本願寺教団の詫び

「さすがは毛利 元就もうり もとなり。危なげなく勝ち進めている。このまま行けば丹後たんご国だけではなく、若狭わかさ国や丹波たんば国の制圧も夢ではないな」


 茶臼山ちゃうすやまでの戦いも終わり、戦後処理や軍勢の再編成を行う段階となると、他地域での戦況報告に目を通す時間がようやく訪れる。


 その中でも真っ先に気になるのは、やはり日本海方面の戦いであろう。茶臼山の戦いに勝利した今、丹後国に当家が兵を展開しているかどうかで畿内での戦いの難度が大きく変わる。もし負けて但馬たじま国に撤退しているようなら、若狭長宗我部ちょうそかべ家や丹波内藤ないとう家の軍勢が京を奪還するのを覚悟しなければならない。


 つまりは義輝よしてる派陣営の巻き返しができるかどうかは、毛利 元就もうり もとなりの活躍に全てが掛かっている。それ位重要な戦であった。


 だが俺の心配は杞憂に終わり、毛利 元就は丹後国田辺たなべの港以西をあっさりと制圧してしまう。国の大半が当家の手に落ちた。


 これには理由がある。端的に言えば毛利 元就の本領発揮だ。丹後国への侵攻と同時に隣国の丹波国、若狭国にて反乱分子の武装蜂起を起こさせる。これでは丹波国を纏める内藤 宗勝ないとう むねかつや若狭国を纏める長宗我部 元親ちょうそかべ もとちかは全力で丹後国の安宅 冬康あたぎ ふゆやすの元へ援軍を送れない。その状況下で毛利 元就以下毛利三兄弟、大新宮ダイシングーが押しに押すのだ。三好みよし宗家側はじりじりと後退する以外の道はなかった。


 問題があるとすれば、丹波国で蜂起した波多野はたの家の取り扱いであろうか? 晴元はるもと晴元派陣営の軍勢だけに、戦後は手放しでは迎え入れたくはない。理想を言えば内藤 宗勝と共倒れになって欲しいものである。


 とは言え、まだ戦は続いているのだ。未だどう転がるか分からないというのに、戦後処理まで考えるのは気が早過ぎる。扱いは戦が終わってから考えれば良いだろう。


 そんな思いを抱きながら、俺は石山本願寺の一室で巻物と呼べる報告書を読んでいた。今回報告書を書いた人物は毛利 元就ではなく、嫡男の毛利 隆元もうり たかもとだというのに、父親が書く以上の長さとなっていたのはほとほと困ったものだ。しかも随所に自分自身は弟達に劣ると後ろ向きな内容が書かれている。お陰で報告書を読むだけでも困難を極めた。


「国虎様、宗主様がお呼びです。ご案内致します」


「了解しました。それでは向かいましょうか」


 茶臼山での戦いが終わった当家の軍勢は、現在石山本願寺で滞在している。本来なら急いで足利 義栄あしかが よしひでの元へ駆け付ける所だが、如何せん先の戦いでの損害が大きく、軍勢の再編成を行っている最中だ。これが理由で身動きが取れない。それを見かねた本願寺教団が、俺達を寺内に招き入れてくれた。


 正直な所、野営での再編成と屋根付きの建物のある地での再編成とでは、快適さに天と地ほどの差がある。それが分かっているからこそ、俺はその申し出に素直に甘えた。


 ただ悲しいかな、再編成の実態は怪我の治療が主である。結果として石山本願寺内には、野戦病院が数多く設置される羽目となった。


 それはさて置き俺自身は、暇を持て余している訳ではない。宗主顕如けんにょ殿からの歓待を受ける日々、今回の武装蜂起で迷惑を掛けた罪滅ぼしを兼ねた会食に参加するのが日課となっていた。


 ……というのは建前で、実の所は土佐もしくは阿波に大規模な本願寺教団の拠点兼産物製造工場を建設する話し合いが主となる。


 俺としては、このような非常時に話し合うような内容ではないと思っているが、教団側からすれば用地選定だけでも早い内に済まさなければ計画が進められないらしい。新たな施設は四国での最重要拠点にするつもりらしく、兎に角広い用地を確保したいのだとか。単なる末寺を設置するのとは意味が違うらしい。


 随分と思い切ったものだ。


「細川様、撫養むや港の近くの土地を譲って欲しいとは言いません。ですので奈半利東部の土地を譲ってくださらぬか?」


「申し出は受けかねます。奈半利は山を崩して開発を続けている地です。こちらにも予定がありますので、それを白紙にはできません」


 交渉は阿波国南部の小松嶋こまつしま港の近くやたちばな港の近くから始まる。この時代の二つの港は重要ではないため、用地取得も容易と考えたのであろう。これならば俺も首を縦に振る筈だと。


