2-3 鬼妃

「知ってるんですよね? 砂本さん。教えてください。っていったいなんなんですか?」


 亜瑚は立ち上がり、砂本を真正面から見据えた。

「祟りを鎮めるには、新しいが――」

「うるせぇな。アンタの欲しい情報は持ってねぇつってんだろ」

 砂本が不機嫌な声を出す。思わず目をつぶってしまうが、ここで逃げるわけにはいかない。

 あとすこしだ。

 勇気を奮い起こすため、知景の無念と、星麗南の無事を想う。自然と、拳に力がこもる。

「お願いします。砂本さんの聞いた話、なんでもいいんです。聞かせてください」

 亜瑚は深々と頭を下げた。


 *


 場所を移してキャンパス構内のカフェテリア。


「まずはとりあえず経緯を話せ。舘座鬼知景が死んでからなにが起こった」


 すぐさま砂本から命令口調が飛んでくる。

 かれの口調や態度には逐一不快感をおぼえるが、頭を下げて頼み込んだ手前、反抗するわけにもいかない。亜瑚はおとなしくこれまでのいきさつを彼らに語ることに決めた。


「――うーん、成美さんは自殺でお兄さんは事故としても、義姉の麻友さんは亜瑚ちゃんの目の前で惨殺されてるんすねぇ。こらホンモノの怪物とちがいます?」

 高西はときおりうなずき、メモを取りながら聞いていた。しかしその真摯な姿勢に反して、感想を述べる口ぶりは軽薄そのものである。

「『忌み話』を話したことによって祟りが起こったっていう因果関係が成立するかどうかは……いまの時点ではわからへんけども」

「で、アンタの言うその『忌み話』ってのはどんな話なのかも教えてもらおうか」

 砂本は顔色を変えずにうながした。

「でも、話したら――」

「どうせ祟りはもう起きてんだろ? 一緒じゃねぇか」

 忌み話に神経をすり減らしている亜瑚にとって、嘲笑混じりのその発言は気に障った。

 しかしここでかれの機嫌を損ねては、肝心のの話が聞けないかもしれない。不満をぐっと飲み込んで、口を開く。


「鬼の話は、むかし話というか、おとぎ話というか。実際にあったことだとは思ってないです。村で育った若い人たちの大半がそうだと思います。お年寄りは、よくわからないけど」

 前置きはいいと言わんばかりに、砂本が爪の先でこつこつとテーブルを鳴らした。不安を煽られ、亜瑚は早口になる。

「簡単にいえば、平和な村にある日突然鬼が現れて、村の女の人を次から次へと食べてしまったので、お坊さまに頼んで鬼を退治してもらったと……」

「まあー、たしかにようある話やねぇ」

 高西が不釣り合いに明るく口を挟んだ。

「でもそれからというもの、村に災いがたくさん起きてしまって、それを鬼の悪霊による祟りだと恐れた村人は、祟りを鎮めるために、鬼を神として祀った……という話です。その鬼神オニガミさまを祀ったのが舘座鬼家のご先祖さまのお家らしくて。特別な力を持った血筋って言われてて」

「特別な力ねぇ。で?」

 相槌を打つのは専ら高西で、砂本は黙ったままだ。

「詳しくは知らないですけど……実はうちのひいおばあちゃんも舘座鬼家の人間なんですけど、うちはそういう血筋がどうとかって気にしたことはなくて。ちぃちゃんだって、全然ふつうの子でしたよ。まあ、たまに変にするどいところはありましたけど。あと鬼を祀るって言っても、別に変な儀式とかやったりするわけじゃないですし。お祭りとかもないし。たしかにかなり田舎ですけど、いたって普通の土地で」

