第3話

 第3話


 コーヒーを啜る。相変わらずここのコーヒーは値段の張る割に普通の味だ。のくせに名前も仰々しい。ジャーマンディープフレンチプレス。プロレス技か。そしてドイツなのか、フランスなのか。

 しかしこの喫茶店は気に入っている。煤けたビルの2階。いつも賑やかな下北沢にあって、ここはいつも人が少ない。打ち合わせにはもってこいだ。これで窓から美しい山々でも見えればいうことないのだが、見えるのは年季の入ったパチンコ屋の看板。いつも出玉が渋くてすった記憶しかないが、なんでも某グラビアアイドルの実家が経営しているらしい。そういえば彼女が乳首出してた映画はよかったなぁ。芝居も良かった。あれ、タイトルなんだっけなぁ…監督は…


「星野さん、聞いてます?」

「あ、ごめんなさい。」

「ハチワレの公演終わってすぐだから仕方ないけどしっかりしてくださいよ」


 松本にちゃんと叱られる。痩身長躯にオーバーサイズのパーカーを着た彼は小劇場演出家協会の書記であり、鍋底という劇団を主宰している演出家である。


「松本くんは無理なの?」

「丁度うちの旅公演がかぶってるんですよ。」

「どこ行くの?」

「新潟と愛知と大阪です。」

「売れてるねぇ」

「そんなわけないでしょ。いや、星野さんお願いしますよ。星野さん以外若手で空いてる人いないんですよ。」

「アラフォーは若手か?」

「下から数えた方が早いんだから若手ですよ」


 演出家協会からの朗読劇の演出依頼だった。上演は3ヶ月後の6月。新設された小劇場のコマが埋まらず、劇場側から泣きつかれたそうだ。協会側としても恩を売っておきたいらしい。協会に所属しているとごく稀にこういった仕事が舞い込んでくる。松本から手渡された薄い企画書に目を通す。


「戯曲は紙風船。岸田國士か。キャストは声優の前川愛香と、清田一平。前川さんは知ってるよ。昔演助でついた座組にいた。」

「前川さん文劇座の養成所出身ですもんね。舞台よく出てますよね。」

「ちょっと役にしては歳いってない?」


 咳払いが聞こえて企画書から顔を上げると、口にしたコーヒーカップの奥から松本が睨んでいる。三白眼は情報量が多くて好きだ。


「まだまだ全然いけるでしょう。」

「清田くん、は知らないな。」

「2.5次元で活躍してた子ですよ。」

「してた?」


 接点はなく、人気があっていいなぁとしか思ってない程度の全く知らない世界だったが、2.5次元演劇の世界も厳しいらしい。


「いっぱい居ますからねぇ。」


 松本は吐き捨てるようにそう言うと煙草に火をつけた。つられるようにポケットからクシャクシャの煙草を出して火をつける。


「方針変えてちゃんと芝居したいんですって。」


 ちゃんと。2.5次元演劇はちゃんとした芝居ではないのだろうか。求める人が沢山いて、その人達を心から満足させているのだ。松本の言葉なのか、その俳優の言葉なのかは知らないが何を下に見る事があるんだ。少なくとも自分には……どうだろうか。

 勝手につくったネガティブを煙と共に吐き出す。なんにせよ、旬の過ぎたアイドル声優とよく知らないイケメン俳優での岸田國士だ。まともな作品になるビジョンがあまり浮かばない。断ろうと決心すると、残ったコーヒーを一気に煽り、視線を松本にもどす。。松本はその三白眼でじっとこちらを見つめていた。


「わかったよ、やるよ。」

「本当ですか!」


 あぁ、やってしまった。男にせよ女にせよどうも三白眼に弱いのだ。あの迫力のある目で見られるとひれ伏したくなるというか、なにか力になってあげたくなるのだ。いつも安請け合いをしては頭を抱えることになる。勿論今回もすでに後悔をしている。


「ギャラは弾んでね。」


 松本は乾いた笑いをあげた。どうせまともなギャラは出ないのは分かってる。挨拶みたいなものだ。煙草を灰皿に押し付けると、松本はその手を取って、ありがとうございますありがとうございます、と何度も言いながら握手をした。細くて大きい犬のような男である。


「しかし大丈夫かね、これ。」

「大丈夫ですよ、前川さんはちゃんと腕がある人だし、清川くんもやる気に満ち溢れた男ですよ。そして何より客入りは保証します。2人ともファン多いですからね。」


 媚びたな、そんなくだらない言葉は飲み込んだ。二人芝居で十分な集客が見込めるなんて素晴らしいじゃないか。客の少ない舞台ほど消えてなくなりたくなるものはない。それに観客が2人のファンばかりならば相当作品としてのハードルは下がる。ある程度体裁を整えてやれば……


「なので、最悪体裁さえ整えてもらえれば十分喜んでもらえますよ。」


 ……また少し自分を嫌いになって、空のコーヒーカップの縁を舐めた劇団ハチワレ主宰、星野仙吉、37歳であった。

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