ひとりぼっちの少年
第9話 白慈
視界が赤い。全てを赤く染めるのは、人の血だ。
そっと目を開けた那由他は、自分のいる場所が夢の世界だとすぐに察した。何故なら、真っ赤に染まった夢を何度も数え切れない程見てきたからだ。
「―――!」
じっとりとした血が、徐々に立っている那由他の体へと這い上がって来る。それと共に、屠った罪人たちの断末魔が耳をつんざく。お前がいなければ、と悪意をぶつけてくる。
「弦義ッ……」
独りの間はそれらの声に流され、這い上がる血に呑まれるがままだった。しかし今、共に歩みたいと願ってしまった者がいる。
だから那由他は、追っ手から逃れようと血の海を足で蹴り、走り出した。何処までも続く暗闇をただ走り、逃げ続ける。
その間にも血と亡者の声は迫り、やがて那由他を捕えようとした。その時のこと。
「あれは、何だ?」
もがく那由他の頭上から、白く光り輝く珠が舞い下りて来たのだ。何故か呼ばれているような気がして、那由他はその珠に向かって手を伸ばす。
(温かい。温かくて、優しい……まるで)
まるで、弦義のあの言葉のようだ。
光の珠に那由他の指が触れる。その瞬間、珠から溢れ出る光が那由他を包み込んだ。
「―――っ」
目を覚ますと、那由他は空に向かって手を伸ばしていた。手のひら越しに明るい三日月が見えて、那由他はきゅっと拳を握る。隣を見れば、弦義が規則正しい寝息をたてていた。
その時、弦義以外の人間の気配を感じて視線を地上に戻す。那由他の視線の先には、二人の粗末な荷物を探る小さな影があった。
「何をしている?」
「! うわっ、お前何するんだ!」
「こちらが先に訊いている」
ジタバタと暴れる少年の首根っこを掴んで持ち上げ、那由他は眉間にしわを寄せる。その冷たい視線に臆したのか、少年はぐっと押し黙った。
「オレは……」
「那由他?」
ぼんやりとした顔で眠気眼をこする弦義は、月下で子どもを片手で持ち上げる那由他の姿に唖然とした。目を瞬かせ、何と声をかけるべきかを迷う。
「那由他、その子は?」
「俺たちの荷を探っていた。野棘の手の者かもしれない」
「お前たち、その名を知ってるのか!」
苦々しく野棘の名を口にする那由他に、吊り下げられた少年が叫ぶ。目を丸くして自分を見詰める二人分の視線に気付き、少年は気まずそうな顔をした。
「……那由他、彼を下ろしてあげて。この子はあの人の手の者じゃない」
「証拠は」
「野棘は、幼い子どもを刺客にするほど手勢に飢えてはいない」
「わかった」
パッと那由他が手を離すと、少年は重力に従って地面に落ちた。そのまま尻もちをつくかと思われたが、器用に体を反転させて足をつく。
那由他に首を絞められていたため、何度か咳を繰り返す。少し涙目になりながらも、紫色の瞳を真っ直ぐに弦義たちに向けた。小さな体に不釣り合いな大きさの背負った刀が大きく揺れた。
「コホッ。お前たち、何で野棘の名を知ってるんだ?」
「その問いに答える前に、僕たちにきみの名を教えてくれないかな」
「……
思いの外素直に名乗った少年・白慈、深緑色の髪をわしゃわしゃと掻き、弦義を見上げた。名乗ったのだからそちらも名乗れ、と言いたいのだろう。
「僕の名は弦義。彼は那由他だ。そして、きみの問への答えだけど」
一旦言葉を切り、弦義は白磁を挟んで向かい側に立つ那由他に目を向けた。白慈の背は二人の肩までしかないため、目を合わすのに何の苦労もない。
那由他は弦義の視線に気付くと、意図を察して頷いた。彼の反応に自分も頷きを返し、弦義は白慈と目線を合わせるために膝を折る。
「何故野棘を知っているのか、だけど。……それは、僕らが彼に追われる身だからだ」
「追われる? 何で」
「僕がアデリシア王国の王子であり、野棘が父である国王を殺したから」
「え……」
