第32話
しかし、銃撃はなかなかやってこなかった。
死の間際に、俺は異様な物音を耳にした。
どこかで聞いた覚えのある、獣の唸り声のような音。
それと共に、激しい地鳴りが地面から伝わってくる。
どこか遠くで銃を撃つ音も混じっていた。
最初は耳鳴りかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。
凍ったまつげをこじ開けながら目を開くと、兵士もなにかの異変に気づいて辺りを警戒していた。
そいつらの間で、天井から垂れ下がった氷柱がぐらぐらと揺れているのが見えた。
俺がまだ生きている、ということも異常なことだったが、外では何かもっと異常なことが起こっているらしい。
今の内だ。
今すぐ、ばっと身を起こして、目の前の兵士の銃を奪って、ここから逃げ出すんだ。
俺の右手はしきりにそううずいているが、無茶言うな。凍り付いて動けないんだぜ。
ほら、お前ら行けよ?
もしお前ら裏切り者の兵士たちが副将軍の選りすぐりの人材だったら、要人の安全確保を最優先にするべきじゃないか?
こんなところで、どうでもいい雑務をこなしている場合じゃないぞ。
ほら、行った行った。
俺の得意技である二枚舌も出せなかったが、目の前の兵士達は軽く頷き交わして、そういった内容の事を確認しあっていたようだった。
数名の兵士たちがその場を離れていった。
そして、残った兵士がさっさと俺の後始末を終わらせることになったらしい。
俺の胴体を跨ぎ、動くことの出来ない俺の額に向かって、冷たい小銃の先端をつきつけた。
ちょっ、待て、まじか、心の準備が……。
俺が目を閉じる間もなく、耳を劈くような銃声が響いた。
俺に銃を向けていた兵士も、驚いた様子ですばやく体をひねり、銃を窓のある方向に構えた。
「敵襲……散れっ!」
どうやら、この建物が銃撃を受けたらしい。
兵士達は動くことのできない俺を置いて、次々と物陰に身を潜めた。
俺の目の前を4、5発の銃弾が火の玉のようにびゅんびゅん飛んでいくのが見えて、生きた心地がしなかった。
ガラスの破片が辺りに散乱する音がした。
ここからじゃ窓が見えない。
くそっ、一体何が起こっているんだ。
兵士たちはコンテナの陰に隠れ、ずっと外の様子を伺っていた。
リーダーは残りの兵士に手で合図をした。
「GO! GO! GO! GO! GO!」
銃を構えた兵士達は背を低くして、1人ずつ物陰から順に飛び出していった。
どうやら全員ここから出ていくらしい。
やれやれ、命拾いしたぜ……と思ったそのとき。
天井の氷柱の1本がぽきりと折れて、真っ直ぐ俺に向かって落ちてくるのが見えた。
おい、ウソだろ――。
見た事もないぶっとい氷柱が、俺の身体の中心目がけて落下してきた。
これは直撃するだろうなという予感はあったが、不思議と恐怖心はなかった。
氷柱が胸につき刺さって死ぬなんて、地中海育ちのイーサファルト男児にはあまりに非現実的で、実感なんて沸いてこなかった。
けれども、あの大きさの氷が直撃したら、普通に死ぬだろうな。
そう思ってぼんやり見上げていると、さっきの兵士の顔がひょっこり現れて、その氷柱の前に立ちふさがった。
俺の身体を跨ぎ、ふたたび頭に狙いを定めたその兵士の兜に、氷柱が直撃し、粉々に砕けて辺りに散らばった。
兵士は俺に覆い被さるようにばったりと倒れた。
――生きてやがる。
