第14話

 俺は可能な限り誠実そうな笑顔を浮かべ、閣下が俺の言葉にうんと頷くのを待っていた。

 しかし、副将軍閣下はうんとは言わない。

 かたくなに黙っている。

 やがて、ぽつり、ぽつりと語りはじめたのだった。


「あれは丁度、30年前。7993年の夏だったな……私が今の君より若かった頃、私はかの英雄と肩を並べて、バーリャ平原を横断した事があるのだよ」


 俺は、ぎょっと目をむいた。

 年輪のように幾重ものしわが刻まれた副将軍閣下の目じりに、涙が浮かんでいたのだ。


「君のような誠実な兵士を疑ってすまなかった。非礼を詫びさせてくれ。だが、私にとってその英雄の剣は、バーリャの王の剣である以前に、かけがえの無い、戦友の遺品でもあるのだ……」


 戦友、という言葉は俺の胸に、ぐさっと、深く突き刺さった。


 ミリー=デル=ブーレンス副将軍は若かりし頃、英雄と共に帝国軍に立ち向かった、アーディナル48勇士の1人だ。


 当時、銃士ガンナーだった彼は、あの過酷な平原を横断した英雄が、苦難の旅の末に常しえの河の王に認められ、宝剣を与えられるまでの一部始終を見ていたのだ。


「連合軍への参加を求めた時、バーリャの王、スヴィッチバックは神官に命じ、獣人の神から神託を得させた……七氏族、すべての長と戦って勝て、と言われたのだ……我々は、平原の行軍で心身ともに疲れ果て、限界に達していた。だが英雄は、その試練に立ち向かった。7人の獣人にたった1人で立ち向かい、そして7回とも勝った。王は彼の強さを認め、黄金の剣を渡したのだ……私は何もできずに、ただ横で見ていただけだった……」


 副将軍閣下は顔をこわばらせ、勲章の一杯ついている軍服の襟を伸ばしながら、俺に訴えかけた。


「英雄の形見が見つかったという報せを聞いた瞬間、これは夢ではないかとさえ思った。たとえ大陸横断鉄道がなくとも、歩いてでも迎えにいったはずだ。

 こんな服など、何着汚れようと構わない。こんな列車など……! ただ、私の手に届かぬ場所に行く前に、この手で触れて、この目で確かめてみたかったのだ。私があの偉大な男のために戦った、ひとりの男であったという証を。その剣は、君や常しえの河の王だけの為にあるものではない。全人類を冷たい時代の恐怖から救った、アーディナルの英雄の形見なのだぞ……」


