第6話 逃走
「くっ、はっ、はっ……っ」
同じ頃、弦義は夜闇の王城内をひた走っていた。誰かとすれ違うことはないが、かすかに聞こえる怒号が自分を探していることに戦慄する。ただ目的地もなく、彷徨う野良犬のようにただ駆け続けた。
弦義が王の部屋を飛び出したのは、野棘が兵士との会話に気を取られてからすぐだった。たくさんの兵士がいたにもかかわらず逃げ出すことに成功したのは、神の導きかと勘違いしたくなる。
更に偶然にも半開きになっていた窓枠に足をかけ、怪我をする覚悟で外に飛び出したのだ。丁度真下に植えられていた樹木がクッションになり、擦り傷切り傷はあるものの動くことは出来た。
「くそっ……どうしたら」
建物の影に隠れ、様子を窺う。王城内に幾つもの明かりが見えるが、あれは弦義を探す兵士たちのランタンだろう。その一つが、様子を見ていた弦義の顔を一瞬照らした。
「いたぞ、あそこだ!」
「くっ」
ランタンのオレンジ色の明かりが窓に近付く。弦義は急いで庭を疾走し、普段
「ここ、は……」
無意識に目指した場所が、今最も会いたい友人のいる地下牢。肩で何度も息をしていた弦義は、遠くで聞こえる捜索の声から逃れるように、急いで階段を下って行った。
「あなたは」
「那由他……」
突然息を切らせて現れた自分に驚く那由他に縋るように、弦義は格子戸を掴んで膝を折った。彼の手を、牢の中から那由他が掴む。
「何が」
「野棘が、王を裏切った。僕への追っ手が迫っている。……国は、あいつの手に堕ちた」
ままならない呼吸の合間に、弦義は手短に起こった出来事を口にした。そうすることでどうにかなるわけではないが、少しでも頭を冷静にしたかった。
それでも冷静になるのは容易くなく、涙が溢れるのが止められない。弦義は泣いている場合ではないとわかっていながらも、溢れる感情のままに黙って肩を震わせ続けた。
「……王子は、どうしたい」
「え」
涙と鼻水で汚れた顔を弦義が上げると、那由他が自分をじっと見詰めていた。時折涙で霞む視界に、那由他の真剣な無表情が映る。
「僕は……」
弦義は右手を胸にあて、深呼吸を繰り返す。野棘との戦いで血に汚れた袖で顔を乱暴に拭き、少しましになった赤ら顔で那由他を瞳に映す。
「僕は、死にたくない。死なずに生きて、アデリシア王国を取り戻す。だから……だから、一緒に来てくれないか?」
「わかった」
即答した那由他は、立ち上がって格子戸から離れる。弦義にも格子戸から離れるように促し、彼の動きを確認すると同時に、タンッと地面を踏み締めた。
―――ガッシャン
綺麗に決まった回し蹴りが、格子戸を壊す。目の前で崩れ去る牢を唖然と見ていた弦義の腕を、那由他は引いた。
「行くんだろ、外に」
「ああ」
那由他に引っ張られるようにして、弦義は地下牢から地上へと駆け上がった。
しかし、事はそう簡単には運ばない。昇ったばかりの太陽の光に照らされた二人を逃さないよう、十人以上もの兵士が地下牢の入口を取り囲んでいたのだから。
「お前たち……」
「よお、元王子様。あんたの命、オレたちが貰い受ける」
奥歯を噛み締める弦義を背に庇い、那由他は無言で前に出た。すると、兵士たちの中から悲鳴が上がる。
「あ、あれは処刑人っ」
「嘘だろ。あいつは死ぬまで地下牢に繋がれるんじゃなかったのか⁉」
「どうして外に……」
ざわざわと一気に騒がしさを増す兵士側だが、弦義を煽った一人の兵士が倒れた音を聞いてシンと静まり返る。
「那由他……」
「弦義、こいつらを片付けて逃げるぞ」
「―――……ああ」
弦義が返事をしたのと同時に、那由他は襲い掛かって来た兵士の剣を奪い取った。そして奪われた兵士を蹴り飛ばし、剣の底を上に持つ。
「ここでこいつらを殺しでもしたら、弦義が気にする」
「よくわかってるな、お前」
「何となく」
半ば呆れながら、弦義も自分の剣を鞘のまま構えた。那由他の言う通り、ここで兵士を殺すことは出来ない。彼らも、弦義が護るべき国の民なのだから。
処刑人と廃王子、二人が戦闘態勢に入ったことで、兵士たちは気圧された。彼らが一歩下がると、二人は一歩前に出る。徐々に包囲網の幅は広がって行き、脱出するための隙間が生まれるようになった。
(ここは、一気に駆け抜ければ行けるかもしれない)
弦義が自分の前に立つ那由他を見ると、彼も弦義を振り返った。二人は頷き合い、同時に走り出す。
「うわあぁぁぁっ」
「しっ、死ねぇ!」
「断る!」
弦義と那由他が自分たちの方へと猛烈な勢いで向かって来たことで、兵士たち側は混乱に陥った。あてもなく滅茶苦茶に剣を振り回す者、半分混乱に巻き込まれながらも弦義に切っ先を向ける者など様々だが、弦義は的確に刃を弾く。
「やるな」
「那由他ほどではないけどな」
弦義を褒めながら、那由他の手は確実に一人一人の兵士を倒していく。向かって来た背を殴りつけ、鳩尾に拳を叩き込み、振り下ろされた剣を受け止め回し蹴りで吹き飛ばす。鮮やかなまでの手際に、弦義は走る足が止まりそうになる。
「走れ、弦義!」
那由他の大声を受け、弦義は我に返った。背後から襲い掛かられていたにもかかわらず、心の中に恐怖はない。あるのは、那由他が弦義の名を呼んだという事実への驚きだった。
しかし、感動している暇はない。弦義は地を蹴ると、那由他の先導に従って包囲網を駆け抜けた。
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