互いの正義

 紆余曲折あったものの何とか茶臼ちゃうす山の室町幕府軍を撃破し、石山本願寺及び木沢 相政きざわ すけまさの救出に成功する。


 それ自体は喜ばしい成果と言えよう。しかしこの茶臼山での戦いは、そこかしこで乱戦となる消耗戦が繰り広げられたため、味方にも多大な犠牲が出る手痛いしっぺ返しを食らった。最後まで軍勢が崩壊しなかった室町幕府軍の粘りは、見事と言うしかない。


 結果として、公方 足利 義輝あしかが よしてるを取り逃がしてしまう。


 元々が逃がすつもりだったとは言え、後もう一歩で手が届く所をすり抜けられると妙に悔しい気持ちとなる。せめて尾州畠山びしゅうはたけやま家当主 畠山 義長はたけやま よしながの身柄を確保できていれば、このような気持ちとならなかっただろう。


 分かっている。今回の戦では和泉国の主要地域を制圧したのだから、それだけでも十分な収穫だ。捕虜に於いても最重要人物こそ取り逃がしたものの、一段劣る人物は結構な数を捕らえている。中でも公方の側にいた公家や堺の会合衆残党を捕らえたのは大きい。これ以上を望むのは贅沢と言えるだろう。


 戦国時代は武家や百姓のみではなく、公家も商家も鎧兜を身に付けて戦に加わる。だからこそ、焼き討ちから逃れた堺の会合衆残党も今回の戦いに加わっていた。


「随分と落ちぶれたな。こうなる前に当家に詫びを入れ、真っ当な商いに精を出していれば良かったんだがな。『自業自得』の言葉が似合うぞ」


「……これで勝ったと思わない事ですな」


「そうだな。俺も勝ったとは考えていない。むしろ日蓮宗や臨済宗大徳寺りんざいしゅうだいとくじ派の危険性が良く分かったよ。だから安心しろ。きっちりと大本山の本能寺を燃やして日蓮宗信者を京から追放しておくし、臨済宗大徳寺派にはお灸を据えておく」


 会合衆残党の津田 宗達つだ そうたつも今回の戦での捕虜の一人だ。薄汚れているとは言え、その辺の武家より高価な鎧を身に纏っているだけに、出で立ちだけは一〇〇万石の大名に匹敵する。これだけ目立つ格好をしていれば、捕虜になるのは当然だ。


 三好宗家と和睦して京に戻ったとは言え、室町幕府には力も無ければ銭も無い。今回数万もの兵を動員できたのは、京の日蓮宗からの支援によるものであった。両者を繋ぎ合わせたのが会合衆残党というカラクリである。


 加えて津田 宗達がいる事から、臨済宗大徳寺りんざいしゅうだいとくじ派も一枚噛んでいるのが分かる。実は堺には臨済宗大徳寺派の南宗寺なんそうじがあり、そこは三好みよし宗家の菩提寺であった。それだけではない。南宗寺は津田 宗達と深い繋がりを持っていた寺でもあった。


 これに「茶面ちゃづら」と呼ばれる臨済宗大徳寺派の特徴、日の本の茶の湯文化に大きな影響を与えた宗派だという要素が加わればどうなるか?


 詰まる所、臨済宗大徳寺派は当家の堺焼き討ちによって、多くの支援者を失った宗派であった。大徳寺派の茶の湯文化は、武家や商家からのお布施によって成り立っている。徳を積むための寄付が茶の湯文化を支えているのは何とも滑稽ではあるが、文化事業には銭が必要なので致し方ないのかもしれない。


 何が言いたいかというと、俺は五山の大徳寺派の恨みを相当買っていた訳だ。


 とは言え五山の一角を燃やすのは、今後の関係性を考えれば行き過ぎた行為と言えよう。そのため、悪銭回収事業から大徳寺派を排除するよう他の四山に通達を出しておく程度で今回は見逃すつもりである。


