3-5 後継を求めて

 遅れて亜瑚が居間に戻ると、

「まーた家壊す気ですの?」

 高西が大げさに反応を見せるのに対し、

「壊すと決めたわけじゃねーよ」

 と砂本がすげない口調で反論しているのが聞こえてきた。

「ただ、壁の向こうに空間があるだろう。舘座鬼家のなかでも、まったくの闇に包まれた場所だ」

「あ、たしかに……窓がある」

 亜瑚は思い出したことをそのまま口にした。知景の部屋があったのとは別の方角に、まるで独房の小窓のような鉄格子のはまった窓が見受けられるのだ。二階が一室しかないのなら、あの窓は必要ないはず。

「でもなんのための部屋なんだろう?」

 という亜瑚の独り言に、砂本が答えた。

「それを知っている奴がいるとしたら、ひとりしか思いつかない」


 *


 舘座鬼の民宿は、宿泊施設とはいえごくこじんまりしたものであり、玄関も普通の民家となんら変わりがない。用事がある場合は靴箱の上の呼び鈴を鳴らして人を呼ぶ。

 普段なら女将の時子が顔を出すはずだ。

 亜瑚はためらっていた。

 時子とはあの通夜の日以降会っていない。時子は知景が崖から転落したほんとうの理由を知っているのだろうか。それともまだ、亜瑚が忌み話を話したことによる鬼の祟りだと思い込んでいるのだろうか。どちらにせよ亜瑚の顔を見て歓迎してもらえるとは思えなかった。

 でも砂本安が突然現れるよりは、いくらかましだろう。

 ということで、亜瑚がひとり先んじて敷居を跨いでいるのだが。


 見慣れた入り口の景色だが、実はこの奥まで上がり込んだ記憶は、知景の部屋に泊まったときぐらいなものだった。

 突き放すような静寂に、自分の鼓動が速まっていくのを感じる。

 心を決めると、亜瑚はよくある銀のドーム型の呼び出しベルの、頂点を指でそっと押した。ひかえめな鐘の音が、玄関に響く。

 建物内は沈黙している。

 聞こえるものは裏山に棲む鳥のさえずりだけで、動くものは射し込む陽の光のなか宙を舞うほこりだけだ。

 もしかしたら、いまのでは聞こえないかもしれないと思い、もう一度押そうとしたとき、廊下の奥から近づいてくる足音が聞こえた。はっと身構えた亜瑚の前に姿をみせたのは、


「脩くん……?」


 知景の弟の、舘座鬼たてざきしゅうだった。かれもまた高校から村を離れて、いまは大阪の大学に通っているはずだ。

「亜瑚さん……」

 脩のほうも亜瑚の姿を見ておどろいた顔をしたが、すぐに姿勢を正すと、

「お久しぶりです。こないだは姉さんの通夜に来てもらってたのに、ちゃんとあいさつできなくてすみませんでした」

 と丁寧に頭を下げた。

「あ、いやこちらこそ……」

 亜瑚はあわてて首を振る。時子が出てくる心づもりをしていたため、うまく言葉が続かなかった。

「亜瑚さん、……いろいろと、大変でしたよね」

 脩はためらいがちにそう言うと、陽光に透けて茶色く見える目を伏せた。大変というのはおそらく、通夜の翌日から起きた一連の祟り騒動のことを指すのだろう。しかし脩の言葉と表情からは、亜瑚に対する嫌悪や憎悪は感じられない。かれはすくなくとも、亜瑚を村に災厄をもたらした元凶とは考えていないように見えた。

 すこしほっとして、肩の力が抜ける。

 脩と話すのはいつぶりか、もう思い出せないほど久しぶりである。幼い頃は、知景の髪を短くしてそのまま小さくしたような可愛らしい容姿をしており、人見知りで臆病だった印象がある。いまでは落ち着いた雰囲気の青年に成長していて、見違えた。