白慈は、弦義の言葉を聞いて固まった。そして、ギギギと音のしそうな程機械的な動きで那由他を振り返り、見上げる。少年の目に気付いた那由他は、無言で頷いた。
青年二人から冗談だという言葉を聞けず、白慈は困ったような顔で苦笑いを漏らす。乾いた笑みで、現実を突き離そうとした。
「うっそだろ、そんなこと。こんなところに王子様がいるわけ……」
「もうすぐ、野棘の名でアデリシア全体に布告がなされるはずだ。国王について何らかの発表と、野棘が政務を司るという報告が。きみが僕の言うことを信じるか否かは、その布告を見た後でも遅くはないよ」
「……」
押し黙ってしまった白慈を持て余し、弦義は息をついた。それから少年の細い肩に手を添えて、くるりとこちらに背を向けさせる。トンッと背中を押してやった。
「まだ夜は長い。早く家に帰るんだ。ここにいれば、家の人が心配するだろう?」
「……家の人なんて、オレにはいない。みんな、家族は死んじゃったから」
「死んだ……?」
「そうだ。野棘のせいで!」
自分の方に置かれた手を振り払い、白慈は弦義を見上げた。その憎しみと怒りと悲しみに染まった瞳を前に、弦義は息を呑む。
「オレの両親は、腕のいい家具職人だった。王都にも貴族にも馴染みの客がいて、お得意さんがいた。王族にも……良い腕だって褒めてくれる人がいたんだって父さんは言ってた。なのに、あいつは、野棘はっ」
白慈の目から、ぼろぼろと涙が流れ出す。怒りに吊り上がった眉が、険しさを増した。
「野棘は、何の問題もなかった父さんの作品に、難癖をつけた。不良品だ、腕が悪いって店の前で言いやがった! 父さんは平謝りだったけど、その噂はすぐに広がって、注文は激的に減って……オレたちは生活に困るほど追い詰められたんだ」
やがて仕事も家も手放すことになった白慈の一家は、離散した。白慈は一度引き取り先があったものの、そこでの生活に馴染めず飛び出したのだという。その後、人里離れた山の中で震えていた時、拾われたのだ。
「そのおっさんは山賊で、オレはしばらく山賊の隠れ家で暮らした。でもこの前、敵対してた山賊にやられて……。オレは、また独りになったんだ」
だから待ち人はいない、と白慈は自嘲気味に笑う。別れた家族も、山賊の情報網と風の噂で死んだことを知った。
歳を訊けば十四だという白慈は、弦義と那由他に背を向けた。
「悪かったな、盗もうとして。気持ち良さげに眠ってたから、思わず手が出ちまった」
「……これから、どうするつもりだい?」
最近また独りになったというのなら、行くべき場所などないだろう。それに加え、山にたった一人では危険過ぎる。弦義が心配すると、背を向けたまま白慈は肩を竦めた。
「良いよ、別に。独りは慣れてるから。……じゃあ、頑張って逃げろよ」
「あ、白慈!」
弦義が少年の背に向かって手を伸ばすが、後もう少しの所でするりと逃げられた。木々の間をぬって走って行く白慈を目で追うが、すぐに見失った。
「白慈」
「弦義、朝が来たら出るぞ」
白慈の後を名残惜しげに見詰める弦義に、那由他は淡々と言う。少し冷たいのではないかと文句を言いかけた弦義だったが、那由他が難しい顔をしているのに気が付いて飲み込む。わずかに険しい顔をしているだけだが、弦義には那由他が自分と似た気持ちでいるとわかってしまった。
それが何故か可笑しくて、弦義はクスッと小さく笑う。
「弦義?」
「何でもないよ。……那由他は、無感情なんかじゃない」
「何か言ったか?」
「いや」
緩く首を横に振り、弦義は東の空を見上げた。那由他もそれ以上詮索せず、同じ方向に目を向けた。徐々に明るくなる空に、日の光が広がり始める。
(またきっと、会えるよな)
弱々しくも意志の強い少年の背中を思い出し、弦義は日に背を向けて歩き出した。その背を追い、那由他も歩き出す。
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