 男泣きをする副将軍閣下を間近で見た二等兵は、たぶん俺が史上初だろう。

 閣下は、ついさっきまで隣に伝説の勇者が生きていたかのような、熱のこもった声で俺に訴えかけてきた。


 ああ、ちくしょう。

 これほどまでに激しい罪悪感にさいなまれたことは、俺の人生にはなかった。


 そして、自分という人間の器の小ささを、これほどまでに強く意識したこともなかった。


 もし、俺に少しでも男気や良心の呵責と言うものがあったなら。

 もし、俺に副将軍閣下と同じ軍人としてのプライドや、熱い友情に共感できる心を併せ持っていたのなら。


 いますぐに俺はソファから飛び降りて頭を床にぶつけ、心からわびなければならない。

 人の心を踏みにじるような嘘をついてしまったことを。

 そして軍人でありながら、人類の恩人である英雄の功績を汚すようなウソをついてしまった事を。


 ここで俺が真実を告げなければ、俺は間違いなく、史上最低の男の烙印を押されてしまうだろう。

 どのみち犯罪者として逮捕され、一生を牢屋で終える事になろうとも。

 俺が血の通った1人の人間であるためには、潔く罪を認めるべきだったのだ。


 そう――俺は、決してそんな罪を認めようとしない、最低最悪の男だったのだ。

 いや、最低最悪の男の烙印にやすやすと甘んじているような、それ以下のクズだった。

 ゴミだった。

 だから何度も言っているように、そんなのは、俺のカラーじゃない。

 自分の非を認めるなら死んだほうがマシ、それがイーサファルト人だ。


 俺は、副将軍とじっと見詰め合っていた。

 これ以上出し渋っていると、怪しまれてしまうと踏んだ俺は、「どうぞ」、と言う代わりにテーブルの上にどすん、と革のケースを置き、即座に立ち上がった。


「では、私はちょっと、お手洗に行ってきますので」


「その前に開けてくれんかね?」


 どうやら閣下は、俺の都合などにはまったく興味がない様子だった。

 くそったれ。

 こうなったらもう、開けるしかない。


 俺は、咳払いをして、再びソファに腰を落ち着けた。

 魔法銃のケースは、行軍時にも銃の魔力を押さえるために使われているが、戦闘に切り替わった瞬間にすぐ取り出す必要があるので、装備している間は常に鍵を開けておく決まりになっていた。


 そんな昔の決まりを今も続けているとは限らない。

 ひょっとしたら、ついうっかり鍵を開け忘れているかも知れない。


 そんな奇跡が起きる事を願って鍵を調べてみたら、しっかりと鍵が開いていた。


 ちくしょう、なんで軍人の時の癖は、なかなか消えないんだ?


 俺は、こういう事態に巻き込まれることを予測できなかった自分に冷たい手錠をはめてゆくような心地で、金属の止め具を、かちゃりかちゃり、と外していった。


「では閣下、ひとつ忠告しておきたいのですが。あッ……」


 閣下は、待ちきれない様子で俺の手からケースを奪い取ると、そのままがばっと蓋を開けてしまった。


 ああ、まだ何も言っていないのに……。

 終わった、すべてが終わってしまった。


 アーディナル連合東軍副将軍、ミリー=デル=ブーレンス。


 東部に産まれ、世界大戦以前から軍人として数々の偉大な功績を残し、ナイトの称号『デル』を授かり、48勇士の一人に数えられた。

 目的を果たすためには手段を選ばない冷徹な戦い方で知られていて、氷の目の狙撃手とも呼ばれて恐れられている。


 だが、すっかり年老いた目の前の老人に、もはやその面影はなかった。

 革のケースの中を覗き込んだその時の顔は、まるでトランペットに憧れる少年のように輝いていた。


 しかし、俺は副将軍閣下のその笑顔の下に、氷の目の狙撃手の名にふさわしい、鬼気迫るかつての顔が現れる気がしてならなかった。


 ケースを空けた瞬間、辺りにぞっとするような冷たい気配が漂い始めたからだ。


 副将軍閣下は、まるで光の精霊のようににっこりと微笑んだまま、ケースの中身をじっくりと眺めていた。

 ダメだ、迂闊に動けない。

 逃げ出せない。

 いま、このタイミングで逃げたりしてはだめだ。

 背中を見せてしまえば、その瞬間、条件反射で撃ち殺されてしまう恐れがある。

 相手は元狙撃手だ、逃げ切れると思うな。


 俺は、閣下がなんらかのリアクションを見せるまで、じっくりとその出方を伺っていた。

 ほっこりするような笑顔が何分も続いているのは、逆にひどく恐ろしかった。

 その表情はにこにこしたまま、あたかもケースの中身を見たショックで事切れてしまったかのように、まったく変わらない。

 喉がからからに干からびているのにようやく気づいた俺は、手元にあったワインを一気にあおった。

 これが人生最後の酒だと思った。

 口に運ぶ前に、中身がぼろぼろこぼれて半分くらいになった。

 くそ、やけに揺れる列車だぜ。

 それとも俺が震えてんのか、これは。


「すばらしい……30年経っても、なお当時の輝きを失っていないとは!」


 副将軍閣下は、ついにそう一言漏らし、やおらケースの中に両手を差し入れた。


 き、来たッ!

