔してない」
「いーや。『結局、満春は僕が一番なんだよね』くらいの事は思っている顔でした」
「………」
図星かよ。胸くそ。
昨日、キスくらいしておけば良かった!と冷静にいた自分に後悔する。いつだって本当は、触れたいと思っているのに。今だってその飄々とした顔をどうにでも崩してしまいたい。俺の手で。
ーーー口付けしたら、どんな顔するの?家帰ってから少しでも俺の事を考えてくれたことあるの?連絡したいなと思った夜は?連絡先まだ交換して無いこと、どう思ってる?気が付いてる?なんで、訊いてくれないんですか?必要ない?
俺って、なんなの。貴方にとって。
「ピエロじゃん」
「何が?」
別に、と不貞腐れて言えば、先輩はやっと本を閉じた。
「確かに満春は明日、別れるかもしれない。けど、今、付き合っている彼女がいると言うことは揺るぎの無い真実なんだよ」
と、昨日の自分を弁解するように口にする。
いつもの、抑揚の無い淡々とした声。哲学や小難しい話をする時、彼はその陽だまりのような雰囲気を消し去る。その時と同じ空気に、俺は話を聞いてやろうじゃないかと彼に目を向ける。
「僕はそれでも、満春と付き合ったことは無いんだよ。キスをした事も、抱き合ったことも。でも、“彼女”はいとも簡単にそんなことをしてしまうだろ。いつか、誰かと結婚だってするだろ。そんな相手が、もしかしたら昨日出来た彼女かも知れない。そんなことを考えてしまうから、僕はやっぱり、いつだって不安だし、辛いし、傷付くよ」
「………」
すみませんでした、と素直に謝ることにした。俺はまだ失恋したことがない。或いは、もうしているのかもしれない。真っ最中なのかも。だからこんなに、ままならない。いつも胸が苦しくなる。触りたいと言う想いとそれを抑制する気持ちで、一杯一杯だ。
いっそもう、好きって言ってしまいたい。
でもそれが一体何になると言うのか?…だから、言わない。触れない。俺はこの時間が好きだから。先輩と二人だけの。何気無い時間。意味もなく当たり前に流れていく、この時間が好きだ。
「分かればよろしい」と言ったっきり、先輩は活字に目を移した。それでもやっぱり、「昨日はありがとう」くらい言ってくれても良かったはずだ。俺はもやもやとした感情のままに彼を見続けた。再び訪れた沈黙に、やはり冷房の音だけが煩い。今日は先輩の本の進みも遅く、静寂に唯一する本を捲る音もあまりしない。
「………」
「………」
いつものように遠くで部活動をしている様々な音がする。でも、窓を締め切っているせいでそれも微かだ。時折、陸上部のピストルの音だけが耳を澄ませなくても聞こえるくらい。後は、神経を集中させなければやっぱり微々たる音だけ。まるで本当に、俺達二人しかこの世にいないのではないかと思う。窓から差し込む光を纏って舞う埃は相変わらず幻想的だ。先輩の産毛も睫毛も同じように光って見える。精霊か幽霊かと思っていたけど、なんだ、ただの天使でしたか。…なんて、戯れに想う。
「………今日はなんの本を読んでるんですか?」
冷房の風に当たって、ふわふわと揺れるその猫っ毛に指を埋めたい衝動を抑えながら、いつもの抑揚の無い声で訊く。素の俺の、素のテンション。
「オスカー・ワイルド全集」
「………オスカー・ワイルド……」
今度こそ誰だ?と思った。先輩が読んでそうだなって本を調べて先回りのつもりで読んだこともあったが、先輩が読む本はいつもジャンルや内容に統一性がない。思い付いたように手に取るのだろう。分厚い医学書を読んでいる時もあれば、金子みすゞの詩集を読んでいる時もあった。物語だって時々は読む。ニーチェを読んでいたからと、様々な思想家や哲学の書を読んでみたが、その中にその人物の名前は無かった。
「『幸福な王子』って、知らない?」
「…知らないですね。童話ですか?」
「よくわかったね」
先輩は珍しくスマホを取り出した。何やら指を動かして画面をタッチした後、その画面を俺に見せる。
画面は有名な某ネットショッピングのサイトを開いており、そこに『幸福な王子』というタイトルと『オスカー・ワイルド』の文字が書かれた絵本の画像があった。表紙の絵も幻想的で、先輩がこれを好んで読んでいるのだとしたらイメージにしっくり来るなと思った。
「『よだかの星』って言われたら納得しそうな表紙ですね」
「そうかな?鳥だから?」
青と黒を貴重にしたその表紙は、鳥が空を飛んでいるイラストだった。どうやらそれはツバメらしい。先輩が簡単にその内容を教えてくれる。
「好きなんですか?」
「うん。…好き、と言うと、何か違うような感じがするけど。……何だか、愛おしくて、哀しくて、…読み終わった後、心に大事に仕舞い込んでおきたい感情が生まれるんだよね。時々、読み返しちゃう」
「………ふーん」
心の中で、今晩の買い物リストにそのタイトルを追加しておいた。そんな心の内を隠したまま、俺は気の無い相槌を打つ。それにすっかり慣れていた先輩は少しも気分を害した風も無く、さっさとまた活字に目をやろうとする。それが気に食わなくて、構わずに話しかけてやる。
「…先輩、どうしていつも、統一性無く本を読んでるんですか?」
少し迷惑そうな顔をして、でも直ぐにその眉間のシワを伸ばしてから「うん」と彼はこちらを見た。どうやら、今日は俺との会話よりも本の方を優先させたいようだ。残念でした!そうはさせるかっ!
