第17話 那由他と常磐

 弦義たち三人が連れて来られたのは、王城の中心部にある中庭だ。中央には鷲の形をした噴水が水を噴き上げ、季節の花々が咲き乱れる美しい庭園だった。

 しかしその人工的な美しさに、何故か弦義は「綺麗だ」という以上の感動を覚えなかったのだが。

「おや、もう来ているようだね」

 海里かいりの言葉によって我に返った弦義が見ると、彼らがいる場所から離れた噴水の前に二人分の人影がある。弦義と白慈は顔を見合わせると、駆け足で那由他のもとへと向かった。

「会えてよかったよ、那由他……どうしたんだ、その怪我は!」

 再会の喜びも束の間、弦義は体中に切り傷を作って泥だらけの那由他を見て悲鳴を上げた。しかし那由他は淡々と、事実のみを口にする。

「刺客に襲われた」

「いや、何がどうしたんだよ」

 思わず突っ込みを入れた白慈は、那由他と共にいる少女を見て首を傾げた。会った記憶のない人の登場に、彼は警戒を露にする。

「あんた、誰?」

「白慈、初対面の人にその言い方は良くないよ。……すみません、私は弦義。この白慈と那由他と共に旅をしている者です」

「ご、ご丁寧にありがとうございます。わたしは、ロッサリオ王国の社に仕える常磐ときわと申します。ごめんなさい。那由他さんが怪我をしたのは、わたしを守ってくれたからです……」

 ふわっとした黒髪と碧の瞳が印象的な少女は、那由他を助けた経緯を語った。弦義たちとはぐれて崖下で気を失っていたところを見付けて助けた、という話だ。

「……それから、わたしの父である千寿せんじゅに早馬を走らせました。『国王に会いたいとおっしゃる方が、近々そちらを訪ねるでしょう。その方がいらしたら、わたしに教えて頂けませんか』と手紙を書いて。そうしたら、こちらに来る途中で知らせを受けましたので、急いでここに来させて頂いたのです」

 千寿とは、先程謁見の間で弦義たちが出会った大臣の一人だ。彼の娘が常磐だということだろう。

 しかしこの説明だけでは、那由他が何故怪我をしているのかがわからない。更によく見れば、当の常磐も巫女衣装の裾や袖を汚したり破いたりしている。

「常磐どの、あなたは知らせを受け取る前に出発したのですか?」

 話が長くなると察し、弦義は常磐を近くのベンチに誘導した。ベンチに常磐と海里を座らせ、弦義たちは彼らの前に立つ。

 弦義の問に、常磐は「はい」と応じた。

「怪我が治るまでは動かないつもりでした。しかし、那由他さんは動けるようになるとすぐに飛び出してしまって。……彼を追って、街道を走っていたのですが」

 常磐が仕える社からは、王都へと繋がる街道が真っ直ぐに伸びている。普段、お参りに来る地元民や観光客も多いが、夜明け前の道を歩く人数は多くない。

 那由他が部屋を出てすぐに追ったにもかかわらず、影を掴むことも出来ない。喉がひりつくように痛み、常盤は呼吸を整えようと足を止めた。

「はぁ、何処まで、行ってしまったの?」

 街道を歩いたことは数あれど、そのどれもがレイと共にであったことを思い出す。一人きりで、しかも日の光も届かない時間帯に歩いたことなどない。

 だからといって、ここでしゃがんでいるわけにはいかない。常磐は己を叱咤し、王都へ向かう道を歩き始めた。

 それでも心細くなり、探す青年の名を呟く。

「那由他さん、何処へ……」

「あんた、その名を知っているのか?」

「誰で―――むぐっ」

「はいはい。ちょーっと黙っててくれよ」

 常磐の口は何者かの手によって塞がれ、抵抗しようと振り上げた両手は捻り上げられてしまった。悲鳴を上げることも出来ずに涙目になる常磐の顔に、ランタンの光が近付けられる。

「よく見りゃ、可愛い顔してんじゃん。裏で売り飛ばせば良い儲けに……」

「待て。こいつはあの社の巫女姫じゃないか?」

 ランタンが近付けられたことで、常磐を囲む男たちの顔も見えるようになった。何処か崩れた印象が強い彼らは、ニタニタと卑しい嗤いを顔に浮かべてじろじろと常磐を値踏みする。

 目を逸らしたくても、口を塞がれ手の自由を奪われている以上、どうすることも出来ない。常磐は涙で揺らぐ視界に、彼を探した。

(助けて、誰か。……なゆ)

