第33話

 また機嫌を損ねられると恐ろしいので、代わりに魔王の剣をケースに収めて歩いた。

 アレルカンを肩に担いでいると、まだ革のケースが配給されなかった頃を思い出す。


 水の中を泳いでだいぶん機嫌がよくなったのか、剣が放っていた魔力はまた弱まって、俺の歩調にあわせてじゃぶじゃぶと揺れていた。

 なにか得体の知れない魚が入った水槽を運んでいるような気分だった。


 やれやれ、つくづくとんでもない剣と関わり合いになってしまったもんだ。


 分水嶺を越え、乾いた道に沿ってしばらく歩いていると、いくつもの轍が残った地面の上に、さきほど眠らせておいた少年の姿があった。

 俺は思わず苦笑いを浮かべた。

 どちらの道を選ぶのかと思っていたら、どうやら少年は、まだ西にも東にも行っていなかったらしい。

 彼は道の真ん中に座り込んで、うんうんと頭を悩ませていたのである。

 少年は俺の姿に気づくと、勢いよく跳ね起きた。


「リゲルさん!」


 喉がまだ痛むのか、声がすこし涸れていた。

 俺はにっと微笑んで、剣の入ったケースを掲げて見せた。


「俺が六だぞ」


 満身創痍になった俺の姿を見て、少年は目が点になっていた。

 やれやれ、こいつは本当に泣き虫だな。

 次の瞬間には、ぼろぼろと泣き出してしまったんだ。


 この純朴な少年に俺様の大活躍を聞かせてやりたいのは山々だったが、いまはそんな時間がない。

 かいつまんで、重要な点だけを教えてやった。


「いいか、大使館では仕方がなかったのかも知れんが、連合軍に戻るまで、もう二度と、何があっても、絶対にこのケースを開くんじゃないぞ。開いても一瞬だ。この剣は魔物を惹き付ける力を持っているからな、一刻も早く連合軍に渡さないと、何が起こるか……。

 い、いや。だが、あんまり急ぎすぎてもだめだ。特に、激しく振るのは厳禁だ。どう説明したらいいのか。……とにかくこいつはデリケートで、そのくせひどく怒りっぽい。女だと思って、丁寧に扱え。わかったな!」


 そうだ、これは獣人たちを従えるバーリャの王が持っていて、はじめて意味を持つ剣なんだ。

 こんな危険な剣は、一刻も早くバーリオ達に返すべきだったんだ。

 少年は、一言一句もらさずに俺の話を聞いて、快く頷いた。


「わかった、ぜったいに開かないよ」


「殊勝な奴だ。持ってな」


 少年に革のケースを突き出すと、彼は慎重に取っ手を持った。

 そして、少年が危なっかしそうにケースを手に提げた瞬間。


 剣はぴたりと魔力を放つのをやめた。


「――……あ?」


 俺は、呆然と立ちすくんで、少年の背中を見つめた。

 ケースを運ぶ少年はまったく気づいていない様子で、水の入った桶でも運ぶように慎重に俺の先を進んで行った。

 途中で振り返って、いつまで経っても動き出さない俺を不思議そうな表情で見ていた。


「急がないんですか?」


 一瞬、俺の魔力を読む能力が無くなってしまったのかと思った。

 ちがう。

 肩にはじんじんと熱いアレルカンの魔力が今でも感じられる。

 そうではない。

 あの剣が魔物を呼ぶのをやめたんだ。


 稀にあることだったが、唐突だったので少し驚いた。

 魔石は側にいる人間が持つ魔力に反応して強くなったり、弱くなったりするという。

 ごく稀に、完全に波長を打ち消しあって魔力を失ってしまうこともあった。

 そんな確率はごくわずかだが、魔物をひきつけるあの剣を持って平原を脱出するなんて芸当を、この子供が成し遂げたことを考えれば、よほど自然だ。


 俺は、ずっと立ち止まったまま、自分の行く末を案じていた。

 このまま何事もなく、少年と一緒にミッドスフィアまでたどり着くことができれば、どうなる。

 俺の書いた自伝は第二部が発行される事になるだろう。

 それもぜんぶ嘘っぱちじゃなく、半分くらいは本物の英雄譚として……だ。


 俺は憲兵旅団大佐を救出し、軍の裏切り者と決闘し、マフィアを壊滅させ、そして最後に、奪われた剣を取り戻した。


 ミッドスフィアに永住権を取れば、西軍の刑罰も受けずに済む。

 印税で儲けて、賞金も六割手に入れば言うことなしだ。


 映画出演のオファーもすでに来ている。

 これを機に、俳優業をやるというのもいいかもしれないな。


 官邸のパーティに出席して著名人の知り合いを作ったら、リゲル=シーライトは再び別の形で世間の注目を集めることになるだろう。


 いや確かに、副将軍の事を金の亡者だの、汚い奴だのと罵ったりもしたが、あれはぜんぶ、極限状態でのことじゃないか?

