第2話 正義先輩と放課後。

2.

 放課後、体育館裏に呼び出された。あ、今度は甘い方。

 指定の時間通りに訪れると、見知った女子が立っていた。同じクラスの、よく話しかけてくる取り巻きの中の、一人。俺を見て、「突然ごめんね」と緊張して固い声を出す。俺はなるべく優しく見えるように、笑う。


「どうしたんだよ、突然」

「………もうわかってるよね…?」

「………」


 俺は少しだけ、『緊張して表情を固くした』。……とんだ茶番だ。わからないふりをするのは、流石に嘘臭過ぎる。「あー、えっと…」なんて言いながら、視線を気まずそうに逸らす。そんな俺に、彼女は期待と不安の入り交じった熱い視線を送る。その潤んだ瞳なんて、わざとやってるんじゃないんでしょう?凄いな。…俺は密かに感心した。


「………あのさ、私、……好きなんだよね、あんたのこと」

「………」

「………付き合って」


 その上目遣いは可愛いと思ってやっているのかもしれない。或いは本当に、不安そうな顔をして俺を見上げる。俺は『照れたように笑って』から、でも『言い出しにくそうに』、切り出す。


「……気持ちは凄く嬉しいけど…。でも、わりぃ。俺、今は誰とも付き合う気とか無いんだよね……」

「………だよね」


 彼女は落胆して笑った。誰の告白もこんな台詞で断っていたので、彼女からすれば予想の範囲内だったのだろう。それなのに、告げると言うのはどういう想いからなのだろう?俺にはさっぱりわからない。…まさか、『自分ならひょっとして…』とか、思ってる?


「……伝えたかっただけ。そうなれたら、いいなぁって…」

「………わりぃ」

「いいよ、全然。……これからも、今まで通りに接してくれたら嬉しい」


 普段のように笑おうとして失敗した顔も、微かに震えている指先も、俺は何一つ、どうとも思わない。それでも俺はまるで『自分も傷付いた』風な顔をして、彼女を労った。




「見たよ、今日」


 いつものように二年四組の教室に入ると、珍しく先輩の方から声がかかる。その顔はにやにやと笑っていて、意外だった。この手の話、まるで興味がないんだと思っていた。


「告白されてたね。ぃよっ!この、色男!」

「………どういうテンション?」


 ふふふーっと笑って、「でも君はいつも、あんな感じなの?」と首を傾げる。「あんな感じ?」と考えて、ああ、あの顔のことか、と合点する。

 さわさわと外では教室に入ってこないくらいのささやかな風が吹いて、窓から見える木の葉達を揺らしていた。


「あれは何?演技なの?」


 先輩といる自分は仏頂面で愛想の欠片もない自覚があった。けれどついさっき、告白されていた俺はとても表情豊かだったことだろう。声も。喋り方も。今より明るかったはずだ。


「そうですよ」

「どうしてそんなことしているの?」


 無垢な目は、理解できないことに対する好奇心を隠そうともしていなかった。


「無駄を省く為ですよ。円滑な人間関係ほど、面倒の少ないことは無いですからね」

「………円滑な人間関係…」


 口の中で転がすように俺の言葉を繰り返した先輩は、やがて「でも君、」と首を捻った。


「三年生に呼び出されてたよね」

「…あれは全く身に覚えの無い事故ですよ」


 ふふふ、とまた笑う。

 先輩のその笑い声はいつも、この神聖な放課後の教室によく馴染んで溶ける。本当に、頭固いくせにどうしてこの人はこんなに柔らかそうに映るのだろう?笑い方が、綻ぶみたいだから?髪が猫っけでふわふわとしているから?肌が白いから?

