第10話 ホプキンス邸での一幕

「バルドロウが来ておるそうだな!」


侯爵家の門が激しく揺れる。頑丈な表門が軋んでいる。このような傍若無人な真似をする者は一体だれか?


決まっている。


「こ、これはアイリーン殿下! し、しばしお待ちを!」


「早くいたせ。妾は愛に飢えておるのでな。」


警備の騎士は慌てて屋敷内へと駆け込む。通常、王族が臣下の邸宅を訪れる場合には何週間も前から準備をして万全の体制で受け入れるものだ。それをこのように突然現れるとは……

しかも勝手知ったる侯爵家らしく案内も待たずにずんずん進んで行く。ついには廊下にて。


「殿下。本日は当家にご行幸を賜りましてありがとうございます。」


「ロザリタか。久しいな。バルドロウはどこか? 案内いたせ。」


「こちらにございます。」


ロザリタが案内したのは応接室だろうか。


「アイリーン殿下がお見えになられました。」


「まあ殿下!」


部屋中の人間がさっと跪く。


「シンクレア。此度はご苦労だったな。礼を言う。ああ皆の者、楽にするがよい。して、バルドロウは何をしておるのだ?」


「もったいなきお言葉にございます。見ての通り寸法を測っております。パーティーに間に合うよう作らせますわ。」


バルドはただでさえ身動きができない時に炎姫の登場である。緊張が最高潮に達していた。


「バルドロウ。よく来てくれた。嬉しいぞ。妾の一方的な想いでなく、そなたも妾を想ってくれたのであろう? それが何より嬉しい。」


「炎姫様……私は……」


言葉が出ないバルド。


「シンクレア、採寸にはあと如何程かかる?」


「三十分ほどかと存じます。」


「よかろう。ではバルドロウよ。その間ぐらい話に付き合え。よかろう?」


「は……はい!」


それは奇妙な光景だった。仕立て屋の言う通りに動くバルド。それを間近で見つめながら話しかけるアイリーン。一番大変だったのは王女を目の前にして職務に集中しなければならない仕立て屋なのかも知れない。




「そ、それでバルドロウよ……非常に聞きにくいのだが……妾からの手紙……返事がなかったのはどうしたことだ……? 妾とて一人の女子おなごぞ? 好いた男からの手紙だ……心待ちにしてもおかしくなかろう?」


バルドはもう天にも登る気持ちだった。つい先日まで嫌悪していはずの王族にもかかわらず、この王女と心が通じたことを天に感謝していた。


「申し訳……ありません。私に手紙は届いて、いないのです……」


「なんだと!? そんなバカな!」


アイリーンは週に一度手紙を出したと言い、バルドは受け取ってないと言う。これは一体どうしたことか。


「あ……もしかしたら……」


「なんだ! 言ってみよ!」


バルドはシンクレアより以前に訪ねて来た三人組の貴族の話をした。その中の一人が『文など届くはずがない』と言っていたことを。

その時はアイリーンがバルドなどに手紙など書くものか、という意味で受け取っていたのだが、今の話を聞いた後では随分と事情が変わってしまうというものだ。


「なるほどな。よく思い出したな。後は任せておけ。もっとも、最早妾とそなたは離れることはない! 同じ王都にいるのだからな!」


「炎姫様……」


「待て。そなたは妾の婿となる覚悟があるのだろう? なれば、妾のことはアイリーンと呼ぶがよい。いや、アイリーンと呼んで欲しい。」


「あ……あう……えん……あい……」


そう言われても平民以下の存在だったバルドにとってはかなりの難問だ。これが王族を嫌悪していた時なら容易く呼んでみせたのだろうが。


「バルドロウ! 殿下のお気持ちにお応えしなさい! 今こそ男を見せるのです!」


こんな時、側近や臣下ならば王女を諌めるものなのだろうが、ここでは勝手が違うらしい。シンクレアの声が響く。


「バルドロウ。そなたは妾に傷を付けた唯一の男なのだ。あれから他の国境にも視察に行ったし立ち会いもした。もちろん傷を付けることができたなら婿に迎え入れるという条件でだ。しかし、誰一人として妾に敵う者はいなかった。バルドロウ、そなただけなのだ。そなたのみが妾と並び立つ存在なのだ。」


「あい……でん……あう……」


いつもの無表情はすでになく、迷い子のように弱々しい表情をしてしまっている。


「遠国最強の剣士も、隣国最速の槍使いも、老練の魔法使いすら妾に傷一つ付けるには至らなかった。そなただけだ! 妾と対等なのはバルドロウ、そなたしかおらぬ!」


「あい……りーん……」


「バルドロウ! いつまで山猿のつもりでいるのです! あなたは殿下と並び立つ存在なのです! 男ならはっきりと口にしなさい!」


アイリーンとシンクレア。メリケイン王国を代表するような猛女二人から追い詰められるバルド。人間以下の扱いをされてきた剣奴といえど、後がなくなれば……前に出るしかない。


「アイリーン。俺のことも……バルドと呼んで欲し……い……」


全身から汗が吹き出し、顔色は乱高下するバルド。しかし王女アイリーンは……


「バルドロウ、いやバルド! よくぞ言ってくれた! それだけで妾は、これからも戦ってゆける! 共にメリケイン王国の敵を殲滅しようではないか! 鮮血のバージンロードを歩くのだ!」


「ああ、俺たちの前に……立ち塞がる……者は皆殺し……だ……」


「そうだ! 皆殺しだ! ハーッハハハハハ!」


狂ったように笑うアイリーンを……


バルドは愛おしそうに見つめていた。


シンクレアは微笑ましそうに見守っていた。


ロザリタは無表情で見ていた。


仕立て屋は、バルドの採寸を終えようとしていた。早く帰りたくて仕方なかったそうだ。

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