人身御供

 ──有馬温泉へ湯治に行き、死体として戻ってくる。


 津田 算長の義弟である杉ノ坊 明算殿の最期はこの一文に纏められた。事故ではない。明らかな暗殺と言える。


 遊佐 長教殿の暗殺事件に端を発した後継者問題が、このような形に波及するとは誰が考えようか? 確かに杉ノ坊 明算殿がその候補の一人として挙げられていたのは俺も知っている。だが、その問題は河内遊佐家内での派閥争いへと発展し、粛清まで行われたのだ。通常ならこれで終わりと思うだろう。


 まさに青天の霹靂であった。


 例え血は繋がっていないとしても、兄弟である事に変わりはない。仲も良かった。以前一緒に鍋を食べた時も、二人には遠慮の無い家族のような空気が流れいたのを覚えている。そんな大事な弟が亡くなったのだ。算長はどれ程深く悲しんだだろうか?


 しかし、現実はとても残酷だ。義弟の死を悲しむ暇も無くすような、とんでもない話が持ち上がる。


 ──遊佐 長教殿殺害の黒幕が杉ノ坊 明算殿だったという、河内遊佐家家臣 安見 宗房からの発表である。


 算長からその話を聞いた瞬間、聞き間違いではないかと何度も聞き直した。これが通用するなら人は気合で空が飛べる。それ位馬鹿げた話と言えよう。


「ボウズの言いたい意味は分かる。誰が信じるかよ。あいつはな、河内遊佐家の家督なんてこれっぽっちも欲しがってなかった。そりゃあ津田家にやって来た時は、自分を河内遊佐家では用無しだと勘違いしてやさぐれていたさ。けどな、それは最初だけだ。あいつは杉ノ坊でダチを見つけて、自分の居場所を持っていたさ」


「俺からすれば既に杉ノ坊の院主の座にあるのに、それを捨ててまで河内遊佐家の家督を欲しがる理由が分からないけどな」


「だが世間様はそうは見てくれねぇ。この話が出て以来、『遊佐 長教殿の暗殺は、根来寺が河内遊佐家を意のままに操ろうとして考えたもの』だという噂まで出ている。そんな筈ないだろう!」


「……これは嵌められたな」


「ああ。だから世評を気にして根来寺自体も抗議できない。報復は以ての外だ。もしここで根来寺や杉ノ坊、津田家が動けば、罪を認めた形になる」


「罪? どういう意味だ? 分からん。教えてくれ」


「報復を勢力拡大と捉えられるからだ。抗議も似た捉え方をされる。ボウズも知っているだろう。根来寺が和泉国に大量の寺領を持っているのを。元々三好とは睨み合いが続いている。三好の下っ端がしょっちゅうちょっかいを出してきてな。むしろこっちの方が悩まされている」


「そういう事か。要するに、根来寺には寺領拡大の野心があると見られている。それが遊佐 長教殿の暗殺の背景という筋書きか。よく考えたものだな」


「感心するな。結局今の俺では何もできねぇ。義弟の身の潔白さえ明かせねぇ状況だ」


 整理すると津田 算長の義弟 杉ノ坊 明算は、殺されただけではなく無実の罪まで着せられた。しかも、その濡れ衣に抗議さえもできない状況となっている。死人に口無し。まるで欠席裁判のようだ。


 そうなれば、算長の感情が悲しみから怒りへと変わるのは必然と言える。


 幾ら和泉国で三好宗家が根来寺とのトラブルを抱えているとは言え、こうもあからさまだと、河内遊佐家の後継者問題には陰で糸を引いていると言っているのと同じだ。これでは自分から敵を作りにいっているとしか言いようがない。


「そういう事か。分かった。今すぐは無理でも、俺もいずれ三好とは戦うつもりだからな。犯した罪の一つに数えておく。ただ、今は駄目だぞ。細川 氏綱様が細川京兆の家督を継いだばかりだからな。お仕置きは時期を待ってくれ」


