第9話

「やめなさい、乾季にバーリャ平原を旅するのは自殺行為よ」


 という忠告を受け、


「なあに、こう見えても一度軍隊で地獄を味わってきた身だからな」


 と高をくくって、荒野に再挑戦したのは、1週間前の俺だった。


 今、ここに1週間前の俺がいたら、俺はすぐさまその無謀な行為を止めてやるべきだった。


 乾季のバーリャ平原は、まさしく地獄の釜をひっくり返したような場所だったのである。

 苛烈で、残酷で、凄惨だった。


 おまけに、獣人と獣人のコスプレをした奴らまで現れる。

 いったい、英雄は横断鉄道のない時代に、どうやってこんな平原を横断したというのだろうか。


 忠告から1週間を待たずして、ふたたびザクセンまで引き返してきた俺の姿を見て、魔族の少女は顔をしわくちゃにして笑った。


「笑い話じゃねぇ」


 俺が毒づいても、彼女は着ぐるみのフードをかくんかくんと揺らして、まるでニワトリのように笑い続けていた。

 ちくしょう、いっそニワトリみたいに絞め殺してやろうか。


 このニセモノ牛の少女は、気づくと俺のあとをちょこちょこつけて、ザクセンまでやってきていた。

 もともと人間の暮らしに興味があったのか、さもなくば、荒原での生活にもう辟易していたのかも知れない、そのまま住み着いてしまったのだった。

 いや、辟易するどころか、危うく飢えかけていたのだから、逃げ出したくなっていても当然だろう。


 だったら俺からは特に何も言うことはなかった。

 名前は、ルーシーンと言った。


 少女は、自分の格好が周りと違っておかしい事に気づいていない。

 街中で毛むくじゃらの着ぐるみを着ている女の子の姿は、異様に目立ったのだが。


 なるほど、これが魔族か、と俺は納得した。


 光の勇者との戦争に敗れて、世界中に散り散りになってしまった魔族の末裔だ。


 人間社会に馴染むことができず、ついに荒野に棲むようになった、そいつらがニセモノ牛の正体だったのだ。


 平原の捜索をはじめて2週間。

 俺はザクセン地方の遊牧民の国『フェルスナーダ』にいた。


 バーリャ地方の一歩手前にあるこの草原地帯は、中部の主要な国々の支配を受けなかったため、エカ神教の文化がほとんど浸透していなかった。


 人々は、イーサファルト人になじみ深い彫りの深い顔つきをしているが、しばしば顔に赤土の顔料を塗って化粧をしていたり、羽根飾りをつけた服装で見受けられる。


 赤土はバーリャの語源ともなった苦痛の母ハルテルの象徴。

 鳥の羽は、積乱雲を飛び回る雷の女神サイテンの象徴なのだそうだ。


 いずれもイリオーノたちの神々を信仰している証である。


 大陸横断鉄道の駅舎も、ほかの土地では見られないような、イリオーノ達の大神殿を模した構造をしていた。


 巨大な花崗岩の円柱をいくつも並べて、なだらかな屋根を支えた、大胆で明快なつくりをしている。

 かと思えば、屋根の前面にはエカ神教の教会でよく使われるスバルの刻印が刻まれていたり、駅前では中部原産のオリーブやかんきつ類が売られていて、市場の雰囲気は俺にとって懐かしい雰囲気が漂っていたりする。

 ここは、中部と西部の文化が微妙に入り混じった不思議な場所だった。


 そんな駅前からすこし離れた通りに行くと、線路を囲む柵に沿うようにして、露天がずらりと並んでいた。

 大陸の東西から集められた物品や、みやげ物の羽飾り、宝石類まで陳列されていて、旅行者の気が休まる隙がない。


「無許可での路上販売、物品の取引を禁ず」と書かれた看板の前でもお構いなしだ。

 逞しい連中である。


 俺が再び彼女に出会ったとき、魔族の少女は、大小いくつも並べられた常しえの河原産の陶器の一番小さいのみたいに、ちょこんと膝を抱えて座っていた。


 商品はたぶん、みんな盗品だろう。

 危うく見過ごしてしまいそうな小さな店だったが、その店の品揃えはかなり良かった。

 信頼できる店かどうかは、店頭に並べられている魔石でだいたい分かる。


 ひとつひとつ手にとって魔力を調べてみたが、どれも純度が高めの高品質なものばかりだった。

 この店主、かなり目利きだな、と思って顔をよく見ると、ニセモノ牛の少女だったのだ。

 ひょっとしたら、魔族の仲間が目利きをしてくれているのかもしれない。


「なんとかならないのかよ、あの牛頭の連中……お前の仲間だろ?」


「私たちも平原にいて長かったけど、つい最近まであんなのがいるって知らなかったわ。前に一緒にいた部族が河の向こうに逃げちゃったから、代わりにいそいでウシの服を作ったもの」