「どうだか」

 とそこで砂本がおもむろに声を出す。頭をかく右手の、内側に曲がった親指が目に入る。

 こちらが命がけで説明しているのになんなんだその態度は。

「ていうか、いい加減に私の質問に答えてもらいたいんですけど」

 我慢の限界に達して、亜瑚は言い返してしまった。

 砂本は頭をかくのをぴたりと止めて、亜瑚に向けて目を細めた。それまでの凶暴で攻撃的な色とは打って変わった冷酷な目つきに、亜瑚の心臓はぎゅっと収縮する。


 捕食者と獲物が互いをうかがうような張り詰めた空気のもと、砂本はようやく話し出した。


「……鬼を『鬼神』と呼ぶとき、それはいわゆる山岳宗教的な意味合いにおける『神』のことを指す。祀られるべきもの。丁重に祀らなければ自然災害を起こす山の神。あるいは自然災害そのものを、畏敬の念をこめて『神』と称す地域もある」

「あの……すみません、ええと、じゃあ砂本さんは、鬼の話はほんとにあったと、考えてらっしゃるんですか?」


「いや?」


 即答し、理解の及んでいない亜瑚に対してあからさまな軽蔑の目を向ける砂本。ポストドクターなら学生のアドバイスにあたる局面もあるだろうに。自分なら絶対にこんな講師に指導されたくはない。亜瑚は射殺いころされないように唇をかたく結んだ。


「俺が言ってるのは、なんてモノは存在しないってことだ。鬼の根源にあるのは人間の信仰や畏怖の念。その本質は『恐怖』そのもの。赤い肌の化け物が実際に山に住んでいたわけじゃない」

 さっき高西が言っていたことと重なる。亜瑚にも理解できて、思わず素直にうなずいてしまった。

「それを踏まえたうえで、アンタらが語り継いでいる話を分析すると、不可解な点があることがわかる」

「不可解……ですか?」

 亜瑚は首をかしげた。

「鬼の伝説で重要なのは『鬼を退治した』という事実――『恐怖を克服した』という結末だ。

 たとえば酒呑童子の伝説は、源頼光という実在の武将が鬼を退治することで結末を迎える。酒呑童子の正体がなんであれ、源頼光は都をおびやかす『恐怖』に立ち向かい、克服したとして語り継がれているわけだ。

 紀日村の話も途中まではそうだ。鬼は退治され、悪霊となったものは神として祀られることで、完全な解決を見る。

 ただ不可解なのはここから。

 舘座鬼家に残る書物をいくら掘り起こしても、人物を特定できるような文献が出てこなかった。

「お坊さま」と……さっきアンタはそう言ったが、紀日村に唯一残る寺にもそれらしき僧の記録はない。

 さらに『祀った』という部分にも疑問が残る。祟り神を封じるのだから、それに際して社ひとつ建てられてもいいぐらいだ。なのに紀日村に唯一の神社は、特に鬼に由縁がない。『鬼神オニガミ』信仰の形跡がないんだ。妙だと思わないか」

「えっと……」

 ひと息に説明されて、亜瑚は圧倒されてしまった。

「ちぐはぐなんだよ、いろいろと。アンタらの鬼の話は、実在性を裏付ける由来や根拠が貧弱すぎるんだ。なぜだかわかるか」


「後付け、いうことですかねぇ」


 高西がぽつりと口を挟んだ。砂本はちらりと高西のほうを見遣り、肯定の意を示した。

「そうだ。紀日村の鬼の言い伝えは、適当に考えられた嘘話だ」

「な、なんでそんなこと」

 亜瑚が思わず割って入ると、

「隠すためだ」

 と砂本は即答する。


「回りくどい言い方をしたが――」


 砂本は次に高西からメモ帳をひったくって、白紙のページに何か書いた。


「結論から言えば『きひ』とは『鬼』の『妃』つまり、鬼の嫁のことだ」


【鬼妃】


 ボールペンの先でとん、と示されたその単語を見て、亜瑚はようやくその言葉の意味を知った。しかし理解は深まるどころかますます謎が増えて、眉間に皺が寄る。一方高西は合点がいったらしい。

