終章 目覚める鬼

「それにしてもびっくりだよね、あーこが動画投稿とか」

 京都から乗り込んだ、東京行きの上り新幹線の車内。風花がとなりの席でスマホの画面をタッチしている。開いたのは動画サイトの自分のチャンネルページで、亜瑚の心臓はきゅっと縮こまった。

「ごめん、なんか恥ずかしくて、言い出せなくて」

 自分が【A子の怪談朗読チャンネル】の主だということは、ついさきほどようやく風花に打ち明けたばかりだ。

「恥ずかしがることないじゃん。こんだけ人気なんだから素直にすごいって。収益化もいけるんじゃない?」

 三時間の乗車中、初投稿動画まで遡ってひたすら亜瑚の朗読を聴いてきた風花は、充足感に浸りながらにやついている。決して馬鹿にしないスタンスなのは救いだ。そう聞こえないように気をつけているだけかもしれないが。

 後ろが空席なのをいいことに思う存分リクライニングさせたシートに、亜瑚は沈み込む。

「そんなにいっぱい聴いてもらえてるのは一ヶ月前関連のやつだけだけどね」

 くだんの動画は、一ヶ月前に亜瑚が巻き込まれた鬼妃にまつわる一連の事件を、怪談朗読によって再現して、数回に分けて投稿したものだ。次から次へと畳みかけるような恐怖の連鎖と、やがて明かされる意外な真相に、興味を引かれる視聴者が後を絶たないようで反響を呼び、だいたいいつもの何十倍か視聴してもらえている。

 現在はコメント欄で「これは果たして実話なのかどうなのか論争」が繰り広げられており、信じるかは信じないかはあなたしだいの不毛なレスバトルを見守るのも、楽しみのひとつである。


 自分の身に起きた諸々に関して、風花にだけは伝えた。信じるか信じないかは風花しだいだとしても、心配して何度もメッセージを送ってくれたり家に訪ねて来てくれた彼女に対して、真実を話すのは当然の義務だと思ったからだ。

 亜瑚が居留守を使って実家にいると嘘をつき続けていたことを知っても、風花は激怒するどころかむしろ、大変だったねと泣きそうな顔でうなずきながら話を聞いてくれた。

 なんでも実は風花は、「そこまで強くはないけど多少霊感持ち」らしく、なんとなく亜瑚の下宿先に渦巻く嫌な気配を嗅ぎ取っていたらしい。それで砂本や高西が尋ねてきたときも、警戒しつつも速やかに協力することを選んだのだという。