「ああ、分かっている。それにボウズが今、三好だけを言ってられないのも理解しているさ。ただこのままでは義弟が浮かばれねぇ。ボウズの力を貸してくれないか?」


「俺で良ければ好きなだけ利用してくれ。津田殿……いや、これからは算長と呼ばしてもらう。算長の仇は俺にとっても仇だ。何年掛かってでも必ず叶えてやるから安心しろ。杉ノ坊 明算殿の無念を俺達で晴らすぞ」


「恩に着る」


 こうして長年の商売仲間であった津田 算長が家臣となる。今の当家にとってこれ以上心強い味方は他に無い。諸手を挙げて歓迎すべき話だ。


 ただ、一つ気になる点もある。算長の頼みなら、敵討ちであろうと俺はいつでも協力をする。二人の仲はそういうものだと思っていた。何を考えてこれまで築き上げてきた全てを捨ててまで、当家にやって来たのだろうか? それが分からなかった。


 ……考えても答えは出ないか。きっと、算長には算長なりの事情があるのだろう。そう思うようにするしかない。時期が来れば、話してくれると信じよう。今は何も言わず、算長の意思を尊重するのが大事だと感じた。


 それはさて置き、


「算長が家臣になってくれたなら、坊津占拠後の交渉は任せるが良いな?」


「おぅ、任せろ。倭寇との交渉だな。それと、堺の連中を追い出すのも任せろ」


「……バレているのか。今回の遠征が、実は堺や三好宗家への嫌がらせだというのが」


「銭回りを悪くして弱体化させるとか、ボウズが考えそうな策だ」


「連中も馬鹿じゃないから、密貿易はすぐ博多や平戸ひらどに切り替えると思うぞ。あくまでも嫌がらせの範疇だと考えてくれ」


「嫌がらせねぇ……今回はそうしておいてやるか。まあ、これからは宜しく頼むぞ」


「ああ、こちらこそだな」


 算長の参加によって、当家は武力以外での戦いも可能となった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「国虎様、そう言えば津田殿が入ってくる前に何か言いかけておりませんでしたか?」


 話も一区切りした所で、畑山 元明が話題を元に戻してくれる。そう言えば、今回の遠征の一番槍を誰にするかという話であった。


「……思い出した。先陣の件だな。元明、悪いな。今回の遠征の一番槍は、元明の息子の山田 元氏に決めている。真面目に阿波国の最前線で頑張っているかと思えば、あんな事をしていたからな」


「はて? あんな事とは一体?」


「親衛隊を作ってやがった。それも私費による私兵集団だ。だから今回の遠征で使ってやらないと、勝手に阿波国北部に攻め込みそうで怖い」


「あの元氏がですか?」


「正確には家臣の山田 長秀や西内 常陸が率先していたらしいがな。元氏も共犯だ。ちょくちょく鍛錬に参加していたらしい」


「もしや、阿波国南部を守るという大事な務めを疎かにしていたのでは?」


「違う、違う。何だかんだ言って土佐山田家は家臣が充実しているからな。休みを減らせば余剰人員を作れる。それを親衛隊育成に回したらしい。少しは休んでくれよ。まったく……」


 本当、真面目も程々にして欲しい。突き抜けてしまえば、それは暴走の範疇になるからだ。しかも、当の本人達にその自覚が無いのがまた性質が悪い。


 阿波国南部を喰らい、阿波細川家並びに阿波三好家との軍事的な緊張状態が作られたのが天文一七年 (一五四八年)。山田 元氏並びに土佐山田家を全権委任の責任者として派遣してからは、三年を超える月日が経つ。


 その間大きな問題も起こさず、防備に治安維持に政務にと確実な仕事を残し続けたのは、素直に評価すべきだ。南部奥地で大規模な山狩りを行った際などは、「手が足りない」と素直に俺への協力を仰ぐ柔軟な思考も持っている。こういった時、自らの評価が下がるのを気にして全てを一人で抱え込んでしまい、予期せぬ事態を招いてしまうというのは良く聞く話だ。それを回避できるだけでも優秀なのは間違いない。


