九州へ
安芸 左京進からの書状で悪銭の報告があったのには随分と驚かされたが、これも伊予国の統治に真面目に取り組んでいるからこそ。早い段階でこの事実に気付いたのは、褒めるべき成果だと言える。
多分この問題は一朝一夕では解決しない。流通している銭を私鋳銭に置き換えをさせるにしても、まずは伊予国内全ての悪銭を吐き出させる必要があるからだ。それだけでも多くの手間と時間を覚悟しなければならない。
ならば、可能な限り負担を減らす回収方法はないものか。
そこで思い付いたのが、塩の販売との抱き合わせだ。
つまり、安芸家が製造した塩の購入を悪銭で良い形とする。それも質の悪い悪銭を受け入れるとすれば、自然と持ち込まれるのではないだろうか? 誰だって支払いを嫌がられる銭など後生大事に持っていたくはない。多少交換比率を下げたとしても、文句も出ないだろうと。回収した悪銭を一旦こちらが銀で買い取れば、左京進の負担にはならない。
その上で、安芸家製造の塩で伊予国内の民間の塩を排除できるなら尚更都合が良い。多少回収コストが増した所で市場を独占できる。利益は後から付いてくるだろう。まさに一石二鳥と言える。
まるで天下のイ〇ンを彷彿とさせるこのやり口を、左京進への指示とした。
伊予国からの報告には、悪銭問題以外にも幾つかある。
まず一つ目。備前国児島の海賊である四宮 隠岐殿が伊予安芸家の家臣に収まった。
伊予国の水軍は俺が壊滅状態としてしまったというのもあり、早急な再建が望まれている。全くの新人を一から鍛え上げるというのは現実的ではない。かと言って遠州細川家の水軍を分割しようものなら、今度はこちらが機能不全に陥る。伊予に万が一の事態が起きても全軍で救援に掛け付けられないというのは、本末転倒と言えるだろう。
ならば他国から海賊を引き抜くのが、再建方法として最も確実だ。
そこで名乗りを上げたのが、当家の伊予侵攻に協力してくれた四宮殿だったらしい。見返りは新生安芸水軍総大将の地位となる。
一見すると、海賊が宮仕えを望むというのは随分とおかしな響きだ。ただこの時代、海賊は表通りでは肩で風を切っていても、一旦裏通りに入ると生活もままならない場合も多々ある。事実四宮殿も、過去に下津井の海賊との抗争によって疲弊をしていた。生活苦を一度でも経験すれば、宮仕えは眩しく見えるのかもしれない。
それに伴い、現在シャム (タイ)への定期便に従事している四宮殿の配下は、遠州細川家の管轄に入る形となる。四宮殿の所属変更によって、配下は遠州細川家組、伊予安芸家組、そして児島残留組の三つへと分かれた。
ここで面白い出来事が起こる。四宮殿は自分達が領有していた日比と八浜の港を、宇喜多殿に格安で譲ったという話だ。棚からぼた餅で宇喜多 直家殿は支配域が広がり、これまでの貧乏領主から脱却を果たす。更には児島に残留した四宮殿の配下が、宇喜多殿の傘下に収まったというオマケまであるのだとか。
この事態を宇喜多殿がどう受け止めているかは俺も見当が付かない。ただ、突然領地が広がって困惑しているにせよ、もしくは笑いが止まらないにせよ、一度ご機嫌伺の使者は出すつもりだ。伊予での戦いに協力してくれた礼も兼ねて、贈り物を奮発をしておくとしよう。出世を遂げた宇喜多殿とより懇意になるのは、瀬戸内海に進出した安芸家の大きな支えになるだろう。
それはさて置き伊予国の水軍は、四宮殿の家臣化によって再建の目処が立ったという話であった。
二つ目は
この日振島は伊予国南部と豊後国の間に位置する有人島であり、それ自体は大きくはない。平野部も少ないために食料生産には適しておらず、漁で生計を立てなければいけないような場所だ。歴史的には、海賊
そこが土佐一条家の物となった。丁度俺達が伊予国での戦いを行っている裏での占領となる。豊後大友家が力を貸したのであろう。
とは言え、今更島一つを手にした所で、土佐一条家の巻き返しは叶わない。この件は軍事的な橋頭保にもならないような些事である。島の人口など高が知れており、兵も揃えられないだろう。そう考えるのが普通だ。
そこに一つの見落としがある。実は日振島には中継地点としての港の役割があった。南予と九州を繋ぐ航路上に位置する重要拠点という意味だ。だからこそ藤原 純友も拠点にしたのだろう。
つまり日振島を拠点として、いつでも南予地域にちょっかいが出せる。海賊土佐一条家の誕生という訳だ。加えて、現金収入を得る手段も獲得してしまう。これを面倒な事態と言わずして何と呼べば良いだろうか。
しかも背後に豊後大友家がいる関係上、安易に日振島へは攻め込めないとくる。
