第7話 黒い春
「こっちだ!」
開かないドアをあきらめ、ひろしは美希の手を引いて靴屋に向かった。靴屋にはバリケードがなく、店内が荒らされている様子もないことをひろしは確認していた。靴屋には食糧がないことが推測でき、変容したこの世界において利用価値が全くなかったのだ。
ゾンビが数人追ってきている。彼らは何を察知しているのだろうか。視覚なのか、嗅覚なのか。ゾンビ同士で共喰いする様子がないのを見ると、生きた人間だけを見分ける何かがあるはずだった。それを検討している暇は今の2人にはない。
靴屋は荒らされていない代わりに自動ドアの入口も開かず、滑り込む隙間もない。ひろしはガラスを破壊するのをためらった。ゾンビが入る隙を作ってしまえば袋のネズミになってしまうことを危惧したのだ。
自動ドアを力いっぱい横に引く。少しだが開いた。
「みきちゃん手伝って!」
ゾンビの恐怖にすくむ美希は完全に我を失っていた。追いかけてくる異形の者たちを視線に捉えながら靴屋の壁にもたれかかり、腰を抜かしてしまった。
ひろしはゾンビをちらと見やる。彼らとの距離は50メートルもないだろうか。
力いっぱいにドアを開ける。
「くそくそくそくそ!」
指が吹き飛ぶほどの力で取っ手を引くと、ほんの少しの隙間ができた。指を差し込みさらに引っ張る。
「あああああ!」
涙と汗が顔から吹き出る。ひろしは気付かぬうちに少し失禁していた。ようやく人間が一人分通れる隙間が空いた。
「早く入って!」
美希を持ち上げ、隙間に押し込む。彼女にタックルするようにひろしも中に滑り込む。勢いで入口に積まれた買い物かごに突っ込んでしまった。
「シャアアアア!」
猫の威嚇のような声で隙間から怪物が顔を出した。続けて数人のゾンビが入口に体当たりをする。
「あああああ!」
思い切りバットを振り抜くとゾンビの頭は飛び、レジの機械に当たって店の奥に跳ね返った。
残ったゾンビの体は力なく倒れ、急いで入口を閉める。なんとか扉を閉めきると、ひろしは床にしりもちをついた。
目の前ではゾンビがガラスにへばりつきこちらの様子をうかがっている。美希の手を引いて店の奥へと逃げた。
「大丈夫ですか?」
あれから数時間が経った。力尽き床で仰向けになっているひろしに美希は声をかけた。
「すみませんでした、私のせいで」
「……よかった、無事で」
うわ言のようにひろしが言った。必死で逃げた記憶はあまり残っていない。逃げきれた喜びと興奮、ゾンビとはいえ人を殺めた暴力と披露、それらが入り交じって、頭の中が絵の具のようにドロドロと混沌に沈んでいくのを感じた。
「ありがとうございました」
美希はひろしの傍らに座り、彼の手を握った。
ひろしは体を起こすと美希に覆いかぶさるように口づけをした。
「あの二人助かったみたいですよぉ」
スーパーの店内でひろしと美希の様子を観察していた間宮は嬉しそうに言った。
「死んだと思ったな」
長い髭を愛おしそうに撫でて飯塚はラジオに耳を傾ける。
「……われわれは……クロイハル……」
「アスウイルスにより……世界を支配した……」
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