伝説の嘘つきは伝説の泥棒の始まり

第10話

 思わずぽかんと開いてしまった口の奥で、喉が急速に乾いていくのを感じた。


 片方の男は、アイズマールとビジューをしていたときに一緒だった黒いバンダナの男だ。

 もうひとりのでくの坊も、あの時俺と一緒に席についていたオーガに違いない。


 どちらも逮捕されれば、永久に監獄から出てこられない身分であるはずだった。


 なのに、どうしてこんな所にいる。

 どうして1ヶ月足らずで出てきているんだ。

 おい、憲兵ども。

 いったい何をやってるんだ?


「ああ……わかった、気を付ける」


 どうやら、連中は俺の事に興味がない様子だった。

 近くにアイズマールの姿は見当たらない。


 俺もアイズマールのカード仲間の1人なので、アイズマールが近くにいない今、下手に手を出せないのかもしれない。

 ひょっとすると、見逃してくれようとしているのか。


 とにかく、もうこれ以上関わりあうべき相手ではない。

 俺は道の端に下がって、連中のために道を開けてやった。


 動揺を表情に出さなかったのは、俺が常日ごろ培ってきた演技力のたまものだった。

 むやみに相手を刺激しないよう、あくまで自然に目を合わせたまま、少しずつ距離を開けていく。


 相手の神経を逆なでしないよう、自然な態度と表情を心がけた。


 2人の男達の首は俺の動きを追い続け、風景の180度回転してゆく流れに逆らって、ぴたりと俺に向けられていた。


 このまま連中の横を通り過ぎれば、逃げ切れる。

 ここで慌てて目を逸らしてしまえば、俺の方になにか後ろめたい事があるのではないかと相手に気づかれてしまう。


 そうでなくとも、びくびく怯えているそぶりを見せてしまえば、治療費をよこせだのなんだのとしつこく絡まれてしまう恐れがある。


 なので俺は、ずっと目を逸らさなかった。


 果たして正解だったようだ。

 連中もどうやら俺の事を警戒して、俺と適度な距離を保とうとしているらしかった。


 バンダナの男は、ちっと舌打ちをして、苛立たしそうに先へ進んだ。

 俺もようやく安堵して、ゆっくりと顔を背けたそのとき。

 オーガがバケツの入りそうなほど大きな口を開いた。


「あれ? お前、前にどこかで会わなかったか?」


「あ、そういや……」


 ちくしょう、俺の顔を忘れてただけだった。

 やばい、俺は一目散にその場から逃げ出した。


 アイズマール一家の二大悪党は、コートの端に風をはらませながら、蒸気を上げる列車のように猛然と俺の後を追ってきた。


「おい、この野郎、待ちやがれッ!」


「なんでお前がバーリャにやってきてやがるんだッ! 待てッ!」


 くそ、英雄の剣がなんだ!

 戦友との約束がなんだ!

 人生最後の賭けがなんだ……!


 なにがロマンだ、バカバカしい!

 土産話が本物か偽物かなんて、受け取るがわにとっては、どうでもいい話だろうが!


 得意の詐称能力で、あいつらの喜ぶ話ぐらい、いくらでも量産してやればいいじゃないか!

 なにを余計な事にこだわってたんだ俺は!


 まったく、つくづくとんでもない場所に来てしまったもんだぜ。

 バーリャの地獄ぶりといったら、死んだはずの悪人にまで出くわす始末だ。

 こんな馬鹿らしいことはさっさと止めにして、中部に戻って、まともに仕事を探すんだ……!


 俺は半ば自棄気味になりながら、「無許可での路上販売、物品の取引を禁ず」の看板がぽつんと立った線路沿いを駆け抜けていった。


 そのとき、まるで俺の気持ちを汲んだかのように、東行きの列車が蒸気を上げて駅に入っていった。

 チャンスだ。

 なんとかあれに乗って、この国を離脱しよう。


 駅前は、それに乗ろうとする雑多な人種でひしめき合っている。

 俺は駅舎に流れ込んでゆく人ごみの中に紛れ、背の高いイリオーノたちの行列を右に左に縫うように進んでいった。

 まるでお祭りの仮装行列みたいな一行があったので、その間の僅かな隙間を見つけて潜り抜けた。

 

