第5話 メリケイン王国の女性貴族

バルドが剣奴になったのは国のためでも憧れからでもない。食うためだ。戦死する危険はあっても餓死することはないからだ。戦乱の時代なのだ。どこの国でも流民なんていくらでもいる。そして、流民は即奴隷となり強制労働や最前線で戦わされる国よりも、まだ剣奴への道が残されているこのメリケイン王国に流れ着いたのは幸運と言えるかも知れない。強くありさえすれば生き残れるだけでなく、英雄として崇められることもあるのだから。


すでに遠くなっている貴族の馬車を見て、つい考えてしまう。王女アイリーンと共に生きる道を……一瞬でも夢を見てしまったことを……


言われるまでもなく自分が炎姫と添い遂げることなどありえない。まだ二十歳にもなっていない自分だが、現実は知っている。事実、炎姫から手紙が届いたことはない。忘れよう。ただ自分が揺るぎない忠誠を持ち続けていればいいだけだ。そしてあの日の炎姫を超えられるよう精進するのみだ。


そのように思考を無理にでも逸らすバルド。他の者はバルドの顔から内面を窺い知ることはできなかった。




そして数日後。再び貴族の馬車がやって来た。バルドは顔色こそ変えないものの、かなりうんざりしていた。受付業務はバルドの仕事ではないが、遠くに貴族の馬車が見えた時点でバルドが呼ばれたのだ。


降りてきたのは女性。それも豪華な衣服を身につけている、高位貴族なのだろう。


「そなたがバルドロウか? 妾はシンクレア・ホプキンス。ホプキンス侯爵家の長女である。」


「……はあ……」


そういえばこの前の貴族は名乗りもしなかったな……なんて考えていた。


「ふん、礼儀知らずの山猿と見える。妾がここ来たのはそなたに力添えするためじゃ。」


「は?」


「アイリーン殿下のお気持ちを知らぬとは言わせぬぞ? その上で一通たりとも返信していないとは、男の風上にも置けぬ奴よ!」


「は? 返信?」


「殿下は週に一通、そなたに手紙を送っておられるそうじゃ。しかし返事を貰ったことはないと。この不忠者め!」


「いや、その……」


「まさか読み書きが出来ぬのか? 軍にいてそれはあるまい?」


「は、はあ……」


「ならば何故返事を書かぬ? 殿下はそなたとは心が通じたとおっしゃっていたぞ?」


「殿下が……私のことをそのように……」


バルドは心に渦巻いていた黒い霧が晴れるかのような感覚を味わっていた。先日より霧が濃かった分、より鮮烈に、清々しく心が晴れていく……


「これは殿下から預かった手紙だ。今すぐ読むがいい。」


「はい。」


たどたどしい手つきで開封する。


『バルドロウへ


返事の来ぬ手紙を書くのは意外に辛いものだ。この話をシンクレアにしたところ、直接届けてくれることになった。あの子ほどの貴族が行く必要は全くないとも思うのだが、何やら用があるらしい。しかしバルドロウよ、浮気は許さぬぞ? 男はシンクレアのような大きい乳が好きと聞くからな。妾は最早そなた以外の男に肌身を許すつもりはない。だからそなたも妾以外の女性にょしょうに触れるでないぞ?


さて、用件だが一ヶ月後に王宮で妾の誕生パーティーがある。ついに二十三になってしまうのだ。そこでバルドロウ、そなたに出席して欲しい。無茶は重々承知している。もし、そなたに来てもらえないのであれば、妾は……


いや、そなたはきっと来てくれる。信じているぞ。


アイリーン』


最後に書かれているのはフルネームではなかった。ただ、アイリーンとだけ。それが何を意味するか、バルドに分かるはずもない。

そして、いつもの無表情が崩れ年相応の苦悩する男の顔が現れた。


「さて、大方殿下の誕生パーティーへの誘いでも書いてあったのであろう。無茶をおっしゃるものよ。そなたのような山猿を王宮に呼ぶのだからな。」


「……はい……」


「さて、妾は力添えに来たと言ったな? 妾としてはそなたと殿下が結ばれて欲しいと思っておる。今回のパーティーは絶好の機会なのでな。」


わずかに驚いた顔を見せるバルド。内心ではかなり驚いていた。まさか、そんなことがあるなんて……


「なぜ……ですか? 一体あなたに……何の得が……」


「ふん、簡単な話よ。まあ聞くがよい。」


シンクレアの説明は至極単純だった。国内の婚姻適齢期の男性高位貴族のほとんどがアイリーンとの結婚を狙っている。そのため適齢期を過ぎても婚約者すらいない女性貴族が大勢出てきた。ならば、アイリーンが結婚しさえすれば、男性貴族も現実に目を向けて適齢期同士で婚姻が進むというものだ。


「納得はしました……」


「分かればよい。そこでそなたに身につけて欲しいのはダンスじゃ。礼儀作法や言葉遣いなども課題ではあるが、そこは殿下がどうにかされるであろう。時間もないしの。」


「ダンス……ですか?」


「そうじゃ。今まで殿下は父君であらせられる国王陛下としか踊られておらぬ。そこでそなたが見事に殿下と踊ってみせれば、浅ましき男共はぐうの音も出ぬであろうよ。」


「そのような……ものですか……」


「それから衣装じゃ。今から発注してギリギリとなるであろう。つまりもう時間がない。よって……性根を据えて返答せい! そなたはアイリーン殿下と添い遂げる覚悟が有るや無しや!」


心のわだかまりはほとんどない。自分のような者を必要とする炎姫に応えたい気持ちもある。しかし、どうしても踏み出せない。それも当たり前だ。相手は一国の姫、言葉をかけてもらえただけで一生分の幸運とも言える。


「ふむ……悩む余地はあるようじゃの。つまりそなたは往きたいのであろう? 殿下と歩む新しい道を。だから悩んでおるのじゃ。確かに剣奴以上に過酷な道やも知れぬ。しかしそれは殿下とて同じこと。もしかしたらこれが原因で国が滅ぶやも知れぬ。しかしそれとてこの戦乱の世であれば、いつどの国が滅びようとも不思議はない、であろう?」


「あ……はい……」


「なればこそ! 殿下のお気持ちに応えようとは思わぬのか! それともまさか、既に心に決めた女子おなごでもおるのか?」


「いえ、私の忠誠は殿下ただ一人です!」


たどたどしい口調が突然変わった。これこそがバルドの本心なのではないだろうか。


「ふむ。恋心と忠誠心は違う気もするが……ならばどうする! 妾と共に来るか! 地獄の稽古が待っておるが、そなたを殿下に相応しい男にしてやろうぞ!」


「い、行きます! で、殿下に相応しい男になる……なります!」


「しかと聞いた。ではすぐ様準備をして参れ! 妾は隊長と話を付けておく。行け!」


「はっ!」


こうしてバルドは長期休暇を無理矢理取得し、メリケイン王国の中心部である王都テネシアに連行されることとなった。

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