第26話

 少年は肩をわなわなと震わせながら、俺の方を指差して言った。

 俺は、自分の背後に他に誰かいる事を祈りつつ背後を確認したが、そこにはやはり俺しかいないようだった。


「お前しかいないだろうが! お前、お前だよ! そう、お前! そこの髭オヤジ!」


 なに、この若造。

 この俺を何オヤジだって?

 黙って聞いていれば、さっきからずいぶんと無礼な口を叩くじゃないか。


「口を改めて貰おうか。俺の事は以後、『ハンサムなヒゲのおじ様』と呼べ」


 俺と少年の丁度中間に立ったサテモは、互いの目から飛び散っている火花をまるで意に介さない、おっとりとした口調で言った。


「森の管理者サテモはこう考えています。アーディオたちが争うのは、我々森の妖精のように遠くの出来事を知る耳を持たないからだと。

 だからアーディオは他人の見えない部分に疑いを持ち、恐れ、傷つけあっているのです。

 あなた方が争いを解決するためには、まずお互いに見える位置に立って、話し合いによって相手の事を理解しあう事が重要なのではないか、と思ったのです」


 彼女は、自分で納得したようにそう言って、2人とも前に出てくるよう、手で指示をした。


「では、どうぞ」


 カーーーーン!

 その瞬間、俺と少年の脳裏にゴングが鳴り響いた。


 俺と少年は2人とも両手を前に掲げ、互いの間合いを詰め、戦闘体勢に入った。

 俺が軽快なフットワークで右に左に相手を翻弄すると、少年は小柄な体を生かした低姿勢スウェーから素早いジャブを繰り出してきた。


 シュッ! シュッ!


 俺は体をのけぞらせて1発、2発と拳を避け、牽制の左フックを放った。

 少年は顔面を狙ったフックに身体を強ばらせ、必要以上の大きな動きで避けようとする。


 ふっ、こいつ……弱いッ!


 左フックを瞬間的に左ボディブローに切り替えて放つと、体重の乗った拳がまともに腹部に突き刺さった。

 体が薄すぎる少年は、ぎゃっと声をあげて腹部を押さえ、その一撃で地面にうずくまった。


 俺は両手の拳を高く突き上げた。

 森中に勝利のゴングが鳴り響き、俺の勝利を讃える。


 リーゲール! リーゲール! リーゲール! リーゲール!


 見よ……森が、大地が、鳥達が……!

 弱肉強食の大自然が、リゲルコールに沸いている!