やれやれ、世の中ほんっとうにどうなるか分かったもんじゃないな。
外ではまだ銃撃戦が続いている。
倉庫の中に、凍りついた俺と倒れたその兵士だけが取り残されていた。
生を実感するにはあまりにもギリギリで綱渡り的な状況だったが、俺はまだ、ほんの少しだけ生きていくことが許されたみたいだ。
俺は渾身の力を込めて、再び体を動かそうとした。
すると、氷の戒めも徐々に溶けていった。
体の下で、みしみしと音を立てて溶けている。
どうやら凍結魔法そのものが解け始めているらしい。
安心したのもつかの間、天井からは次から次へと氷柱が落ちてきた。
俺は何とか地面から背中を剥がして、撃たれた右足を引きずりながら、その場から離脱した。
氷柱の直撃は免れたものの、岩みたいな破片が飛んできて腹や背中を容赦なく打ちつけた。
冷えきって感覚のない体を、どうにかして引っ張ってゆき、床の上に丸く残った氷のフィールドから出ていった。
銃傷はたいしたことない、このぐらいの傷なら戦争で嫌と言うほど経験してきた。
問題なのは、全身がひどい凍傷になっていたことだ。
はやく治療をしなければ、手足が回復不能になる。
道具袋から液体ポーションを取り出したが、どうやらポーションまで凍結していたらしい。
瓶を逆さに振っても出てこなかった。
仕方なく、ザクセンの薬草売りに貰った薬草を噛み砕こうとしたが、これが煙草くさい上になかなか唾液が出てこなくて焦った。
どうにかこうにか応急処置をしている間にも、倉庫の外の銃撃戦はますます激しさを増していった。
ルイーズが麓から援軍を呼んだのだろうか。
だとしても、この妙な動物じみた唸り声は何だ。
俺は激痛と寒さに耐えながらふらふらと立ち上がり、窓の外を見やった。
身を隠しながら、彼等と激しい闘争を繰り広げている連中の姿をそっと見たとき、思わず口から言葉がこぼれた。
「あ、牛か」
声さえ出れば、あらんかぎりの声を振り絞って「牛か――――っ!」と叫び出していただろう。
恐ろしい光景だった。
山奥の集積場一帯を、とんでもない数の牛頭のイリオーノの群れが埋め尽くしていたのである。
おいおいおいおい、いったいなんでこいつらがここにいるんだ?
バーリャで出会ったペテン師族じゃない、よく見ると、どれも本物の牛頭だ。
そいつらに必死になって銃を撃ち続けているのは、アイズマールの部下達だった。
牛達は、銃弾をまともに食らってもゆるゆると前進し続け、もーもー唸りながら杖を振りかぶって攻撃を繰り出し、その数と体力で敵を圧倒していた。
そのうち、牛達のリーダーが前に進み出てきた。
どこかで水もたらふく飲んできたのか、喉の毛皮からぽたぽたと水が滴っている。
銃弾を体に食らってもびくともしない、泥の壁のように奴らの前に立ちはだかって、空に向かってけたたましい声で吼えた。
「ウオオオオオオオモオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリビリビリッ!
倉庫の窓が一斉に震えて、そのうち何枚かは割れた。
それは初見ではない俺もちょっと引くほどの破壊力だった。
アイズマールの部下達は次々と武器を取り落とし、地べたに座り込んでしまった。
すっかりあのペテン魔術にかかってしまった様子で、口々に「お、オーノッ(化け物)!」と叫びながら退散していった。
やったぜ、さすがはペテン師族のリーダーだ。そのゴテゴテに飾られた杖が、今は神々しくさえ見える!