「分からない事があったら調べるだろ?そこに本があったら、読むだろ?」
「山があったら登ります?」
「運動はちょっと…」
「知ってます」
そんな取り留めも無いやりとり。意味の無い会話。それでも、その一つ一つが大事だった。好きだった。
先輩が体育の時間、いつも教室の窓から眺めていたから知っていた。彼は運動音痴だ。短距離を走れば、まず転ぶ。ハードルは全部倒して進むし、ボールを投げればあらぬ方へ舞う。それが可笑しくて、俺は何度も笑うのを堪えるのに苦労した。数学の授業に、笑う場面などそうそう無いから。
(よくこの人…そんなに頼り無いくせに、ケンカの最中に割り込んで来れたな)
心から感心した。少しも揶揄なんて含まれない。それは、ただひたすら称賛されるべき行為だと思う。……恐ろしい程の馬鹿と紙一重なのかもしれないが。でも、先輩の伸ばした指先は少しも震えていなかったと思う。その声も。彼にとって、暴力を止めること。目の前で殴られている人間が居れば助けに入ることは当然で、きっと取るに足りないことなのだ。そんなところが、やっぱり尊いと思う。
この、嘘や偽りに溢れた世界で。彼だけが『真』だった。俺の存在なんてのは、生産性もなく、この世にまだなんの利益も生み出していない、二酸化炭素を吐くだけの生き物だけれど。先輩の吐く息は、きっと酸素だ。彼はきっと光合成が出来る。だからこそ、彼との時間はこんなにも、息がしやすい。彼は光がよく似合う。
「そういえば、」
「はい?」
「昨日は、…アリガト」
全然甘い空気にもなっていなかったのに、突然、顔を赤らめて上目遣いに言い出すのだから、俺は言葉を失った。なんだこの可愛い生き物は。わざと?天然?
「あざとっ!」
「えっ?」
「あ、いや、こちらこそありがとうございます…?」
何それ、と先輩は破顔する。こちらがお礼を言われるような事はなかったよ、と。いいや、もう、さっきの上目遣いとその笑顔だけで俺の寿命延びたから。やっぱり感謝しかない。口には出さないけれど。拝んだ。勿論、心の中の俺が。
「『悲しくて泣くのではない。泣くから、悲しいのだ』って、知ってる?」
「ジェームズ・ランゲ説ですね?」
「流石っ!」
突然の話題に俺が対応出来たことに対して、先輩は嬉しそうに笑った。俺も得意気に笑う。ああ、予習がやっと役立った。沢山、本を読んでいて良かった。無駄じゃなかった。
「吊り橋効果とか、有名ですよね」
「そうそう。僕らは、感情に騙されているとも言えるし、逆手にとったら、脳みそすら騙せるんだよ。なんだか、面白いよね」
それでこの話は何処に行くのだろう。それだけ言って終わる可能性もあったし、何か終着点を考えている可能性もあった。彼の読む本に統一性が無いのと同じで、先輩の突然の話題はいつも気紛れで、ただ喋りたいだけだったり、それをベースに語りたい結末があったりした。
「僕は悲しくて泣いていたのかな?」
「ジェームズ・ランゲ説から言うと、『泣いている』と言う行動から『今、悲しんでいる』と認識するんでしたっけ?」
「そうそう」
でも別に、感情なんて仮説や言葉にわざわざ置き換えなくて良いと思う。インスピレーション、大事だ。信じたい方を信じること、これも大事だ。時として、大きな災いを生んだりもするが。先輩は理想論を語る現実主義者だから、きっと大丈夫だろう。
「どっちでも良くないですか?悲しくて泣いてたんでしょ?」
ふふふ、と先輩はいつもの調子で笑った。淡々と語り出したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり。コロコロと変わる表情が好きだ。一番好きなのは、やっぱり、柔らかいその笑顔。
「やっぱり、木野と居る時間は心地良い」
まるで魔法の言葉のように、鼓膜を打つ。
俺はその神聖な空気を胸一杯に吸い込み、溜息を吐く。その言葉は俺の耳から、胸の奥底の、一番深いところに辿り着いたので、そこで鍵をかけて大事に仕舞い込むことにした。
「…………おれ、」
貴方の事が好きです。