 絶望的な状況に、常盤は思わず目を閉じた。その瞬間、ヒュンッという空気を裂く音が響く。

「うがっ」

「おい、だいじょ……がっ」

 ランタンが地面に落ちた。常磐を拘束していた一人と、ランタンを持っていた一人が倒れて呻いている。

「……?」

 そっと目を開けた常磐は、暗闇の中で自分を背に立つ人物の影を見た。闇に溶けそうな黒い上下を着た、黒髪の青年。

「なゆ、たさん」

「ああ。間に合ったな」

 無表情な顔に、わずかな緩みが生じる。その瞬間、常磐の胸が高鳴った。

「―――っ⁉」

 顔に熱が集まり、常磐は自分の変化に戸惑う。

 常磐が焦燥している間にも、那由他は数人を地面に転がしていた。

「な、何だあいつ!」

 那由他の強さに、倒れた四人の仲間が狼狽える。しかし、自分たちが相手にしているのはたった一人の子どもだと気が付くと、数の力で抑え込むことを思いつく。それが悪手だと気付きもせずに。

 鉈のような武器を肩に担いだ一人が、仲間の中心に立って問う。

「オレたちは、アデリシア王国の勅命を受けている。お前が、処刑人か?」

「……だとしたら?」

「勿論、ここで巫女姫と共に殺してやる!」

 武器を振り上げ、その広い刃を那由他に叩きつける。しかし、肉を断絶する手応えはない。

「遅い」

「何ッ」

 鉈の男が声の方を振り返ると、消えそうな月を背に跳び上がった那由他が見えた。次の瞬間には彼の回し蹴りが横腹にヒットし、吹き飛ばされる。

 巻き添えを食らわせ、二人を一気に戦闘不能に追い込んだ。

「後、六人」

「キサマッ」

 丸太のような太さの腕を振り回す男の手には、彼の腕のような棍棒が握られていた。ブンッと闇夜を裂くそれが、那由他の右側からフルスイングされた。

「危ないっ」

「っ」

 常磐の悲鳴に似た叫びを受け、那由他は両腕をクロスさせて防御を図る。しかし棍棒の力技に吹き飛ばされ、木の幹に背中をぶつけた。

 息が詰まるが、棍棒の男は容赦などしない。スピードに乗ったまま巨体に似合わない速さで駆けると、木ごと割り折る勢いで棍棒を振った。

「死ねえぇっ!」

「嫌だ」

 那由他は木の幹を蹴って棍棒を躱すと、恐怖で座り込んでいた常磐の前に着地した。棍棒の男の得物は、幹に埋まって動けなくなっていた。折ることは出来なかったらしい。

「……もう少し待ってろ」

「は、はい」

 ちらりと常磐を一瞥すると、那由他は地を蹴ってスピードを上げる。そして、木と格闘している大男の背中に拳を叩き込んだ。

「ガハッ」

「沈んでろ」

 ドサリと男が倒れ伏すのを確かめることなく、那由他は最後の仕上げにかかった。五人の仲間が倒されて腰が引けてしまった刺客五人を追い、それぞれを地面に沈めたのだ。

「す、すごい」

 素直な驚きを顔に浮かべた常磐のもとに、軽く息を弾ませた那由他が戻る。差し出された手を取ろうとして、常磐は彼の体が傷だらけなことに気付く。

「け、怪我して……」

 圧倒的な戦いを見せた那由他だが、それでも無傷というわけにはいかなかった。おろおろする常磐を見下ろし、那由他は困った顔をした。

「どうして、お前が焦る?」

「ど、どうしてって……。痛くないかとか、心配だから」

「問題ない」

「あ……待って下さい!」

 尻すぼむ常磐の言葉に首を傾げ、那由他は王都の方向に体を向けた。体に木の葉や泥をも張り付けたまま歩き出す那由他を追い、常磐は先程まで怯えて震えていたことも忘れて駆け出したのだった。

「……ということがあったのです」

 明るい陽射しが照らす王城の中庭で、常磐は話を締め括った。勿論自分の心臓が激しく鼓動していたことは伏せ、視線が那由他に向かいそうになるのを懸命に固定する。

「父の早馬とは、街道の途中で出会いました。そこで知らせを受け、今ここにおります」

「全く、無茶をして」

 実の父のように嘆息したのは、海里だ。千寿は仕事で別の場所にいるが、ここにいたとすれば同じことを言っただろう。

「申し訳ありません。ですが、わたしには彼を放置することは出来ませんでした」

「私からも礼を言います。那由他をここまで連れて来て下さり、ましてや匿って下さりありがとうございました」

「いえっ、お礼を言われるようなことでは」

 弦義に頭を下げられ、貴族令嬢ではあれども社交界とは縁のない常磐は狼狽えた。そんな常磐に、弦義は「いいえ」と首を横に振る。

「会えるかどうか、再会出来るかどうかもわかりませんでしたから。那由他の無事を確かめられて、ほっとしました」

「俺も、安堵した。弦義と白慈が無事で。……で、そいつは?」

 那由他の目が、和世かずせへと移る。そこに警戒の色を見て取り、和世は剣の柄に手をかけた。

 二人の雰囲気を感じ、弦義は苦笑を漏らした。

「紹介していなかったな。彼は和世。ロッサリオ王国の協力を得るためには、彼の信頼を得る必要があるんだ。その条件の為に、私たちに同行してくれる」

「和世だ。宜しく、那由他どの」

「那由他で良い。宜しく、和世」

 双方の視線が交わる。その決して友好的ではない挨拶に、弦義と白慈は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

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