宣戦布告
──永禄元年 (一五五八年)の一二月、公方
今後は
俺は今まで足利 義輝という存在は、周りの者達に振り回されるだけの単なるお飾りだと思っていた。だがこの一件を見る限り、評価を改めなければならない。舐めてかかると痛い目を見る。きっと室町幕府は三好 長慶の足を引っ張らない。厄介な敵が新たに加わったと考えるくらいで丁度良いと言えよう。
ただ、だからと言って、明日から俺達と畿内とのドンパチが始まる訳ではないというのが、この状況の面倒な点でもある。実は現時点でも三好宗家は
つまりは当家と三好宗家とは表面上はまだ味方同士。対立しているのは室町幕府と鞆の浦幕府という歪な構造である。当家と三好宗家が
個人的にはその切っ掛けとして、足利 義輝が当家を室町幕府の敵と認定してくれないかと密かに期待してはいるものの、そう都合良くは行かないと考えている。
敵も馬鹿ではない。これまでの朽木谷での活動を反省したからこその今回の和睦だ。例え当家が重鎮の
それまではこの緊張状態を続けながらも、多数派工作に精を出す形となろう。それこそ、三好宗家と
時間が経てば経つ程、当家は不利に追い込まれていく。今はそんなもどかしい状況になってしまった。
とは言え、俺達は敵側の基盤固めを黙って見ているお人好しではないため、現状で打てる手を一つずつ打っていく。
京に滞在している
もう一つ仕掛けをしておいた。それは京
西岡衆自体は表では三好に臣従しているものの、裏で当家と繋がっているのは公然の事実だ。それを咎められ、いつ酷い目に遭わされるか分からない心配がある。予め当家を頼っても良いと伝えておけば、西岡衆も安心できるだろう。
後、忘れてはならないのが、仇敵
今回細川 晴元が和睦に応じたのは、命の保証がされたからだというのは分かっている。だとしてもけじめとして、要求すべき内容であった。
もしかしたらこの一件で、三好 長慶と話が拗れてくれないものか。そんな淡い希望を抱いているものの、多分不発に終わるだろうと諦めている。この程度の思惑は向こうもお見通しであろう。
最後の一つは、
「この書状に一体何の意味があるのですか? 宛先が公家の
「『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』と言ってな。破り捨てられたり燃やされるのは想定内だ。運が良ければという程度に考えておいてくれ」
「国虎様、答えになっていませんが」
「ああ、悪い。今回の書状の宛先は、
「分かりません。それに何の意味があるのでしょうか?」
「今京には公方が戻っているだろ? そうすると、公方に付いていかなかった者達は立場が悪くなると思わないか?」
「ですがその間、三好宗家と協力して京を治めていたのではないですか? 三好殿の事ですから、公方様との関係が悪くならないように根回しはされると思いますが?」
「大半はそうなると俺も思っている。ただ、中にはその根回しから漏れている者もいるのではないかと考えてな。だから、そんな冷遇された者に救いの手を差し伸べる。まあ、慈悲の心と思ってくれ」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあとそのような嘘が言えますね」
「人聞きの悪い事言うなよ。困っている人を放っておけないという優しさだぞ」
「分かりました。分かりました。国虎様はとてもお優しい。これで良いですか」
室町幕府への揺さぶりとなる。組織の隙を突いた一手だ。
組織というのは必ず一枚岩で纏まらない。必ず政権中枢から外された少数派が存在する。今回の場合は、朽木谷に下向しなかった者が冷遇される可能性が高いだろう。その者に援助の申し出をしようというのが書状の中身であった。
当然ながら寝返りを勧める内容ではない。あくまでも政権中枢に返り咲くための活動資金を提供するというものだ。派閥形成に役立ててもらえば良いと考えている。
これにより少しでも室町幕府の方針にブレが生じれば、時間稼ぎが叶うのではないか。書状にはそうした思いが込められていた。
こちらの陣営も急拡大した領国の基盤固めであったり、制式採用小銃の配備には未だ時が必要である。無策で戦うのはあり得ない。三好との戦いを勝ち戦とするには、幾つかの手札を揃えなければならなかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
年が変わり永禄二年 (一五五九年)になると対三好宗家の議論が活発化する。