「あ、ううん、その、お騒がせしてほんとにごめんなさい。脩くんこそ……」

 不意になんと声をかけて良いものかわからなくなる。ただ亜瑚は、自分が泣きそうな声をしていることに気づいてあわてた。別に特別な優しさに触れたわけでもないのに。いかに自分の苦痛を労わってくれる人間が周りにいなかったのかを、身に染みて感じてしまったのだ。

「でも亜瑚さんが、どうしてここに? たしか東京の大学に通ってるんですよね。お休みですか?」

 ぼんやりした頭で質問を受け、はっとした。その様子から察するに、脩は知景自身が怨霊となっていることや、一春を殺したことまでは知らなさそうだ。亜瑚は気を取り直して、口を開いた。まだ『鬼の祟り』は終わっていないことを、伝えなければならない。

「実はね、鬼妃のことで、調べたいことがあってきたの」


 『鬼妃』の名前を出すと、脩の顔がにわかに強張った。態度が豹変したらどうしようと、いまさらながら怖くなる。しかし脩は、至極穏やかな口調で、


「亜瑚さんも知っていたんですね。……僕だけ蚊帳の外だったのか」


 ひどく寂しそうな顔をした。その言い方で亜瑚はなんとなく悟ることができた――おそらく脩も、最近までは村のほかの若者と同じように、知景と鬼妃の秘密を知らなかったのだ。


 誤解を生んではいけないと思い、亜瑚は説明を加える。

「あっ、ちがうの。私も知ったのはついこの前のことで」

「この前? というと、やっぱり姉さんが死んでからですか?」

 とたんに脩が前のめりになった。なにか切羽詰まったものをかんじて、

「……うん」

 亜瑚は探り探りうなずいた。たぶん、脩が思っているような伝えられかたではないと思うが――なにしろ亜瑚は、鬼妃の話をまったくの部外者である砂本から聞き出したのだから。

「馬鹿みたいですよね、なんか」

 脩はため息混じりの苦笑いをこぼすと、

「鬼の言い伝えは、もちろん知ってましたけど、その裏にあんなおどろおどろしい生贄の儀式の事実が隠されていたなんて。しかもそれからずっと舘座鬼家は怨霊に取り憑かれていて、姉さんが毎晩それを供養しなきゃならなかった……なんて話、突然されて受け入れられます?」

 自然と語気が強まっていく。自分が興奮気味になっていることに気づいたらしく、脩は途中で一度唾を飲み込むと、声を落とした。

「……こんな話、亜瑚さんにするべきじゃないとは思うんですけど」

「ううん、話してほしい」

 亜瑚は真剣な顔で頼み込んだ。脩はちらりと、廊下の奥を見遣ってから、すこし亜瑚のほうに身を寄せ、さらに声をひそめた。

「姉さんの葬儀のあとから、母の様子がすこしおかしくて……」


 *


「こちらは舘座鬼脩くんです。ちぃちゃんの弟です」

 亜瑚が砂本と高西に紹介する。詳しい話はふたりにも聞いてもらったほうが良いと思って呼んだ。

「どうも。舘座鬼脩です……姉の知り合いですか?」

「僕はちがうけどこのひとは」

 高西が砂本を手で示した。

「そうですか。姉が生前、お世話になりました」

 どう考えても姉と知り合わなさそうな人物だと思ったのだろう。脩はわずかに眉根を寄せたが、それ以上あえて深く突っ込みはしなかった。砂本は終始睨み据えたような目で、威圧的なのは相変わらずだが、脩に対してあえて敵意ある姿勢や見下した態度は取らなかった。