 霊感持ちだなんて初耳だったと風花に告げると、隠しごとはお互いさまだね、といたずらっぽく笑い返されて、亜瑚はぐうの音も出なかった。


「ほんとに声綺麗だし、演技力あるし。じゅうぶん武器になると思う。さすが、養成所に通ってるだけあるね」

 知人に褒められると嬉しいよりも恥ずかしいが勝つということを、なんだか久しぶりに思い出した。

 バズった……とまで言えるかどうか微妙なところだが、【A子の怪談朗読チャンネル】全体の人気がほんのわずかに上昇したのもたしかだ。

 でも投稿はあくまで趣味でいい。できるときにやればいいと思う。きっといまのような注目の集め方も、一過性のものだろうし。

「まぁナレーターになる夢は追い続けますよ」

 さらりと答えて、亜瑚は仕返しとばかりに話題を変えた。

「そんなことよりも私は、風ちゃんがいつのまにか高西さんと付き合ってることのほうが百倍びっくりなんですけどぉ」

「えっへへ」

 急な振りに、風花ははにかむ。

「いやぁ成り行きといいますか、なんといいますか」

「大丈夫? 遠距離平気? てかそれ以前にいろいろ大丈夫?」

「いま最終面接まで残ってる企業、京都に本社があるんだよねぇ。これはもしかしたら運命なのかなぁって」

「……なんか私の友だち、変わった趣味の子多いな……」

 うっとりと頬を染める友人に、亜瑚は呆れた流し目を送った。

「ほんとに一緒に帰って来ちゃってよかったの? もっとゆっくりしていけたのに」

 というのも、亜瑚は今日、とある調査の報告を求めて、京都の大学へ訪問してきたところだったのだ。風花はその付き添いと称して高西に会いに行ったかたちだった。

「いいのよん、来週は高西さんが東京に遊びに来てくれるから。準備しなきゃ」

「あ、そうなんだ」

 自分とディズニー行く約束も忘れないでほしいな、などと内心寂しさも感じたりする亜瑚だったが。

「私はもうR大に行く用はなくなったな」

 という声には逆に、清々しさが滲む。


 亜瑚はさっき研究室で聞いてきた、酒焼けしたハスキーボイスを思い出していた。


 *


「――ごめんなさいね、あれからいろいろと調べてみたんだけど、特に進展はないわ」

 民俗学ゼミの甲斐中教授は、えも言われぬ貫禄と色香を纏った年齢不詳の美女だった。

 特段人当たりがよくて親切というわけでもないが、京都までの交通費を「取材料」と称して全額負担してくれる気前の良さと、興味の湧いたことに対してはわかりやすく前のめりな姿勢には好感が持てた。

「紀日村の村役場の資料室にも当たってみたんだけどね、明治以前の記録がほとんど残っていなかったのよ。やっぱり四百年以上前まで遡って特定の村人を探し出すのは、いくら見た目に特徴ありといえども難しそう」

 すでにこの一ヶ月で何度か、教授は紀日村へ足を運んでいた。その目的は【鬼】――と呼ばれた西洋人の男の正体を探ることだった。かれはいったいどこからやってきて、どうして紀日村にたどり着いたのか。

 いまは自分の記憶のなかにのみ残る紀日村の陰惨な歴史だが、学術的にすこしでも解明することができれば――事件のあと、亜瑚は日々そんなことを考えるようになっていた。それがはなや【鬼】、ひいては知景たちに対する供養になるのではないか、と。

 ただ自分の知識の範囲でできることは限られている。そこで高西に相談し、紹介してもらったのが彼女、甲斐中教授だったというわけだ。

「そうですか」

 収穫はなかったようだ。まあダメでもともと、というぐらいの気持ちだったので、亜瑚としてはそこまで気落ちはしない。が、

「海外からの漂流民を鬼と呼んだっていう俗説はすでに存在するし、もしほんとならそれを裏付けるおもしろいネタになるんだけどねぇ。記録がなさすぎて、これ以上のことがわからないのが残念。もしかしたら、大災害でいろいろ失われたのかもね」

 生粋の研究者肌なのだろう。教授は厚化粧の白い肌に露骨にがっかりした表情を浮かべていた。

「舘座鬼の苗字に『鬼』の字が入っているのは、いつからなんでしょうか」

 亜瑚は聞いてみた。はなの記憶をみてからというもの、「舘崎」という文字が頭の中に浮かんでいたのだ。それは自分の知っている知景の苗字と漢字が違う。

「それもはっきりとしたことはわからないのよね。ただ、明治以降の村の寄合の記録にはいくつか「舘座鬼」の文字が出てるのは確認できたわ。だからおそらくそれより前。これは前野さんの話をもとにしたあくまで推測だけど、家人から姦通罪を出したことで上から改名を命じられたとか」

 教授はそう言うと、古い帳面のコピーを見せてくれた。なにかの契約書類のようだが、たしかに署名欄にある「舘座鬼」の文字は、「鬼」の字を冠している。

「烙印みたいなもんやないですか。舘崎は法的に罪を犯したわけちゃうけど、私欲のために無理矢理嫁がせた嫁さんを大事にせんかったのが原因で、ごたごた招いたわけやし。最後はその妻まで生贄にしてなんとか体裁保とうと躍起になったんかもしれへんけど、信頼もガタ落ちして、結局だんだん家として落ちぶれていった……そんなとことちがうかな」

 高西が口を挟む。先祖の愚行は聞いていて気持ちの良いものではないが、そう言われて、自分のみた記憶にもだんだん整理がついてきた。はなの器量と異能は、幕府の役人からも気に入られていた。それだけに、舘崎家そのものの評判も暴落したのだろう。

「舘座鬼の家は、というか、紀日村そのものが、個人の欲と愛が引き起こした過ちにずっと縛られてたんですね」

「でも最後はそれに打ち勝った。それもまた愛の力で」

 甲斐中教授が語気を強めて付け足した。ドキリとして亜瑚は彼女を見遣る。もともと愛想の良い表情をするひとではないが、このときだけは露骨に不愉快そうだった。

「馬鹿らしい。愛があるから憎しみが生まれるってのにね」

 への字に曲げた赤い唇から、ため息がこぼれる。それから、


「鬼妃うんぬんについては、正直オカルトっていうか、どちらかというと私怨に基づく都市伝説みたいな臭いを感じるから、私は興味ないわね。そのへんは高西くんの専門じゃないかしら」