 つい、まじまじと先輩を見ていたら、「あ、そうだ」とその形のいい唇が動いて音を発する。


「そう言えば、漆原(うるしはら)はね、生まれてきた意味なんてのは、考えたこと無いし。興味もないらしいよ。『まぁ生まれてきたからには、真っ当に生きる』だってさ!彼らしくて、笑っちゃったよ!」


 その光景を思い出したようにクスクスと笑い出した先輩に、「漆原って誰ですか?」と水を差す。ああ、と彼は少しだけ視線をさ迷わせて、「知らない?」と首を傾げる。


「漆原正義。生徒会の、会計を務めてるんだけど」

「また、凄い名前ですね」


 言って、『その名で呼ぶんじゃねぇ』と低い声が聞こえた気がした。…ああ、あの人か。過去の記憶の中に居た。一度だけ、会ったことがある。この教室の入り口を俺が塞いでしまった時。初めて、この二年四組を訪ねた時だ。


「仲が良いんですね?」

「幼馴染みなんだ」


 へぇ。いいな。

 思わず、そんな声を溢してしまうかと思った。子供の頃の大善寺先輩…。どんな感じだったんだろ?会ってみたい。


 ……俺が会ってみたかったのは子供の頃の大善寺先輩の方であったが、その日、いつものように放課後に二年四組を訪ねると、正義先輩が居た。


「彼方なら今日、休みだぞ」

「……そ、ですか」


 まさかそれを伝える為にわざわざ?俺はうすら寒さを覚えてつい、身震いした。

 窓は締め切っている。淀んだ空気はもうじき雨を降らすのかと思う程、重苦しい。薄暗い教室。まるで違う。大善寺先輩が居る放課後と、この先輩とでは、全然景色が違う。

 それでは用無しだ、と踵を返そうとして「木野」と呼び止められた。低くて重たい声だ。声だけでなくてその顔も、実はかなり年上なんじゃないの?ってくらい、正義先輩は老け込んで見える。


「……生徒会、やっぱ興味ないか?」

「…………無いですね」


 歯切れの悪い物言いに、本当に言いたかったことはそんなことじゃないのだろうと察する。それでも、言わぬのなら敢えて指摘してやる必要もない。俺は再び、振り向かせていた顔を正面に戻し、教室を出ようと一本、足を動かした。


「彼方のことは、諦めた方がいいぞ」


 静かに、響く。重く。


(………なんでそんなことを、)


「なんでそんなことを、貴方に言われなきゃいけないんですか?」


 振り返り、睨んだ。正義先輩はしかし、少しも怯まずに俺を見据える。


「辛いだけだ。見ていたら分かるだろう?」


 何を?どう?


「…………それでも、貴方にこの気持ちに関してとやかく言われる筋合いはありません。貴方こそ、きっぱりと諦めたらどうですか?」


 意図していなかったであろう、同類を見るような憐れみの色がその瞳に含まれていた事を指摘してやった。虚を突かれて、先輩は面食らった顔をする。

 「おれは別に…」なんて、白々しい。下手な嘘だ。そんな言葉で何を騙せるのだろうか?自分の心?大失敗しているじゃないか。あほらし。


「それでは」

「あっ、待てよ」

「なんですか、今度は」


 俺は苛立ちを隠そうともせず、迷惑な顔を全面に押し出して睨んだ。正義先輩はパクパクと口を開き、何事か言葉にしようとしたがなかなか声にならないでいるようだ。時間の無駄だった。次も制止の声がかかったとしても、もう立ち止まることはしまい。


「安心して下さい。誰かにふれ回る趣味はないんで」


 気が付けば雨が地面を叩く音がしていた。本当に降ってきたらしい。置き傘あったかな、と考えながら教室を出た。


「わっ、」

「あ、すまない」


 出たら早々、人にぶつかった。明らかに謝るのは俺の方だったが、相手は「大事ないか」と立ち止まりこちらを覗き込む。潰れた鼻を抑えつつ、「大丈夫です」といつもの愛想笑い。チラリと見えた窓の向こうは既に本降りで、置き傘無かったらどうしよっかなと全然別のことを考えていた。

 そんな俺の手に触れる手があって、飛び上がりそうになった。やっと、ぶつかったその人のことをしっかりと視界に捉えた。何処かで見たことのある顔だった。

 端正な顔立ち。全てのパーツは計算され尽くした黄金比で配置されていた。切れ長い目が印象的で、なかなか魅惑的だ。着ている制服こそ男性用のものであったものの、それが女子用のブレザーであったとしてもなんの違和感もない。俺より少しだけ背が高いが、華奢に見えるのはその細い首筋のせいだと思う。病的なまでに白い肌が、今日の薄暗さもあって、少しだけ不健康に見えなくもない。


