交わらない親子
第26話 那由他の父
あくる日。世話になった宿の主人に挨拶に行くアレシスを待ってから、弦義たちは再び旅を始めた。
一週間程かけて幾つかの村や町を通り過ぎ、更に五日程かけて山や川を越えた。そうする中で雑談やどうでも良いような話をする機会が増え、少しずつ仲間意識が芽生えていく。
グーベルク王国とロッサリオ王国の境界まであともう少しという所で、那由他が声を上げた。
「あ……」
「どうした、那由他?」
弦義が尋ねると、先を歩いていた白慈たちが振り向く。四人分の視線を受け、那由他は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。しかし、逃げられないと見るや諦めて口を開いた。
「この辺りは、俺の生まれた所に近い」
「那由他、アデリシアの出身だと思ってた」
驚く弦義に、那由他は頷く。
「俺はアデリシアの男に発見されたからな。だけど、家はロッサリオにある……いや、あったんだ。……ほら、あの森の向こうだ」
那由他が指差したのは、丘の上に広がる森だ。ある程度間伐されているのか、木々や草花が伸び伸びと育っている様子が見て取れる。
「那由他が、育った場所か」
「何それ、行ってみたい!」
白慈のキラキラとした瞳を向けられ、那由他は困惑の顔を見せる。
「別に、行っても面白いことは何もないぞ? 俺は父親に会いたくもないし」
「それでも良いよ、空気を感じたいだけだから。ね、弦義も良いだろう?」
「僕は、それでも構わない。那由他が大丈夫なら」
「……わかった。周辺だけな」
不承不承といった体で、那由他が丘を登り始める。彼の後を、白慈が追った。
話を聞いていて口を挟まなかった和世とアレシスも、顔を見合わせてついて行く。彼ら四人の後に続き、弦義も丘を登って行った。
森に入ると、木漏れ日が優しく降り注ぐ。鳥の声が何処からか聞こえ、獣の爪痕が木の幹についている。
「この森は、俺がまだこっちにいた時に世話していたんだ」
「つまり、那由他がこの間伐をやってのけたのかい? 凄いな」
那由他の説明に、アレシスが驚嘆の声を上げた。
しかし那由他の言う通り、森が世話されていたのは彼がここに居た時間だけだったらしい。森の出口に近付くに従い、何となく荒れた様子が見えた。後十年もすれば、この辺りは暗い森になるだろう。
そっと木の幹に触れ、那由他は顔をしかめた。少し悔しそうに、呟きを漏らす。
「……ここを離れて日は浅いと思っていたけど、影響はすぐ出るんだな」
「那由他、あの家?」
那由他を現実に引き戻したのは、白慈の好奇心旺盛な声だった。顔を上げると、もう森の外にいる。
目の前には、見慣れた村外れがある。細い川と池があり、そして小屋を一つくっつけた家がぽつんと建っていた。
それは、一年前まで那由他が住んでいた家だった。そして、彼の元となった夏優咫が両親と共に暮らしていたはずの家だ。
「……もう、行こう」
遠目に家を見ただけで、那由他はくるりと背を向けた。白慈は何か言いたげな顔をしていたが、弦義が彼の肩を引いて止めさせた。
「弦義」
「白慈、那由他は嫌がってる。無理強いは良くないよ」
「わかってる。でも……」
「でも?」
言い淀んだ白慈だが、弦義に先を促されておずおずと口を開いた。
「……折角親が生きてるのに、会わないのは勿体ないなって思ったんだ」
「白慈……」
今度は、弦義が言葉を失う番だった。白慈は野棘の発言をきっかけとして家族を失い、二番目の家族も山賊に奪われた。肉親を誰一人持たない白慈には、親に会おうとしない那由他は薄情に映ったのかもしれない。
弦義だけではなく、和世とアレシスも何も言えない。
