第26話 炎姫と剣奴
小高い丘から帝国軍を見下ろす侯爵軍。
「アイリーン! あれはアイリーンだ!」
遠くに見える磔にされたアイリーン。バルドには見えてしまった。
眼下に広がるのは千を超える帝国軍。そんなものバルドの目には入らない。
「アイリーン! 待ってろ! 今行くぞ!」
「待てバルドロウ殿! いくら何でも無謀だ! 勝ち目などない! それに……殿下はもう……」
バルドを落ち着かせようとする侯爵。しかし、侯爵自身もアイリーンのあのような姿を見てしまっては冷静ではいられない。部隊は進退極まりつつあった。
そこに現れた数名の王国騎士。おそらくは国王の親衛隊だろう。
「ホプキンス侯爵でいらっしゃいますか! 我々は陛下の親衛隊の者です!」
「陛下が……陛下は!」
「いかにもホプキンスである。知る限りでよい、状況を聞かせてくれるか?」
侯爵に同席し報告を聞くバルド。
「へ、陛下が……御自ら……そんな……」
地面に膝を落とし絶望するホプキンス侯爵。
「アイリーンが! 嘘だ! アイリーンが!」
現実から目をそらすバルド。
ロザリタもついに、涙が溢れ落ちてしまっている。これまでずっと耐えていたものが。もはや堪え切れなかった。
「私達は陛下のご命令通り、帝国に仇為す存在として生きていきます!」
「侯爵閣下はいかがなされますか!」
親衛隊員から決意表明をされて、現実に立ち戻ったホプキンス侯爵。
「ならば私は王国民の生き残りを保護しよう。誇り高きメリケイン王国の火を絶やさぬように。」
「かしこまりました。我らは行く道は違っても同じく陛下に忠誠を誓った者。もはや生きて
「閣下の道に幸あれかし!」
「うむ、そなた達の修羅の道行き。一人でも多くの帝国民を……! 行けい!」
その間にバルドは歩き出していた。
「バルドロウ殿! 何をするつもりか! まさか一人で!?」
「知れたこと! アイリーンを取り戻すのだ! 俺とアイリーンは比翼……比翼となりて羽ばたくのだ! どこまでも、来世では……どこまでも……」
「バルドロウ殿……」
ホプキンス侯爵はもうバルドを止められなくなってしまった。親衛隊員が無駄に命を散らそうとしていることを止められないように。
「バルドロウ殿! アイリーン殿下を奪還できたなら! 王国の北端からムリーマ山脈へと登って来てくれ! 我らはそこで捲土重来を期す! それにはそなたの力が必要だ! 待っているぞ!」
バルドは振り向きもせず、返事もしなかった。そして帝国兵がひしめく戦場へと、身を躍らせた……
勝ち戦ですっかり緩み切っている帝国軍である。剣の腕ではアイリーンをも上回るバルドの登場に数千もの人員を要する帝国軍は混乱の極みにあった。
なぜなら勝ち戦だからだ。すでに勝ちが決まった戦いで死んでしまうことほどバカらしいことはない。一般的な帝国兵は命を惜しみバルドと戦うことを軒並み放棄してしまった。もちろん全員がそうとは限らないが、バルドに相対した者はみんな死んだ。帝国軍は虎の尾を踏んでしまったのだ。もう、誰にもバルドを止めることはできない。
「どうした! 帝国の臆病者! たった一人の俺を殺すこともできないのか!」
怒りに身を任せて暴れるバルド。逃げる帝国兵を背中から斬り殺す。向かって来る敵は正面から両断する。どちらもお構い無しだ。バルドはもう正気を失ってしまったのだろうか。
いや、そんなことはない。
罵声を発しながらもバルドの歩みはアイリーンへと向かっていた。磔にされたアイリーンの元へと……
「弓隊構え! 撃てぇ!」
帝国軍の常套手段、味方をも巻き込む矢の雨。しかしバルドには効かない。自らが殺した帝国兵を持ち上げ、盾として使っている。そのまま弓隊の位置まで駆け抜けて荒れ狂う。全ての矢を防ぎきれず、手足には何本も刺さっている。それでもバルドは止まらない。
「うわぁバケモンだぁ!」
「こんなやつ相手にしてられるか!」
「逃げろ!」
「くそ! だから王国なんか来たくなかったんだ!」
「ふざけるな貴様ら! それでも帝国兵か! 逃げるな! どうせ後十人も斬れはせんわ!」
身なりの立派な騎士らしき帝国兵がどなる。
そして、バルドに斬られる。
「俺が後何人斬れるかなど、お前が心配することじゃない。」
前進を続けるバルド。そのバルドを避けるように帝国軍が割れる。アイリーンまでのルートができた。
「アイリーン!」
走り出すバルド。彼我の距離が縮まる。
そして遂に……
「アイリーン! 待ってろ! 今降ろしてやるからな!」
十字架の根元を斬る。後ろに倒れる十字架を優しく支え、地面に寝かせる。
「待たせてしまったな……往こうアイリーン……どこまでも一緒に……」
無論、返事はない。帝国兵が遠巻きに見つめる中、アイリーンの身体に打ち付けられた鉄杭を一本ずつ抜いていく。
二十分余りかけてアイリーンの身体は自由になった。そんなアイリーンを背負い、しっかりと自分に紐でくくりつけた。もう決して離れないように。
「アイリーン……来世では……比翼となりて……ともに羽ばたきを……どこまでも……」
バルドは歩き始めた。
王都方向ではなく、敵陣へと向かって……
「お、おい! あいつが来るぞ!」
「どうすんだよ!」
「逃げるしかねーだろ!」
「どこまでだよ!」
帝国兵は気付いてしまった。王国の化物は復讐に狂っている。ここで逃げてもきっと帝国内まで、どこまでも追ってくるだろうと。
「や、やるっかねえ!」
「ここで殺しとかねえと!」
「お、お前から行け!」
「ふ、ふ、ふざけんな! お前こそ行け!」
王女の死体を回収したら帰るだろうと考えていた帝国兵だったが、そうはいかなかった。自分達がいつも戦場でやっていたことのツケが回ってきたのだ。逃げることはできない。ならば、戦うしかない。
バルドは事切れる瞬間まで戦い続けた。戦場には夥しい数の死体が山と転がっている。
そんな血塗られた丘に立つバルド。顔を判別することすらできないほど傷だらけだ。しかし、最期まで倒れることはなかった。
バルドとアイリーン、二人を引き離すことはもう誰にもできない……永遠に……
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