第29話
リゲルたちと別れてから数刻、ルイーズは馬の背に跨ったまま森の中を移動していた。
馬具は一切なく、背中についた手のひらを通じて、こまやかな筋肉の動きや温もりが直接伝わってくる。
鞍も手綱もつけずに乗馬するのは初めての経験だったが、彼女は若い頃、騎馬部隊に所属していたので、傷口に負担をかけないよう重心をずらすぐらいの事はできた。
馬と変わらぬ速さで前を歩いている妖精が、不意に立ち止まった。
美しい立ち姿の女性は息ひとつ乱していなかったが、こうして時々立ち止まっては休憩を取っていた。
ルイーズは、汗ばんだ顔を横に振った。
「お願いだ、私の事は構わず急いでくれ。今は一刻を争う事態なんだ」
列車を破壊した魔法は、殺傷能力が極めて高く、単純所持すら禁止されているはずのものだった。
最初にアイズマール一家を逮捕したとき、取り押さえきれなかったのが悔やまれる。
だが、まだ生き残った兵士が中にはいるかもしれない。
その可能性を信じ、今は一刻も早く、東軍に戻って応援を要請すべきだ。
しかし、周囲を完全に敵に包囲されていたあの状況を考えると、連中は生き残った彼らをどうするつもりなのか。
救助が意味を成すかどうかすら分からない。
こうやって他の生存者の事は考えずに、ルイーズの事ばかり気遣っているサテモの行動を見ていると、さらに希望が薄れてしまうような気がした。
「いずれにしろ、人のいる場所まであと半日は歩き続けなければなりません」
サテモの口調は、いつも通り落ち着いていた。
「それに、その馬はあまり人を乗せ慣れていません。今のうちに休憩しましょう」
ルイーズは深く息をついた。
半日という時間が長いのか短いのか、彼女には判別がつかない。
「ミッドスフィア憲兵旅団大佐として、ひとつ忠告させてもらう」
ルイーズは、サテモの目を見つめ返すと、一言言った。
「東部に着いたら、男には十分に気をつけることだ。特に、リゲルみたいな奴にはな」
サテモは、長い耳の先端が肩に触れるぐらいに首をかしげた。
ルイーズは、それだ、と言わんばかりに頷いた。
「リゲルみたいな男にやすやすと騙されているようではだめだ。あいつが言っている事はほとんど嘘で、デタラメばかりなんだ。いつも行き当たりばったりで行動するくせに、見栄っ張りで、最後に嘘をついてごまかすのが上手いだけなんだ」
そう指摘されると、サテモはようやく理解したように、ゆっくりと頷いた。
「はい、私も、彼の言葉がすべて信用に値すると思っているわけではありません。ですが、相手を追い詰めるばかりでは何も解決しませんからね。少しは彼に逃げ場を与えないと、あのままでは事態が何一つ好転しないと判断したから、表向き信じたふりをしたのです」
ルイーズは目を見張った。
世間知らずかと思いきや、こいつはとんだ食わせ物だ。
敵に回すと恐いな。
サテモは、不意に両目を膨らませて、全身に鳥肌が立ったように身を縮め、森の北に顔を向けた。
どうやら、彼女には何かが聞こえるらしい。
耳をしきりに動かして様子を探っていた。
恐らく、そちらにはリゲルたちがいるのだろう。
「アーディオというのは、複雑な生き物ですね」
やがて彼女はぽつりと呟いた。
ルイーズには、彼女達の方がよっぽど複雑な生き物のように思えてならないのだが。
すべての住民が千里眼を持っているサテモの集落では、住民は常に他者の監視下に置かれる事になる。
そのため、彼らの集落はプライバシーという概念が薄くできており、他人を欺くということが物理的にできない。
そんな集落で過ごす彼女たちサテモは常に品行方正で、同時に嘘など一度もついたことがないだろう、と思い込んでいる者が多い。
サテモは、リゲル達のいる方角を眺めながら、悲しげに呟いた。
「けれど、私たちにも看破できないものがあります。それは『過去』と『未来』と『人の心』です。
お互いの姿を監視しあって数万年の均衡が保たれているエルフの森も、唯一心の中だけは監視することの出来ない自由な場所ですから、彼の未来や思想も、また自由であるべきです。
自然を操ることは魔法さえ使えば簡単ですが、人を思い通りに操るのは難しい。やはり、私は彼に騙されてしまったみたいですね」
ルイーズは、不意に傷口を押さえ、痛みを堪えながら言った。
「なに、心配は要らないさ。奴がアイズマールから剣を取り戻すと言った事だけは、あれだけは絶対に嘘ではないからな」
サテモは、ゆっくりと目を彼女に向け、自信に満ちたルイーズの表情を見つめた。
「不思議ですね。彼の剣の話が嘘だと気づいていたのは、この広いアーディナル大陸で、貴女と彼の親友だけでした。みなさん、どこであの話が嘘だと気づいたのですか?」
ルイーズは、にっと微笑んで、軽く右手を持ち上げた。
「君には特別に教えてあげよう。あいつは、『嘘をつくときも右手を握る癖がある』んだ」
サテモの耳は、やや興奮気味にぴーんと両側に張った。
どうやら謎が解けて嬉しいらしい。
「ビジューをするときと同じ癖があるのですね」
「君、なんでも知ってるね……」
その返答を聞いて、ルイーズはまたもや面食らってしまった。
* * *
ついさっきも同じような風景を見たような気がして、俺はもういちどコンパスで方角を確認した。
また森の妖精が俺を困らそうとしているんじゃないだろうな?
