嘘つき同士の戦争

第28話

 俺たちの元には憲兵旅団大佐。

 そして、バーリャには毒で動けなくなったエルニコフ准尉がいる。


 アイズマールの謀略によって命を狙われた2人は、まだ生きている。

 彼らをミッドスフィアに帰還させ、証言台に立たせることができれば、この一連の事件は一気に解決へと向かうはずだ。


「じゃあな、裏切り者の方は、お前たちに任せたぞ」


 しばらくの休憩の後、俺はルイーズと少年、そしてサテモに対して言った。

 少年はまだ俺の事を尊敬のまなざしで見つめている。

 この事件の解決に欠かせない、力強い味方のサテモは、俺の目を見つめながら、首を横に振り、驚くべきことを言った。


「いえ、ごめんなさい、先を急ぐ旅ですから」


 この妖精め。


 自分からわざわざ面倒事に首を突っ込んでおきながら、いざ手を貸して欲しいと頼むと「先を急いでいるんです」なんて言い訳をするなんて。

 ちくしょう、なんてフリーダムな種族だ。

 あきれてもう声も出ない。


「あなたは、どうするんです?」


「俺か? 俺はこれからちょっと用事があってな」


 少年は落ちつかなげに尋ねてきた。

 俺はアレルカンの入った革のケースを拾い上げると、わざと声を落として言った。


「アイズマールの野郎に一発ぶちかまして、伝説の剣を奪い返してくるのさ」


「えええっ!」


 少年のいい反応に、俺は少し気分がよくなった。

 ふふん、最近の子供は大戦時の殺伐とした空気を知らないからな。

 仲間が殴られたら殴り返す、敵に奪われたものは奪い返す。

 そんな発想がデフォの世界だった。

 少年の反応の良さに満足して、俺の口からは当時一世を風靡した映画の有名なセリフが滑り出した。


「その代わり、賞金は六四だぞ。……いいな」


 俺がにやりと笑うと、少年はきりりと眉を吊り上げ、俺のさらに上を行く有名なセリフを言った。


「俺も……行きますッ!」


「だめだ」


 俺はほぼ反射的に拒絶した。

 少年の真っすぐな瞳が、俺の心臓にぐさぐさ突き刺さってくる。

 いや、ちょっとやめてくれ、それだけは、絶対にだめだ。

 このまま行方をくらまして、マフィアとの決闘に向かって儚く散った、少年の思い出の人になるという俺の人生設計がめちゃくちゃになるじゃないか!


 すべての真実が明るみになってしまえば、俺は重大な犯罪者だ。

 なんせ西軍じゃあ、たとえどんな理由があろうと国王陛下を欺いた刑罰は免れられないんだ。

 今なら正義の軍人として、誰にも恨みを抱かれることなく姿を消せるチャンスなのに。


 だが、少年の目は本気だった。

 いやな汗が噴き出してきた。

 こいつ、何が何でもついてくるつもりだ。


「お前みたいな素人の出る幕はない。ここからは、血みどろの修羅場になるんだぞ」


「いえ、それでも、行かせてくださいッ!」


 俺がなんと反論しても、少年はいちいち前に進み出て食い下がった。


「俺は頼りないかもしれないけど、あのバーリャを旅してきたんですよ。自分の身の守り方も、銃の撃ち方も、エルニコフ准尉に教わりました。少しはあんたの役に立てるはずだッ!」


「いいか、前線で銃を撃っている兵士だけが戦争で戦っているんじゃない。お前がいなかったら、いったい誰が大佐や准尉を連合軍まで連れて行って、軍の裏切り者を逮捕するんだ!

 俺がアイズマールを捕まえたところで、また元の木阿弥になるだけだぞ! しかもこの肝心な時にあのサテモはもう帰りたいとかぬかしてやがる、頼れるのはお前だけなんだッ!」


「でも……でも、元はと言えば、俺のせいで……!」


 少年は歯を食いしばり、悔し涙を浮かべた。

 なんだ?

 ああ、そうかこいつ、自分が大使館に助けを求めたせいで、アイズマールに剣を奪われたと思って後悔しているのか。

 ふむ、殊勝な心がけだ。

 もうこうなったら、この際『誰の責任』だとかは一切関係ないよな。


 俺は、30年前の厳しい軍人の顔に戻った。

 孤高の胸に高らかに鳴り響くトランペットの独奏を背景に、清廉とした口調で言った。


「いいか、少年、お前にはまだ未来が残されている。たった一度人生で剣を奪われたからといって、それで全てを失ったわけじゃないんだ。

 お前のバーリャの旅は、まだ終わってはいない、お前の前にずっと続いている。お前は生きろ、そして俺のまだ見ぬ、この世界の先を歩きつづけろ。所詮人生は浮き沈みの繰り返しだ。この先、似たような成功も失敗も、挫折も妨害も、山ほど経験する事になるんだからな。

 だが、決して諦めるな。諦めるんじゃない、生きている限りチャンスはまた巡ってくる。それを頭に刻んでおけ! わかったな………………少年!」


 ルイーズは『お前が言うな』という冷めた目つきをしていたが、俺は無視して言い切った。

 言い切った俺の背景で、トランペットの独奏が静かにフェードアウトすると、サテモが突然口を挟んだ。


「そういうことでしたら」


 彼女は顎をついと上げると、細い喉からキジのような甲高い声を出した。

 その立ち姿からは想像もできないような大きな声が出るものだから、驚いた。

 しばらくして、森の奥で木の葉ずれが聞こえた。

 警戒心が強いはずの野生の馬が、やはり少し警戒しながらこちらの様子を伺っている。


 サテモが細い手を差し出すと、馬は安心したようにこちら側に姿を現した。

 馬の耳元に何かを囁いているサテモを見ながら思った、やっぱり森の妖精には森が一番似つかわしい。

 馬となにやら話を終えると、彼女は俺達に向かって、力強くうなずいた。


「この子が手伝ってくれるそうなので、大丈夫です。ルイーズさんの事は私に任せて、どうぞこの先は、お2人で剣を取り返しに行っていらしてください」


 ……こいつ、本当はわざと俺を困らせようとしているんじゃないだろうな?


