第8話

 それに、全身を飾っている装飾品は、いずれも魔力を高めるものだった。

 どうやらこの部族の中では、魔術師の地位にある人物らしい事が分かった。


 杖の先端に取り付けられたレイヨウの頭蓋骨も立派なもので、あらゆる角度からごてごてと角が生えていて、いったい元がどんな生物だったかを予測する事は不可能だ。


 ひと目で模造品だと分かってしまうレベルの模造品ではあったが、それでも原始時代の芸術作品に見られるような、ある種のセンスが感じられる。


 そうか……こいつらもこいつらで、必死に虚栄を張って生きているんだ。


 仲間に見栄を張りたい一心で伝説の剣を探しに来た俺は、思わず感じ入ってしまった。

 そういった小賢しい生き方が決して嫌いではない俺は、その半端な滑稽さに、むしろ同情を禁じえなかった。


 俺が感傷に浸っていると、リーダーの牛は突然、呪術めいたうめき声を上げた。


「モオオオオオオオゥワオオオオオゥアオオオオオゥワァァァォォォオオオ!」


 その、途方もない声のでかさに俺は思わず目を見張った。

 空気の振動で、足元の砂までもがびりびりとふるえて音を立て、小魚みたいにぴょんぴょん飛び跳ね出した。

 知らなかった、牛の唱える呪文って、こんなにも響くものだったのか。


 リーダーは、顎を左右にかくかく動かして、魂の絶叫のような呪文を唱え続けた。

 よく見ると、あれは偽物の頭なんかじゃない。

 本物の牛の頭だ。


 まさか、あいつだけは本物の牛頭のイリオーノなのか?


 だとしたら、まずい。

 魔法が来る!


 俺は、すかさず手のひらをリーダーにかざし、そいつの魔力を読み取ろうと意識を集中させた。


 イリオーノが戦闘時に使う魔法のパターンは、大戦時に一緒のパーティを組むことがあって、だいたい把握していた。

 あいつらは主に仲間の傷を回復したり、敵の武器を朽ちさせたりする補助魔法が得意なのだ。


 魔法学的には第Ⅱ属性『水魔法』に分類される。

 魔力も他の民族と比べると、ひやりと冷たい感じがした。

 ときおり川を泳ぐ魚が肌に触れたときのような、そんなぴりっとする感触があるはずだ。


 俺の指先の目で魔力の流れを感知すれば、どんな魔法を使うつもりなのかが事前に特定できる……。


 ……はずだったのだが。


 俺は思わぬ肩透かしを食らって、目を剥いた。


 こいつ、魔力がまったく集中できてないじゃないか!?