昨年の三好宗家は足利 義輝との和睦交渉を行っていた裏で、しっかりと領土拡大していた。そうなれば皆も警戒感を強めるのは当然と言えよう。具体的には
また、新たに領有した丹後国には、三好 長慶の弟である
「皆に言っておく。この不可解な人事は意図的なものだと考えろよ。決して安見 宗房を格落ちした将だと侮るな。誰かこの安見 宗房がどんな人物か知っていたら教えてくれ」
「はっ。簡単な伝聞で宜しければ!」
「
「はっ。国虎様の下で一日も早く学びたい一心で、今年元服致しました」
「そう焦らなくとも良いとは思うが、その熱意は買う。それでは頼むぞ」
年始早々一族で
淡路国は当家の瀬戸内海掌握によって価値を大きく下げたとしても、その戦略的重要さは何ら変わりない。三好宗家にとっては、絶対に死守しなければならない場所だ。そうなると安見 宗房の淡路国赴任は、単なる埋め合わせよりも何らかの意図があると考えた方がしっくりくる。単純に戦が強いか、もしくは淡路国に罠を張ったか。この辺りが妥当であろう。おいそれと手を出せば、確実に痛い目を見る。
「こうなると三好攻略で確実なのは、やはり日本海側になるな。地道に
「お待ちください国虎様。但馬山名家との和睦は何ゆえ行わないのでしょうか? 三好と争うなら味方が多い方が有利かと考えます」
「但馬山名家は高国派から晴元派に転じた過去があるからな。陣営をコロコロ変える勢力は信用ならない。それに但馬山名家の領国は当家と三好との狭間に位置しているというのに、まだどっち付かずの態度というのもある。多分だが、両天秤に掛けるつもりなのだろう。それで勝つ方に付くと。孝高、そういう相手には遠慮する必要はないと思わないか?」
「ですが、但馬山名領を攻めれば、三好宗家と同盟するのではないでしょうか? そうなった場合は、どのような手を打つつもりですか?」
「但馬山名家もそう考えているだろうな。だから当家も三好宗家も但馬山名領には攻め込めないと。ただな、孝高。三好側の対応は、晴元派の残党が畿内に残っている、
「あっ……」
「そうなると、今ここで三好宗家が山陰方面に兵を長く駐留させるのは、自らの領地を危険に晒してしまうのと同義だ。つまり同盟をした所で援軍は出せない。現実的には物資の援助が精一杯だろうさ。よって俺達は、但馬山名家と三好宗家との同盟には何かをする必要は無いとなる。ただ山陰戦線は激戦になるとは思うがな」
俺達が今すぐには三好宗家と全面的に争えないのと同じく、実は三好宗家側も幾つかの不安要素を抱えていた。それが晴元派の残党と国持ち大名と同等の力を持つ根来寺の存在である。この不安要素があるため、山陰の緩衝地帯となる但馬山名家を残したいという考えがあっても、全力で支援できない。
俺が山陰戦線を東に伸ばそうとしているのは、こうした事情も鑑みてとなる。
だからこそ但馬山名家とは同盟はしない。同じ同盟をするなら、根来寺の方が遥かに有益である。俺が
「それに俺の場合は、味方の裏切りで戦に負けたくないというのがあってな。だから態度を明確にしないなら、逆に要らないという考えになってしまう。他には現状の三好の泣き所が、
「国虎様、三好宗家の泣き所は淡路国ではないのですか?」
「いや、淡路国も泣き所ではあるんだが、今回の人事を見ると、それを逆手に取った罠や誘いに見えてしまう。三好 長慶は、俺達に淡路国を攻めさせたいんじゃないかと」
「それゆえ三好 長慶の思惑通りとならぬよう、若狭国を目指して但馬山名家を攻めると」
「そうなる。無策で敵の誘いには乗れない。どの道、淡路国を攻めようにも、大義名分も含めてこちらの準備が整っていないというのもあるがな」
こうした会話のやり取りをしていると、小寺 孝高はずっと飢えていたのだというのが分かる。同じ目線で語り合える者がずっと周りにいなかったのだろう。嬉しそうな顔で俺と話している姿を見ていると、ついついそれに応えようとしている自分自身が何だか面白かった。
きっと皆も俺と似たような気持ちになっているのではないだろうか。新参で尚且つ右筆見習いという立場にも関わらず、ずけずけと行動する小寺 孝高に誰もが何も言わない。普段は口うるさい筆頭右筆の
何にせよ、今この場を境に小寺 孝高は受け入れられた。この事が素直に嬉しい。当初は脳筋集団の当家でやっていけるのかと思っていたが、「案ずるより産むが易し」。そんな言葉がよく似合う。
とは言え、これで終わらないのが遠州細川家臣団の特徴だ。通常なら新人を温かく迎え入れたなら、通常業務もそこそこ、親睦を深める流れとなるだろう。それを割って入って流れを止める男が一人いた。
「国虎様、一つ宜しいでしょうか?」
