第11話
厚手のローブを身につけていて体格は分からないが、背はアーディオとしてはかなり高い方だ。
男の俺と目線の高さはほとんど変わらなかった。
ぽかんとしている俺の目の前で、少女はほっそりとした人差し指をまっすぐ立てて、ふっくらした自分の唇にあてがった。
俺は、はっと気づいて布を顔に引き寄せ、肩から上を連中から隠そうとした。
そうか、こうして並んでいれば、背後から少し見ただけなら姉妹の旅人のように見える……かも知れない。
連中がいくら間抜けでも、こんなデカい銃のケースを見たら、俺だと気づくはずだ。
「俺に手を貸したことが連中にばれたら、どうなるか分かっているのか?」
俺は、なるべく少女と目を合わせないように言った。
隣の少女は背筋が寒くなるような、落ち着いた態度で言った。
「はい、知っています」
さらに、彼女は小さな巾着を両手に提げたまま前に進み出て、俺の隣に並んで立った。
やけに細い腕をしていて、小さな巾着がひどく重そうに見える。
しかし、えらく肝の据わった女だという印象を受けた。
もしも兵役経験があるとすれば、魔法兵タイプだろう。
同じ軍人仲間だったら、できればもう少し落ち着いたところで話をしてみたかったものだが、そういう訳にもいかない状況だった。
俺は真面目な顔で、彼女に忠告した。
「やめときな、田舎のゴロツキと一緒にしていると、命がないぞ。あいつらはアイズマール一家だ。アミ・サール(=ミッドスフィア)の賞金稼ぎギルドでさえ恐れて手を出さない、東部屈指のマフィアの仲間だぞ」
そんな俺の脅しをかけるような忠告に対しても、彼女は即座に返答をした。
「はい、知っていますとも。アイズマール一家は元をたどれば、王政時代に東部のカムナトロフィカ湾港近隣を荒らしまわっていた海賊団の末裔です。7600年ごろ、パン=ゼペルカ公国から東地中海の他の海賊を拿捕する事を条件に海賊行為を許可され、デル(ナイト)の称号を得ました。いまでこそ表向きはマフィアですが、裏では王族とのつながりが太く、市民革命後もその王族の末裔を後ろ盾に、裏の世界に君臨し続けているのです」
俺は、もう一度彼女の目を覗き込みたい衝動に駆られた。
彼女が俺みたいな天性の詐欺師じゃないとしたら、いったいどんな女なんだ。
横目で見ても、布の下からのぞく白い頬と、落ち着いて話し続ける唇しか見えなかった。
「彼らもあなたと同じで、今は『剣』を捜すことに必死なようです。いまは私のような通りすがりの者にまで、気を使っているような暇はないでしょう」
「剣を……剣って、あの剣か」
「はい、その剣のことです」
俺は、自分が抱えているケースを見やった。
ちょっと見ただけでは何が入っているか分からない、銃のケースを見て、俺ははっと気づいた。
そうか。
あいつら、俺がこのケースに何を入れているか分からないんだ。
ひょっとすると、俺が黄金の剣を横取りしてしまったのかもしれないと勘違いしているんだ。
ちくしょう、それは俺の事を必死で探すはずだ。
見つかるまで、ぜったいに諦めないだろう。
なんせアイズマールのことだ、仕事をする前に不安要素なんて残そうものなら、文字通り首が飛ぶ。
少女は、ひどく落ち着いた様子で顔を上げた。
「もう顔を上げて大丈夫ですよ」
警戒を怠っている、とも思えるような大きさの声だった。
恐る恐る辺りを見渡すと、プラットフォームには関税を待つ人の列が続いているだけで、あの2人組の姿は消えてしまった。
ありきたりなセリフだと思ったが、この状況で聞かない訳にはいかないだろう。
「あんたは、一体何者なんだ?」
自分から名乗る事を失念してしまったが、相手は超然とした態度でそれに答えた。
「あなた達とよく似た者。ですが、あなた達より少し良い耳を持つ者です」
「サテモ(森の人、中部の方言で『エルフ』の意)か?」
落ち着いてよく見ると、この少女は俺たちアーディオとは、少し違う雰囲気をかもしていた。
肩までかぶった白いヴェールの向こうに、尖った耳が透けて見える。
頬にはちゃんと血が通い、白磁のような肌の魔族とは雰囲気が違う。
間違いない、こいつは北部の森の妖精サテモだ。
さすが西部だぜ、まさか、駅の雑踏で森の妖精に出くわすとは。
何もかもが常識のスケールを外れている。
「そうか、あんたもあいつらと同じで、剣を探しているクチなのか?」
「いいえ、ここから遥か東に行く旅の途中です」
と、サテモ。
「もしも、アイズマールの一党がこの駅で騒ぎを起こせば、兵士がしばらくの間、列車の出発を止めてしまう恐れがあります。私は先を急いでいますから、できればそれは避けたいのです」
なるほど。
本で読んだとおり、サテモは完璧な合理主義者のようだ。
光の精霊ピサから良い耳を受け継いだ森の妖精は、遥か遠くの音を聞きわけて森全体の出来事を知ることができるという。
その能力によって、アーディナル北部の森林を何千年も管理してきた。
