第4話 中学校

 中学一年

 感情を殺しながら、なんとか図書館を命綱に生き抜いた。小学校で培った愛想笑いはほとんど消えて、無表情になった。

いつからか、心臓の横あたりがたまにチクリと痛むようになっていた。当然病院の先生には何も言っていない。

 この時は、このままどうにかなるもんだと思っていた。

 

 中学二年

 現実は楽じゃない。

 クラスに相変わらず馴染めず、周りが水だったら自分は混ざらない石ころだと思っていた。毎日のように同じことを思い、クラスにいるのが、生きているのが苦痛で仕方がなかった。人の中にいると神経がすり減っていって辛くなる。水に流されて削れていく石みたいに。

 日々をやり過ごしているうちに、すっかり人間の感情が抜け落ちて『何か』になっていた。『怪物』『人間ですらない生命体』そういうモノになっていたのだ。枯れ朽ちた木のようであり、病院でチューブに繋がれて延命しているようだった。

 喜怒哀楽をはじめ、感情という感情が消え失せていた。

 二学期の半ばの二、三週間ほど特に死にたかった時期がある。生きてる意味が分からなくて、苦しくて、辛くて、存在ごと消えたくて、家に帰っては死にたくて泣いていた。来る日もくる日も泣いた。

 ある日ストレスからか、心臓周りが締め付けられるような痛みが襲ってきて、死にそうだった。本気で死ぬのかと思ったほどだった。

 激しい痛みが緩和してから「学校がしんどい」と母親にこぼしたところ、驚くべき回答が返ってきた。

「たった三年間でしょ〜」

 しかも気だるそうに。ライブのDVDを見ながら。

 殺意を通り越して、この世の終わりを感じた。

 そしてこの人、母親は敵側だと認識した。この家には味方が一人もいない。全員が敵だった。ダメ押しで母に心の声を言ってみたら案の定否定され、思ってもないことを言えば肯定的だった。


 この頃からやっていたことがある。

 一、家の人と絶対に口をきかない、思ったことは言わない、親の気分を害さないこと(思ってもないこと)は言う。

 二、極力関わらない。ご飯の時間を頑張ってずらす、部屋の暑さや寒さに耐えられなくなったら、仕方なく親がいるリビングに行ってこたつやクーラーにあたる。

 三、家での存在を消す。ご飯をこっそり食べに行って、食器をあった場所に静かに戻す。移動する時、階段を降りる時は音を立てないようにする。

 以上がマイルールで、それをずっと実行していた。

 そのおかげで祖母が「あの子なんも言わんのんよ。ずーっと黙っとる」「死人に口なしじゃな」など言っていた。『死人に口なし』は当たっていたので、確かになーと思った。

 また、祖母がいとこの末っ子が不良気味なことに対して「なんであんな子が生まれたんじゃろうな。三人目はやめとかれ言うたのに。お金ドブに捨てたもんじゃ」と言っていて、自分に言われたような気がして怖かった。自分には生きる能力が欠如しているので、心身ボロボロになった時に言われる日が来るんだと思うと死にたくなった。

 

 毎日生きるのが苦しすぎて、家族全員殺して少年院に行きたかったし、自分もいっそのこと死んでしまいたかった。

 そうすれば負の連鎖は断ち切られていいこと尽くめだからだ。

 家ごと燃やしてしまおうと思ったこともある。そしたら施設に逃げられるかもしれないからだ。ネットがなかった時代の頭なしの考えである。

 震災により仮設住宅に住む人をニュースで見て、仮設住宅で一人で生きる方が幸せだなと思ったからだ。

 また、台所や部屋から外を見ては、誰かライフルで頭を撃ち抜いて即死させてくれないかなと思っていた。

 殺し屋がいるなら、自分を含めて殺して欲しかった。せめて自分だけでもいいから殺してくれたら、それほど嬉しいことはないと思っていた。

 一時は、頭の中で両手で包丁を握りまな板にドン! と突きつけていたりした。これは、母を殺したかったけど祖母もいるからだ。祖母からしたら、母は娘で娘を殺されたことになる。そうなると、祖母に色々と言われそうだなと思ったので、殺すに殺せないからだ。その行き場のない感情をヒビが入るほどに叩きつけていた。頭の中では「あぁ、どうしろっていうんだよ!」と乱れ叫んでいた。

