第15話

「エルニコフ准尉は25年前、この剣をバーリャの王に返還するという使命を帯びた、私と同じ48勇士のひとりであった。……あの凄惨な事故で、准尉は大勢の仲間を失ってしまい、自分だけが唯一生きて帰ってしまった事を、深く恥じ、そして最後まで後悔していた……」


 閣下は目を伏せ、悲しげに言った。


「ところが、私は怒りに我を忘れてしまった。准尉を頭ごなしに罵倒してしまったのだ。あの日以来、彼の姿を見たことはない。たかが剣1本の為に……思えば、私はなんという酷な事をしてしまったのだろう。准尉は、仲間が死んだのは自分のせいだと、至らなかった自分を責め続け、剣を探して来る日も来る日も、あの苦痛の大地をさまよい続けていたのだ……」


「そんなことが……あったんですか……」


 あの准尉が剣を探していた、だなんて、俺には初耳だった。

 アイズマールの話によれば、唯一の生き残りであった准尉は、鉄砲水の後に剣を持って平原をうろついていた、という事だったのに……。


 とにかく、彼が剣を自分の物にする目的で、どこかに意図的に隠したという疑いが、これでますます強まった。

 もし、軍に届けている最中に無くしたり、事情があって仕方なく隠したりしたのだとすれば、軍にもそう報告しているはずだ。


 むろん、そんな報告など准尉はしていないみたいだった。


 じゃあ、准尉は一体なにをやっていたのだろう。

 来る日も来る日もバーリャ平原をうろついて、いったい何をしていたというのか。


 剣を探すふりをしていた?

 あるいは剣を拾っても届け出ず、つぎつぎと隠し場所を移動してゆき、わざと発見を遅らせていたとでもいうのだろうか?


 いったい何の為に?

 それよりも、どうしてその准尉の剣のケースが、俺のアレルカンのケースとすり替わっていたりしたのだろう。


 その理由は、それからしばらくして副将軍閣下が俺に言った言葉で判明した。


「いやはや、君を疑ってすまなかったね」


 なんとかマズい話を向けられないよう、はぐらかしながらワインをどんどん勧めていると。

 葡萄みたいに顔を赤くした副将軍閣下は、とつぜん肩をゆすって小さく笑い、こう言ったのだ。


「というのも、じつは大使館で君を担当していたバーリャ人が、我々アーディナル人の顔を見分けられなかったらしいんだよ」


「そういえば……ミッドスフィアだと、獣人は人の顔を見分けられないから、受付には向かないって言われてますね」


「西部の連中と付き合っていると、良くある事でね。君の事をなんとまだ10代の子供だと勘違いして報告してきたんだ。はっはっは。いや、まったくけしからんな。聞くところによると、バーリャ人には、我々の顔がどれも子供のように見えるらしい」


 それを聞いたとき、あっと叫びそうになった。

 いや、そいつは俺じゃない。

 税関で兵士ともめていた、あの若造に違いなかった。


 そういえば、あいつは大使館でもらった免税符とやらについて、兵士ともめていたじゃないか。


 よくよく考えてみれば、じつに簡単な事件だ。

 どういう経緯で大尉の隠した剣が、あの若造に受け継がれたのかは想像するしかない。

 だが、つまるところ、あの若造は俺がバーリャでひどい目にあっている間に、すでに剣を手に入れて大使館に駆け込んでいたんだ。


 大使館からの連絡は、正確に連合軍に届いていた。

 だから連合軍は、この軍事専用車両をフェルスナーダの駅に待機させて、剣を拾った人物が来るのを待っていたんだ。


 ところが、あいつは詳しい事情まで聞かされていなかった警備兵と税関でもめてしまって、そこに偶然俺が突っ込んでいって……ケースが入れ替わった。

 たぶん、それ以外に、俺が今おかれている状況をうまく説明できる理由は、考えられないんじゃないか?