 もともと魔力が少ないのか。

 集中しようとする気さえ感じられない。


 これでは、魔法を使うどころの話ではないだろう。

 このけたたましい呪文で、魔法を使うのでなければ、いったい何をしようとしているのか。


 しかし、俺はうすうす感づいていた。

 あのゴテゴテに装飾された、精一杯見栄を張って生きています、という感じの杖を見た時点で、それは一目瞭然だった。


 ……こいつ、確かに本物の獣人だけど。

 獣人の群れの中でも誰にも認められない、落ちこぼれの魔術師だったのだ、と。


 そんな折、こいつは自分を唯一認めてくれるニセモノ牛たちと迎合した。

 彼らを群れとして従え、いっぱしのリーダーを気取っているのだ。


 ペテン師リーダーはニセモノ牛たちを必要とし、ニセモノ牛たちも、ペテン師リーダーを必要としている。

 そこには獣人と人間の、お互いに騙し合いながらもお互いを必要としあう、なんとも奇妙な共生関係が築かれていた。



 俺は一体、どうすればいいというのだろうか。

 その間も、圧倒的な迫力の咆吼が、俺の心を揺さぶり続けていた。


 ここで俺が恐れおののいて、魂が抜けたみたいに腰を抜かせば、それで万事が上手く収拾していたのかもしれない。


「もう二度とバーリャには来ませーん」


 などと情けない叫びを上げ、


「わっはっは」


 と笑い声を上げる連中を尻目に、這うように逃げ出してしまえば。

 連中も沽券を守り抜くことができて、満足し、もうそれ以上俺を追って来なくなるかもしれない。


 そうだ、きっとこのリーダーの咆吼じみた呪文も、内心そんなおいしい展開を期待して放たれているものに違いない。

 なにしろ魔法の使えないポンコツだ。


 だが、それは俺のカラーじゃない。

 俺はみずから好きこのんで道化役を演じてやるような、気位の安い男ではなかったのである。

 どうせ死ぬなら、かっこよく見栄を張って死にたい。

 それがイーサファルト人という生き物だ。


 俺は、うるさい咆吼に耐え、じっくりとリーダーの様子を観察し続けた。

 いったい、この虚勢はどこまで続くのだろうか。


 リーダーの呪文は、肺がつぶれそうなほど長時間に及んだ。

 どうやら肺活量だけは凄まじいらしく、俺の知っている獣人どもにもひけをとらなかった。

 だが、このリーダーはそこまで長く息が続く訳でもなかったようだ。


 さりげなく息継ぎをはさんで、再び咆吼するリーダー。

 次第に両目がぎらぎらと光り始め、毛の間から滴る汗も勢いを増し、うめき声が次第に苛立つような声に変わっていった。


 俺は、銃を構えたまま一瞬たりとも姿勢を崩さず、リーダーがその無駄な呪文を唱え終わるまで待った。

 このまま俺が動かなかったら、いったいどんなリアクションを取るのだろうか。

 獣人の詐欺師は、この窮地をいったいどんなペテンで乗り切るつもりなのか。

 俺の中で知的好奇心がうずいていた。


 俺がまったく動じない事に、周りのニセモノ牛たちも動揺し始めていた。

 ――丁度そのとき。


 リーダーは、にわかに杖を両手に持ち、青空に向かって伸びあがり、レイヨウの頭蓋骨つき杖を天空に捧げた。

 さらには、口の中の噛み煙草を真上に向かってぶっと吹き、わんわんと耳に響く大絶叫を上げはじめたのだ。


「うをあぎゃぁほぼあわふぁぼえぇぇぇ――――ッ!」


 ぎゃぁっ!


 俺は驚いて耳を塞ぎ、思わず数歩ひきさがった。

 もう言葉に出来ないような奇妙な絶叫だった。


 だが、これもただの雄叫び。

 魔力はかけらも感じられない。


 しかし、その雄叫びをきいた周囲の牛達が、一斉に騒ぎ立て始める。


 出た! リーダーの魔法だ! この世の終わりだ!


 ニセモノ牛たちは、彼らのリーダーとバーリャの神に対する畏敬の言葉を交互に並べ立て、混乱して逃げ出したり、あるいは地面にひれ伏したりして大騒ぎしていた。


 だが、残念なことに、どうも何も起きないみたいだぞ。

 赤土の荒原には牛が逃げ惑っている以外、何かが起こりそうな気配はなかった。

 やがて、荒原は何も起こらないまま、しーんと静まりかえった。


 ああ……やってしまったな。

 俺は、空を仰いで立ち尽くすリーダーを見やった。

 あいつにいったいどんなカリスマ性があったとしても、明日からは全員に白い目で見られるに違いない。


 俺は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。

 だが、いたたまれなかったといって、俺は見知らぬ辺境の部族の為に、わざと魔法にかけられたような振りをしてやろうとは思わなかった。

 この哀れな部族の、哀れな崩壊の危機に、優しい救いの手を差し伸べてやるような暇が、俺にはなかったのである。

 何度も言うようだが、それは俺のカラーじゃない。


 だが、そのときバーリャの女神さまが彼等に微笑み、奇跡を起こした。


 奇跡だ!


 足元の真っ赤な砂塵がさらさらと流れ始めた。

 かと思うと、にわかに強烈な砂風が吹き荒れて、砂丘も、魔物の群れも、瞬く間に飲み込んでしまったのである!


 それはバーリャ特有の異常気象。

 なんの前触れもない砂嵐。


 そうか、あの牛頭……!

 バーリャの複雑な天候の変化を、動物特有の本能的な勘で察知できるのか……!


 それにあわせて、「今!」というタイミングで、魔法を使うふりをするために出てきたんだ!


 なるほど、これが獣人のペテン師。

 なかなかよくできた詐欺じゃないか……!


