第8話 縁ふしぎ

 二〇一八年一月。年明けの大学はびっしりと試験週間だ。

 同好会のミーティングに参加する部員も減っていた。そして、二月に入ると、大学は、長い春季休業に入る。帰省する部員も多い。

 でも、その前に、ということで、試験日程が終わった日、渋谷の居酒屋で、冬合宿に続く天文同好会第二次四年生追い出しコンパが開かれた。

 とはいえ、現役メンバーが郊外で開く観望会などに、OBとして参加するのは自由だ。厳冬期だったけれども、だからこそ星空が澄み渡るこの季節、一晩中カメラで星を追いかけたり、望遠鏡を覗きながら天体をスケッチしたり・・・・・・。帰省する学生の都合は尊重しながら、現役会員たちによる観望会は、毎日のように行われていた。

 さらに二月下旬には、有志による第二次冬合宿も山梨のセミナーハウスで行われ、現役、OBとも、それぞれ半数以上の会員が参加した。

 そして三月下旬には、他大学や高校の天文部、天文愛好会なども集まって、メシエマラソンも行われる。年度最後の、そして冬の終わりを告げる一大イベントだ。帰省していた会員たちも、これにあわせて東京へ戻ってくる。

 星空が好きで好きでたまらない。そんな不治の病に冒された彼ら彼女たちの星空と宇宙を思う旅は、厳冬期にこそ遠く深く、何億光年先までも駆けていく。

 

 愛は、追い出しコンパのあと、二回ほど観望会に参加したが、二月中旬には鹿児島へ帰省した。

 祖父の耕太郎と父の政彦が「愛はまだか、まだもどっ(帰って)こなかとか。早よもどってくるようにように言え」と、めにっ(毎日)うるさくてかなわんから、あんた早めにもどっおいでと、祖母の法子と母の浩子から、これまたうるさいほど何度も電話があったため、十日以上も予定を早めて鹿児島へ帰って来たのだった。

 鹿児島空港に降り立ったとき、東京よりは少しだけ暖かいかな。そう感じた。

(真冬の遠野はどんなだろう。やっぱり雪が深いのかな。でも、雪明かりの上に広がる星空を見に、思いきって行ってみればよかったかも・・・・・・。)

 でも、鹿児島にまで戻ってきてしまうと、鹿児島県人にとって岩手は、やはりそう気軽に訪ねられる土地ではなくなっていた。

 愛は、少しだけ後悔した。

 

 三月上旬、五位野の自室で勉強をしていた愛のスマホに着信があった。思いがけず、川村小夜からの電話だった。

 ピッ。

「やっほー。愛ちゃーん、ひっさしぶりー。元気してる?」

 相変わらずのハイテンション。愛もつられて元気な声で答えた。

「小夜さん! こちらこそごぶさたしています、小夜さんこそお元気ですか」

「もちろん。ねえ愛ちゃんって、もしかして鹿児島に帰ってる?」

「はい。今、帰省中です」

「やっぱりー!」

 愛は、スマホから耳を遠ざけた。小夜の声はそれほど大声だった。

「うふふ・・・・・・実はね、あたし今、鹿児島にいるの」

「えっ! そうなんですか?」

「串木野でちょっと用事があってさ。それでこれから鹿児島市内へ移動するんだけど、ほら、鹿児島といえば、愛ちゃんじゃない? 今夜は市内のホテルに泊まるんだけど、もしも時間があれば、今夜ご飯でも一緒にどうかなーって思って電話してみたの。愛ちゃん、急なんだけど、鹿児島市内まで出てこられない?」

 愛が時計を見た。机の上のデジタル時計は午後三時五分を表示していた。

「小夜さん、私もお会いしたいです。これから家を出るのは大丈夫です」

「よかった。じゃあ、鹿児島中央駅北口近くの『アルビレオ』っていう喫茶店で待ってて。愛ちゃんの電車の時間は分からないけど、たぶん愛ちゃんの方が先に着くから」

 小夜とは、一月中旬と二月の初めにも会って、とりとめないおしゃべりで時間を過ごした。まだ三度しか会っていないが、姉妹も同性の従姉妹もいない愛には、姉のように慕える相手になっていた。