リーダーは、馬のようにぶるると鼻を鳴らすと、空を仰いで、何かを叫んでいた。
咆哮とほとんど変わらないおぞましい声で、耳慣れた単語なんてひとつもなかったが、俺には連中が呼びかけている相手だけははっきりとわかった。
彼の咆吼に合わせ、びりびりと震える、まるで液体のような魔力がある。
俺は、地上の牛達がつぶらな瞳を向けている方に視線を向けた。
おそらく、麓の村との通信に使われるのだろう、ひときわ背の高い塔。
屋上に飛空艇が待機している、その塔の外壁をぐるぐるとらせん状に登ってゆく階段の途中に、牛達に追い込まれ、苦渋の表情を浮かべて大地を見下ろす副将軍の姿があった。
その手に提げているケースから、魔王の剣の凄まじい魔力が発せられている。
どうして誰も気づかなかったんだ。
英雄の剣を返還することになったのは、あの剣がある東部に大量の獣人たちがあつまってきて、大混乱になったせいだったじゃないか。
剣を運んでいた列車はイリオーノの蛮族に襲われていて、鉄砲水に気づかなかったじゃないか。
剣をバーリャから持ち帰った英雄は、とつぜん現れた黒竜と戦って石になったじゃないか。
サテモが動物を呼べるように、魔王の剣は、従僕である魔物たちを呼び寄せるんだ。
そうだ、この牛頭の部族は俺と同じ『魔力の読み手』だったんだ。
俺もこいつらも、知らず知らずのうちに、あの剣の呼び声に吸い寄せられていたんだ。
まったく……なんて剣だよ。
そのとき、俺の右手は塔の方から放たれる、もうひとつの異質な魔力を感じ取っていた。
今度は熱くもなく冷たくもない、圧迫されるような力だ。
そこかしこの影の中を、邪悪な小人がうぞうぞと動き回る気配がする。
嫌な予感がして魔力の源を探すと、魔法を使おうとしているのは、副将軍を護る勇敢な騎士、アイズマールだった。
アイズマールは、両足を家の土台のように広げ、両手を顔の高さにあげ、次々と複雑な手の形を作っていく。
発声による呪文とは違って、長時間同じ形を保っていられる手印術は、同じ物質を莫大な量生み出す土魔法に向いたものだ。
だが、これはまずい。
あいつの練り上げている魔力の量が尋常ではない。
「あいつ、下に自分の部下がいるのもお構いなしかよ!」
奴が使おうとしているのと同じ型の魔術は、俺も今まで何度か読み取ったことがある。
ここにいたら、俺も巻き添えは必死だった。
俺は最後の根性を振り絞って痛む脚を引きずり、高い場所を探した。
コンテナの山はあらかた崩れてしまっている、ベランダだ。
ようやく壁際の階段にたどりついた途端、扉をつき破って大量の水が倉庫に流れ込んできた。
背後に水が迫ってきて、唐突に湧いてきた最後の力を振り絞った。
間一髪、流れに飲み込まれるよりも早く階段を登りきる。
モーモーと悲鳴をあげる牛や、助けを求めるアイズマールの部下たちや、持ち主のない銃や、とにかくいろんな物がごちゃごちゃになって流されていた。
息を切らして二階の窓によりかかると、丁度アイズマールが魔法を構成し終わった後だった。
両手の指先をそろえてぴんと伸ばし、がに股にひらいた足の方向に振り下ろすと、塔の両脇から大量の水が噴出し、空高く昇っていった。
こいつ、山で津波を呼びやがった。
なんて海賊らしい技を使う奴だ。
地上では激しい渦が生じ、辺りを埋め尽くしていた牛達が瞬く間に押し流されていった。
アイズマールの不快な笑い声がこんなに似つかわしい光景は、この世に二つとないだろう。
「ふぅーわっひゃははひゃあははひは! 恐れ入ったかァ、化け物どもォッ!」
さすがの牛達も、この魔法にはお手上げのようだった。
バーリャ育ちの彼らは水が弱点だ。
銃ではびくともしなかったリーダーも杖を地面について、濁流に流されないようにするのがやっとの様子だ。
俺の右手が、再びうずいた。
ああ、分かっている。
手を貸してやりたいのは山々だが、銃のない今の状況ではとても手が出せない。
というか、牛頭の連中に手を貸したところで、俺を生かしておくかどうか、はなはだ疑問だぞ。
塔のほうを見やると、副将軍は階段を登りつかれたのか、少し苦しそうに咳き込んで、その様子を見下ろしていた。