 と高西にバトンを投げ渡すと、講義があるからと、身の回りの細いヒールをかつかつ鳴らして立ち去った。

「良い先生ですね、甲斐中先生」

 研究室の扉を出ていく背中を見送ってから、亜瑚は軽く口にする。

「いろいろ抜けてんねんけどな。そのせいで砂本さんも苦労しとったし」

「そうなんですか?」

 そういえばかれはポストドクターだったわけだから、教授は直属の上司にあたるわけか。だが高西は肩をすくめると、

「まあ助けられた部分もあるんやろうけど。生活支援者やから」

 と曖昧に笑っていた。よくわからないが、いろいろあるらしい。


「鬼妃のことですけど、結局、はなさんと、鬼と呼ばれた白人とのあいだに生まれた娘が、次の鬼妃になったんでしょうか」

 亜瑚は高西に向き直って聞いた。

 遺骨も消えてしまったいまとなっては、彼女たちが存在した痕跡すらどこにも残っていない。でもはなの記憶によれば、娘はふたりいるはずだった。彼女たちは舘座鬼操と舘座鬼時子のように、家を継ぐ者と、鬼妃を継ぐものだったのではないだろうか。

「そう思うで。亜瑚ちゃんの話聞いてるかぎりやと、その先祖は自分の娘ですら道具みたいにしか思ってへんようなクソやったみたいやからな。妻とその愛人との子なんて、到底人として扱ってもらえへんかったやろう。むしろ殺されへんかったほうが不思議なぐらいやな」

「まぁ、舘座鬼の家燃えて家系図もなくなってしまったから、これも推測でしかないけどな。亜瑚ちゃんの聞くかぎり、はなさんはほんまに超能力者やったみたいやし、だからこそその力は四百年経ったいまでも遺伝してんのやろな」

「あーこは念力使えないの?」

 それまでおとなしく横で聞いていた風花に尋ねられて、亜瑚は大げさに肩をすくめた。

「使えるわけないよ」

 ちゃんと試したことはないが、試すまでもないだろう。

「そんな力ないほうがええと思うで。自分痛めつけてまで使うもんとちゃうやろ」

 それについては完全同意だが、風花の前だとなんとなく良いことを言おうとしている気がする高西を、亜瑚は――地元の方言で言うなら「どついたろか」と思った。


 *


「星麗南、そろそろ着くよ」

 亜瑚は窓側の席ですやすやと眠る姪っ子の頭をそっと撫でた。

 短期間のあいだにいろいろな悲劇に見舞われすぎた亜瑚の両親は、過度のストレスでいまだ静養が必要な状態だ。孫の面倒を見られそうにもないので落ち着くまで――とりあえず夏休みのあいだは、亜瑚が星麗南を預かることになったのだった。今日も、ひとりでお留守番したくなかろうと思って京都まで誘ったのだが、亜瑚と風花に連れ回されてさすがに疲れた様子だった。


 長いまつ毛を重たげに持ち上げて、星麗南は目を覚ます。

「星麗南ちゃん、一ヶ月前とくらべたらすっかり元気になったね。よかったよかった」

 通路側の席から風花が覗き込んでにっこりする。

「うん、前より健康そう……っていうか、東京の暮らしに、わりかし馴染んでるよ。スーパーとかコンビニとかいっぱいあるのがおもしろいみたい」

 ふたりのにこにこ顔に囲まれて、寝起きの星麗南はきょとんとしている。

 亜瑚は、目が悪くなったことを気にしていた星麗南に眼鏡を買ってあげていた。以前はふたつに括っていた髪を下ろして、キッズサイズでも小顔に有り余る赤縁の丸眼鏡をかけた彼女には、清楚な白いブラウスとベージュの膝丈スカートに、レースのソックスとローファーを合わせたトラッド系コーデがよくお似合いだ。可愛い子はどうあがいても可愛いものなんだなと、天使の顔を見るたび亜瑚の頬は緩んでしまう。


 駅で風花とわかれ、亜瑚と星麗南は手を繋いで我が家まで帰ってきた。一ヶ月前に破壊されたというドアは、結局だれが壊したのかわからないまま(亜瑚にはだいたい察しがついていたが、)新しいものに付け替えられている。


