第5話 高校

 一年生

 高校にもなると恵まれ育ちと毒親育ちの差が良く出てくる。クラスにいると、周りの人の恵まれ育ちオーラが刺さって辛かった。

 一年目はみんな学校に慣れていないし、やることも多くゴタゴタするので苦痛を感じにくい。ぎりぎり愛想笑いができて、なんとかやり過ごせた。

 高校になって初めて夏休みの終わりが苦痛に感じた。夏休みが終わる頃には気分が沈んで、学校に行くことへの拒否反応が出ていた。

 九月一日は自殺者が増えるのだという。その言葉の意味が良くわかった。学校行くくらいなら自殺したかった。

 全日制なんか行くからだよと突っ込まれるかもしれない。反論はできないけど、学校が逃げ場になると思ったし、家より学校の方がマシだと思ったのだ。現実は違った。家で塞ぎ込んで閉じこもっている方がマシだった。

 中学でチクッとしていた痛みが、ズキンに変わった。たまにくる痛みは増していた。


 高校二年生

 テストが返ってきた時のことだ。その時は点数が悪く七十点以下のものもあった。母が得意な英語では数問間違えていた。おそるおそる母に見せると悲鳴を上げられた。

「何であと三点が取れんの! どうしてこんなところ間違えるん? 落ち着いてやれば解けたでしょ」「どうやったら間違えるんなら」「何があったんで!」

 こんな具合だった。今に始まった事ではないけど、ここまでヒステリック起こされるとさすがに疲れる。

 祖母にも言うのでますます気が滅入る。二階にいても、何か言っている声は良く聞こえるので、耳を塞いでアニメを流してうるささを消そうと頑張っていた。

 一度テストを終えると、次のテストでも親の機嫌を取ろうと考えるようになっていた。

 次もいい点取ろう、というような感覚ではなく、次もうるさく言われないようにしなければ。点を取らなければ。なきゃ、ねば、という意識だった。ここまできたら強迫観念である。学校の先生の評価もあるし、点数だけが学校内での支えだった。点数を大きく落とすことは許されないと思っていた。許されるはずがなかった。

 貼り付けていた愛想笑いは頑張れなくなり、早く死にたいと毎日のように思っていた。明日死ぬくらいなら今日死にたい、今日死ぬんなら今死にたい。家でも学校でもそんなことばかりが頭をぐるぐるしていた。

 ところで頭の中には複数人の自分がいて、叫びあったりなだめあったりしていた。

 妄想の場所は崖のそばで、二人のキャラがいる。一人が崖から落ちて、もう一人が引っ張るのだ。

 -脳内妄想 落とせVS落とさない-

「そろそろ突き落としてくれよ」

「嫌だよ」

「いい加減分かるだろ、幸せ育ちだけが人生うまくいくようにできてるって」

「そうだけど、世界は広いしネットがあれば外に出なくても生きていける。まだ分からないから死んじゃダメ!」

「現実見ろよ!未来はないんだよ、まともに生きていけないようにできてるんだって」

「自分の人生を取り戻すんでしょ? それが母親あいつへの復讐でしょ? いつ死んでもいいけど、今じゃない」

「落とせ、先なんかない」

「落とすもんか」

「落とせ!」

「落とさない!」

「落とせ!」

「まだ分かんねーなら生きろよ!」

「嫌だよ!」

「まだ生きろー!」

「......分かったよ」

 崖から落ちたキャラを片方が引き上げる。

「どうやって生きろって」

「はい、新刊」

 崖から落ちたキャラは、渡された本を手に取り生きる口実を付けた。

 -妄想終了-

 本は生きるための口実だった。本がなければ命を繋げなかった。本は命綱だったのだ。図書館にはいくら感謝しても足りない。図書館には恵まれていたのが、人生においての幸いだ。

 こんな風に崖や綱渡りのロープから落ちる自分と、なんとしても引き上げる自分がいて、決着のつかない綱引きのようで本当にしんどかった。エネルギーの消耗が激しいのだ。何もしていないのに、激しく疲れる。

 誰にも分かってもらえないだろうが、見えない苦しみがあることを知ってほしい。

 生きているだけで精一杯で、生きていることを褒めちぎっても足りないくらいだった。自分でもよく生きてるなと思っていた。

 通学路には警察署があった。じゃあ警察に行けたんだねと思うかもしれないが、行ったことはない。相手にしてくれないと思ったからだ。

 明らかに殴られたり叩かれたりした人は分かりやすくていいけど、目に見えないものは物的証拠を提示できないので、つき返されると思った。

 それに、警察官は基本的に平和育ちだから理解されないと思っていた。

 毎日毎日警察署を見ては通り過ぎる、駆け込めない少女をしていた。

 警察に行けなかったことはとても後悔しているので、予約を取ったりしてちゃんと相談しに行ってください。警察は敵ではありません(基本的には)。

 テストが返ってくるたびに劣等感や悔しさに苛まれた。

 幸せ育ちが妬ましい。

 幸せ育ちがとにかく羨ましい。

 私はたとえテストで百点取っても、お小遣いはおろか、褒められることさえもないのに、親に存在丸ごと認めてもらえてる子はテストが五十〜六十点くらいでもお小遣いもらえたりして幸せそうだった。この貧困の差はなんなんだよ! お金も羨ましいけど、存在を丸ごと受け入れてもらえていて愛されているのが、たまらなく羨ましい、そして妬ましかった。

