第2話
この大陸には《冷たい時代》と呼ばれる、誰も語りたがらない暗い時代があった。
世界大戦より少し前、霧の向こうの異世界、通称『現実世界(リアル・ワールド)』の帝国軍に大陸の8割を占領され、当時大陸の実権は彼らに支配されていたのだ。
対するこちらの世界は『魔法世界(パストラル)』と呼ばれ、凄惨な日々を強いられていた。
支配を免れた各国で、現実世界に抵抗すべく連合軍が結成されたが、彼らが反撃の口火を切ったのは、とある英雄が参加してくれてからだった。
南東の妖精の島からやってきた英雄は、帝国軍兵士に対抗する圧倒的な強さを兼ね備え、占領された土地を次々と開放し、それまでばらばらだった世界各地の四大魔法民族を統合するという偉大な役目を成し遂げた。
そして、帝国軍との全面対決を前に、最後の魔法民族に連合軍への参加を要請するため西に向かった。
それが、アーディナル大陸西部の未開の地《バーリャ地方》だった。
バーリャ地方は、俺たちアーディナル人ではまともに生きていけない過酷な環境であり、それまで魔物の一種としてしか考えられていなかったイリオーノ(獣人)達の巣窟だった。
英雄が妖精でなければ、そんな連中の力を借りようなんて考えには思い至らなかったはずだ。
そのバーリャで最大の勢力を持つ常しえの河の王スヴィッチバックは、この英雄の強さに心を打たれ、連合軍への参加の公約のために、常しえの河の氏族を統べる者の証である1本の剣を彼に授けたという。
それが、このオヤジの言う『バーリャの剣』だ。
噂では、ヒヒイロガネの柄を持ち、7つの金剛石が埋め込まれた決して錆びることのない剣だったそうだ。
その剣は、戦後まもなく大洪水によって流され、バーリャ平原のどこかに消えてしまったという。
確かに、見つかれば莫大な金にはなりそうだが……。
「いったい、何年前の話をしているんだ?」
俺は魔法陣の上のチップをかき集めながら、ため息をついた。
「俺は英雄の昔話や、財宝探しの冗談を聞きたかったわけじゃないぞ。失われた伝説の剣を求めて一攫千金ってか? アーディナルの闇の世界が不景気なのは知ってたけど、まさか、あんたがそんな古いネタを追いかけまわすだなんてなぁ」
俺はあえて挑発するように言った。
見栄っ張りのアイズマールは、手札を広げて前かがみになると、不満げな口調で言った。
「俺がしてるのは、そんなに古い話じゃねぇんだよ」
ほら、やっぱりな。
自然と俺の口元も緩んだ。
レベルの高い悪党ほど、金儲けの手段が多くなってくる。
不景気ならば、アイズマールほど巨大な組織を動かす大悪党ともなれば、いくつもある選択肢の中から見つかるかどうかも分からない、宝探しのような博打をあえて選んだりはしない。
確実に利益を得られる方法から選んでゆく。
そして今、闇の世界で屈指の選択肢を持っているのが、この汚い髭オヤジだ。
「確かな筋の話だ」
アイズマールは、魔石を袋に戻してじゃらじゃらとかき混ぜながら、独り言を言うようにぶつぶつ言った。
「バーリャには色んな部族が住んでいるが、まだそ平原の全容が明らかになったわけじゃねぇ。季節に応じて転々と集落の場所を変えている『奥地の部族』がいる。
つい最近になって、そいつらから大洪水の新しい証言を聞きだす事が出来たそうだ。
……そいつらは大洪水の後に、剣を運んでいた使者の『唯一の生き残り』が黄金の剣を持って平原をさまよい歩いている姿を目撃したんだとよ」
「誰からだ?」
「確かな筋だ」
俺は、その情報源の方に大いに興味をそそられた。
だが、それ以上は聞くな、と髭オヤジは目で言ってきた。
叩けばもっと何か出てきそうな気がしたのだが。
マジの目とそうでない目の見極めがつく俺は、両手を広げて、あえなく降参した。
「分かった、聞かねぇよ……で?」
アイズマールは、その体重を健気に支え続ける背もたれにさらに無茶を強いながら、背後の棚にあった一枚の地図を指先でつまんで取り出した。
古地図だ。
油がしみこんだ汚い地図だったが、特別な魔法が宿っている。
アイズマールは埃を吹き払うと、《バーリャ平原》と書かれた広大な土地のあたりを開いた。
「そのとき、使者は、大陸横断鉄道を使って、東からバーリャの奥地へと向かっていた」
バーリャ平原の東隣には、中部アーディナル最西の地《ザクセン地方》がある。
そこから真っ赤な赤土の平原を横断して、遥か西。
獣人の王スヴィッチバックの神殿を有する《切り立った岩山》がある。
その間を、5600キロにも及ぶ不自然な黒い線が通っている。
それが大陸横断鉄道だ。
「大陸横断鉄道で剣を運んでいた使者たちは、バーリャの異常気象のひとつ、『鉄砲水』によって列車もろとも下流に流された」