ただ一人、那由他は立ち止まった。そして、小さな声で「俺は」と呟く。
「俺は、あの人の―――」
「誰か、そこにいるのか?」
那由他の言葉を遮るように、低い男の声が轟いた。その苛々とした声の主は、那由他の家から出て来て弦義たちがいる森を見やった。小川を挟んで、対峙する。
「お前は……」
「……」
「何故、お前が戻って来た」
男は那由他に気付いて目を見開き、次いで憎々しげに眉をひそめた。糾弾する口調に、那由他の肩がびくりと震える。
「俺は」
「何故、夏優咫ではなく、お前が戻って来るんだ⁉」
「―――っ」
那由他の言葉を何も聞かず、一方的に男が喚き散らす。濡れるのも厭わずどかどかと小川を渡り、那由他の胸倉を掴んで揺さぶって唾を飛ばす。
白慈は驚いて弦義にしがみつき、和世はいつでも飛び出せるように剣の柄に手を添えた。そしてアレシスは、興味深そうに状況を観察している。
「どうして、息子は帰って来ない? お前は、夏優咫になるのではないのか? 禁術であるホムンクルスは、元にした人間にやがて変化すると書いてあったのに。お前は、いつまで経っても夏優咫と代わらない。何故、お前が生きている? 何故、あの子が死ななければならなかった? ―――お前など作ったこと自体が私の……」
「いい加減にしてください!」
その場を斬り裂くように、弦義の叫びがこだまする。その場にいた誰もが動きを止め、弦義を凝視した。
男――
しかし那由他は首を絞められていた為、苦しげにその場で咳き込んだ。しゃがみ込む彼の背を、白慈がさすってやる。
「すま、ない。ごほっ」
「喋るなよ。だけど……」
今、弦義は那由他と白慈を守るように、彼らの前に立っている。その足元はかすかに震えていたが、興奮している遠磨は気付かない。
「お前、誰だ?」
「那由他の友人だ」
淀みなく言い切る弦義に、那由他は目を見張った。息苦しさと痛みが和らぎ、弦義の背中を見詰める。
「友人? ふんっ、あいつは人間ではないのに?」
ぷつんっ。遠磨にせせら笑われ、弦義の中の何かが切れた。
那由他と白慈は和世とアレシスに回収され、弦義たちから少し離された。仲間が見守る前で、弦義の目に激しい光が宿る。
「―――那由他は、人間だ! 心を持って、他人を思いやれる、優しい友人だ。あなたは彼自身を見ずに、夢想の中にいる。だから、那由他の人となりを見ることが出来ないんだ!」
「キサマッ」
「くっ」
遠磨が激高し、拳を振り上げる。それを真面に受けるつもりでいた弦義だが、不意に現れた壁に守られ、何かが殴られる音を聞いた。ドッという音と共に、急に壁が失われる。
「那由他⁉」
「……無茶するなよ、弦義」
「無茶はどっちだ!」
頬を殴られて倒れた那由他を助け起こし、弦義は泣きそうな顔で彼を叱った。赤く腫れた片頬に触れると、痛みを感じたのか一瞬目を閉じた。
弦義が遠磨を睨みつけるのと同時に、小さな影が和世の手を振り払った。弦義たちと遠磨の間に入り、遠磨に向かって吼える。
「おい、何すんだよ。おっさん!」
「おっ……」
「この二人は、オレの兄さんみたいな存在だ。だから、傷付けるならオレが許さない!」
「白慈……」
両手を広げ、懸命に威嚇する白慈。彼の後ろ姿を見詰めていた弦義は、我に返ると再び遠磨と視線を交えた。
「那由他は那由他であって、夏優咫くんは夏優咫くんです。僕には、那由他が必要です。もし、唯一の家族であるあなたが彼を見捨てると言うのなら……僕が、那由他と共に行きます!」
「―――っ、勝手にしろ!」
遠磨は捨て台詞を吐くと、踵を返して乱暴に家の戸を閉めた。ガチャンと鍵が閉められる音も聞こえた。
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