 しかしながら、後の時代の太平洋航路の発展を考えれば、この二つの港周辺の地は譲れない。元現代人の俺には、撫養港のある地よりも重要だ。そのため計画的な開発を今後も行う。本願寺教団の施設が割って入る余地は無いのが実情と言えよう。


 その代わりとして、俺からは阿波南部の海部かいふ港近くの土地を提示する。この地は元阿波海部家の本拠地だった場所だ。人口も多く雑賀さいかの地とも海路で繋がっている。この地なら本願寺教団にそう悪くない条件となると考えたのだが……あっさりと却下されてしまった。


 海部の地の衰退を止めようとした俺の目論見がバレてしまったのだろう。抜け目ない相手だ。


 こうした経緯を経て出てきた次の候補地が奈半利なはりとなる。


「それならむしろ逆に丁度良いのではないでしょうか? 教団が奈半利の開発をお手伝いさせて頂きます。細川京兆ほそかわけいちょう家と我ら教団とで奈半利の地に極楽浄土を作りましょうぞ」


「嬉しい申し出ですが、そういう訳にはいきません。奈半利は当家でも最需要の地ですので、空いている土地が無いのが実状です」


 奈半利が最重要の地域となっているのは、俺の経歴に由来している。簡単に言えば奈半利は、俺の第二の故郷扱いをされているのだ。そのため地域一丸となって開発を進めている。予算も多めに分配されており、切れ目なく工事が行われていた。


 そのお陰か、奈半利は畿内から移住してきた一向門徒が多い。本願寺教団はそこに目を付けたのだろう。だが元々の奈半利の民にとっては、余所者ばかりが増えていくこの現状を苦々しく感じているのもまた事実であった。


 こうした状況でもし本願寺教団による大規模施設の建設を行えば、民との軋轢を生みかねない。そうなってしまえば俺は、民の側に立たなければならなくなる。これでは何のための用地取得か分からない。


「でしたら何処ならお譲り頂けますでしょうか?」


「土佐の港周辺の土地でしたら、須崎すざき宿毛すくもではないでしょうか? 本山もとやま地区のような内陸に入って欲しいとは言いませんし、寂れた港の近くでなければ駄目とも言いません。土佐の有力港近くで空きがあるのはこの二つになると思われます」


「須崎と宿毛ですか。どちらも今以上に発展の余地のある地とは言え、悩ましい所ですな。検討をしてみましょう」


 須崎には石灰があり、宿毛には鉄がある。こうした基幹産業が近くにある港なら、本願寺教団にとっても十分魅力的に映る筈だ。宿毛港近くの中村なかむらの町など、一度俺が焼いたとは思えない復活を果たしている程である。


 本来なら本願寺教団の新拠点は寂れた地域の活性化として利用したい所ではあるが、それでは向こうも不良債権を押し付けられたとして納得できないのが分かる。そのため、ある程度の発展している地を紹介するのが精一杯の譲歩であった。


 それにしても、このような形で本願寺教団が当家との距離を更に詰めてくるとは意外としか言いようがない。


 切っ掛けはこの度の武装蜂起からとなる。行動自体は本願寺教団の思惑通りにならなかったのだが、それを逆利用したのが今回の交渉だ。


 本願寺教団側は当家に迷惑を掛けた詫びとして、俺の名前が書かれた証文 (債権)の取り纏めを提案する。以前に下間 頼隆しもつま らいりゅう殿から聞かされていた話が現実のものとなった。


 それだけではない。回収する証文の何割かは放棄するとも言い出す。借金の減額である。更には返済も急がなくて良い。ある時払いの催促無しという破格の条件を提示してきた。


 だから阿波もしくは土佐に一大拠点を作らせてくれ。こうした流れで話が進む。


 要は借金の肩代わりの形で資本参画をするから、当家の事業を一部担わせてくれという提案だ。理由としては、当家の産物は需要に対して供給が追い付いていない物ばかりのため、教団が生産力を強化する手伝いをしたいのだとか。ライセンス生産に近いものを希望している。


 なら何故土佐もしくは阿波に工場を作るのかと言えば、一大拠点を作る事によって細川京兆家との親密さを世に示したいらしい。管領細川 政元ほそかわ まさもと時代の石山本願寺と同じ役割の寺が必要だと力説された。


 借金を肩代わりした上で距離を詰めてくる。より多くの信者獲得のために当家の産物を利用する。他宗派よりも一歩先んじる。


 その魂胆が見え見えたどしても、こちらにも十分な利がある以上は話に乗るしかない。堺の会合衆達もこういう提案ができたなら、決別する事はなかったろうとつくづく思う。


 とは言え、この本願寺教団の動きには一つの問題がある。


「宗主様、こうした話を頂けるのはとても嬉しいのですが、当家との距離が近過ぎれば公家の方々に嫌われませんか?」


 本願寺教団は天文てんぶんの錯乱以来、存在が朝廷に危険視された。結果として京の公家との人脈がほぼ壊滅する羽目となる。今では朝廷との関係も改善し、永禄えいろく二年 (一五五九年)には帝から門跡認定される成果を出したが、それでもまだ危険視する公家は残っているだろう。