 その分、日蓮宗にはきっちりと責任を取らす。日蓮宗の京における重要拠点 本能寺を燃やすのを決断する。加えて信者も追放すれば、良い見せしめとなるに違いない。そうすれば日蓮宗も少しは大人しくなるだろう。


「そのような行いをすれば、日蓮宗に仏敵にされますぞ。怖くはないのですかな?」


「俺は三好 長慶みよし ながよしと違って、全宗派に良い顔はできないからな。幸いにも本願寺教団との関係は良いんでね。そうなった場合は、日蓮宗対策は本願寺教団と共同でやっていくさ」


 そうは言いながらも、九条 稙通くじょう たねみち改め行空ぎょうくうの言葉から全面戦争は無いと高を括っている。ある程度の抗争はあるにしろ、適度な所で和睦できると目論んでいた。そのためにもまずは、当家の力を見せつけるのが必要だと考えている。


「何にせよ、これで長年続いた会合衆との戦いも終わりだ。宗達、最後に何か言いたい事はあるか?」


「そうですな。一つあるとすれば、商いの現実は細川様の理想とは違う。こんな所ですかな」


「最後までそれか。いや、その方が津田 宗達らしいか。一応言っておくが、俺も商いを簡単だとは思ってはいない。ただ商いは、客あってこそだと言っているだけだぞ」


「ですが、商いは利益がなければ続きません」


「その言葉、金言として受け止めておくさ。議論はここで終わりだ。後は好きなだけ地獄で俺を呪ってくれ。いずれ俺もそこへ行くさ」


 結局は立場の違いとしか言いようがない。商いはボランティアではないのだから、利益は必ず必要である。だが、利益のみを追い求めるのは違うと俺は考えているだけだ。必要なのはお客様目線。継続した取引を続ける。言い換えれば、リピーターを大事にするという考えだ。そのためには信頼を大事にしなければならない。


 俺が米転がしを好きになれないのも、根本はこれとなる。取引は気持ち良く。足元を見る商いは違う。


 こうして、一時代を築いた堺の会合衆は終わりを告げた。処刑の現場では命乞いする者が数多くいたというが、誰もが耳を貸さず粛々と刑が執行されたとして報告を受ける。


 どんなに大量の銭を持っていた所で、死後の世界には持ち込めない。地獄の沙汰も金次第は、今回に限りお休みだったようだ。


 余談ではあるが、焼き討ちから逃れた堺の中堅商家達は、俺の義父である細川 国慶ほそかわ くによし殿が積極的に囲っているという。目的は再建中の博多の町で商いをしてもらうためだ。


 これはあくまでも建前である。真の目的は博多の商家に利益を独占させないためだと聞いた時は、思わず卒倒しそうになった。つまりは、独占禁止法における寡占状態を新たな博多の町に作らせない。対抗組織となる堺の商家を呼び込んで競争を促す。目には目を。歯には歯を。商家には商家を。堺の商家にもこんな使い道があるというものであった。


 相変わらずこの人は、どうしてゲリラ屋をしていたのか分からない人物である。


 何はともあれ茶臼山での戦いの勝利によって、敵勢力の大幅な削り取りに成功したのは間違いない。逃した魚は、次の機会に何とかすれば良いだけだ。焦る必要はないと自身に言い聞かせ、心を安定をさせるのが正しい姿である。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 捕虜には実は一人大物がいた。軍事組織としては吹けば飛ぶような存在でありながら、政の面では日の本でも屈指の存在感を誇る人物である。


 名を近衛 稙家このえ たねいえと言う。


 何故近衛 稙家のような重鎮が茶臼山の戦いに加わっていたか? 餅は餅屋。戦は武家に任せて、公家は後ろに引っ込んでいろとなるのが本来であろう。


 しかしながら、近衛 稙家は公方 足利 義輝の側近中の側近だ。公方自らが総大将となる戦なら、その横に座るのは正しい。


 また、幾ら津田 宗達や会合衆残党の力で大軍が動員できたとしても、いきなりは室町幕府の指揮下には組み込めない。必ず間に入って調整をする人物が必要となる。


 それが近衛 稙家の役割であった。戦の現場では役に立たないとして、縁の下の力持ちとして大役を果たしていたと言える。加えて今回の戦いでは足利 義輝を逃がすために囮をも買って出たのだから、まさに忠臣と呼ぶに相応しい働きであろう。