「なんだ、最初はウシじゃなかったのか……じゃあ、あいつらの弱点みたいなの知らないか? ぜんぜん銃が効かなくて歯が立たないんだけど」


「弱点なんてあるのかしら……多分だけど、平原の奥地から移住してきたのよね、あの牛たち……」


 少女は腕組みをすると、うーんと難しそうな顔をして唸った。

 この少女が平原に棲んでいたのなら、なにかの知恵を貸してくれるかもしれない。


 過酷なバーリャ平原を攻略する光明を示してくれるだろう、と少なからず期待していたのだが、どうやら世の中そう上手くはいかないらしい。

 少女はむーんと黙りこくったまま、結局何も言わなかった。


「ところで、雨季のバーリャはどんな感じなんだ?」


 諦めてそう尋ねてみると、少女は、はっと驚いたように顔を上げた。


「雨季……そうか、思い出したわ……」


 少女の白磁のような肌が、一瞬さらに青ざめたような気がした。

 どうやら、踏んではいけない地雷を踏んでしまったのが分かった。

 俺は少し身を引いて、あわてて両手を振って否定した。


「い、いや、一応聞いてみたかっただけだ。行く予定は今のところないな、うん」


 と言ったところで、彼女の嫌な気持ちが紛れるわけではないだろう。

 雨季のバーリャがいったいどんな恐ろしい世界なのかは、もう言かないでおくことにした。

 

 不意に、駅前が騒がしくなってきた。

 なにかと思って顔を上げると、商人達が急に露天を片付け始めていた様子だった。


「あ、やばい。憲兵がきたわ」


「一応、取り締まりはしているのか」


 少女は地べたから腰を上げ、ちらかった商品を背嚢に片付け始めた。

 通りの向こうを見やると、角に店を出している店主が、こちらにむかって手を高くかざし、何かの合図を送っている。


「悪い、邪魔したな」


 俺も慌てて腰をあげ、少女が背嚢を背負うのを手伝ってやった。


「水に気を付けなさい」


 煙草と薬草のにおいが入り混じった背嚢を背負うと、少女は聞き取れないような小さな声でそう言って、もう一度同じ事を言った。


「水に気を付けなさい。牛頭の部族は、水のある場所を知っている」


「なんだそりゃ?」


 俺は目をむいて尋ねかえした。

 少女は先を急いでいる様子で、早口で言った。


「私にもわからない。一族に伝わる古い言い伝え。牛頭の部族に出会う時は、少なくともバーリャで、何か異常な出来事が起こっている時だそうよ。

 その言い伝えはこう続くの、『牛頭の部族は水のある場所を求めて歩いている。彼らに出会ったときは、決してその後を追ってはならない。来た道を真っ直ぐに引き返せ』」


 それは不思議な、そして何かざらついた、嫌な予感のする予言だった。


「お前のために言っておく、今後いくら平原に繰り出したところで、お前が探しているものは、たぶん絶対に見つからないわ。捜索は諦めて、今すぐに、故郷に引き返すのよ。私が言えるのは、それだけ」


 そう言い残して、少女は薬草の入った背嚢に押しつぶされそうになりながら、よたよたと去っていった。

 残された俺の両脇を、大勢の露天商達が流れるように通り過ぎていった。


 おいおい……そんな伝承が一体何になるっていうんだ。

 そもそも、俺が出会った牛頭の獣人共は、1人を除いて全員が偽者だったじゃないか。


 少し前までの俺だったら、そう反論していただろう。

 だが、今は心が揺らいで、何も言えなくなってしまった。


 このまま冒険を続けるのは、無理かも知れない。

 そんな気分になったときに、イーサファルトから俺を送り出した旧友達の顔が浮かんでくる。


 ……いや、こんなところで諦めて、連中の前におめおめと顔を出せるものか。


 たとえ剣はなくても、できることならあいつらをびっくりさせられるような冒険譚を持ち帰ってやりたい。

 そう思いながら、ここまで歯を食いしばってやって来たんじゃないか。

 たった1週間で借りた銀貨を使い果たして、さいごには不吉な予言を聞いたからって、手ぶらで引き返すっていうのか?


 おいおい、落ち着けよ、リゲル=シーライト。

 そんなダサい物語、俺のカラーじゃないだろ。


 そのとき、考え事をしていると、背後から何か、硬い壁のようなものがぶつかってきた。


「いてぇな!」


 苛立ちながら振り帰ると、目と鼻の先に、見るからに屈強そうな男が二人立っていた。


 俺は持ち前の演技力で苛立った表情と顔色をすっと引っ込めたが、言ってしまった言葉まで俺の口に戻ってくることはなかった。

 二人とも鍛え抜かれた胸板をしていて、全体的に頑丈な体つきだったが、どう見ても憲兵ではない。


 どちらかと言えば、マフィアの私設傭兵団といった風体だ。

 サングラスをかけて、けばけばしい柄物のシャツの前を開け、イリオーノ並みに毛深い胸をはだけている。

 腕や足や胴体、どの体のパーツを取ってみても俺の二倍ほどの太さがあった。

 口にピアスをつけたやや太り気味の男が、じろじろと俺を眺めて不機嫌そうに言った。


「おい、気をつけな……ぼんやりしてると、誰かに後ろから刺されるかもしれんぜ」


 煙草くさい息が顔に吹きかかった途端、俺は相手が一体誰であるかを悟り、全身に鳥肌が立った。

 アイズマール一家だった。

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