(……タイプじゃないな)


 でも、綺麗な人だと思った。


「…あの」


 触れられた手に困惑して声をかけると、彼はにこりと笑う。その笑顔の背景には、日本の花がよく似合うだろうな、と思った。気品。そんなものが感じられる。あとやっぱり、日本人形の要素もあって、少しだけスッと背筋が冷える。


「………先輩は、敬おうな?」

「はい? あっ、痛てっ、いてててててッ!」


 何が起こったのか理解するより早く、その痛みに声が出た。どうやらその人が俺の右手の甲をありったけの力で捻っているらしい。え、なに、こわ。それなのにこの人は涼しい顔でにこにこと笑っている。こわ。


「………おい。凛」


 凛、と呼ばれて、その人は俺の右手を解放した。「正義。居たのか」「その名で呼ぶんじゃねぇよ。てか、居たの知ってたんだろ」。右手を抑えて暫く言葉も出せないでいる俺を余所に、二人は気安く言葉のやりとりをしていた。


「後輩を虐めてるんじゃねぇよ」

「先輩を虐めていたみたいだったのでな」

「……ひょっとすると、その虐められていた『先輩』ってのはおれのことか?」


 肯定する声に、正義先輩は「おいこら」とその凛先輩を小突いた。その加減の優しさに、彼らの関係性を見た気がした。俺は生理的に出た涙を拭って、このままこっそりと立ち去ろうと一歩動く。なんだか、分が悪い気がした。「この先輩には敵わない」と自分の中の自分が早々にその力量差を把握して、「急いで逃げろ!でも、こっそりな!」と警笛を鳴らしながら本体(おれ)を急かす。


「待て。一年生。お前、木野だろう?」

「………………。はい」


 こっそりと立ち去ることは叶わなかった。

 凛先輩の言葉は、短くても一つ一つが丁寧に発音されており、空気全体に浸透し、響き渡る。凛、とはまた。的確な名前だな、と思った。大善寺先輩の声が春の陽だまりの様だと例えるならば、凛先輩のそれは、風の無い朝の水面の様だった。


「生徒会に入る気は無いか?」

「………」


 ああ、思い出した。この人、生徒会の実質会長だと詠われている生徒会・監査の人だ。三年であったならば、やっぱりこの人が会長だったのだろう。来年にはこの人が全校生徒の前で背を正し、澄み渡るその声ではっきりと発言している姿が浮かんだ。


「………嫌です。断固拒否します」

「何故だ?」

「……目立つから…」

「もう十分、目立ってるではないか」


 くっくと可笑しそうに笑う姿は、やっぱり綺麗だった。見目麗しい、とはこう言うことなのか、と理解する。こんな人間、現実にいたんだな。


「だからですよ。もうこれ以上目立ちたくないんです、俺」

「ふむ。成程、却下だ」

「………」


 暴君だった。

 その暴君は涼しい顔で「というのは嘘だが」と先程の発言を取り消す。全然、冗談と言う響きがなかったのが怖い。


「興味があったら来いよ。歓迎する。私はお前に興味がある」

「……………俺は無いです。全く無いです」


 それではこれにて、と立ち去ろうとすると、「そう言えば」と声がかかる。なんなんだこの人達。空気を読んでくれないのかな。振り返らせるのが好きなのか?いくら俺がモテるからって、見返り美人アングルで拝みたいわけではないだろう。


「前途多難だろうが、まぁ、当たって砕けるくらいの心意気でな」

「……余計なお世話です」


 諦めろ、と言わないこの人も。ほっといてくれない点で正義先輩と同じだった。

 違うのは、なんだか楽しんでいそうだと言う点だ。この乱れた混沌に、一人だけ傍観しているから笑えるのだ。………いや別に、混沌としてない。両片想いと片想いを拗らしている男がいるだけ。登場人物が全員、男で笑える。ああ、…やっぱりカオスかも。



 

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