「どうした
「いえ、そちらの方ではなく、但馬山名家との争いが激戦となるなら、その戦は是非この
その者は、先の戦いで勝手に特攻兵器に乗り込んだ吉川 元春である。勇猛果敢さで中国地方では既に名が知られる名将だというのに、何故かこの場で目立とうとする。
「待て待て。纏め役のいなかった
「国虎様、お言葉を返すようですが、あの程度では物足りませぬ。もっと歯ごたえのある相手と争いたく思いまする」
しかもだ。会話から察するに明らかに何かを勘違いしている。先の合戦での独断を反省していないかのような態度だ。何より強い敵と戦いたい。戦で手柄を立てたくて仕方がないというのは当家家臣の特徴と言えばそうなのだが、兵を率いる立場の者がこれだと今後部隊を任せられなくなる。
吉川 元春には俺も期待しているため、この際はっきりと事実を伝えて反省を促すしかないのだろう。
「……元春? 先の伯耆国制圧の役目は、『シャインスパーク』に勝手に乗り込んで皆に迷惑を掛けた罰だったというのを理解しているか? 楽に勝てる相手だと最初から分かっていたから、面倒になって押し付けただけだぞ。
「何を言われますか。国虎様はそのお役目達成のために、
「その辺りは戦の経験を積ますために残しただけだ。特に大新宮は、旧新宮党や
「……」
「……」
「と、ともあれ、但馬山名家との争いはお任せくだされ。次は汚名をそそぎとうございます」
「分かった分かった。顔が引きつってるぞ。次も大新宮を与力に付けるのでも良いなら、元春に任せるからそんな顔をするな」
何となく理解した。きっと吉川 元春は人の話をあまり聞かない、もしくは思い込みの激しい性格をしている。だから先の伯耆国制圧の役目を、抜擢だと考えていたのだろう。それなのに大した活躍もできないまま制圧が完了したため、消化不良となっていた。そうした思いをずっと溜め込んでいたため、但馬山名家と戦の話題に反応して名乗り出たという所か。
ただ、自身の考えが間違いだと分かると、切り替える頭の柔軟さはあるようだ。この素直さは美点であるため、今回は任せても良いだろう。離れた位置にいた
「
「はっ。こちらに」
「大新宮は三好との争いに絶対に必要な部隊だ。次の但馬山名家との戦で更に鍛え上げろ!」
「お任せあれ」
「次は
「はっ。ここに」
「但馬山名家との前哨戦となる
「く、国虎様……」
「長く頑張ったな。今の尼子の嫡流は経貞だから、行き場を失った旧出雲尼子家臣を受け入れてやれよ。そのための国主任命だ」
「感謝します」
その後は補給の確認等細かい点の打ち合わせをする。先の出雲尼子討伐と違って、今回は海路が確保されているのが大きい。因幡国は山が多いだけに進軍は困難を極めるのが予想されるものの、後方が安定していると心に余裕が持てる。
更にはついでとばかりに、まだ責任者の決まっていない国に派遣する者を決めていった。具体的には伯耆国に安芸武田家最後の当主 武田 信実を。西美作には
「遠州殿、亡命してきた儂をいきなり国主にして良いのか?」
「対馬国は発展させなければならない国です。それに細川の一族は南海道を開拓した実績がある程、交易に熱心です。そうなれば、今後外の国との繋がりを持てる対馬国を細川一族が管理し、開発するのは何も間違っていないでしょう。ただ……現状の対馬国は殆ど手付かずですよ。その点予めご了承を」
「いやいや、儂は中央の争いにはもう疲れた。多少不便でもゆっくりできる方がありがたい」
こうして長かった評定も終わりを告げ、さあ次は小寺 孝高の親睦会でも行おうかとした所で、ドタドタと音を立て人が近付いてくる。何か急ぎの報せが入ったのだろう。こういった時、大体は悪い報せだ。
「国虎様、京より緊急の報せです。
予想通りである。
これを暴挙と呼ぶか、それとも英断と呼ぶかは分からない。それでも分かる事が二つある。一つは鞆の浦幕府や当家を倒すためなら、足利 義輝は何でもするという事。そしてもう一つは畠山 義長が細川
そう、今回の報せは畠山 義長が細川京兆家、ひいては氏綱派を裏切ったという意味となる。
やってくれたな。まさかこんな形で出し抜くとは思わなかったよ。こうなれば、三好 長慶本人は裏切っていないという言い訳は通じない。今日この日より、三好宗家と尾州畠山家は正式に当家と敵対したとみなす。
「忠澄、三好宗家と尾州畠山家に管領就任を非難する書状を送れ! きっちりと宣戦布告しろよ! お前等に氏綱派を名乗る資格は無い、と」
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