 そんな忠臣 近衛 稙家が開口一番何を言うかと思えば、


「なあ細川殿。儂に一つ策があるのだが、それに乗ってみぬか?」


 見事なまでの命乞いである。


 それ自体は特別な話ではない。むしろ名誉ある死を選ぶ武家の方が頭がおかしいだけだ。何を言われようと最後に立っていた方が勝ち。この考えが本来の姿だと俺は考えている。


「内容次第だな。一応言っておくが、義輝派との和睦はあり得ないぞ。それを踏まえてまずは話してみろ」 


 後ろ手に縄を縛られながらも余裕ぶった表情で話すこのふてぶてしさはさすがと言えよう。ここで保身のためにみっともなく懇願していれば、俺は話を聞こうともしなかった。


「ほぉ。この状況でも儂の策に耳を傾けようとするのか。さすがは音に聞こえた細川殿。公方にもその爪の垢を飲ませたい気持ちになるの」


「前置きは良いから、さっさと本題に入れ」


「ここがお主の駄目な点であろうの。『急いては事を仕損じる』なる言葉を知らないのか」


「良いから早く話せ」


 とは言え、こうした勿体ぶった話し方をするのが公家の悪い所だ。より交渉を有利に進めるための技術だと知ってはいても、付き合う方は結構疲れる。


「ならば心して聞くが良い。この不毛な争いを終わらせ、それでありながら天下の静謐を齎す儂の策を。それは足利 義栄あしかが よしひで殿の養子入りだ。養父は勿論現公方様となる」


「……ほぉ。言うだけの事はあるな。とても良い策だ。それで養子入りの暁には、公方様には隠居してもらう訳だな」


「まさに」


 和睦ではなく室町幕府とともの浦幕府との合一。これが近衛 稙家の策である。なるほど。良く考えたものだ。


 足利 義栄を養子入りさせ、足利 義輝を隠居させれば、足利 義栄は晴れて公方に就任できる。血を流さない最も平和的な解決法だ。これも全ては自身の妹が足利 義輝の母親である近衛 稙家だからこそ実行できる策であろう。他の者なら思い付いても実行はできまい。


 ただ、そんな素晴らしい策にも穴がある。


「却下だ。隠居した公方が院政を敷くのがバレバレだ。俺を舐めるな」


「そのような事は一切考えておらぬ。あくまでも不毛な争いを終わらせるための策ぞ。それが分からぬか」


「口では何とでも言えるさ。要は組織の解体をせず、頭だけ変えると言いたいのだろう。目的が義栄の傀儡化なのはすぐに分かる」


「ぐぬぬ……」


「相手が悪かったと思え。そういうのは俺には通用しないぞ」


 もし今回の策が首脳陣も含めた人材の総入れ替えであれば、俺も考えたかもしれない。しかしながら今回の策はあくまでも公方を挿げ替えるのみ。これでは室町幕府の体質は何ら変わらない。


 稀に強烈なリーダーシップを発揮して組織の体質をも変えられる人物がいるが、それを足利 義栄に求めるのは酷というもの。足利 義栄が公方になった暁には好きなようにさせてやりたい。こういうのを世間では親馬鹿という。


「な、ならば細川殿は、どういった結末を望んでいる。既に公方様は近江おうみ国へと逃げた。待っているのは、より一層泥沼化する戦ぞ。だが儂の働き掛けがあらば、公方は京へと戻って来る。戦を終わらせとうはないのか?」


「泥沼化、大いに結構。どの道、新たな秩序を作らなければならないからな。今のままの室町幕府では日の本の統一はできない。俺は義栄に日の本統一をさせるつもりだから、敵が明確化してむしろありがたいと思っているよ」


