第8話 白い事実
「ごめん」
ひろしは勢い余った行動を美希に詫びた。合法だ違法だという前に年頃の娘が青年とは呼べない男に口づけをされるなど、相当な悲しみに違いないと彼は思った。ましてやここ数日風呂にも入れず、歯も磨けずにいた。
「いえ……」
口元をおさえ、明らかにひろしから数歩下がったところで美希は首を振った。
「あの……嫌だよね……?」
ひろしは確かめられずにはいられなかった。ふられるのは覚悟の上で、キスをした以上、もっと近づくチャンスがあるならば迫りたい。男のさがである。
「嫌っていうか……」
考えあぐねて言葉が出ず、長くつやのある黒髪を指でこねくり回した。
チャンスがあるのか、無職だがよいのだろうか、置かれている現状と今までの世界の基準が一致せず、ふふふ、と気味の悪い笑みがこぼれた。
「あの、彼氏が……いて……」
「ああ、そうなの、そうなんだ」
明らかに声の調子が下がっている。ひろしのなかで、この子を守りたいという気持ちの灯火が消えかかっている。
「彼氏は、同じ学校?」
「はい、橋本に住んでるんですけど」
「そっか、早く見つかるといいね」
今作ることができる最大の笑みを浮かべて、ひろしは靴屋の店内をうろうろした。外のゾンビはいつの間にかどこかに行ってしまった。彼らはどこに向かうのだろうか。戻ってくるのだろうか。とにかく夜明けまで外に出ることはできない。
ぎゅるるるるる……。
美希は恥ずかしそうに顔を赤らめてお腹をおさえた。食べ物はおろか水分すらこの場所にはなかった。夜が明けたらスーパーに殴り込みに行かなければならない。ひろしはかろうじて保護義務があると思っている女性と自らのために決意を固めた。
「S県の皆様……」
ラジオは日時と公園の名前を告げて切れた。間宮は地図帳を拡げて、ろうそくの火に近づける。
「ここかぁ……車が必要だ」
「ガソリンと車が2台か」
「車はうちのと高橋さんのを使えばいい、ガソリンは他の車のやつをこじあけよう」
「あの2人も来るのかな……」
「だとするともう1台か……」
「あいつらラジオ聞いてないんじゃないか」
「飯塚さん!」
若い男が奥から出てきて老人を呼んだ。
「仁平さんが……薬が効かねえ」
飯塚がおもむろに立ち上がり、熱に浮かされる仁平と呼ばれた男に歩み寄る。
刃渡り10センチのナイフが横たわる男の首を切り裂いた。
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