アイズマールの芋虫のような太い指は、その鉄道路線よりほぼ800キロ南下したあたりの赤い丸印の上に乗せられた。
「流された車両が発見されたのが、この《獅子岩の湖水》だった。ここを中心にして、鉄道路線よりも南側ばかりが捜索されていたが……その『唯一の生き残り』が黄金の剣を持ってうろついていた、という目撃証言が本当だとすれば、恐らく、剣はもともと路線より南側にはなかったはずだ」
「なるほど」
俺は思わず唸った。
それが本当ならば、こいつらが今でも剣を見つけられる可能性は、まだ十分にある。
「なるほどねぇ。つまり、あんたらの魂胆はこうだよな? その唯一の生き残りとやらをとっ捕まえて、英雄の剣を隠した場所を無理矢理吐かすんだ。もしくは、すでに吐かした後か。どうだ、当たりだろ?」
俺が核心をついたつもりでそう言うと。
アイズマールは何を考えているのか分からない、不気味な笑みを浮かべて笑った。
両脇の部下を見やっても、同じように分からない薄ら笑いを浮かべている。
いったい、今の俺の話の何がそんなにおかしいのか。
そのときの俺にはまるで分からなかった。
「首を突っ込むんじゃねぇぞ。間違っても、お前は手を出すんじゃねぇ」
アイズマールは地図を脇に片付けながら、声に迫力を持たせて言った。
俺は肩をすくめて軽く笑った。
「なに言ってやがる。俺はもう財宝探しなんて、食えない夢を追いかけるような青二才じゃないさ。それより、またいい情報があったら教えてくれよ?」
気軽にオヤジの二の腕を叩いて、ゲームを再開した。
いずれにせよ、ここはアーディナル大陸の東側。バーリャは同じ大陸の西側だ。
たとえおいしいネタがあったとしても、小遣い稼ぎに行くにはちょっと遠い。
俺はひとまず昔の剣の事は忘れて、悪党どもとのゲームに熱中する演技を続けた。
「動くな!」
そんな時。
突然、背後から耳をつんざくような怒鳴り声が響いてきた。
アイズマールたちは、きらりと目を光らせて、俺の背後をじっと睨んでいた。
何かと思って振り返ると、パーティ会場の入り口から甲冑に身を包んだ兵士達がなだれ込んできて、手下どもを次々としょっぴいている。
――あっ、まずい。憲兵たちだ。
手下達は慌てふためいて逃げ始め、女達の悲鳴が上がり、パーティ会場はたちまち混乱に陥った。
「無駄な抵抗はするな!」
「おとなしく両手を挙げろ!」
「3つ数えるまでに武器を捨てろ!」
「いますぐ後ろに手を回し、床に伏せろ!」
「全員整列しろ、壁に手をつけ!」
「両足をクロスさせ、人差し指で武器を取り出せ!」
「動くな! 一歩でも動いたら撃つ!」
俺は椅子から立ち上がろうとした姿勢のまま、固まってしまった。
終戦から30年のアーディナルといったら、警察のマニュアルもちゃんと整備されていなかった。
俺は一体どうしたらいいんだ。
魔法銃で狙いを定めた憲兵達が、素早く俺の元に近づいてきた。
どうしたらいいのかわからなかったが、とにかく抵抗はしないようにしなければ。
観念して両手を挙げていると、その腕を強引にねじられ、息が詰まるぐらい強くテーブルの上に顔を押さえつけられた。
ぐう、痛ぇ。
さらに部屋の真ん中に、時代錯誤も甚だしい豪華な剣を差した鎧の兵士が進み出てきて、綺麗に装丁された書状を取り出し、高らかに宣言するのが見えた。
ファンタジー世界かよ、と思った。
「アイズマールならびにその一党! 魔石工学機器・魔法道具取引規制法、禁魔法物質精錬罪、および威力業務妨害、そして数件の殺人幇助の容疑者としてお前たちを強制連行する!」
その女のような高い声に聞き覚えがあった。
顔は鉄仮面に覆われて見えないが、憲兵旅団大佐だ。
よかった、俺の知り合いだ。
俺は慌てて顔を上げた。
「いやいやいや待て、違う、俺は違う! おい、ルイーズ、聞こえてるのか……げふぉっ!」
すぐそこにいた憲兵に剣の柄叩きつけられ、膝で腹を蹴り上げられた。
ちくしょう。
大混乱の中、憲兵旅団大佐は俺のほうをちらりと見やったが、けっきょく何も言わずに、くるりと背中を向けて去っていった。
……この薄情者め。
憲兵達は殺気立っていて、もはや俺の弁明を聞き入れてくれるような気配ではない。
こうなったらもう何を言っても無駄だ。
俺は背中に腕をねじられたまま、倒れたテーブルやら割れた酒瓶やらでごちゃごちゃになり、閑散としたパーティ会場の真ん中を歩かされていった。
アイズマールは抵抗することなく手錠をはめられて、牙をむいて憲兵たちに吠え掛かる黒いバンダナの殺人鬼や、とつぜん椅子を振り回して最後の抵抗をみせるオーガと並んで連行されていった。
それが東部最大のマフィア、アイズマールが逮捕されたときの状況だった。
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