 俺の抜擢の判断は正しかったと言えるだろう。十分に期待に応えてくれている。


 しかし逆に言えば、抜擢だからこその焦りがあったのかもしれない。


 阿波国南部の責任者という大事な務めは、本来若い元氏に任せるものではない。実績と経験、立場から見ても、父親である畑山 元明に任せる務めだ。例え元氏が土佐山田家の現当主であろうと、家中における信頼や実績はまだまだ足りない。


 だからという訳ではないが、俺はこの元氏の抜擢に当たって俸禄を大幅に向上させた。初めての大きな務めである以上、様々で何かと物入りとなる。新たな人脈を築くにも活動資金は多い方が良い。それに何より、土佐山田家の家臣が慣れない地で気持ち良く務めを果たしてもらうためには、家臣の俸禄を上げた方がやる気も出る。そういった諸々の思いが込められていた。


 それが実際にはどうだ。


 潤沢な資金を手に入れたと、奴隷や浮浪者を集め総勢五〇〇の私兵集団を結成する。勿論、犯罪者予備軍でもある浮浪者を雇い入れるというのは、治安維持の側面もある。それは否定しない。とは言え、それは軍として雇い入れ、公金で処理すれば済む話だ。何も私費を投じて行う必要は無い。


 結局の所、土佐山田家は当主以下家臣が一致団結して質素倹約に務めながら、来るべき阿波三好家・阿波細川家との決戦のために爪を研いでいたという話だ。例え若輩だろうと、強ければ批判の声も黙らせられるという脳筋的な考えが根底にあると見ている。


 ここからは余談となるが、元氏に何故こんな真似をしたのか尋ねると、俺が作った馬路党がとても羨ましかったらしい。一般兵では足りない物が多く、どうしても決め手に欠ける。意のままに動かせる部隊が欲しかったそうだ。そんな事をしなくとも、一般兵の中から厳選した人員で、選抜部隊を作れば良いだけだというのが何故思いつかなかったのか? その辺りが俺には分からなかった。


「そういった事情で、元氏が親衛隊を組織してもうすぐ三年になる。どこまで実力が備わったか実戦で確かめたいらしい。一般兵との試し試合はもう飽きたんだとよ」


「元氏も言うようになりましたな。父親として誇らしく思います」


「それは違うだろ。元氏は立場が大きく変わったのだから、相応の贅沢も覚えて欲しい。特に茶を覚えていれば、交渉時に必ず役に立つ。後は家臣の生活も豊かにしてやって欲しいんだがな」


「それは国虎様が言ってはいけない言葉でしょう」


「俺か? 俺は贅沢しているぞ。俸禄の分はほぼ使い切っていると思うが……」


「皆が知っておりますぞ。国虎様が私費を投じて……確か『孤児院』と呼んでおりましたな。みなしごを収容する施設を作っておるのは。主君の行いを家臣が真似するのは至極当然ですぞ」


「……私兵集団の結成と孤児院設立は違うと思うんだがな」


 所詮俺の孤児院経営はお遊びだ。領国の文官不足を少しでも補うために、基本的な読み書き・計算を孤児に仕込もうと設立したのは良いが、一向に成果が出ない。男女問わず軍入りを希望して、目的が全く解決しないという有様である。これを贅沢と言わずして、何と言おうか。


 まあ俺の方は良い。問題は元氏の方だ。このままでは、俺の望む方向とは違った方向に進みそうである。次の遠征では実績を積ますためにも最前線で起用をするつもりだが、それが終われば一度任を解いて配置換えをした方が良いとも考えていた。


