第22話 お金を稼ぐということ
お金を稼ぐ。
生きていくのにやらないといけないことだ。
初めはお金を稼がなければと生き急いでいた。
恵まれ育ちに匹敵するくらい稼がないと。お金くらい成り上がらないと。強迫観念じみた考えがずっとあった。
そうじゃなかった。
学校で企業さんのいるイベントに行った時のこと。ここではイラストのポートフォリオ を見せる。
企業さんの幸せ育ちオーラが眩しかった。生きづらさを感じず、企業に溶け込めて難なく生きれている感じがした。なるほど毒親育ちさんが会社で生き辛いわけだと納得した。
毒親育ちさんは普通育ちさんの中では相当息苦しいはずだ。日常的に愛されてきた人の輝かしいオーラを浴びるわけだ。辛くならないわけがない。
イラストの単価は下落傾向にあり安くなってきている。もちろん媒体やものによるが、大量に消費される時代になってきていた。
もらうお金がどこから出ているかというと、会社の端っこのお金からなのではないか? そのお金でコキ使われているのではないか? 仮に適正価格だとしても、使い捨てのコマにすぎない。
なぜ自分から使い捨てのコマになり、幸せ育ちが集まった会社の端っこのお金を、なぜそんなに必死になって取りに行かないといけないのか。
自ら使い捨ててくださいというのが納得できなかった。
親に散々人格から人生の全てをぶち壊され、誰にも理解されずによけい傷つけられ、生きていけなくなった人たちは、恵まれ育ちに搾り取られるしかない。この世はそうできているのだなと思った。
親の奴隷として搾り取られ、企業のコマとして搾り取られる。
不遇な人は不遇な人生しか選べない。そういうものなのかもしれないが、酷すぎる。
恵まれ育ちが優位に立って豊かな生活をし、不遇育ちはその人たちに一生利用される。許せなかった。
よくよく考えれば、まとまったお金を持っているのは、おおよそ恵まれ育ちだ。懐が肥えているのは、親に恵まれた人たちなのだ。
親に恵まれている人たちを満足させないといけないというのが、解せなかった。
長らくこの思考から抜け出せずにいた。
奴隷として生きてきた人は一生奴隷として生きねばならないのか。社会的立場としては確かに底辺だが、搾取され続けるのはあんまりじゃないか? この考えがぐるぐる回っていた。
メンタルが回復してきた最近は、対個人のことであれば、相手が幸せ育ちだろうと気にしなくなってきた。
おかげで不用品回収の人に連絡して来てもらうこともできた。訪問セールスは出ないに越したことはないけども。
メンタルの回復の次にやらないといけないことは、お金を稼ぐことだ。
支援センターの方が紹介してくださったどこかの事業所で、生活リズムを整えつつ、工賃を貰いながら生活しようかと思っている。
その先はまだ未定だ。
人生、まったく不透明でわからない。
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