ちくしょう、ちゃんと北に向かって走っているはずだが、先ほどから同じ場所を何度もぐるぐると巡っているような感覚がどうにも抜けなかった。
方角は間違っていない。
よし、北だ。
気を取り直して歩き続けていると、木々の向こうに、ようやく建物の群れらしい影が見えてきた。
俺は安堵すると同時に、舌打ちもした。
ああ、ちくしょう、どうして俺はここに来ちまったんだろう……。
仲間なんて、どいつもこいつも裏切って、このまま共和国まで逃亡しまえばそれでよかったじゃないか。
俺にお似合いなのは敵前逃亡、一時しのぎの嘘八百。
単身敵のアジトに乗り込んで財宝を奪い返そうなんて、そんな単純な役回り、どう考えたって俺のカラーじゃない。
英雄の剣の為なのか?
それともルイーズの為なのか?
最初に剣を探しに西に向かったときから、ずっと不思議だった。
けれどもこの魔力を感じて、ようやくはっきりとした事がある。
きっとあの剣のせいだ。
はるか遠くまで漂ってくるあの水に似た魔力が、俺を無意識の内にここまで引き寄せたんだ。
でなきゃ、この俺がこんな英雄的な行動をするわけがないじゃないか。
奥行きが異様に長い建物の群れは、どうやら表向きは伐採した木の集積所のようだった。
周辺の山はすっかり木を刈り取られて岩肌が露出し、むき出しの地面には香りのいいおが屑が雪みたいに積もっている。
俺は集積所を見渡せる崖の上に立っていた。
今日は休みらしく、作業をしているような気配がない。
だが、そこかしこをぶらぶらと散歩している監視員どもは絶賛営業中のようだ。
見回りが数十名、中央の塔にも監視が2人いる。
いったいどんな化け鼠が出るというのか、これ見よがしに最新式の銃を掲げてやがる。
俺は右手をかざして、遠くにあるそれらの魔力をひとつひとつ読みとっていった。
魔石に頼りすぎる銃の欠点が、故障しやすい以外にもうひとつある。
それは俺みたいな魔力の読み手にすぐ居場所がばれるってことだ。
俺はアレルカンのケースを地面にそっと下ろし、中身を取り出した。
万が一向こうにも魔力の読み手がいるとまずいので、高性能のアレルカンはひとまずおあずけだ。
ケースの底蓋を外すと、火の石で弾をはじき飛ばすだけの単価の拳銃が2丁と、魔石不使用の弾層が4つ、そして予備の弾が300発。
万が一アレルカンが故障したときのために、フェルスナーダで仕入れた銃だ。
うまくイーサファルトに持ち込むことが出来れば、高値で売るつもりだったのは内緒だ。
2丁とも陽光のような快い魔力を周囲に放っているのを確認した。
弾層を装着し、薬室に弾を装填した状態で腰の後ろに差しておいた。
幸いにもアジトには大きなコンテナがいくつも運び込まれていて、物陰に隠れながら移動するのに好都合だった。
ここはミッドスフィアからそう遠くない山中だ、憲兵に逮捕される直前に隠した武器なんかも、ここに集めていたんだろう。
探せば連中を逮捕する証拠品がもっと色々と出てきそうだ。
魔力をたどって焼きレンガ製の建物の間を通っていくと、普通の建物の4階建てぶんの高さがある1棟から、やけに強烈な剣の魔力を感じた。
入り口には見張りがついているし、恐らくここに剣があるに違いない。
どうにかして潜入する方法を探していると、屋根の上に通風孔らしき出っ張りがあるのを見つけた。
さらに日陰の方にぐるりと回ってみると、見張りがついていない広い壁もある。
ふふん、あいつら、悪党の身分をよくわきまえているじゃないか?
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