第2話
中華料理屋「美亭(メイテイ)」は東京は世田谷区、下北沢の外れに所在する。下北沢にその名を轟かせる、かの有名な中華料理店よりもすこしアクセスが悪く、すこし味が落ちる、そんな町中華である。あちらとはうってかわって、スター街道を駆け上がっていったアルバイトも美亭には今まで一人もいない。名物はエビチリだと女将さんは言うが、大将はチャーハンだと言う。私は回鍋肉だと思っている。
「で、いい劇団は見つかった?」
お昼の忙しい時間を過ぎて、女将さんと二人のんびりとお茶を啜っていたところ、こう切り出された。大将は昼営業が終わってすぐパチンコに繰り出している。
何にも決めずに、ただ勢いに任せてお年玉を全て貯めていた通帳だけを持って家出してきた私には、大きな劇団や劇場の養成所に入ったり、演劇科のある大学からキャリアをスタートする選択はなかった。すると女将さんは小劇場で活動している劇団に入る道を勧めてくれた。下北沢は沢山の劇場があり、いつでも芝居が見られる演劇の街だ。
「芝居をやる場所があって、自分は役者だって言い張ればそれでオッケー、って世界だから。」
女将さんはそう言うと大量のフライヤーを手渡してくれた。たくさん作品を観て、感動した劇団に入団を直談判すればいいと言うのだ。どこの劇団でも人は足りていないものらしい。
「昨日もoffoff見てきたんですけど、面白かったですよ」
「じゃあそこにすればいいじゃない」
「いやぁ、そういう感じじゃないんですよねぇ」
「あのねぇ、そんなこと言ってちゃ、アッという間に老けこんじまうんだからね!」
そうは言っても自分の今後を左右する選択である。簡単には決められない。
たくさんの小劇場の芝居を観た。どの劇団も劇団ごとの世界観が作り上げられていた。狭い空間でも汗を飛ばしてダイナミックな殺陣を繰り広げるファンタジーもの。都会の不条理をシンプルな舞台装置でアイロニーいっぱいに立ち上がらせる現代劇。宗教に支配されたディストピアで、世界の真理に気づいた男が革命を起こす、スケールの大きなサイエンスフィクション、ほかにもたくさんの……劇団の数だけ、人の数だけ異なる芝居があることを知った。だが、そのどれもがわたしにはしっくり来なかった。なんだろう、距離感?上手く言葉にならない。
「あ、でも先週見た劇団はすごく興味が湧きました。」
かつて林業によって栄えていた山間の集落の話だった。かつての街の賑わいを取り戻そうという若者と静かに死んでいきたい大人達との会議劇。ヤマもオチも弱い話だった。なのに、とても惹きつけられた。観客を置いていこうとも表現を為そうとする孤高さと、ふと振り返って手を引いてくれるような優しさが同居しているような芝居だった。
「正直あんまり面白くはなかったんですけどね。」
少し褒めすぎたかもしれない。実際のところは、手を引こうとして差し伸べてくれたはずの手を、すぐに引っ込めて、もじもじと遊ばせているような芝居だった。恥ずかしがり屋の人たちが作っているのかもしれない、と思った。いやいや、さっき私の手を引こうとしてくれたじゃん!中学生のとき、告白するために私を校舎裏に呼び出しておいて、もじもじと何も言い出せずにいた同級生で吹奏楽部の田代くんを思い出す。おもいっきり土を蹴り上げて、去ってやった!私、悪くないよね?30分も待った!気の短い私が!べつに付き合ってあげてもよかったのに!
正直腹が立った。どこか遠くに連れて行って欲しいのに、作品の向こうの景色が光り輝いているのが分かるのに、なぜ手を引いてくれないの?
「なんて劇団?」
きっと彼らはその向こうの景色が誰をも魅了する輝きを持っていることをよく知っているのだ。知りながら、手を差し伸べようとしながら、突き放す。観客は孤独だ。舞台があたしの前から、どこかに旅立って行ってしまう。だが、それと同時になんだか信頼されているような気分にもなる。立ち上がって、並び立って、向こうに一緒に行こう。彼らはきっとそう言ってくれていたのかもしれない……。だと良いなぁ。
「なんだっけな……」
「最初の文字とかわかる?」
「うーん、カタカナ4文字なんですけど」
女将さんは一口お茶を啜って
「死ぬほどあるわよ。そんなの。」
軽くため息をつくのだった。
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