自滅の方程式
「それで国虎様、この場ではあのお言葉の真意をお聞かせ頂けるのですかな?」
「皆、そこまで種明かしをして欲しいのか? 少し意外だぞ 。てっきり
「そういった前置きは良いので、早くお話しくだされ」
「
「それは一体どういった意味……もしや国虎様が言いたいのは……」
「ご名答。
「まさか!? 陶 晴賢殿は西国無双の侍大将とも呼ばれた御仁ですぞ! 幾ら
「それが通常の考え方だ。だがな、陶 晴賢には大きな成功体験と失敗体験がある。これが焦りと組み合わさると、自滅の方程式が完成する。これが俺が言った言葉の真意だ」
こうも簡単に引っ掛かると、本当に当家の家臣達は戦好きばかりなのだと改めて思う。
陶 晴賢との戦いは所詮は安芸毛利家の戦であり、俺達にとっては手伝いの認識でしかない。その上、毛利 元就の選択は持久戦である。これでは当家の家臣が手柄を立てる機会も乏しく、戦自体に興味を持てなくなるのは自然な成り行きと言えるだろう。だからこそ、重臣 江良 房栄が誅殺されたという報せは柳に風となるのが初めから分かっていた。要はこの報せが、自らの功績に何の影響も及ぼさないという認識である。その気持ちは分かる。
だからこそ俺は、皆の興味を引こうと敢えて一言を付け加えた。陶 晴賢の負けという言葉は、当初の持久戦ではなく白黒をはっきりさせる決戦へと変化するという意味となる。そうなれば例え手伝い戦でも、手柄を立てる機会が回ってくる可能性が出てくるというもの。
言わば目の前に人参がぶら下げられたようなものだ。こうした時、期待通りにいきり立つのが愛すべき遠州細川家の家臣団である。
しかしながら今回ばかりは経緯が複雑なために、代表で質問をしてきた
ここからは丁寧な種明かしが必要となる。
なら俺が一人で説明するよりも、問答形式で流れを説明した方が理解が深まる。
「えぇっと、
そこで白羽の矢を立てたのが尼子 経貞だ。今でこそ
「江良 房栄殿誅殺の経緯なら何となく想像できます。多分ですが江良 房栄殿は、陶 晴賢殿に安芸毛利家との和睦を提案したのではないでしょうか?」
「俺も同意見だ。安芸毛利家と内通したために和睦の提案をしたと受け取ったのだろう。その誤解が誅殺へと繋がった訳だ。なら、そこに至るまでに両者の考えに違いが生じていたというのは説明できるか?」
「はっ。最前線で指揮をした者と現場を見ていない者との違いでしょう。二人の考えは始めは同じだったと考えます。安芸毛利家など簡単に蹴散らせる。そう思っていたのではないでしょうか?」
「その通りだ。陶 晴賢の安芸毛利家に対する評価は、大方
「きっと陶 晴賢殿は、重臣である
「こうした認識のズレが、江良 房栄の和睦提案を内通したとの疑念に繋がる。まだその提案が出る前に、江良 房栄が何らかの成果を出していれば話も変わっていたんだろうがな。格下の相手に連敗続きの上に、事もあろうに和睦を持ち出す。だから逆上した。そんな所だろう。つまり陶 晴賢は、自身の思い通りに進んでいない、いやほぼ真逆となっている現実に焦りを覚えたからこそ過激な行動を選んだ。もし多少でも心に余裕があったなら、重臣を殺すような真似はしない。最悪でも降格もしくは
纏めると江良 房栄の誅殺は、対安芸毛利家戦に成果が出ていなかったために起きた悲劇となる。陶 晴賢の焦りが視野狭窄を生み、現実を正しく認識できない事態を招いた。それが和睦の提案を敵への内通だと勘違いした理由となる。
「なるほど。これが国虎様の言う焦りによる自滅ですね。成果を求めるあまり、今後陶 晴賢殿が無謀な行動に出るのは確実。それが自滅に繋がると言いたいのですね。そう言えば国虎様は『成功体験』と『失敗体験』と言っておりましたが、これの意味する所は何になりますか?」