「母は今まだ寝てると思いますので、よろしければ食堂へおあがりください」

「助かりますわぁ! 昨日からなにも食べてへんくて」

 高西が腹を押さえて間の抜けたため息をつく。

「いや別にそういう意味じゃないと思いますけど。ほんと高西さんって図々しいですね」

 亜瑚は思わずあきれた目をした。

 脩はそんなやり取りを横目に、

「いえいえ、たいしたおかまいはできませんけど。どうぞこちらへ」

 と、はじめてすこし笑顔を見せた。


 脩が座敷にお膳を用意してくれて、白米と味噌汁に漬物の朝食が、台所からすぐにでてくる。

 自分がとても空腹だったことに気付かされ、また鼻の奥がつんとした。

「それで、時子さんの様子がおかしいっていうのは?」

 味噌汁を喉に流し込んでから、亜瑚がうながすと、向かい合うように正座した脩は、うなずいて話始めた。

「はい。実は母がどうしてもうちにいてくれと僕に言うので、大学を休んでこっちに帰省してるんですが」

「そうだったの」

「母はあれから体調も良くなくて、僕としても心配なので、しばらくいるのはかまわなかったんです……ただ、」

 そう言うと、脩は暗い目をした。

「姉の通夜のあとから、母はしだいに情緒不安定というか、つねになにかに怯えたような、挙動不審な目つきをするようになりました。

 そして家にいるあいだ、僕にうちにまつわる因縁や歴史を、侃々と語るんです。姉さんの役目がどうとか、舘座鬼家の呪いがどうとか……。

 まるでなにかに取り憑かれたかのようでした。最初はきっと、精神的なショックで支離滅裂なことを言っているのだと思っていたんです。でもだんだん気味が悪くなってきて。

 正直、あまりに荒唐無稽なので、しばらく僕はとりあわなかったんです。そうしたらある日母に、二階の、姉の使っていた部屋で一晩過ごせと言われました」

「それで、どうなったの」

 亜瑚はなんだか嫌な予感がして、箸を置くと、恐る恐る聞いた。

 するとにわかに、脩の瞳が怯えた色を帯びた。いったんなにか言いかけるも、思い直したように口を閉じる。それからおもむろに、きっちりと留められた白いシャツの襟ボタンを外して、首筋を晒した。

 そこには鬱血したような紫色の痕が、人の指の形に、まとわりつくように残っていた。

 ひっ、と思わず口を押さえ、短く息を呑む。

 高西も糸目を極限まで見開いている。砂本はほとんど表情を崩さずではあったけれども、ひとならざるものによるそのあきらかな攻撃痕を凝視した。

「深夜でした。鬼妃の怨霊は、壁の向こうからにじり寄ってきました。最初は遠くで声が聞こえるんです。それから頭痛がして、強く肩を掴まれました。徐々にその指が首を締め付ける感触が……」

 脩は自分の首を庇うように手で触れる。亜瑚は強い既視感覚で寒気がした。脩を襲ったのは、知景の部屋に泊まったあの夜とまったく同じものだった。

「幸い御神水を用意していたので、それを撒いてなんとか逃げて、その場はおさまりました。でもまあ、さすがにこれでは僕も信じるしかなくなりましたよ。命の危険も感じましたしね。それで……怨霊の存在はじゅうぶんわかったとして、問題はこれから、供養役の姉さんがいなくなったあとのことをどうするかということらしいんですが」

 脩はそう言うと、さらに言い淀んで頭を搔く。

「鬼妃の後継か」

 砂本がはじめて言葉を発した。脩はおどろいたように砂本を見ると、小さくうなずいた。

「母曰く、姉さんの念のようなものがまだあの部屋には残っていて、御神水やらなんやら応急処置をいろいろ施して、いまは怨霊を一時的に食い止めている状態らしいです。ただそれも、姉さんの四十九日が限度だそうで。それを過ぎれば鬼妃はこちら側へ出てくるだろうし、姉さんの魂も完全に壁の向こう側の存在になるんだと」

 それまで彫像のごとく動かなかった砂本の眉根がわずかに寄った気がした。脩はそんなかれの顔色をうかがいながら続ける。

「だからつまり……そのとおりですね。それまでに、新しい鬼妃を決めなければいけないということです」

「星麗南が、次の鬼妃にされてしまうかもしれないの」

 亜瑚はたまらず口を挟んだ。すると脩は、そんなことまで知っていたんですね、といわんばかりに目を見開いた。

「そうです。母もそう言ってました。舘座鬼家の血を引く人間のなかでも、星麗南ちゃんぐらいしか継げる子はいないから」

「やっぱり、そうなんだ……」

 できれば思い込みであってほしいとまだ思っていたが、どうやらこれで星麗南が第一候補なのは確定的だ。

「ただし星麗南ちゃんも直系の血筋ではないから、どれぐらい持つかわからないそうです」

 と、小さくつけ加え、困ったように頭を掻く。

「いま母は毎日、しきりに僕に結婚を進めてきます。おまえがだれか連れてこられないなら、こちらで見合いの席を設ける、と。それだけならまだしも、学校をやめて、いますぐ家を継げとか……なんだかもう、無茶苦茶で」