悔しいがしばらくは専守防衛に努める以外の手はない。当家の水軍を一部割いて、日振島の東にある
現状では、土佐一条家の出方を見ながらその都度対症療法を施すしかなさそうだ。
三つ目が大洲地区の状況となる。これがかなり深刻らしい。大洲盆地を流れる暴れ川の肱川への対策がほぼ皆無なのだとか。そう畠山 晴満から報告があったという。
地形上の問題で肱川の川幅を広げられないのが一番の理由のようだ。加えて大洲地区は海抜が低い。結果として堤防や浚渫では焼け石に水にしかならず、川の氾濫防止に大きな効果は期待できないらしい。唯一の解決策が盛り土となるが、ちょっとやそっとの範囲では意味が無いために現実的ではないという話であった。
……確かにこれはお手上げだ。
この報告を見て何故大洲に生糸と木蝋の産業が生き残っていたのかを理解する。
要するに、肱川の氾濫は大洲の田畑を豊かにするのではなく、壊滅させるという意味だ。通常、川の氾濫は土地に栄養を運び、作物の生育を豊かにするという恩恵を与える。だがそれも度を過ぎれば厄介者にしかならない。どんなに作物がすくすくと育っても、地域そのものを壊滅させてしまうならば何の意味も無い。
だからこそ、生きていくためには食料生産以外の道を模索しなければならなかった。そんな所だろう。
しかし、どうにもならないからと現状を放置するのはまた違う。盛り土が必要だというなら、少しずつでもやっていくしかない。大きな成果が出なくとも、堤防や浚渫もする必要がある。
例えどんなに時間が掛かろうと、大洲の民に「見捨てられた」と落胆させないようにする。それが為政者だ。大洲は大きく稼げる地になる可能性を十分に秘めているのだから、投資する価値は十分にある。
「という訳で遠征を行う。場所は九州の
「何が『という訳で』ですか。いきなり我らを集めたかと思えば、何ゆえ九州への遠征となるのです。まずはそれをお答えくだされ」
戦をすると言って集めた家臣達が、俺の言葉で落胆の表情へと変わっていた。普段なら大喜びする筈が、今回に限ってはその素振りが一切無い。しかも皆の気持ちを代表するかのように、重臣の畑山 元明が食って掛かってくる始末。常日頃から俺のやり方に全面賛成する元明がこうも不満を表すのは、何か理由でもあるのだろうか?
「おや? 元明は遠征が嬉しくないのか? 戦だぞ? 派手に暴れられるというのに、どうして嬉しそうな顔をしない?」
「お言葉ですが国虎様。我等が望む戦は中央への進出です。阿波国北部や讃岐国への遠征と言うなら、皆も気合が入りましょうぞ。ですが何ゆえその反対の方角へと進まねばならぬのですか? それに大隅や薩摩は不毛の地ですぞ。何が悲しくて貧乏くじを手にせねばならぬのです」
「元明、今の所俺は中央への進出は考えていないぞ。三好宗家は細川 氏綱様の細川京兆家家督相続の立役者だ。不義理を行った訳ではない。大義名分が無いのは分かるな? それに現状の遠州細川家が一番に警戒しなければならないのは、周防大内家や豊後大友家だ。だからこそ、大国に挟まれている左京進の負担を少しでも軽くしてやらなければならない」
「仰る意味は分かります。ですが何ゆえ、安芸殿への支援が大隅・薩摩への侵攻に繋がるのです? 九州を攻めるならその北の
「日向国を攻めれば確実に豊後大友家と敵対する。陸続きで当家と隣り合うのは、豊後大友家にとっては脅威以外の何者でもないからな。牽制という意味では、日向国という緩衝地帯を挟んだ大隅・薩摩の領有が有効になる。これで当家に表立った敵対ができなくなる筈だ。そうすれば土佐一条家に占拠された日振島も攻め落とせるようになる上、左京進は対周防大内家だけを考えれば良い形となる」
「た、確かに……」
なるほど。中央進出か。大きな苦戦もなく伊予国を手に入れたために、きっと自分達の力を過信でもしているのだろう。
今回伊予国を手にできたのは、あくまでも三好宗家による謀に乗った結果だ。言い方を変えれば、三好宗家の後押しがあってこその成果でもある。もし、当家が三好宗家に明らかな敵対姿勢を見せていれば、伊予侵攻の際にがら空きとなった土佐に攻め込まれていたのは間違いない。
そういった状況が見えていないのだろう。
だからこそ次に打つ手は、三好宗家を刺激しない形での力の増強となる。三好宗家の警戒の目を緩められるのは、九州への侵攻が最も妥当だ。勿論、力の増強とは言っても単なる領土拡大を目指した侵攻ではない。大隅・薩摩を選んだのにはきちんとした理由がある。
「今回の遠征の最終目標は薩摩国は