 くそったれ、どうやら俺が少年を連れていかなければならない空気みたいだ。

 隣を見れば、少年は相変わらず賢い犬のような熱いまなざしで俺を見ている。


 予定は大幅に狂ってしまったが、まあいい、こいつ一人ぐらいなら、後でどうにでも巻くことができるだろう。


 俺は、少年をじろりと見て、アレルカンの入った革のケースを投げ渡した。


「任せたぞ」


 少年はすこしよろめきながらそれを受け取り、覚悟を決めたように、しっかりと頷いた。


「いいか、全力で走るからな。途中で根を上げたら置いていくぞ。はぐれたら自己責任で山を降りるんだぞ。本当に途中で何があっても俺は知らないからな。いいか、何があっても文句はなしだぞ。な・に・が・あ・っ・て・も・だ、分かったな?」


「リゲル」


 ルイーズは、脇を押さえながら、なんとか自力で立ち上がろうとしていた。

 俺は、彼女が何か余計な言う前に行動に出た。


 足と胴体を抱えて地面からすくい上げると、そのまま馬の背に座らせてやった。

 馬は重みで多少嫌がったが、彼女をふり落とすような事はしなかった。

 側にはサテモがついている事だし、たぶん危険はないだろう。

 ルイーズは、馬の首に額を押し付け、苦しそうに息をして、俺の顔をじっと見つめていた。


「リゲル、お前……本気でアイズマールと戦うつもりなのか?」


 はっ、こいつ、一体何を言ってるんだ?

 そんな訳があると思うか。

 思わず笑ってしまいそうになったが、なんとか堪えて表情を取り繕うことに成功した。


「ああ。心配するな、剣は必ず取り戻してみせる」


 こいつと顔を合わせていられるのも、もう最後になるかもしれないな。

 血に濡れた手を握ってやると、彼女はその手をしっかりと握り返してきた。


「じゃあな。不可能に近いだろうが、俺よりもいい男を見つけろ」


「とっくに見つけてるよ、馬鹿者」


「そうか。気を付けろよ、いい男は死ぬのが早いからな」


 ルイーズは何も答えなかったが、俺が立ち去るまでずっと目をそらさなかった。

 辺りに手をかざすと、剣が放つ魔力は北の方角からかすかに漂ってきている。

 俺は少年を引き連れて、北を目指して森の中を駆けていった。


 走っている途中で何度か振り返り、背後を確認した。

 振り切ってやるぐらいの勢いで走っていたのだが、少年は俺の十数歩ほど後をちゃんとついてきていた。

 くそっ、どうやら弱音をはかないだけの根性はあるらしいな。

 このままじゃあ、トラッキングをして追跡を撒くのも無理だ。


 全速力で走っていると、とうとう森の中を横切る広い道に出た。

 埃っぽい地面には、つい最近多くの車や馬が通った跡がある。

 どうやら山賊どものアジトに近づいたらしい。


 しばらく息をしていると、幹の間を掻き分けて少年が姿を現した。

 頭のてっぺんから水を被ったようにシャツがぐっしょりと濡れ、前かがみになってぜいぜいとあえいでいた。


 よくもまあ、あんな重たいものを担いで来られたものだ。

 肩に背負っている革のケースは軽く見積もっても5キロはある。

 もう振り切るのは諦めた。

 このままではこちらの体力が持たなそうだ。


「もういい、返せ」


 俺は少年に向かって手を伸ばした。


「へ?」


 俺の言った言葉の意味が理解できていない様子だったので、もう一度言った。


「そのケースは俺のだろう。よこせ」


 少年は、それでようやく理解したようだった。

 肩にかけていた帯を外すと、俺の方に向かってケースを差し出した。

 俺の手は、革のケースの脇をするりと潜りぬけ、伸ばされた少年の腕と交差して、喉の付け根辺りに深く突き刺さった。


「ぐえっ!」


 いきなり喉に掌打を当てられた少年は、びくんと身をすくめ、地面に膝をついて、そのまま横様にばったりと倒れてしまった。

 どうやらうまく酸欠になってくれたらしい。

 気を失った少年の傍らで、俺は周囲を見渡してみた。


 道はほぼ東西に伸びている。

 西の方角には馬の足跡が向かっていて、東の方角はたぶん、どこかの町にでも続いているはずだった。


 少年は目が覚めたときに、どちらかの道を選択することになる。

 いずれにしろ、こいつは無用の長物だろう。

 俺は少年の腕の中から革のケースを取り上げ、取っ手の付け根に彫り込まれた番号を確認した。


 388900


「ふッ……ははははは……! あはははははは!」


 今度はちゃんと自分のものである事を確かめた。

 俺は笑った。

 なぜかは分からないが、おかしくて笑いが止まらなかった。


「あばよ。今度こそ、本当にお別れだぜ」


 何も聞こえていないだろうが、俺は少年に別れの挨拶をした。

 俺は風見鶏のように首をめぐらせた。


 さて、俺はどっちにいこう。

 西はまずないな。

 南に行くとサテモと出くわすかもしれないし。

 東に行くと後から少年が追いついてくるかもしれない。


 だったら北だ。

 俺はコンパスを取り出して北の方角を確認すると、どこに続いているか分からない森の中へと行方をくらましていった。

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