 俺はグラスを素早くテーブルにもどし、素早くソファを盾に、背面に転がり込む構えを見せた。


 ところが次の瞬間、副将軍閣下が黒いケースの中から取り出したものを見て、俺は口に含んだワインを思い切り噴いてしまった。

 それは炎みたいな光を放つ、見知らぬ剣だったのだ。


 銃じゃない。

 剣だ。


 副将軍がその剣を高く掲げた瞬間。


 ぶわっと、周囲に凍てつく吹雪のように強烈な魔力が放たれた。

 腰を浮かしていた俺は、その衝撃に弾かれるようにソファに押し戻された。


 なんだ、俺のアレルカンに、一体何が起こった?


 俺は一瞬、副将軍閣下を手品師かなにかかと疑ってしまった。

 だって、俺のアレルカンが、見たこともないような豪華な剣に化けていたんだぜ?


 彼が手に持つ剣は、おおよそこの世の金属とは思えない物質で出来ていた。


 刀は鏡のように辺りの情景を反射していたが、あまりに透明すぎて一体どの角度で刃がついているのか分からない。

 刀身とほぼ同じ長さの柄は黄金色に輝いて、にぎりこぶし大のダイヤモンドが、七つも埋め込まれている。


 驚くべきは、その凄まじい魔力だ。

 まるで巨大な心臓みたいに、ばくん、ばくん、ばくん、と規則的に拍動しつづけているのだ。


「うん、うん……! まさに、これは、本物だな……!」


 その柄をぎゅっと握りしめ、自ら装備すると、副将軍閣下は、感極まったように立ち上がった。

 一瞬、俺に向かって斬りかかってくるものと思って必死に頭を守った。

 だが、そうではない。

 閣下は俺に向かってただ手を差し伸べて、感謝の握手を求めただけだった。


「ありがとう……!」


「へっ……あ、は、はいッ! どういたしまして……!???」


 俺はわけも分からずに立ち上がって、とにかくその手を握り返した。


 副将軍閣下は、大事なチョコレートを包み紙に戻すように、いそいそと剣をケースに戻し、きっちりと蓋を閉めて、俺に返した。


「ありがとう。何度見ても、すばらしい剣だ」


 閣下はご満悦だったが、俺はケースを受け取る手がぶるぶる震えていた。

 問題のその剣は、今もケースの中で、どくん、どくん、とリズミカルに魔力を放ち続けている。


 しばらくして、やがて水面が静まるように穏やかな波長になっていったが、その後も列車のゆれに合わせて、たぷんたぷんと揺れ続けていた。

 さっきまで、ケースの魔力なんて読み取ろうとしなかったから、気づかなかった。

 中の剣は、集中しなければ気づかないぐらい、ごく僅かな大人しい魔力を放っている。

 まるで魔力が液体みたいだ。

 こんな魔力を持つ剣が、この世に存在するなんて。


 俺は、何がなんだかさっぱり分からず、ただ呆然とそのケースをみつめていた。

 30年前に軍から支給された、どこにでもあるケースだ。

 だが、今もなお黒光りして新品同様だった。

 スメルジャンがきっちり手入をしてくれたお陰だ、さすが鍛冶師である。


 ――いや、落ち着いてよく見ると、傷のつき方が俺のケースとは微妙に違っている。


 副将軍閣下は、蓋を閉めてからもしばらくケースを眺めていた。

 何を見ているのかと思って、その取っ手の付け根のタグに目をやって、思わずあっと声を出しそうになった。


 俺のじゃない。

 軍人番号がちがう。


 やばい、どこかで他人のと入れ替わったのか?

 どうする、このケースをどこで手に入れたか、深く突っ込まれたら俺には答えようがない。


 俺の心配をよそに、閣下は静かに語り始めた。


「この軍人番号はエルニコフ准尉の物か……彼は、真の軍人であったな」


 窓の外は、いつの間にか夜の帳が下りていて、ガラスに白髭を蓄えた閣下の姿が映りこんでいた。

 その向こうを、木々の陰が嵐のように飛び去っていった。

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