 ジーンズにセーター、高校時代にも着ていたベンチコートにスニーカーという、星を見に行くようないつものラフな服装。母の浩子に、東京で知り合った女性カメラマンさんに会ってくると言って家を飛び出した。

(そういえば串木野で用事があったって・・・・・・。撮影のお仕事じゃなかったのかな?)

 

 小夜は、愛よりも十五分ほどあとに『アルビレオ』にやってきた。

 愛は、その小夜の姿を見て少なからず驚いた。

 小夜は、黒いタイトスカートとジャケット、真っ赤なハイヒールというセミフォーマル姿だった。それでいて、胸元が広くくつろいだカットソー、エスニックっぽいコーラルのネックレスとルビーのピアス。左手にベージュのコートを抱え、長い髪をなびかせて颯爽と歩く姿は、どこぞのブランドショップの女性店長といった華やかさで、店にいた男性客数人の目が、小夜に釘付けになるほどだった。

「愛ちゃん、ひさしぶりー」。声はいつもの小夜だった。

 愛の目が丸くなっている。小夜がその視線に気付いた。

「愛ちゃん、予想通りの反応ありがとう」。

 けらけら笑いながら、どっかとイスに腰をおろした。やっぱりいつもの小夜だった。

「小夜さん、どうしたんですか? その――」

 恰好、と言いかけて、愛はあわてて口をつぐんだ。同時にラフ過ぎた自分の服装を恥じらった。

「ああ、この恰好? 『洋服の東山』で買った二着セールのスーツなんだけどね。実は今日、ちょっと、先様のご両親にごあいさつしに行ってきたの」

 先様のご両親? ごあいさつ?――

「小夜さん、ご結婚されるのですか?」

 愛が大声になってしまい、両隣の客が驚いた。

 小夜はそれにかまわず、にこにこしながら言った。

「あたしじゃなくて、妹が串木野の方と結婚するの。あたしん家、両親は海外に住んでるから、今日のところはあたしが親代わりでごあいさつしてきたのよ」

 まだあんぐりしている愛の顔を見ながら、小夜は、驚くのはまだ早いわよ、と言いたげに必死に笑いをこらえている。

 次に話すことが愛をもっと驚かせることになることを小夜は知っている。それを聞いたときの愛の反応を想像して、小夜の口元がぷるぷる震えていた。

「あたしの妹のお相手さんって愛ちゃんも知ってる人よ」

「えっ?」

「・・・・・・愛ちゃんさぁ、家出少女に間違えられたんだってねー」

「えーっ? 永留聡せんせいーっ?!」

 愛の叫び声と、小夜の爆笑が重なった。

 

 ふたりは店を替え、天文館通りにあるインド料理店に入った。愛も小夜も、実はカレーが好きだということで話がまとまった。

 いろんな種類を試そうよ、と小夜はベースカリー、サグカリー、コルマカリーなどの中から六種類を選び、さらに、タンドリーチキン、ナン、ダルスープなどをオーダーした。

 運ばれてきた料理の香りと色彩の鮮やかさに、愛は胸が踊った。

(――全部食べたいっ)

「さあ、全部食べてね」。小夜は愛の目移りに気づいた。愛のお酌を受けて、シュピゲウラのグラスにキングフィッシャーが注がれた。

 小夜は三歳年下の妹・川村詩乃が、永留聡と結婚することになった経緯を話してくれた。

 詩乃は、東京の大学で聡のひとつ後輩だったという。同じ軽音楽部にいてバンドも組んでいた。ただし、学生時代のふたりの関係は恋愛にまでは発展せず、聡は鹿児島県の教員採用試験を受け、先に卒業して郷里へ帰っていった。

