第9話 乗り心地はいかが?

 ~ドライジーネSIDE~


 まったく、ヴォイドも人使いが荒い。街までパンを買いに行ってくれだなんて、そんなの私の仕事じゃないだろう。私は食べることが専門だ。

 ……まあ、それでも世話になっている身だ。行くしかないか。私一人なら『面倒くさいから今日はお昼ご飯食べなくていい』とも言えたんだが、ヴォイドやその両親のお昼ご飯まで無しでは可哀そうではある。

 何より、ヴォイドのお父さんは怒ると怖いんだ。ヴォイドも声が大きいが、その父の怒鳴り声はさらに大きい。収穫したてのマンドラコラでももう少し静かだぞ。

 やれやれ。

 私は受け取った銅貨を鞄に入れて、その紐を自転車のハンドルに引っかける。自分で持つのが面倒くさいのもあるが、何よりこの自転車と言う乗り物は、両手でハンドルを持たないと安定しないのだ。


「ハンドルを持たなくても走るように出来たらいいのにな。面倒くさい」


「はいはい。そんないけず言わんと、行ってらっしゃい」


「ちょっと待て。おい、離せ。せめて私のタイミングで……うわぁあああ!?」


 ヴォイドが私の乗った自転車を、後ろから押した。ぐんと加速した自転車は、脚を上げたままの私を乗せて進む。


「お、おおおお! 思ったより長い距離を進むではないか」


 その勢いだけで、数メートルはぐんぐんと進む。倒れかけた車体を足で支え、軽く地面を蹴った。すると、また数メートルほど進む。

 スカートを穿いているにもかかわらず、たった一歩で数メートルだ。これなら、普段は行くことが出来ないような遠くまで行けるかもしれない。

 ハンドルをひねるように傾けると、自転車はそっちに進行方向を変える。馬の手綱を持つよりも簡単だろう。まあ、馬なんか乗ったことが無いんだけどさ。

 後ろを振り返ると、ヴォイドの家がもうはるか遠くに見えた。山を駆け降りる自転車は、さらに速度を上げていく。


「は、はははははは。凄いぞ。私は今、座ったまま歩いている。本当に、だ」


 日差しの暑さも、風の涼しさに溶けていく。まるで誰かに団扇で扇いでもらっているかのような心地よさだ。

 街行く人々は私の姿を見て驚く。いや、この自転車という乗り物を見て驚いているのだろう。どこからか『すげー。速い!』と子どもの声が聞こえた。うん。悪くない気分だな。


「……」


 そっと、頭巾を脱いでみた。外出するとき、女性は髪を隠すものという風潮があるが、私はそれを破った。

 通り抜ける風が気持ちいい。もし何か文句を言われたり、知らない人に怒られたらどうしよう……って思ってたけど、それももう気にしなくていいんだ。誰かの罵声も説教も、全部置き去りにして駆けていける。

 頭巾が無いだけで、街はいつもより輝いて見えた。これは愉快だな。ちょっと悪い事をしているみたいでワクワクする。あとでヴォイドにも教えてやろう。




 あ、そうそう。一番大事なことを忘れていた。

 この自転車での外出だが――


「全然、面倒くさくないな」


 夢中になりすぎていて、そんなことすら忘れるところだったぞ。

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