 愛されてる子は精神の裕福度が明らかに違った。

 ちらっと見ただけで理不尽さに苛立った。

 その後の未来は明らかだった。

  

 ビタミン剤事件

 寝ようと思っても、ストレスやイライラで朝の三〜四時くらいまで眠れない時が多くなり、病院の薬代がもったいなく感じてきていた。

 母親がいる前で「薬お金かかる。ビタミン剤でもよかったかな」とぽつりと言った時、

「ビタミン剤で騙せばいいと思うた。お金がかかる」

 こんなことを言われた。誰のせいだと思ってるんだよと言いたいが、無自覚なのでしょうがない。

 子どもの不眠症を簡単なものだと思っているのだろう。

 胸のあたりの神経痛もより痛みが増してきて、状態は確実に悪化していた。どうすることもできず、一年が終わった。


 高校三年生

 卒業式の日に死ぬんだ。半ば本気で思っていた。

 けれど、進学の流れに抗うこともできず、適当な専門に進学することにした。卒業後、自分で家を借りて生活保護でどうにか暮らすことができないからだ。

 空白の二年間を埋めなければならなかった。

 児童でも成人でもないこの二年間が困る。本当に困る。

 試験のことは親に言っていなかった。合格通知が来てから親に言った。もちろんごちゃごちゃ言われたが、相談できる人間などいないのだから仕方がないし、第一自分の親は自分しかいない。

 試験を先に受けてから事後報告する、このやり方が使える人は使ってください。

 そして三月一日、希望を抱くことなく卒業した。


 その他のこと。

 十代は依存症が酷かった。今でも治らないし、一生治らないと思う。

 コーヒーと甘いものにとにかく依存していた。

 今はカフェオレ派だけど、昔はブラックが好きだった。それと、甘いもので心の穴を埋めようとしていた。

 家の貯金箱からお金を取って、菓子パンなどを買って食べていた。どうせ高校卒業して死ぬんだったら、色んなもの食べたりしたかったのだ。

 家から勝手にお金を取るのはよくないことなのかもしれないが、当時の自分に罪悪感など微塵もなかった。愛がないのだからお金くらいもらいたい。

 そして分かってはいた。心の穴がモノで埋まらないこと。それでも少しでもいいから埋めたくて、埋まった気になりたくて、甘いものを貪っていた。明らかな摂食障害だ。

 糖分や脂肪分はやがて体につく。肉がついてきたのを見た母が「ぼてっとしたてきたな」「おデブ」と言ってきた。

 見た目のことを言う親にうんざりだ。

 その一方で、痩せ気味で体重測定に引っかかっていたため、スクールカウンセリングを受けることになった。

 家のことを暴露できるかもしれない。そう思ったものの、うまく言葉が出てこず涙が出てしまった。カウンセラーさんは戸惑う、自分もどうしたらいいかわからない、最初で最後のカウンセリングが終わった。

 後日、大きめの病院の思春期外来を紹介されてそこに行くことになった。

 迷惑なことに母もオマケでついてきた。

 病院の先生には、体重のことについて聞かれて、家のことを言おうと思ったが、今更言ってもしょうがないと思い、言えなかった。ここでも涙が込み上げてきて、泣いてしまった。言えなかった後悔を引きずりつつ、病院を後にした。

 行動力も、言語化力も人を頼ることもできない自分が嫌だった。


 学校の先生はお坊ちゃんだと思っている。比較的仲の良い家庭で育ち、サバイバルを知らないボンボン育ち。

 平気で「親にやってもらったら〜、親に相談したら〜」と言ってくる。

 その度に腹が立ったし、これが普通なんだと思うとやってられなくなった。

 そう言う人たちに、『あー何もやってこなかったんだね』『何もできない人は温室育ち』などと言われるとかなりカチンとくる。

 家が平和だと思って疑わないことにイライラするし、何かできる人の方が温室育ちだと思っている。

 こんなこともあった。

 能力値が人と比べて悪いので、嫌な顔をされたことがある。ゆっくりでいいよーと言う先生も、なんだかんだ決まった期間にカリキュラムを終わらせないといけないので、遅い私があり得なかったのか「これがまだできない人いるんだけど〜」とクラス全体に言っていた。

 何度か同じことを経験すると、自分がとにかく嫌になってくる。

 挙げ句の果てに、ある生徒が「出来るかな?」と不安をこぼすと「〇〇さんだったらできる」とできる人の名前をあげて言っていた。こっちには無表情で近寄ってきてたけど、腹の中で嫌なことを思っていたのだと思う。

 贔屓するタイプの先生が心底嫌いだ。ちなみにその先生は後にボロが出て生徒の信用を無くしていた。腹の中でざまあみろと思った。

 三年間で培ったのは、嫌いな先生への皮肉と嫌味。年々上達していったが、使えないスキルだ。むしろいらない。

 高校は苦しさが凝縮された魔の牢獄だった。

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