 ――ような気がしたのは、まったくもって俺の気のせいだった。


 ふと見ると、森の代表者サテモがものすごーくがっかりした顔つきで俺を見ていた。


 ふふん、どうやら彼女の希望通りの展開にはならなかったみたいだな。

 頭の周りに疑問符が一杯浮かんでいるぞ。

 どうしてこいつら話し合いができないのってな。


 話し合いなど無用、拳で語り合う、これが男の世界だ。

 あんたには到底理解できないだろうがな。

 俺は空高く突き上げていた拳をゆっくりと下げ、サテモにも分かるよう、弁明をしようと努めた。


「いや、あの、だからさ……今のは不可抗力っていうか……こういう場合のセオリーであってだな……」


「うわあああっ!」


 話の途中で、いきなり少年は腹部に飛びついてきた。

 もうなりふり構わずといった攻撃だ。


 やれやれ、大抵の男なら後ろに押し倒されるところだろうが、俺様の軍隊で培った戦闘スキルと、賞金稼ぎとしての経験がそれを許さなかった。


 足を後ろに伸ばして踏みとどまり、そのまま相手の重心を腰の上に乗せてぐるりと身を翻した。

 手で後ろ襟をつかんで放り投げると、少年は綺麗な円を描いて宙を舞い、落ち葉の上に背中から着地した。


 ズザーッ、と落ち葉の上を滑っていく少年。

 受身を取ることが出来なかったらしく、少年は苦しそうに顔をゆがめてしばらく動かなかった。


 俺はその隙に相手の片腕をねじ上げ、さらに余った腕で首を抱え込み、上から倒れこむようにして押さえ込みに入った。

 王宮流武術、払い腰フリップ・スイングから袈裟固めアポロン・ホールドのコンビネーションだ。


 少年は苦しそうにうめき声を上げ、俺の下でしばらくじたばたともがいていた。

 力の差が圧倒的なので、簡単に逃れられはしないだろう。


「はっ、若造が! 俺に勝てるとでも思っているのか? 100年早ェッ!」


 少年は顔を真っ赤にして叫んだ。


「う、うるさい、お前みたいな悪党に剣を取られて、黙っていられるものか! あれは准尉が俺に託してくれた大事な剣なんだぞッ!」


 やれやれ、諦めの悪い少年だ。

 俺は少年を体の下に押さえつけながら、暗い森の底まで光を注ぐ太陽の光を、片腕ですくいあげた。


「おい、少年、いいかげんに世の中を受け入れろ。強いものが弱いものに勝つのが、それほど理不尽な事か?

 空に太陽があるだろ? お前がいくらもがいたところで、空に太陽があるというこの事実が覆るのか? 

 かといって、お前が地の底でもがいているという事実が覆ることも決してない。

 然るべき事が然り、然らぬべき事は然らぬ。それがこの世界の常識ってもんだ。

 この世のありとあらゆるものがその存在の基盤にしている法。

 議論することさえバカバカしいぐらい当たり前のように教授しているこの『恒真法』、『完全同一性』、『AイコールA』、それが唯一、世界の隅々まで徹頭徹尾、完全でありうる法だ。

 最も強い者に力を与え、最も正しい者に清さを与える。

 それこそ絶対神エカが守護する『正義の法』に他ならないのさ。

 神が世の中に起こす奇跡ってのは、決して異常なことや、あってはならないことでも、ましてや愚か者どもが空から降ってくることを切望しているような魔法でもなんでもない! 目を覚ませよ、奇跡は既に目の前で起きていて、世界の始まりから今日まで、覆されたことなんか一度たりともないんだってな!

 覚えておきな、常に強い者が勝ち、勝ったものが歴史を作り上げていくッ! それが世界の法だ! お前が俺より弱いのが悪かったんだ! 剣の事は、さっさと諦めな! 小僧ッ!」


「ちくしょう、やっぱりお前は最低の男だ! 悪魔だ! なってはいけない大人の見本市だ!」


 かくして、俺の不名誉な称号がまたひとつ増えた。

 相手を打ち負かすためには昨日の信念なんて手の平のように簡単に覆す。

 強者にはへつらい、そして弱者にはとことん強い。


 しかし、ちょっとやりすぎたかもしれないな。

 少年は喉の奥で金切り声を上げ、悔しそうに泣き出してしまったんだ。


 サテモがすこし離れた場所から俺達のやり取りを見ていた。

 まずいな、このままでは、俺ひとりのせいで全アーディオの尊厳を損ねかねない。


「とまあ……時と場合によっては、こういう風に話し合いに持っていく必要も、あるってことだ……」


 俺がかなーり苦しい言い訳をすると、どうしたら良いのか分からなくて少し困惑した様子だったサテモは、やがて耳をぴくぴくっと振って、はっきりと頷いた。


「なるほど、確かにそうですね。アーディオの問題には、アーディオなりの解決の仕方があってしかりだと思います」


 俺は、ほっと胸をなでおろした。

 どこまでも浮世離れした女でよかった。

 そのとき、もうひとりの浮世離れした女、ルイーズが背筋の凍るような冷たい目でこちらを見ていたのに気づいた俺は、すばやく身をひるがえして少年を助け起こすと、背中の泥を丁寧に払ってやった。


「うむ、すまなかったね少年。痛くはないか? 声が出せるなら、名前と出身地を言いたまえ」

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