「一体何を……」


「勝算があるからな。室町幕府と違って、鞆の浦幕府には自前の軍勢という力がある。だからな、統一にはそう時は掛からないと思うぞ」


 室町幕府と鞆の浦幕府の大きな違いは、政権基盤の強さである。足利 義栄は備後びんご国の国主でもある点が足利 義輝との大きな違いだ。


 更には和泉国ももうすぐ手に入る。そうすれば鞆の浦幕府はより力を増す。俺からすれば、大きな直轄地も無く政権を続けてきたこれまでが異常だったとしか言いようがない。


 そのため今後を考えれば、下手に戦を止めるよりも、鞆の浦幕府には地方勢力を従わせる力を持たせる方が良いと考えている。戦の泥沼化は、鞆の浦幕府の力を増す機会が増えるのと同義であった。


「他にも起死回生の策があるなら聞くぞ。是非俺を唸らせてくれ」


「……」


「無いのか。それは残念だな。なら今度は俺の質問に答えてくれないか?」


「それは何だ?」


「どうして公方は、大寧寺たいねいじの変後の周防すおう国に下向しなかったのか以前から疑問に思っていた。陶 晴賢すえ はるかたが討ち死にするまでに周防入りをしていれば、公方の盟友になってくれたんじゃないかと思ってな。上手くすれば、国を手に入れられたかもしれないぞ」


 前公方 足利 義晴あしかが よしはるとの密約によって、上洛推進派が起こした軍事クーデターである大寧寺の変は、その後の対応がとても粗末なものであった。上洛を実現できないのは当然として、最終的には安芸毛利家あきもうり家の離反を生み、首謀者の陶 晴賢は厳島の地で命を落とす。


 こうなる前に公方自らが周防国に下向し、積極的に周防大内すおうおおうち家の立て直しに協力していれば、また違った結末になっていたと俺は考える。それこそ出雲尼子いずもあまご家と合同した上洛が実現していたかもしれない。そうなっていれば、俺は中国地方に一切介入しなかっただろう。


「そのような真似をすれば、足利 義維あしかが よしつな殿の公方就任や三好の畿内支配を認めるようなものではないか。あり得ぬな」


「なるほど。面子に拘った訳か。だから当家にも負けた訳だな。畿内だけが日の本ではないという俺の考えの方が、正しかったと証明できて嬉しいよ」


 やはりか。結局の所、畿内に拘ったからこそ大胆な行動ができなかったのだろう。もしくは近江六角おうみろっかく家や細川 晴元ほそかわ はるもとの力を当てにし過ぎた。そんな所かと思われる。


 いや、最終的には三好 長慶が凄過ぎたのだろう。もう少しボンクラであれば、足利 義輝も力で京を取り戻せたの知れない。そう考えると、足利 義輝は産まれた時代が悪かったの一言に尽きる。


「茶臼山の戦いでの勝利。このような偉業を成し遂げたのはお主だからこそだ。他の者にはできぬ」


「そいつはどうも。結局互いの考えは平行線のままだったな。これ以上は話す事も無いから先に地獄で待っていてくれ。俺は後から追いかける」


「儂の命は諦める故、最後に一つだけ頼まれてはくれまいか?」


「もしかして公方の命か?」


「そうだ。可能なら命は取らないでやってくれ。出家で許して欲しい」


「状況次第だな。一応は義栄に伝えておくよ」


「恩に着る……」


 近衛─足利体制の中、室町幕府内で強大な力を発揮し続けた近衛 稙家。その根本は大事な甥っ子を何とかしたいという思いからだったのがこの一言で分かる。やり方が正しかったとは言えないが、思いだけは純粋だった。そう感じずにはいられない。


 近衛 稙家もまた生まれた時代が違っていたなら、違う功績を残していたのではないか。


 人の数だけ正義があり、思いがある。今日はそう感じさせる一日であった。

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