 テレビを見ていると、裁判のニュースが流れてくる。親を裁判にかけて勝てるんじゃないか、親から隔離してもらって慰謝料のようなものをもらえるんじゃないかと思っていた。後見人の方などが保護者になって、進学の時など困らないようになるんだと妄想していた。(実際どうなのかは分からない)

 色々とあった中で思ったことは、裁判や少年院に行っても負った傷は治らない、人生の先がひらかれるわけでもないということ。だから親を殺さないようにしようと決めた。殺したって意味がないのだから。

 真の復讐とは何だろうと良く考えていた。

 親を殺すことが復讐なんだと最初は思っていた。

 しかし、よく考えると本当に復讐か? と思い始めた。

 親を殺して得るものはないし、子どもが悪者扱いされる上、親が可哀想な扱いをされる。

 自殺すると、親のことを考えないと子どもだと非難され、親が擁護される。

 こんなことがあってたまるものか。そこまで思って、これは復讐じゃないと気づいた。

 あれこれ考えた結果辿り着いたのが『親を捨てて、子どもが幸せになること』だ。

 親は子どもから幸せを吸い取り、満たされていく。ならば、子どもが幸せになり親を満たす道具に成り下がらなければいいのではないか。自分の幸せだけを考えて、親を気にしなければいいのではないかと。

 親を殺さない理由は他にもある。学費など生きていくためのお金も出してもらわないと、人生が詰んでしまうからだ。親子の繋がりなんてお金くらいなものだから、お金を取れるだけ取ろうと思ったのだ。

 生活させてもらってんのに何言ってんだ! お金を搾り取ろうだなんて! と思う人もいるかもしれない。

 こっちからしたら産んでほしいと頼んだ覚えはないし、親を選べたわけでもない。それに親の使命は子どもを幸せにすることなのに、それができていないのだから最低限もらうことの何がいけないのだろう。

 適切な愛情をもらえていないのだから、必要なお金をもらうことは大事なことだと思う。

 


 中学三年生

 十五歳になる年になって思ったことがある。十五歳で死ぬのはやや早い。まだまだ外の世界も知らないし、食べ物も外のお店で頼むことがないので知らないし、本も全く読み足りていない。これじゃあまだ死ねないと思い、死ぬ期間を高校卒業時〜二十歳くらいに引き上げた。

 進学の年ではあったけど、希望も将来も描けないのに進学しても意味ないと思っていた。当たり前に進学するよね、という風潮がどうも嫌いだった。行くのなら通信が良かったけど、家にいたくなくて卒業できそうな全日制にした。

 

 その他あったこと。

 私は頭が悪いので(心身死んでいた)、進研ゼミに頼っていた。ほとんど教材のまる覚えであった。

 何度か母に言われたのが、「いつまでやるん? お金かかっとんじゃけーなー」だ。お金かかるんだからさっさと辞めて、という内容だった。

 それなりに点をとって機嫌を損ねないようにしているし、普通は塾に自分から行きたいと言う子のほうが喜ばれそうなのに、不機嫌なのがよく分からなかった。

 単純に無駄なお金をかけたくなかったのだろう。

 ゼミを辞めて点が落ちればうるさく言うくせに、困ったものである。ゼミに頼らず点が取れていればいいのだけど、そんなに頭が良くない。


 鬱というのは、動けないレベルを鬱だというんだと思っていて、まだ鬱じゃないんだと思っていたけど、今思えば軽度を通り越して重度だった。

 鬱かも、はとっくに鬱らしいので早めにちゃんとした病院に受診しよう。


 こうしてどうにか中学を卒業した。

 卒業したら、高校という次なる地獄のステージが待ち受けていた。

 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る