「ああ、ですね」

 物騒なワードに似つかわしくない嬉々とした声がカフェテリアに響いた。

「生贄? どういうことですか?」

 怪訝な顔で説明を求める亜瑚に、高西が代わって答える。

「災いを鎮めるために、なんらかの理由で選ばれた村の娘が、生贄に捧げられたんとちがいます?」

 砂本はうなずく。

「紀日村で発生した過去の災害については知ってるか?」

 めずらしく答えを求められたにも関わらず、亜瑚は首を横に振るしかなかった。舌打ちが聞こえたような気がする。

「1642年のことだ」

「寛永の大飢饉の時期ですね」と即座に高西のレスポンスが挟まる。

「その年は全国的に異常気象が多発していた。長雨や大雨、山岳地帯の紀日村では大規模な土砂崩れが起きた。それがもとで、壊滅状態にまで陥った」

 自分の生まれ育った土地の話が江戸の時代まで遡るのは、なかなか身近に考えられない。だが話の腰を折りたくないので、亜瑚は黙って耳を傾ける。

「どういうやりとりが行われたかは記録がないから推測でしかないが、それほどの災厄は村にとっても前代未聞だったのだろう。多数の犠牲が出て手の打ちようもなく、ついに自分たちが滅ぶ寸前。最後の手段として、人間の娘を神に与えることで難を逃れようと考えた」

「完全に、困ったときの神頼みやったわけですね」

「そんなの」

 馬鹿げている、と考えるのは現代の価値観なのだろうか。亜瑚は絶句してしまう。

「その生贄が『鬼妃』だ」

 いったん言葉を切って、砂本は亜瑚に目を向ける。おどろきと疑いを孕んだ面持ちで、亜瑚はなんとか話を噛み砕こうとしていた。


「どういう儀式がおこなわれたのかまでは、記録がないからわからなかった。が、このとき『鬼妃』に選ばれた娘は、村に対して強い恨みを持ったらしい。以来、その魂は怨霊となって舘座鬼家に取り憑いていている。アンタらが知っている鬼の話は、この『鬼妃』の存在を隠すために、舘座鬼家が広めた作り話なんだよ」


「これが俺が聞いた鬼の話……いや、の話の真相だ」


「怨霊……ですか?」


 亜瑚は愕然とした。


 あまりにも突飛な説で、信じ難かった――というわけではない。


 小学一年生のとき、知景の部屋に、たった一度だけ「お泊まり」をした日のことを思い出していたのだ。

 夜中、地の底から唸るような声を亜瑚は耳にした。さらに寝ている肩を掴まれた。

 知景はとなりにいたのだが、翌朝その出来事をおぼえていないと言った。

 そのため、時が経つにつれてあの体験の恐怖もしだいにうすれ、夢だったのかもしれないと思うようになっていたが、どうやら自分の体験はほんものらしい。

 いままで安全地帯から耳を傾けていたむかし話が、急に身に迫ってきて、すっと血の気が引くのを感じた。


 あれは、、『鬼妃』だったのではないだろうか。

 自分はすでに、子どものころに、それに遭遇していた?


「じゃあ知景は、そんな怨霊のすぐ近くで暮らしてた……?」

 独り言を口にして、思わず身震いが起こる。一日だけでも忘れがたいほどの恐怖をおぼえたのに、毎晩あの部屋で、知景は怨霊ととなり合わせで眠っていたことになる。

「その鬼妃が舘座鬼家から解き放たれた。で、いまアンタに取り憑いて、祟りを起こしてる。……という解釈がしたければ勝手にしろ。俺は祟りがなぜ起きたのかも、その鎮めかたも知らないが」

 砂本の声に、ほんのわずかな苦味が混じる。

「あとは自力でなんとかしてくれ」

「待って、まだ質問が」

「俺からはもう話せることはない。こっちはアンタにばかりかまってるほど暇じゃないんだ。今日は終わりだ」

 砂本はそう言ってすげなく立ち上がると、いかにも亜瑚としゃべるのが億劫だったというようにゆらりと立ち去ってしまった。


 砂本の告げた事実を理解するのには時間がかかった。亜瑚は小一時間その場から動けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る