 亜瑚の脳裏に不意に、時子の言葉が蘇る。

「脩には学校をやめて帰ってきてもらいます。あの子ももう二十歳やし、適当な娘に子を生ませて早いところ家を立て直さなあかん。村を守らな。それまではあんたのとこの子に代理をつとめてもらいます」

 あのときすでに、彼女のなかでは後継ぎに対するおおよその算段がついていたのだろう。


「でも僕、その、なんというか、そういうことにはあまり……」

 脩の言葉尻がだんだん弱くなる。切実に困っているのには、時子の言動のほかにも理由がありそうだ。

「モテへんの? 可愛らしい顔してんのに」

 高西が不躾に尋ねた。その質問は別に必要ないだろう、と亜瑚は咎めそうになるが、

「お恥ずかしながら。内気な性格が原因だとはよく言われます。それになんというか、理想の女性像みたいなものが、高すぎるのかもしれないです」

 脩は律儀に答えて苦笑した。たしか脩の同学年には女の子がいなかった。その代わり、かれの前には常に姉の知景がいた。それがかれの恋愛観に関係しているかどうかはわからないが。

「とにかく母は、今後鬼妃を継ぐ者がいなくなることをひどく恐れているみたいです。なにかに取り憑かれたみたいに、怖がってる」

 するとそこで、

「アンタはどう思うんだ」

 それまでおとなしく聞いていた砂本が、するどく脩に問いを向けた。「時子にしたがうのか?」

「僕は……正直、わかりません。姉さんが、僕らの知らないところでそんな役目を負わされていたことは悲しいし、自分の子にそれを継がせるなんて。想像できません。ただ、姉さんは別にあの部屋に監禁されていたわけじゃない。ずっと村で暮らすことは、決められていたかもしれないけどそれでも、みんなを守っている自覚と責任を持ってやってたんだと思います。そう思えば、仕事……みたいなものなのかも……まあこの時代にこんな閉鎖的な因習が残っているのが、そもそもおかしいとも思うんですけど……」

 発言がどっちつかずに揺らぐ。脩のなかに、容易にわりきれない葛藤があることが感じ取れた。

 沈黙の時間が多くなる。朝食の皿も空っぽになってしまった。

 亜瑚はご馳走様と手を合わせてから、立ち上がった。


「私、やっぱり時子さんに会うよ」


 腰掛けたままの三人の視線が、亜瑚に集まる。亜瑚は脩に目を向けて宣言した。

「直接お願いする。星麗南を鬼妃にしないでって。どうしてもって言うんだったら、私が身代わりになってもいいから」

 意を決して絞り出した亜瑚の発言だったが、脩は目を逸らした。

「それは無理だ」

「どうして?」

「亜瑚さんでは……僕と同じようになると思う」

「同じように……って、なに」

「そうか」

 と、横からやけにすんなり納得したのは砂本だった。

「いや、あなたが言い出したんじゃないですか。いまさら引き下がらないでくださいよ。そんなの、私だって一応、ちぃちゃんの親戚ですし」

 亜瑚は思わず噛み付いてしまった。身代わりなんてほんとうは御免だし、知景ほど霊感や特別な才能はないかもしれないが、そう決めつけられると逆に癪だ。

 議論が途切れる。

 脩はしばらくのあいだ黙って考え込んでいたが、やがてわかりました、とうなずいておもむろに立ち上がった。

「とりあえず、僕が母に取り次いでみますので、亜瑚さんはすこしのあいだ、ここでお待ちください」

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