 濃密な砂嵐のなか、俺は思わず心地よい歓声をあげた。

 真っ赤な埃が、目といわず口といわず飛び込んでくる。

 嵐はますます激しくなっていく。

 これはまずい、まずすぎる。

 一気に形勢逆転だった。

 前後不覚。

 一歩先も見えない状況で、俺は尻のポケットから素早く方位磁針を取り出した。


 この方位磁針を片手に、俺は常に部隊の先頭に立って、仲間を引っ張って歩いていた。

 前方の敵に睨みを利かせ、後続の兵士達に檄を飛ばしながら、山や谷をものともせずに歩き続け。

 そして隣にいる司令官が道を見失って立ち止まったときに、誰よりもすばやく方位磁針を差し出す。

 それが俺の得意技だった。


 ――とにかくここは逃げるしかない。

 東だ!

 リゲル、東に戻れ!


 俺は、銃剣を装着したアレルカンを槍のように構えると、うおおぉ! と吼え散らしながら砂埃の中に飛び込んでいった。


 煙の中から、毛むくじゃらの牛頭どもが走馬灯のように次々と現れては消えていった。

 分厚い毛皮の下から白い骨のような腕が伸びてきて、俺の耳や腕を引っ掻いてきた。


 そいつらを剣でなぎ払い、銃の一撃で吹き飛ばし、肩でタックルして突き飛ばして、強引に道を切り開きながら、俺は前へ、前へと突き進んだ。


 そのうち、銃でも剣でも突き崩せない、毛皮の塊のような壁に突き当たってしまった。

 なんて巨大さだ、新手の敵か。

 と思って身構えたが、どうやらそうではないらしい。

 その先で、何百体という牛たちが、将棋倒しになってもがいているらしかった。


 ああ……混雑しすぎたな。


 そして俺は、またしても見てしまった。

 自分の目ざとさを恨んだ。


 そうやって何層にも積み重なっているニセモノ牛の中に、またしても牛の首が取れている一頭を発見してしまったのである。


 どうやら今度は、背の低い子どもみたいだ。

 その『人間』の顔が一瞬、俺の方を向いた。

 その瞬間に俺は目が離せなくなった。


 どうやらそいつがイリオーノでも、アーディナル人でもないということはすぐに分かった。

 長い髪は真っ白で、ウサギのような白っぽい皮膚に、青い血管がうっすらと浮かんでいる。

 耳は妖精みたいにとんがっていて、俺を見る瞳はルビーみたいに真っ赤だった。


 こいつら……本当に、いったい何者だ?


 ふいに寒気を覚えて見渡すと、目くらましになっていた砂埃が晴れてきた。


 混乱していた牛どもも俺を見つけ、至る方向から押し寄せてくる。

 くそっ、どうやら四方を囲まれているらしい。


 こんな時に、元賞金稼ぎとして俺が取るべき行動は、ひとつだった。

 敵の中で、いちばん弱そうな奴を見つけ、人質に取った。


「動くなッ! こいつがどうなってもいいのかッ!」


 俺は、目の前で転んでいた少女を抱え上げ、銃を突きつけた。

 着ぐるみはふかふかで、ほとんど何も食べていないのか、体重はとてつもなく軽い。

 中身が綿なんじゃないかと疑ってしまうほどだった。

 ニセモノ牛たちは俺の取った行動に、みんな怯んでいた。


「卑怯者!」


「子どもを盾にするなんて最低だ!」


 連中からは、思わず人間の発言が飛んできた。

 なんとでも言えばいい。


 俺は少女を担いだまま、うずたかく積み上がった毛皮の壁に向かって駆け出し、将棋倒しになって倒れている牛どもをぐしゃぐしゃと踏み越えていった。

 柔らかい毛皮の道は何十メートルにもわたって続いていて、反対側から飛び降りると、砂埃が一気に晴れ、目の前にすかっと青空が広がった。


 うまく包囲網を切り抜けたあたりで、俺は少女を放り投げると、振り向きざまに中指を立て、もーもー吼え散らかす連中に向かって言い放った。


「覚えてろよてめえら! 逃げるんじゃねえぞ!」


 空気の読めない俺にしては、まずますの捨て台詞だったといえる。

 俺は精一杯の叫び声を平原に響かせ、来た道をただひたすら引き返していった。

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