 しかも、本当は口に出して言わなかったし。

 心の中は自由だ。

 言ってみれば、生理現象みたいなものなんじゃないか。

 うんうん。


 そもそも、連合軍が失った正義って何なんだよ?

 おいおい、よくもあんな小っ恥ずかしい台詞が浮かんだもんだ。

 元軍人と言っても、ただの一兵卒でしかなかった俺がよく言うよ。


 もし口に出していたら、恥ずかしさのあまりに死んでいたかもしれん。

 仮に、もしそんなものがあったとして、いまさら俺がかつての『正義』を取り戻す事に、いったい何の価値があるっていうんだ。


 汚名返上でもしたいのか?

 ウソつきの卑怯者だって言われるのが恐いのか?


 いいか、これから俺がつくウソは、すべての人が幸福になる嘘だ。

 周りを見てみろ、悪党は倒したわ、宝を奪い返したわ、少年は助けるわ。

 俺のつくウソは、誰も不幸になんかしない。

 そうだろ?


 それに、どう考えたって、俺には賞金の六割ぐらい正当な報酬じゃないのか?

 それだけの危険を、死ぬリスクを、俺はたったいま冒してきたじゃないか。


 けれど、英雄の剣が少年を持ち主として認めた途端。

 そういった考えは俺の頭から粉微塵に吹き飛んだような気がした。


 不思議な話だが、あの剣の傍に見知らぬ人影が寄り添っているような気がしたんだ。

 俺はまだ顔も知らなかったが、真っ赤な髪をして、純白のローブを身にまとった若い女だったような気がした。


 命がけで剣を守り抜いた使者の姿が目に浮かんだ瞬間。

 俺の口からは、別の言葉が出ていた。


「行けよ」


 少年は驚いて、目を丸くしていた。


「えっ」


 ――えっ、まさか、いまの俺が言ったのか?

 おいおい、おいおいおいおいおい。(笑)

 いったい何を言ってるんだリゲル。

 ぜんぜんお前らしくないぞ。


 そんなの、ありえねぇだろ。

 この俺がそんな空耳みたいな霊感に従うっていうのか?

 せっかく目の前に未来への道が開けたんじゃないか。

 この不況の世の中で、こんなチャンスは二度とめぐってこないぞ。

 行けよ。

 ほら。

 あとほんのちょっと嘘をつくだけで大もうけ、ぼろもうけ、人生ばら色だ。

 嘘をつけよ。

 頼むから、ほんと頼むから。

 ほら、もうちょっとだ。

 嘘をつけ。

 嘘をつけ。

 嘘をつけ。

 嘘をつけーーーーッ!


 俺は、軽く口を開いて、山の空気を吸っていた。

 しばらく間を置いて、アレルカンを手に取り、突然大声で騒いだ。


「ああッ、なんてことだッ……連中がすぐそこまで追ってきている!」


 俺は、背後の見えない敵に向かって身構え、大声で吼え散らした。


「行け! 少年、ここは俺が食い止めておくから、俺にかまわず行け! 後から必ず追いつくから、早く、とっとと先に、行くんだッ!」


 少年は、革のケースを両手に提げたまま、ぽかんと突っ立っていた。

 森の木々がわっさりと梢を伸ばし、小鳥たちがちちちちとどこかで囀っていた。

 背後の道にいる少年は、やがてぎこちなく、うん、と頷くと、剣を抱えて東の方へと走り去っていったのだった。


 俺は、何度も東の方を振り返った。

 少年とケースの姿が見えなくなるまで、ずっと見えない敵に向かって、ただ銃を構えていた。


 やがて少年の姿が見えなくなると、ようやく荷が下りた気分になった俺は、足元にアレルカンを放り出して、後ろ向きにばったりと倒れた。


 ――俺は一体なにをやっているんだろう?


 大の字になって道の真ん中に寝そべると、空は端のほうから薄桃色に染まっていった。

 真っ黒いカラスが一羽、俺を小ばかにするような鳴き声を上げて飛んでいった。


 とたんに、笑いが込み上げてきた。


 ――まあ、こんなもんだろ。俺の物語なんて。


 とりあえず、俺は泥を払いながら立ち上がり、アレルカンを肩に担いだ。


 まずは、銀貨を投資してくれた仲間達に会って、ちゃんと謝ろう。

 西軍に逮捕されたら、もうそれどころじゃないだろうからな。


 その前に、あいつらにだけは、本当のことを話しておこう。

 そうしたらたぶん、あの酒場のテーブルから、俺の良心の根っこの部分から、全部やり直せるだろう。

 これが嘘偽りのない、これがこの俺の本物の冒険譚だ。


 やれやれ、また振り出しか。

 日の暮れかかった道路の真ん中で、俺は立ち尽くし、左右に首を巡らせた。

 ……ところで、イーサファルトはどっちだ?

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