第11話 侯爵邸での日々

王女アイリーンが押しかけてきた翌日から、バルドの地獄の日々は始まった。たかが踊りだと甘く見ていたことは否めない。

ただ、バルドは知らなかったのだ。貴族にとってダンスとは、剣奴にとっての選抜戦と同じだということを。


お家の興亡、命運がかかっているのだ。たかがダンスと侮るなかれ。事実、今回のバルドにしてもアイリーンとの結婚に向けて誰からも文句の出ないダンスを披露する必要があるのだから。




頭の位置を変えず足だけを動かす。

重心がブレないように、しかし動きは止めない。

かと思えば関節が軋むようなストップ&ゴー。筋肉も千切れそうに痛む。

表情は常に優雅に。無表情などは以ての外。

足の運びは多種多様。最低五パターンは覚えなければ何もできない。

常に女性をリードすることを忘れるな。一人で踊るわけではないのだ。


そのようなことを繰り返し教わるバルド。

普段している剣の稽古より動いてないはずなのに、すでに疲れ果てていた。その気になれば朝から夕方まで戦い続けることもできるバルドが、だ。まだ昼にもなっていないのに。ダンスの奥深さを思い知っているところである。


「さあさあ、お立ちなさい。女の私でさえ元気なのですよ? 情けない姿を見せないでくださいな!」


稽古の相手はシンクレアだ。言葉遣いは変わったようだが、彼女の苛烈さまでは変わっていない。


「もう一度……頼む……」


「もちろんです。いきますよ! はい、アン、トゥ、トリィ。アン、トゥ、トリィ。」


ワルツ系のダンスのようだ。


「違う! つま先の角度をもっと右へ!」

「背筋を伸ばしなさい!」

「左手が弱い! もっと指先まで力を込めて!」

「痛い! 力を込めて、なおかつ優しく握る!」

「ステップが違う!」

「重心がブレた! それでも剣士ですか!」

「表情が消えた! 妾を優しく見つめなさい!」

「頭が上下しすぎ! このド下手くそ!」


シンクレアによる厳しい稽古は続いた。




一週間が経過した。実際のところ、バルドの上達は目覚ましかった。侯爵令嬢たるシンクレアが息を飲むほどである。シンクレアからすると、厳しい目で見ているためまだまだ文句の付けようはあるようだが。


アイリーンも週に一度、数時間だけ侯爵邸を訪れてはバルドの練習に付き合っている。それはバルドのためなのか、それとも自分がバルドに会いたいからなのか、シンクレアには一目瞭然だった。


「よしバルド! だいぶよくなったぞ! やはりそなたは私の誇りだ!」


「ありがとう……アイ、リーン。その言葉があれば、俺はどこまでも……がんばれる……」


「ふふ、ではダンスはここまでだ! 庭へ出るぞ! 剣で勝負だ!」


「おお! 望むところだ!」


剣と聞いて途端に元気になるバルド。この日も剣が折れるまで勝負は続いた、が……


「まだだ! 戦場では剣が折れても敵は待ってくれぬ! 続行だ!」


「その通りだ! 俺は素手でも負けん!」


シンクレアやロザリタ、その他ホプキンス侯爵家やアイリーンの護衛の騎士が見守る中、素手の殴り合いは続いた。


しかし、どちらの攻撃も当たらない。互いの見切りのレベルが高く、全ての攻撃を避けてしまうためだ。


「さすがだなバルド! よもや素手でもここまでやるとは!」


「アイリーンこそ! その優雅な細腕でやるものだ!」


「そなたこそ! 男らしい筋肉の中にしなやかさを併せ持つ、素晴らしい肉体だ。」


「むっ! その態勢から蹴りとは! なんと見事なバランス感覚!」


「それをさらりと躱すそなたの柔軟な体よ! 強靭なだけでは戦いには勝てぬからな!」


「なんの! アイリーンの細く絞り込まれた鋼のような脚から繰り出される蹴りだ! 避けるしかないからな!」


二人の戦闘そのものはハイレベルで横から見ていても早すぎて付いていけないほどだ。しかし、二人の会話は聞こえる。どう聞いてもイチャイチャしているようにしか思えない。


結局対戦はアイリーンの時間切れで水入りとなった。名残惜しそうに馬車に乗り込むアイリーンを、やはり名残惜しそうに見つめるバルド。


「また来週だ。楽しみにしている。」


「ああ、待っている。」


たどたどしかった口調も今では鳴りを潜め、人並みの言葉を話すようになったバルド。こうして瞬く間に時は過ぎ、ついに明日はアイリーンの誕生パーティーとなった。


これはバルドにとっての選抜戦。生き死にを賭けた戦いである。


夕日が沈み、夜の帳が下りる。数多の貴族達の思惑を隠すかのように。

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