満足げな笑みを一瞬浮かべたが、やがてよろよろと壁際の方に後ずさってゆき、壁に背中をぶつけた。
その様子に、俺は眉をひそめた。
なにか恐ろしいものでも見るように顔をこわばらせ、表情を青ざめさせ、喉をかきむしるようにおさえていた。
よく見ると、ゆっくり体が宙に浮かんでいく。
両足はばたばたと、まるで水中にいるようにもがいていた。
俺がその不可解な瞬間を目撃した、唯一の人物となった。
塔の下に気を取られていたアイズマールは、その様子に気づいていない。
彼の背後で、副将軍は溺れてしまい、力尽きたようにばったりと倒れてしまった。
水のない所で溺れてしまった。
こいつは、『
一体誰がこんな魔法を――。
革のケースは、塀のない階段をがたがたと転げ落ち、塔からまっさかさまに転落していった。
それに気づいた護衛の兵士達が慌てて飛び掛ったが、もう遅い。
黒いケースは、丁度空と地面の中間あたりでくるりと一回転し、はずみで蓋が開いた。
中から黄金の光をみなぎらせた剣が飛び出し、激しい水流の中にぼしゃんとしぶきを上げて落ちてしまった。
魚みたいだった。
ようやくその異変に気がついたアイズマールは、ゆっくりと振り向き、驚愕に目を見開いた。
「殿下ァーッ!」
アイズマールはこの世の終わりのような絶叫を上げ、呆然とする兵士たちをかきわけて、真っ先に副将軍の元に駆け寄っていった。
彼が抱えあげても、副将軍は目を閉じたまま、ぐったりとして動かなかった。
あまりにも突然の主君の死に、彼を護ってきたアイズマールとその部下達は、悲痛な泣き声をあげた。
不運、であるかのように思われた。
まるで本物の騎士みたいに、彼等は天を仰ぎ、運命を呪っていたが、俺にはそれが剣の意思だったように思えてならなかった。
ああ、アイズマール。
水の精霊の前で、水なんて呼ぶからだ。
アイズマールが魔法を中断していたため、山中をかけめぐっていた津波はあっという間に引いていった。
周囲の禿山から流れ出た土砂で、地面は泥沼と化していたが、やがてその泥の中から何者かがむくりむくりと立ち上がってきた。
全身泥まみれで、もはやいったい何の部族だったか分かりはしない。
だが、それでも連中はもーもーとわめき、集積場のあらゆる方向から塔を目指して群がっていった。
魔物達がわらわらとよじ登ってゆく塔のてっぺんで、行き場を失ったアイズマールは怒り心頭の様子だった。
曲刀を抜き、みずから牛達と立ち向かわんばかりの勢いで、兵士達にわめき散らした。
「ちくしょう! 貴様ら、剣を探せ! 獣人ごときに後れを取るなッ!」
塔に残された騎士達と、牛達の戦いは見物だったが、よくよく考えてみたら、どっちが生き残っても俺を生かしておくつもりはないだろう。
これはやばいな。
幸い水は引いているので、今のうちにさっさと退散することにした。
痛みを堪えながら階段を降りているうちに、懐の中で何かがちゃぷちゃぷと音を立てている事に気づいた。
どうやらポーションが溶けて使用可能になっていたらしい。
俺は頭からそいつをかぶって傷を癒し、大洪水の後のようにぐしゃぐしゃになった倉庫の中を駆け抜けて、塔の反対側から出て行った。
集積場から立ち去る前に一度アレルカンを取りに戻ったのだが、どうやら津波はこの辺一帯の山をかなり削り去ってしまったらしく、隠しておいた岩ごとどこかに消え失せていた。
さんざん禿げオヤジを罵倒しながら山の中を探し回った挙句、崖の下の道にぽつんと黒い点のように落ちているケースを見つけ、安堵の息を漏らした。
やれやれ、拳銃は2丁ともどこかにいってしまったし、あれだけ賞金首を倒したのに証拠がひとつも手元に残っていないなんて。
まあ、命があっただけましとするか。
ため息をついてケースを拾い上げてみると、アレルカンにしては、やたらと重い。
ふと顔を上げると、俺のアレルカンはその少し先の道の真ん中に落ちていた。
どうやらケースの中から飛び出していたらしく、その帯には見覚えのある黄金色の大きな剣が絡みついていた。
さすが俺の相棒だ。
突然ケースの蓋が開いて、中に入っていた大量の水が俺の足元にこぼれた。
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