 数年後、クラブのOB会で再会したとき、詩乃は久しぶりに会った聡の姿を空から落ちてきた男・ジェラルディン・マコックランかと見違え、聡もまた、空から落ちてきた娘・リュシータ・トエル・ウル・ラピュタではないのかと詩乃を見つめ、ふたりは突然、恋に落ちた。

 そして、鹿児島と東京、陸路で約一三〇〇㎞、空路にして六〇〇マイル離れていたふたりの遠距離恋愛はついに結ばれることとなり、今秋には串木野市中籠の聡の自宅の大広間で結婚式と、披露宴という名目の大宴会が行われることになったという。

「詩乃さんはご一緒じゃなかったのですか? お会いしたかったです」

「今日はふたりで熊本へ遊びに行ったわ。あたしはお邪魔虫だから鹿児島に来たの」

「聡さん、そうだったんですね。詩乃さんもおめでとうございます。ふたりのお幸せを私からも祈らせてください」

「愛ちゃん、なに言ってんの!」

(えっ!)

 突然の小夜の大きな声に愛は驚き、びくっとした右手からナンが落ちた。

「愛ちゃん、式にはあなたも出席することにもう決まってるんだからね」

「・・・・・・はい?」

 小夜が大笑いしたあとに話してくれたことによると、聡と小夜が永留家の座敷で雑談をしていたとき、ひょんな拍子から、山科愛という共通の知人が話題に飛び出したのだという。小夜と聡の会話はそこから一気に盛り上がり過ぎるほど盛り上がって、詩乃を置き去りにした。

 そして盛り上がる小夜と聡の会話を聞いていた聡の祖母のかなえが「式にはあの子も呼びなさい」と言い出して、結婚式の招待者リストに山科愛の名前が加えられたのだと言った。

「聡くんはあたしの弟になるのよね。そして愛ちゃん。あなたはね、私にとって二番目の妹なの」

「えっ?」

「詩乃が鹿児島に嫁いだら、あたし東京に妹がいなくなっちゃうもの。あたし、初めて愛ちゃんに会ったときから、この子ってあたしのツボ・・・・・・もとい、かわいい妹だって感じてた」

 ――ねえ愛ちゃん。

 持ち上げたグラスを見つめるともなく見つめながら小夜が言った。

「人と人とが結ばれていく〝出会い〟〝縁〟って、とっても不思議だと思う。愛ちゃんは、たまたまひいおじいさまの絵を見つけて遠野までたどり着いた。その途中で聡くんにも会った。さらに、あんなに大きな書店で、たまたまあたしの写真集を手にとってくれた。そして今日、あたしは愛ちゃんと共通の知り合いだった聡くんと会った」

 不思議――と、小夜が繰り返した。

「〝縁〟って、いつ、どこで、誰に突然コンタクトしてしまうか分からない。不思議だし、おもしろいよね?」

(縁――)

 愛も思い出していた。

 家出少女に間違えられて聡に声をかけられたこと。聡の家でかなえや美千子や仁兵衛に会えたこと。昨春、つぶやいてしまった独り言を通りがかった北条に聞かれてしまったこと。北条が同好会の勧誘ブースへ背中を押してくれたこと。そこで出会った麻美、里香、瑠衣、香織、みんな――。

「世界ってさ、こんなに広いのに、ときどきすごく狭いよね。愛ちゃんの絵の場所探しの旅でも、愛ちゃんはどんな人と出会って、どんな縁を結んでいくのかしらね」

 愛は、北条の子どもっぽい笑顔を思い出した。

「愛ちゃん、絵の場所、きっと見つけようね。愛ちゃんと一緒に自転車で遠野を走ってくれたっていう〝センパイ〟も誘ってさ。そして、十月の結婚式のとき、串木野のかなえおばあちゃんや、ひいおじいさまのことをお話しくださった中籠のみんなに報告しよう」

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