こんな偶然のめぐり合わせでもない限り、俺に助けの手を差し伸べる事はなかっただろう。
やれやれ、喜んでいいのかどうか分からないな。
そんな事を思っていると、彼女はさらに続けて言った。
「ですが、剣のありかならもうすでに知っています」
「おお――知っているのか?」
「はい、ずっと見ていましたので」
温かい風が、胸の隙間に吹き込まれたような気がした。
俺は強い期待と共に両目を見開いて、サテモの少女を見やった。
ひょっとしたらこのサテモは五年前、開通したばかりの駅にこうして立っていて、あの剣が流された事件の一部始終を、ここで目撃していたのかもしれない。
サテモは滅多に森から出ないらしいが、この世慣れた態度は俺にそんな印象を与えた。
そのとき、サテモが軽く耳を振ったのか、ヴェールが微かに揺れたような気がした。
「戻ってきます。隠れてください」
彼女は、ふたたび押し殺した声に戻って、しかし落ち着き払った様子で言った。
慌てた俺は再びヴェールを手繰り寄せ、身を縮めた。
こんな布切れ1枚でいつまで連中を欺きとおせるかは分からないが、ここは妖精のご加護を信じないほうがバカだろう。
「なあ、このまま通り過ぎてくれると思うか?」
ためしにそう尋ねると、サテモはしばらく考えてから、返事をした。
「さあ、それは貴方の努力次第ではないですか?」
俺は、がっくりと肩を落とした。
どうやら、あまり妖精を過信しすぎるのもだめらしい。
サテモは、さらに無表情なまま言った。
「よしんば、いま私たちに気づかずに後ろを通り過ぎても、貴方を見つけ出すまで、彼らは決して捜索を諦めたりはしないでしょう。なんせ剣を持っているかも知れないのですから」
「よしてくれ、そんな現実的な言葉を浴びせかけないでくれ。いまや妖精の力に頼るしかないこの俺に!」
「おかしな事を言いますね、どうして私に頼るのですか?」
「どうしてだって……?」
俺が泣き言を言うと、サテモは不思議な物を見るように、しばらく俺の顔を注視していた。
ちょうど、お互いの被っているヴェールが重なり合って、その向こうに、作り物でもなかなか真似できないような端正な顔立ちが見えた。
どちらかと言えば女癖の悪い俺だったが、これだけ間近で見ているのに、まるで異性と向かい合っているような気分がしなかった。
年が離れすぎているとか、種族が違うとか、そんなんじゃない。
たぶん、彼女に秘められた強い魔力を感じているせいだ。
サテモからは常に心地良い魔力が放たれていた。
目に見えない花弁が次々と開いてゆくような不思議な高揚感があって、なぜか心が落ち着いた。
サテモは鋭い目をして言った。
「なぜ、あなたは周りの人に助けを求めないのです。ここには私より強い戦士や魔法使いなど、いくらでもいるでしょうに」
まさに正論だったが、俺はぶるぶる、ぶるぶるぶる、と首を横に振って否定した。
「無理だ」
「なぜです」
「俺だったら、絶対に助けないからだ、こんなおっさん」
やっぱり、こいつは単なる森の妖精だ。
人の世というものには疎いらしい。
ここにいる誰だって、見ず知らずの他人のために、あんなガラの悪い連中と関わり合いになるのはごめんなはずだ。
しかも俺みたいな、たいして金持ちそうでもない、うす汚れた身なりの、バーリャ平原からついさっき帰ってきました、みたいな男を助けることに、一体なんの益が……。
いや、まてよ。
俺は、自分の抱えている革のケースを見て、ふと、いいアイデアを思い立った。
少女のほうを見ると、軽く首を傾げたサテモの顔が目に入った。
目つきは少々きつくて、とっつきにくそうな雰囲気がある。
だが、こうやって不思議そうに考え込んでいるところなんか、なかなか愛嬌があるじゃないか。
そして俺は、柱の間で俺たちを監視している警備兵達を振り返った。
どうやら、連中はあまり職務に熱が入っているという様子ではない。
中にはおしゃべりをしたり、柱にもたれかかって欠伸をしている奴もいた。
すぐ近くをあんな怪しい悪党どもがうろついているっていうのに。
まったく警戒する様子もないのか。
呑気なものである。
これはある種の賭けだったが、このまま試さないでいる手はない。
俺はサテモに向き直って言った。
「そうだ、あそこの警備兵に、『不審な人物に付きまとわれて恐いので逮捕して欲しい』と訴えてきてくれないか?」
少女は、目を大きくしたかと思ったら、すぐに細くして、不審そうに俺の顔を眺めていた。
「なぜです?」
「俺が言ったところで、まともに取り次いでくれるかよ。10歩ぐらいその辺を歩いて異常なしで終わりだぜ。そこへ来て、お前みたいな見目麗しい少女が訴えてきたらどうだ、連中の熱の入りようが違うだろ?」
少女は、ますます目を細めた。
他の連中に助けを求めろという自分のアイデアが一蹴されて不満なのが、ひしひしと伝わってきた。
うむ、実に心地よい眼だ。
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