「そうだな。成功体験は天文九年 (一五四〇年)の『
「その戦いは私の父が討ち死にした戦いですね。そのような無茶があったとは思いませんでした。では『失敗体験』は何でしょうか?」
「これは天文一一年 (一五四二年)の『
「その本質とは一体何でしょうか?」
「端的に言えば利害調整の失敗なんだが、これは別の機会があった時にでも話そう。本題から外れているからな。それで、もう分かるだろう。陶 晴賢は長期戦を嫌って無謀な行動をした際には勝利を収め、長期戦で敵を追い詰めようとした際には敗北している。人というのは強烈な成功体験があると、それに引き摺られる生き物でな。冷静な判断を下せない環境下では尚更となる」
「つまり此度の戦いでも陶 晴賢殿は、吉田郡山城の戦いのような無謀な行動を取る可能性が高いと」
「安芸毛利家は今回の戦いで、西部の山里地域で迎え撃つという長期戦の構えを見せている。戦線が膠着すれば、死中に活を求めるだろうさ。目指す先は……安芸国の要害 厳島が妥当となる。ここを奪えば戦局をひっくり返すのも夢ではなくなるというのがその理由だ」
要は一発逆転を狙うなら、厳島への侵攻以外あり得ない。こうした博打を打とうする時点で、総大将としての適性を疑ってしまうのは俺だけであろうか。
「お待ちください。安芸国への侵攻でしたら、海沿いの陸路もある筈ですが?」
「ここも成功体験が邪魔をする。海沿いの経路は距離こそ短くなるが、大軍の移動には不向きだ。秘策が無ければ簡単に迎撃されてしまう。戦局の打開にはならない。だから、海沿いは選択しないだろう。吉田郡山城の戦いと同じく大胆な行動で敵の喉元に刃を突き付けるなら、海路のみとなる。つまりな、山里地域で守りに徹すれば、陶 晴賢は大軍を率いて勝手に厳島にやって来る。後はそこを取り囲めば討ち取れるという寸法だ。まさに自滅以外の何者でもないな。以上で証明が終わりとなる」
現実として考えれば、もう一つ背中を押す最後の切っ掛けがなければ、厳島への侵攻は難しいだろう。しかしながら、江良 房栄の誅殺を見れば、現在の
ワンマン社長によるイエスマンばかりを揃えた企業というのは、ちょっとした綻びで凋落する。周防陶家はその典型ではないだろうか? こうはなりたくはないというのが正直な感想であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
問答形式を選んだとは言え、随分と話が長くなってしまった。皆には退屈な思いをさせたのではないかと反省しつつ、周囲を見渡す。
さすがに寝ている者は誰もいなかったものの、口を開けてぽかんとしている者が大半という現実は、予想通りと言うしかない。これは戦に対しての捉え方の違いだ。家臣達の殆どは力同士のぶつかり合いという認識なのだというのが分かる。それが今回は、ほぼ陶 晴賢の性格分析に終始するとなれば、全くの守備範囲外だったに違いない。
とは言え、戦というのは人同士で行うものだ。そうなれば、敵大将の心を推理して対策を立てる、こういう戦い方もあるのだと分かってもらえれば嬉しい。
一応は定石として、戦線が膠着した際には別動隊を組織して、夜襲であったり搦め手から攻めるというのがあるにはある。それを見越した事前の準備をしておけば、陶 晴賢がどんな動きをしようとも対応は可能であろう。特に今回の戦いでは主戦場が山里地域の陸となるために、水軍は遊撃部隊として温存できるのが大きい。
慎重な性格の
あくまでも俺の場合は、同じ土俵の上に立って殴り合いをするのが嫌だというだけだ。この辺は好みと言うしかない。