………と。遂に言ってしまうかと思った。
「………何?」
続かない言葉に、不審がって先輩は首を傾げた。俺は言葉を探して、開いた口から「あー」とか「えっと」とか意味の無い音を溢してから、「俺も、好きです。先輩と過ごす放課後」とやっとのことで口にした。
「ありがとう」
そう言って笑うその顔の殺傷能力足るや…。無自覚なのが怖い。ほんと、先輩は恐ろしい。顔面で人を殺せる。本望だと思わせる。魔性っけなんて無いくせに、魔性。天使じゃなくて、サキュバスでしたか。
「そうだ。まだ僕からの返事をしていなかったね」
また変わった話題に、あれ?俺、告白してたんだっけ?と目をぱちぱちとさせてしまった。
なんの事だか思い当たっていないことに気が付いた先輩は、「生まれて来た意味の話だよ」と教えてくれた。ああ、と間抜けな声が漏れる。「男と女が居たから」だなんて答えた先輩が、この数ヵ月でどういう風にその答えを変えたのか。興味のままに、耳を傾けた。
「意味なんて、無いんだよ」
清々しく、言い放つ。
まるで今日の快晴のような顔をして、先輩は断言する。
「理由なんてものは、いつも後付けだから。生まれ落ちて来たことに、きっと皆、意味なんて無いんだ」
「………」
だからこそ答えは無数にあって、そのどれを選び取っても構わないんだ。と言う。
「…意味がないと、ダメなの?」
困った顔をして笑う。まるで駄々っ子をあやす親のような顔だった。俺は首を縦に振る。
「俺には必要ですね。無駄なことはしたくないので」
「…無駄なことねぇ」
「それに、目的もなく生きていくのって難しくないですか?」
例えば自分が、唯一無二の存在ならば。
その、尊い価値を誇りながら生きていけただろう。俺は俺でしか無い。けれど、俺が居なくなったところで誰も困らない。何も変わらない。世界は回る。世の中にとって、ちっぽけで取るに足りないことなのだ。俺の存在なんて。俺が息をしていることなんて。
…………それが時々、恐ろしい程、哀しい。
「じゃあさ、それを探す為と言うのはどう?」
「え?」
俺の本音を汲み取ってかは知らないが、先輩は机の上に置いていた俺の手に、自ら手を重ねた。温かくて、柔らかい手だ。先輩そのものだ。
「生まれて来た意味だよ。『生まれて来た意味を探す為』」
「………なんですか、それ。言葉遊びにも程がある」
「僕も一緒に探すから」
暖かいその言葉に、俺は息を飲む。
そしてやっぱり、息を吐く。そんなことを言って、俺の事を好きにはならないくせに。ーー子供がいじけるように、そう思った。
(………でも、)
でも、なんだか、解れていく心があった。
こんなにも単純な事で。言葉で。それでもまるで、「此処に居て欲しい」と最愛の人から言われたような気がした。
「………永遠に見付からなかったらどうするんですか?」
「それは困ったな。永遠には傍に居られないかも」
「………そこは嘘でも、『そしたら永遠に傍に居てあげる』って言うところですよ」
嘘を付かない先輩の真っ直ぐさを知っていた。だから、先輩のその少しも気を遣っていない返答は、選ぶ言葉を少しも間違えていない。俺を落胆させるものではなかった。だって、それは先輩らしくて、俺はそんな先輩の事が好きだから。
ガラガラ。
さて、今日も終わりの合図。
重ねていた手が、少しの名残惜しさを残さずに離れる。
「彼方、お待たせ。帰るぞー」
「満春っ!」
俺は先輩が好きだけど、先輩が好きなのはその人で。きっと先輩は、俺の事を好きにはならない。
「じゃあね、木野。また明日!」
「…………ええ、また明日」
寄り添う二つの背中を眩しく眺める。その背中が見えなくなるまで見送ってから、やれやれ、俺も帰るかな、と席を立つ。
重ねられていた手が離れ、直ぐに冷房の直風によって冷やされた俺の手は、それでも、彼がくれた温もりを忘れてはいなかった。
ー完ー
先輩と、ありふれた放課後。 将平(或いは、夢羽) @mai_megumi
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