「元氏はまだ若いのですから銭の使い道はこれから学ぶとして、そういった事情でしたら、此度の先陣は我が息子に譲るしかありませぬな」


「分かってくれたか。助かる。それで実はもう一つ残念な報せがある。元明は最後尾の隊の責任者にするつもりだ」


「……国虎様、今何を仰ったか理解されておりますか? 左京進が伊予国を離れられない中で、この儂を頼りにしないとはどういうおつもりですか?」


「元明、怖いぞ。落ち着け。むしろ元明を頼りにしているからこそ最後尾の責任者にするんだ。雑賀衆を率いれるのは元明しかいないからな」


「雑賀衆? 此度の遠征には雑賀衆も参られるのですか? 何ゆえに?」


「……あいつ等が傭兵として雇えと言ってきてな。ほらっ、海部家が毎回のように当家の戦いに兵を出すだろ? まあ……今回も参戦すると言っているんだがな。それで羽振りが良くなっているのが気に入らないらしい。だから、自分達にも分け前を寄越せと言ってきた。ほぼ脅迫だ」


「何と!」


「もう分かると思いが、雑賀衆が勝手をしないようにするお目付け役が必要となる。勿論、指揮もできないといけない。要は俺の代理として雑賀衆を束ねられるのが元明しかいないという意味だ。あいつ等絶対激戦地に放り込んでやる。元明、できるな? 与力に元土佐七雄大平おおひら家の生き残りを付ける」


「お任せくだされ! 必ずや国虎様のご期待に応えましょうぞ」


「無理するなよ。必ず生きて帰ってこい」


「はっ。必ずや!」


 畿内での戦が嫌になって当家に降った筈の海部家が、何故か毎回のように兵を出してくれる。そのお陰で土佐一条家との戦いや伊予国での戦いも楽に進んだ。そうなれば、渡すお礼も多めになるのは変な話ではない。もし当家単独でこれらの勢力と戦っていたなら、苦戦を強いられて被害も増えていたのは確実だ。


 ただ、この配慮が良くなかった。


 当家以上に金の臭いに敏感な雑賀衆が、この事実を知って黙っている筈がない。紀伊鈴木党を介して傭兵の押し売りをしてくる。俺も俺で雑賀衆には長く世話になっているだけに、カモにされていると分かっていながらもきっぱり断れなかったという事情である。


 まだここまでなら良い。問題は雑賀衆には前科がある点だ。新たな占領地域を略奪の場とし、全てを奪い尽くす。それが裕福な地ならある程度は目を瞑れよう。ただ、今回の目的地は土佐に並ぶ不毛の地だ。このような場所で民の感情の逆なではしたくない。


 だからこそ最後尾に配置する。使用は決戦時のみが望ましい。楽な戦いはさせないつもりだ。こうすれば、略奪を行う暇など無いだろう。


 当然そうなれば雑賀衆からの文句が出るため、元明という黙らせる存在が必要となるという流れであった。


 役割的には本山 梅慶も適任と言えるが、やはりその信頼度の高さから元明以外の者は考えられない。 元明がいてくれて本当に良かった。


 その後は物資の確認や輸送の段取り、陣立て等の様々な話題で議論が白熱していく。今回は当家だけではなく海部家や根来衆、雑賀衆との合同での作戦のため、大規模な遠征だ。兵数も一万五〇〇〇を超える以上、間違いは許されない。当初のやる気の無さが嘘のような真剣な評定に変化していた。


 ふと古参の一人がつぶやく。


「いつかは万の兵を率いる戦をしたいと思っておったのですが、よもやこうも早く実現しようとは」


 その瞬間、誰もが口を閉じ、場に静寂が訪れる。これまでの苦労を思い出していたのか、感傷的な雰囲気が訪れていた。


 これで終われば良いものの、ここからが当家らしさと言える。


「皆々様、ならば次は五万、いやさ一〇万の大軍を率いなければなりませぬな!」


「まさに!」


 こいつ等は一体何処を目指しているのだろうか?

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