「国虎様、先程の話は大半が付いていけませんでしたが、一つだけ分かり申した。我等にも厳島で陶 晴賢殿の首を取る機会が巡ってきた。そういう事ですな。是非陶 晴賢殿を討ち取って、末代までの誉れにしとうございまする。先手は土佐本山家にお任せくだされ」
「梅慶、手柄は基本、安芸毛利家に譲ってやれよ。戦のお膳立ては安芸毛利家が行ったのだから、それを尊重するのが筋だ。当家は手伝いの立場だというのを忘れるな。だからな、討ち漏らした分なら好きなだけ刈り取って良いぞ」
「確かに。それはその通りですな」
「逆に言えばな、俺達もお膳立てをすれば積極的に手柄を求めても良いとは思わないか?」
「いつも通り何やら悪巧みをお考えのようですな」
「いつも通りは余計だ。俺としては、確実に陶 晴賢を厳島へ誘導するための仕掛けをしようと考えている。具体的にはこの機に乗じて
「国虎様、因島村上家は安芸毛利家の友好勢力ではないですかな?」
「だからだよ。これをすれば、表面上当家は安芸毛利家と敵対しているように見えるからな。因島村上家は陶 晴賢を討ち取る生贄となってもらう。どの道、当家が瀬戸内の海を掌握するためには邪魔な勢力だ。先に潰すか後に潰すかの差でしかない。まあ安芸毛利家には、反抗的な家臣なり従属豪族なりを救援に差し向けるよう話を通しておくよ」
「……聞いているこちらが呆れますな。芸予叢島を当家が手にすれば、安芸毛利家による安芸湾の掌握度も低下して、表面上虎の子の水軍を安易に動かせなくなるように見えまする。益々厳島に侵攻し易くなるのは必定かと。……もし、陶 晴賢殿から共に厳島を攻めようと誘われた場合はどうされるのですかな?」
「安心しろ。それは無い。陶 晴賢からすれば、身内の恥を外部に漏らすようなものだからな。あるとしても、中立を保ってくれと言ってくるのが関の山となる」
この策も陶 晴賢の性格を分析してのものだ。名門の周防陶家と違い、当家は近年急激に領地を拡大した成り上がり者である。そんな勢力と手を結んで共同作戦を行うなど論外だ。陶 晴賢は自らが
何より当家と手を結ぶ気があるなら、安芸毛利家が宣戦布告した時点で打診してくる。それができなかったというのに、今更掌を返して当家を頼ろうとするのは、まず考えられない。
「という訳で、今回も部隊を二手に分ける。俺が率いる本隊の数は一〇〇〇。山里地域で陶軍の攻撃をひたすら耐え忍ぶ役割となる。もう一つは
「なっ、国虎様は芸予叢島の方で指揮されないのですか? 陶 晴賢の首を取るまたとない機会ですぞ!」
「それ以前に山里地域に俺がいないと、絶対に勝ちに行くのが見えているからな。やり過ぎないようにするお目付け役のようなものだ。とは言え、陶軍の猛攻をしっかりと支える重要な役割でもある。まず梅慶は俺の方に来てもらうとして……」
「お待ちくだされ、国虎様!」
「どうしたんだ?」
「此度は手伝い戦ではありながらも、重要な戦。誰がどちらを担当するか、皆でしっかりと話し合って決めとうございまする」
「それは構わんが、どうせ皆で話し合っても決められないだろ。芸予叢島方面に行きたいと言って譲らないんじゃないのか? 最後はジャンケンかあみだくじで決めろよ。恨みっこ無しだ」
「……ジャンケン? ……あみだくじ?」
「そう言えば、そこからだったな」
こうして俺は「厳島の戦い」という大事な戦を前に、ジャンケンとあみだくじのルール説明をするという大役が任せられる。良くも悪くもこの緊張感の無さが、当家の平常運転であるというしかない。
なお、勝負に納得しない者が多数出たため、ジャンケン大会は夜を徹して行われた。
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