「それは分かりますが、大隅や薩摩は作物の育たぬ地ですぞ。坊津の利もそれで吹き飛ぶのではありませぬか?」
「そいつは逆だ。むしろ俺は大隅や薩摩が不毛の地だからこそ手にしたい」
「国虎様!! それがどういう意味か……あっ、何かお考えがあるのですな。まずはそれをお話しくだされ」
「さすがは元明。俺の家臣を長くしているだけあって話が早いな。頼もしいぞ」
「そのようなお言葉は不要です。先に真意をお話しくだされ」
「……分かったよ。大隅国や薩摩国で作物が獲れないのは理由があってな、南九州特有の『シラス』と言う土が悪さをしている。水を通し過ぎて土に栄養が残らないそうだ。大袈裟に言えば雑草でさえ育たず、生えるのはコケのみになる」
「続きをお願い致しまする」
「そんな水捌けの良い土だからこそ、今の当家に必要となる。例えば港。例えば町。例えば道。水捌けが良くぬかるみにならない土は、舗装用としてとても都合が良い。石を敷き詰めるより安価にできるのが利点だ。もう分かるだろう。港がより便利となり、道を歩くのが楽になる。それにな……」
「それに?」
「伊予国の大洲地区の問題が大きく緩和する。大洲地区は肱川がしょっちゅう氾濫して水浸しになるだけではなく、簡単には水が引かない。住居部だけでも『シラス』を使って盛り土をすれば、例え洪水になっても被害を受ける日が少なくなる。民の安全が担保される訳だ。大洲地区は極端な例にしろ、川が氾濫する地域に『シラス』で盛り土をするのは大きな意味があると思わないか?」
「……」
「要するにだ、作物の育たない土も十分な使い道がある。当家が領有すれば、大隅国や薩摩国が裕福な国へと生まれ変わるんだ。なら、他の誰にも渡す訳にはいかない。宝の山は当家で独り占めをする」
「参りました。さすがは国虎様です」
これが九州への侵攻の大きな理由だ。現代でも悪名高い「シラス」は、アスファルトが実用化されていない戦国時代において最も安価な舗装材となり、洪水に悩む地域への盛り土として最適な材料となる。
元々の発想は、牛の寝床とする敷料であった。この敷料には稲わらやオガクズを使用するのが一般的ながらも、中には「シラス」を使用する場合があると聞く。「シラス」を敷料として使用すれば、牛の尿は下の地面へと浸透してぬかるみとならず、出した糞もすぐに乾燥して衛生的。ハエの発生が驚くほど抑えられる効果が出るそうだ。勿論ただ「シラス」を撒くだけでは意味が無く、十分な厚みは必要となる。
これを知れば、石畳で舗装をしたり破砕石による舗装が馬鹿らしく思えてしまう程だ。領国全ての整備に「シラス」は大活躍するだろう。
「伊予国が当家の勢力圏になった以上は、土佐との物流を促進なければならないからな。これまでよりも港を便利にしないといけないし、陸路も大幅に整備しないといけない。当然それは伊予国にも当て嵌まる。この物流の促進が安全保障の向上にも繋がり、ひいては軍事力の強化になる。陸運の向上が更なる土佐の発展に直結するのは分かるな?」
「はっ。国虎様が言いたいのは『急がば回れ』ですな。地方に目を向けているように見えても、その実土佐の国力を上げる策であったと。天下がまた近付きましたな」
「いや、そんなつもりは最初から無いぞ」
「皆まで言いますまい。ならば是非、九州攻めの先陣は某にご命じくだされ!」
「ああ、それなんだがな……」
「ちょっと待ったぁーーー!!」
そんな時、勢いよく部屋の襖が開け放たれて、眼を背けたくなるような大音量が耳を蹂躙する。
何事かと思い騒音の発生源を見ると、そこには津田 算長が一人で立っていた。予告の無い突然の訪問はこれまで数え切れない程あるが、評定中に乱入してくるのは初めてとなる。それに算長と言えば根来寺杉ノ坊の重鎮だ。院主は既に義弟に譲ったとは言っていたが、それでも付き人の一人もいないというのは明らかに変である。何か事情があったのだろうか?
「どうしたんだ津田殿? 評定の最中にやって来て。何か事件でも起きたのか?」
「話は聞かせてもらった。ボウズ、今より俺は遠州細川家の家臣となる。九州攻めは根来の杉ノ坊が全面協力する。一緒に三好をぶっ殺すぞ!」
「なっ、何を言い出すんだ突然。内容が支離滅裂だぞ」
「ボウズ、義弟が三好に殺された。何年掛かっても構わない。敵討ちを手伝ってくれ。あいつ等絶対に許さねぇ」
「えっ、ええっーーーー!」
天文二一年 (一五五二年)の事件は数多くあれど、これが俺にとっての最大の事件であった。
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