「星麗南」

 202号室の扉の前でふと思い立って、亜瑚は腰をかがめると。

「お水を動かす力は、絶対に使っちゃダメだからね。また目が悪くなっちゃうから。お姉ちゃんとの約束」


 星麗南の前に小指を立てる。


 なにもしなければ次の鬼妃になる予定だったことも、舘座鬼家が焼失したことでその運命をまぬがれたことも、動画を視聴している星麗南はうすうす気づいてはいても、あまりピンと来ていないようだった。それぐらいでいい。とにかくこれからは、たくさん幸せにしてあげることだけを考えたい。


「うん」

 星麗南はかたくうなずいて、指切りに応じた。

 いつか、力のことも忘れ去れたらいいと思う。

 そうなったときがほんとうに、この呪いが解けるときなのかもしれない。


「よし」

 と、亜瑚は笑顔でうなずくと、扉を開ける。

「ただいま」と律儀に挨拶する星麗南に「おかえり」とくすぐったくなりながら返す。

「じゃあ夕飯作ろうかな、なにがいい?」

「チャーハン。亜瑚ちゃんそれしか作れないでしょ」

「ばれてたか」

 ふふふ、と星麗南の笑い声が、殺風景な白い部屋をすこしだけ幸せ色に彩ってくれる。

「ちょっと待っててね」

 キッチンに立ち、エプロンの紐を結ぶ亜瑚の背後から、

「亜瑚ちゃん、パソコン使っていい?」

 ひかえめな声が飛んでくる。

「いいよー」


 それはもうどこにでもある、なんでもない日常のひとときだった。


 *


 キッチンからは、卵を溶いている音が聞こえてくる。鼻歌交じりに背を向ける叔母をちらりと一瞥してから、星麗南はフロアテーブルに向かうとノートパソコンを立ち上げた。

 チャンネルの持ち主である彼女のアカウントではなく、自分のアカウントでサイトにアクセスして、動画の再生数とコメントをチェックする。


 また、数件増えている。


 彼女の動画が人気になるのは寂しくもあるが、それよりずっと嬉しくもあった。


 星麗南はその形良い唇の端に、うっすらとひかえめな笑みを浮かべる。


 目を背けたい話のはずなのに、ひとはどうしようもなく恐怖に惹かれてしまう。

 その証拠に、数多の人間がこの動画に集まってくる。

 まるで街灯の明かりに群がる羽虫のように。


 星麗南は孤独だった。

 母親は得体の知れないものをみるような怯えた目で自分を見て、暴力で支配しようとする。父親は隠し事ばかりだ。祖父母はなにも現状が見えていない。

 そんななか亜瑚の動画だけは星麗南を癒やしてくれた。

 孤独な星麗南はいつしか恐怖に惹かれていた。

 彼女の語る恐怖を聞けば聞くほど、心臓に震えが走った。生きていることを実感できた。


 両親の死という凄惨な悲劇にさらされながら、星麗南の心の奥底でしずかに芽生えたのは、歪んだ純粋な好奇心だった。


 もっと聞きたい。亜瑚ちゃんの声。

 もっと聞きたい。亜瑚ちゃんの悲鳴。


 星麗南は気づいてしまったのだ。

 亜瑚が絶望を叫ぶとき、そのぶん鮮やかに命を輝かせるということに。

 どんな恐ろしい怪談であっても、実在の恐怖体験にまさるものはない、ということに……。


 どうしたらもっと亜瑚ちゃんに怖いお話、してもらえるかな。

 どうしたらもっと亜瑚ちゃんに怖いと思ってもらえるかなぁ。


 星麗南は無垢な微笑みのまま思案する。


 亜瑚自身もまた、恐怖に魅入られたひとりだ。

 だからこうして記録に残さずにはいられない。

 どんな凄惨な体験だって、ほとぼり冷めればしたたかに語りだす。

 だからきっとまた……。


 小さな顔の半分を覆う赤縁の眼鏡に、ブルーライトを反射させ、寡黙な少女は、キーボードに白い手を乗せる。指先で紡ぎ出す言葉は滑らかだ。


 1分前

【A子ちゃんのことずっと前から見てます!!

 今回特に特に面白かったです!!!

 もっともっと、もっとA子ちゃんの怖いお話が聞きたいっ(≧∇≦)!!!】


 瞳の奥に、星がまたたく。


 ――これからは、もっと近くで、もっとたくさん聞かせてね、亜瑚ちゃん……












 恐怖の連鎖によってまた、人の心に【鬼】が目覚める。


















【了】

※1/25 特別編公開予定

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