「ちくしょう!」


 追っ手は、猪頭の巨大なイリオーノに行く手を阻まれて立ち往生し、大声で何かを喚いていた。


 気がつくと、どっと汗をかいていた。

 バーリャに来てからというもの、走ってばかりのような気がする。

 なんとか連中を振り切ることに成功した俺は、そのまま切符の販売所まで直行した。


「いま来てる列車、どこへ行くの?」


 俺が話しかけた駅員は、魔族の女特有の白い肌をしていた。

 外見はアーディオとほとんど変わらないが、背がでかい。

 まるで石灰みたいな白い肌が、ルーシーンの姿を髣髴とさせた。


「午後1時発、イーサファルト王国《白竜の門》直通です。お乗りですか?」


 ああ、よりによって直通便か。

 国境越えの列車には、関税があるから、出発までやたらと時間を食うんだ。


 だが、ただでさえ便数の少ない西部の貴重な一便だった。

 この際背に腹は抱えられない。


「すぐに乗る」


「右手奥の12番乗り場へどうぞ」


 俺は、故郷に戻るチケットを手に入れると、二度と離さないよう、力強く握りしめた。

 奥に行くにつれて、さらに混雑してゆく人混みの中を、アレルカンのケースを抱えながら急いだ。


 フェルスナーダの駅は、とてつもない広さだ。

 あきれ返るほど天井の高い建物の内部に、真っ白な列柱が地平線まで続いていた。


 列柱の向こうに見える乗り場は、錆びた鉄の柵に囲まれており、乗り場に行くための門にはそれぞれ衛兵が二人ずつで番をしていて、乗客の切符や荷物を細かく入念にチェックしていた。