 そんな中で公家から嫌われている俺と一層親密になれば、またも立場を悪くする可能性は高い。


 だがそんな俺の言葉を宗主顕如殿は柳に風とばかりに受け流す。


「細川様、その点は心配ご無用です。実は公家達の細川様への態度は、単なるやっかみですので。むしろ間に我が教団が入れば、公家の方々は感謝するでしょう。細川京兆家の産物は、畿内では貴重ですから」


 つまりは当家の産物を賄賂にして公家に近付く。こうすれば逆に公家との関係改善になるというのが宗主顕如殿の主張であった。本当にこの人は坊主なのかと疑いたくなる発言ではあるものの、組織の長としては頼もしい限りだ。


 坊主は経だけ読んでいれば良い。そんなのは嘘だ。人が集まり組織になれば経営能力が求められる。人が生きるためには銭が必要。それは武家も寺も同じと言えよう。


 今回の失敗から一揆の蜂起を二度としないと約束してくれた宗主顕如殿とは、長い付き合いになりそうである。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 もう一つの戦線である摂津せっつ国での戦いは、とても順調に推移していた。決して無理をせず三好 長慶みよし ながよしとの決戦を回避する。この基本が守られていたため、侵攻は兵庫津ひょうごのつを制圧して越水こしみず城を落とした所で止まる。西部のみの制圧に留まっていた。三好宗家の軍勢とは睨み合いを続けていると報告が入る。


 こうした状況下で俺が石山本願寺を救助したのだから、今度は早く三好宗家軍の後背を突いてくれと矢のような催促が日々届いていた。


 気持ちは分かるが、できないものはできない。九州から更なる援軍が到着するまで決戦はお預けである。


 それはさて置き、備後足利びんごあしかが家からの報告書には面白い記述が幾つもあった。この摂津国への侵攻では、宇喜多 直家うきた なおいえが大活躍しているという。しかも島津 義久しまづ よしひさと功を争うような状況なのだそうだ。


 ……何やってんだ島津 義久は。


 宇喜多 直家が活躍するのは分かる。淡路あわじ国の制圧によって、既に義栄よしひで派有利に天秤が傾いているのだ。勝ち馬に乗るべく、恩賞を得るために、家を発展させるために全力を出すのは、地方豪族の典型的な動きである。こうなった時の勢いは凄まじい。


 特に宇喜多 直家は、この戦いで目立たなければ後が無いのだから必死にもなる。摂津国侵攻は上洛戦の意味が強いだけに、不可解な行動を取るのは厳禁だ。前科のある宇喜多 直家にとっては、積極的に動かなければ疑いの目を向けられるというもの。


 逆にこの戦いで活躍をすれば、足利 義栄からの評価も上がって直臣に抜擢、重用される可能性すらある。備前びぜん宇喜多家と播磨はりま島津家は今回与力として上洛軍に加わっているだけに、足利 義栄の目に留まれば更なる出世が望める立場だ。そうなれば領地拡大も見えてくる。


 どうやら宇喜多 直家はとても現金な人物であった。


 島津 義久も似た状況なのは分かる。とは言え少し前に三木みき城の戦いでボロボロになったばかりなのを忘れているかのように感じてしまうのは俺だけなのだろうか。評価の低い当家の家臣でいたくない気持ちはわからんでもないが、もう少し将兵を労わって欲しい。気合だけで戦はできない。できるのは空を飛ぶまでだ(嘘)。


 ともあれ足利 義栄はしっかり自分の役割をこなし、最終決戦とも言える三好 長慶との戦いの舞台を整えてくれていた。後は九州からの援軍を得て俺達がその現場に駆け付けるのみとなっている。


 俺も一度の戦いで三好 長慶の首を取れるとは思ってはいない。ただそうだとしても、摂津の地でしっかりと勝つ。この成果が足利 義栄の上洛、ひいては征夷大将軍任命の条件であろうと考える。三好宗家の力が温存されたままでは、朝廷は決して動かないだろう。


 しかしながら、こういう時に限って水を差す者が必ずいるのは何故なのか。 


「申し上げます。摂津池田いけだ城にて荒木 村重あらき むらしげ様が挙兵! 足利 義栄様にお味方し、上洛軍に加わるとの書状が届きました」


「はぁ? 荒木 村重だと? 知るかそんな事! 大事な決戦の邪魔をしやがって。これで長慶が摂津国を捨てるのが確定したじゃないか。お味方は俺が認めない! 腹いせに滅ぼしてやる!」


 裏切りは用法・用量を守って正しく使う。そうでない場合は、味方の足を引っ張るだけの邪魔な存在にしかならない。


 摂津国豪族 荒木 村重の裏切りにより、三好 長慶との決戦は持ち越しが決まった。

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