 副将軍閣下は、ふと何かに気づいたように俺の顔を見た。


「おお、これは申し訳ない。君も長旅で疲れているだろうのに、つい話し込んでしまったな」


「……え」


 俺はいつの間にか眉間に皺を寄せて、真剣な顔で考え込んでいた。

 慌てていつもの柔らかい表情を取り繕って首を振った。


「あ、い、いえ、とんでもありません。閣下とお話が出来ただけで、光栄の極みです」


「イーサファルトに着くのは、3日後の明け方だ。それまでの間、ゆっくりと休養を取りたまえ」


「はっ」


 俺が左肩に手のひらを置くイーサファルト式の敬礼をすると、閣下は満足げにうなずき、部屋から出て行った。


 ようやく当面の危機を脱して、全身の力という力が抜けていった。

 ネジがぽんぽん抜けてゆくロボットのようにソファに沈み込んだ。


 やれやれ……一時はどうなることかと思った。


 ようするに、軍と大使館の話がうまく通じ合っていなくて、一時的に俺がすり替わる事が出来た、というただの事故だったみたいだ。


 このままアンドラハル半島まで、無事にたどり着けるだろうか……。

 いや、世の中そんなに甘くはないだろう、イーサファルトにつくまで3日ものあいだ、あの若造が黙っているはずがない。


 革のケースが入れ替わったのなら、俺のアレルカンはたぶん向こうが持っているはずだし。

 それに大使館は、当然剣を持っていたのが俺じゃなくて、あの若造だという事を知っている。


 当然、俺の事を訴えてくるはずだ。

 場合によっては、俺は故郷にたどりついた途端、憲兵たちに囲まれてお縄なんて事態に陥るかも知れない。


 まいったな、また拘置所かよ……勘弁してくれよ……。


 いや……だがちょっと待ってくれ。

 絶望のふちに沈んでいた俺は、そのどん底の泥の中に、なにか光るものがある事に気づいた。


 まてよ。

 大使館の担当官は、大人と子供の顔も見分けられないバーリオだった。

 そして、いま俺の革のケースを持っているのは……徴兵経験もないような、ただの若造だった。


 ………………。


 俺は、シャンデリアの灯りをじっと見つめ、静かに計算を開始した。

 最大の問題は、いまも謎の准尉の行方だ。

 だが、命の次に大事なケースが他人の手に渡ってしまっているという事は……。

 恐らく、彼はもうこの世にはいないんじゃないか……?


 自分の中に浮かんできつつあった冷たい邪心に、俺は驚いて飛び起きた。

 頭を振って、必死にその考えを振り払おうとした。


 い、いったい何を考えているんだ、俺は!

 あの若造が何者かは知らない!

 だが、他人の成果をかすめとって、自分のものにするような、そんな卑怯な嘘をつくのか?

 そんな事していいわけがないだろ!


 まったく、けしからん、けしからん。

 俺はピッチの水をがぶ飲みして再びソファにどすんと腰を下ろし、それから手元の剣をちらりと見た。


 ――だが、剣は今、確かに『俺が運んでいる』んだよな。


 やがて、俺の中の計算高い悪魔が、いま置かれている状況から、ある一つの結論を導き出した。


「早めに手を打っておくべきではないか?」


 そう、どこからか、まったく天啓のような言葉が降ってきた。

 びっくりして振り返ったが、豪華な部屋には場違いな俺がひとりしかいなかった。


「ああ」


 俺は勝手にひとりごちた。


「そうだな、早めに手を打っておくべきだ」


 たとえばだ。

 たとえば、もし俺が剣を手に入れたという情報が、先に世間に広まってしまえば、一体どうなる?


 俺には、あの剣とゆかりの深い世界大戦を潜り抜けた、軍人の1人という立派な経歴がある。

 だが、いったい世の中の誰が、あんな若造が過酷な旅の末に、剣を持ち帰ることに成功した、なんていう話を信じるだろう?


 思い立ったら、すぐ行動に移すのが俺の長所だ。

 そう、たとえそれが間違った選択であったとしても。


 俺は、さっそくスィートルームの机に向かった。

 備え付けの万年筆を手に取ると、早速バーリャでの壮絶な体験の構想を練り始めた。


 砂埃に、腹をすかせた獣人達の群れ。

 魔術を使って砂嵐を巻き起こすリーダー。

 謎の薬草売りの少女の予言。


 まだだ。

 まだ、1週間ぶんの経験ではディテールが圧倒的に足りない。


 戸棚の中からごっそり本を抜き取り、地図で地名を調べ、観光用のパンフレットを読んだりしてバーリャの知識をさらに深めていった。


 考えろ、なぜ俺はエルニコフ准尉のケースを持っていたんだ?

 思いつけ、一体どうやって俺はあの剣を手に入れた?


 そして最大の謎についても、今ここで答えを出さなければならない。

 どうして准尉はずっと剣を荒野に隠しつづけ、軍に持ち帰ろうとしなかったんだ?


 すべての謎は、バーリャの女神だけが知っている。

 書き進めているうちに、どんどんストーリーが膨らんでいって、俺の筆は止まらなかった。


「く、く、くくく……ふははははは……! ……できたぞ、完璧だ!」


 思わず、笑いがこみ上げてきた。


 これで俺は、バーリャから剣を持ち帰った英雄になる。

 あの若造は今頃、いったいどんな顔をしている事だろう。

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