 税関の前には、酔いそうなぐらいの人数がぞろぞろと列をなしていて、どこの列に並んでも同じくらい長く待たされそうだった。

 大柄なイリオーノがかさばっているせいか、それとも便数が少なすぎるせいなのか。

 ミッドスフィアの通勤ラッシュにも引けを取らないぐらいに混雑している。


 この人ごみの中でじっとしているぶんには、俺の姿はなかなか見つかられないだろう。

 こっちの方からあの2人組の姿を見つけることも困難だった。


 他に不安要素があるとすれば、いったいいつまで待たなければならないのか、という事だった。


 関税の列は、1人1人を入念にチェックをしているため、気を揉むほど流れが遅かった。

 切符を買ったときみたいに、割り込みをしてゆきたかったが、ここではそうはいかない。

 列柱のそばに革の鎧を着た警備兵が配置されていて、背後から俺たち乗客の動きを監視していたからだ。


 本当は、割り込みついでにこのアレルカンをどうにか隠したかったのだが。

 イーサファルトは国内の産業を保護するために、武器や金属類の輸入を厳しく制限していた。

 お陰で、イーサファルトに入る際には、装備一式を持っていくだけで結構な額の税金を取られてしまうのだった。

 常しえの河は金やダイヤモンドがごろごろと出てくるらしいので、バーリャ地方からの旅行者は、特に厳しい検閲を強いられていると聞いた事がある。


 くそっ、まだか。

 まだかかるのか。

 まったく、忌々しい連中だ。

 こんなでかい革のケースを抱えて突っ立っていたら、俺が連中に見つかるのも時間の問題じゃないか。


 さっきから、背後の柱の警備員が俺の方をちらちらと見ているのも、こんなデカいケースを持っている俺がいかにも怪しいからなんだろう。

 密輸品を入れるのなら、もってこいの大きさだ。


 ナメクジのように緩やかに進んでいた税関の列は、あるとき少しも進まなくなってしまった。


 一番先頭を見ると、まだ若いアーディオのガキが関税にまごついている。

 その背には俺が持っているのと同じ、大きな黒い革のケースを背負っていた。


「だめだ、何度も言っているだろう。関税の支払いが完了されない荷物は乗せられない」


「なんとかならないの? ちゃんと大使館で免税符も貰っているんだよ?」


 まだ声変わりもしていないような、高い声で訴えながら、少年は必死に何かの書付を見せていた。

 憲兵は、さも面倒そうな態度で返事をしていた。


「この書類に記されているのは銃だけだ。その銃のケースまでは免税に含まれていない」


「そんな、滅茶苦茶だよ。すぐに乗りたいんだ」


「他の便に乗るか、あるいは急いでいるのなら、荷物を大使館にでも預けてくればいい」


「頼むよ、こいつがないとどうしても困るんだ」


 ああ、イライラする。

 まったく最近の若い奴は、なんて年寄り臭い意見を言ってしまいたくなる。

 なんだか昔の自分の姿を、後ろから観察しているような、そんな不思議な気分だった。


 この若造は銃1本を携えて、これから一体どこへ向かおうとしているのだろう。

 彼の行く先には、俺が経験したような様々な困難が待ち構えているに違いない。


 だが、俺は決してお前の成功を祈ったりしない。

 なんせこれからは、同じ社会でしのぎを削り合うライバルになるんだからな。


 なにか俺からアドバイスを送るとすれば、そうだな、せいぜい他人に足元をすくわれないよう気をつけることだ。

 あと、食べ物には気をつけろ。

 東部の食べ物はやばいぞ、今はほとんどの食品が製造過程のどこかに魔法を使っている時代だからな。


 闇の魔石で残留魔法を払ってからじゃないと、恐くて食べられたもんじゃないぞ。

 あらかじめ野菜庫に闇の魔石を入れておくのも手だ。

 コンビニ弁当なんかは完全にゼロから魔法だけで生み出しているようなのもあるからな。

 絶対に油断するんじゃないぞ。


 運悪く残留魔法に当たって鼻がネズミのそれになってしまった時の事を思い出した俺は、しばし憂鬱な気分に浸っていた。

 そういえば、あれから俺のあだ名はしばらくミッキーになったんだ。

 同じギルドにいた変わり者の先輩につけられたんだが、なぜミッキーなのかは未だによくわからない。


 ふと振り向くと、列柱の向こうに怪しい人影が見えた。

 関税の列に並んでいる人々を、じろじろと無遠慮に眺め回しながら歩いている。


 やばい。

 あいつらだ。

 逃げ出すタイミングを失った俺は、どうにも隠せそうに無いケースを隠そうと、体で抱えこんだ。


 そんな、ただでさえ絶望的な状況の中で、さらに悲劇は起こった。


「おい、早くしろ、こっちは急いでるんだぞ!」


 やがて俺の目の前の男が、列の前方に向かって大声で野次を飛ばし始めた。

 男は周囲の注目をひきつけながら、ガンガン騒ぎ立てた。

 おい、頼むから、そういうのは俺から少し離れたところでやってくれ。


「朝から延々と並ばせやがって、おたくら新政府軍は、いちいち仕事に時間がかかりすぎなんだよ! こんなに待ってる連中が居るのがわかんねぇのか、いい加減にしろよ、まったく!」


 男は不満げに最後の一声をあげて、列に戻っていった。

 ようやく騒ぎがおさまって、ふう、と息をついた途端。

 不意に俺の右肩に、ぽんと手が置かれた。


 その時の俺の驚愕度合いといったらなかった。


 とつぜん駅の床が割れて地下世界への扉が開き、大穴に飲み込まれながら入り乱れる群衆の中で、俺という個性までもが一瞬にして崩れ去ってしまったかのような、そんな想像を絶する破滅感さえ伴った、とにかく生きた心地のしない凄まじい驚愕であった。


 俺はろくに振り返ることもできなかった。

 豪雨に立ち向かうブロンズ像のように厳しい目をして、ただその場に凍りついていた。


 ほてった耳に、黒バンダナの暗黒の世界と直結した口から、人の不幸などなんとも思っていないような冷たい言葉が吹きかけられるような気がした。


「よう、会いたかったぜ、リゲルの旦那」


 次に、反対の耳に吹きかけられるのは、でくの坊の人を小ばかにしたようなだみ声だ。

 あいつは教養がないから、きっと暴力的な脅しをかけてくるに違いない。


「おとなしくしていないと、中指の腹で人差し指の爪を撫でられる形にしてやるぜ、げっへっへ」


 なに、中指の腹で人差し指の爪を撫でる、だと……?

 普通にできるじゃないか。

 くそう、騙された。


 そして連中は、俺の両脇をがっちりと抱えたまま、どこかへ連れて行く。

 俺は両足をだらりと伸ばした格好で、関税を口惜しく見つめながら引きずられていった。


 立派に職務を果たしている兵士達は、こっちの様子をちらりと見やっただけで、また通常の職務に戻っていく。


 ああ、そういやアイズマールには、この件には間違っても首を出すなと命令されていたっけな。

 かなりマジに言われたっけ。

 こりゃ、どんな言い訳をしたところで無駄だろう。

 こっそり裏口から外に連行されたら、その後はどうなるか。

 考えただけでも身の毛がよだった。


 ――そういった最悪の事態が、一瞬のうちに俺の脳裏をよぎっていた。


 だが、ふるえている俺に掛けられたのは、そのどちらの声でもなかった。

 上質の、綿のような、柔らかい布だった。


 頭からすっぽりと布を被せられた俺は、いったい何が起こったのか理解できず、幽霊に怯える子供のようにそっと目を向けた。

 そこにいたのは、俺に被せられたのと同じ薄い布を頭から被った、見知らぬ少女だった。

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