悪銭身に付かず

「親信、いるかー。……ったく、足の踏み場も無いな。よくこれで仕事ができるよ」


「うっせ。国虎だって変わらないだろうに。右筆がいるから何とかなっているだけだろ」


「そう思うなら親信も右筆を雇え。なんなら俺の所にいるのを回すぞ」


「遠慮しておく。雇っても書類整理と掃除くらいだからな。俺一人で何とかなる」


「そう言いながらもいつも早瀬殿がしてくれていると聞いているぞ。まあ、仲が良さそうで何よりだ」


 本日は久々のミロク訪問となる。親信から俺に見せたい物があると連絡が入り、船を使って夜須大宮八幡宮近くの事務所へとやって来た。気が付けばここも随分と手狭になっており、移転を考えるには良い頃合いだろう。


 特に責任者である岡林 親信の部屋が酷い。隅々に良く分からない模型や試作品が転がり、床には書類が無造作に散らばっている。これで何処に何があるかを大体把握しているというのが何とも親信らしい。


 そんな散らかり放題の部屋に入った俺を、仮眠中であった親信が憎まれ口で出迎えてくれる。突然ムクリと起きた姿に多少の驚きを感じつつも、目の下にある隈が徹夜続きだと示していた。どうやら、また家に帰っていないらしい。


 これでいて新婚だというのだから恐れ入る。


 親信と早瀬殿との婚姻は今から二年前の出来事だ。丁度遠州細川家が土佐を統一した年となる。渋る親信に「いい加減観念しろ」と言ったのは良い思い出だろう。当の本人は早瀬殿が一六歳になるまで待つつもりだったようだが、無理矢理俺が押し切った。早瀬殿も早瀬殿で、身一つで土佐にやって来たというのに随分と耐えたものだと思う。


 そんな親信だからか、相も変わらずである。八年間一緒に暮らしてきたからか、新婚という実感が無いのだとか。それに、ちょくちょく早瀬殿がミロクにやって来るため、顔を見に帰るというのがピンと来ないらしい。


 ……人それぞれと言うしかないか。これで夫婦仲が悪くないのなら、外野がとやかく言うのはお門違いである。


「国虎だってずっと仲が良いじゃないか。あっ、和葉ちゃんが妊娠したらしいな。やったじゃないか」


「ありがとな。俺と和葉の場合は家族の延長みたいなものだからな。一緒にいるのが当たり前という感覚だぞ」


「その感覚が逆に仇となって、妊娠まで時間が掛かったような気もするな。何にせよ、ようやくの妊娠だ。後は男が生まれるかどうかか」


「そうだな。けどこれは、神頼みというしかない。俺の感覚では男でも女でもどちらでも良いんだが、そうもいかないのが辛い所だ。男が産まれて和葉を安心させてやりたい」


「確かに。女が産まれた場合は、国虎に新しい側室が宛がわれるかもしれないしな」


「……それだけは嫌だ」


 ついに和葉が妊娠する。今年の二月から生理が来なくなったので「もしかしたら」とは感じていたそうだ。長年俺との子供を望んでいたのがあってか、日々の体調は良くなくても嬉しそうな顔をする時が多い。こういう姿を見ると、是非とも元気な男の子が産まれて欲しいと願うばかりだ。


 そうなれば和葉に対する周りからの圧力も無くなり、一転功労者となる。跡継ぎができない事で叩かれていた陰口も無くなるだろう。何とか肩の荷を下ろしてやりたい。


「後は子供が産まれてから考えようぜ。それよりも今日来て貰ったのは、国虎に自慢をしたくてな。これなんだが何か分かるか?」


「ん? 銃のフロントサイトに見えるが、特別製なのか? 特に変わった点は無いと思うぞ」


「大ありだ。良く聞け。このパーツはな、実は焼結金属だ。国虎ならこの意味が分かるよな」


「はぁ? 焼結? ……無茶しやがって。これが家に帰らなかった理由か。それにしてもよく温度管理ができたな。確か一二〇〇℃程度で合っていたと思うが……そうか、フリット釉の温度がそうだったな」


「ご名答」


 ここからは今日ミロクへやって来た本題となる。


 床に落ちていた種子島銃の部品を無造作に手渡してきたかと思いきや、何とそれは焼結で作られた物であった。


 うろ覚えながらも焼結に付いては俺も知っている。雑な理解で良いなら、鋳造の上位互換で良かった筈だ。鋳造で作られた物よりも頑丈で、尚且つ重量も軽い。整形もし易いので、思い通りの形が作れる。ここまでの特徴を挙げれば、良い所ずくめと言えるだろう。


 工程自体は金属の粉末を型に押し込み、十分な圧力を加える。感覚的にはクッキーの型押しに近い。この押し固められた粉末を、鉄なら一二〇〇℃から一三〇〇℃の温度で熱する。素材が溶ける直前の温度で加熱すると、焼結体と呼ばれる物質になるという寸法だ。


 この時点で問題点が見えてくる。まず金属の粉末を作るのが大変な手間だ。結果、製造コストが大きく増える。更には元が粉末である関係上、どうしても大きな物を作るのが困難となる。焼結で大砲を作るなど以ての外と言えるだろう。


 また、温度計のような便利な機器の無い時代にしっかりと炉の温度管理をするのも至難の業だ。一二〇〇℃程度に維持しろと言われても、俺にはその方法が分からない。


 だがそこで、親信は一つの結論を出す。それは異業種の職人の力を借りるという離れ業だ。


 俺の肝煎りで始めた磁器製作は未だ試行錯誤の域である。完成にはまだ多くの時間を必要とする。


 ただそれでも、対馬長石と石灰を混合したフリット釉と呼ばれる特殊な釉薬だけは完成していた。これはボーンチャイナ製作には必ず必要であり、陶石で作られた磁器に利用しても良いという代物だ。


 その釉薬が作られる温度が一二八〇℃となる。


 温度計も無い時代にこの温度をどんな方法で知ったのかというと、それは燃料に使っている木の爆ぜ方や燃え方であった。「勘」の一言で全てを済ますこの時代の職人は、変態そのものと言えよう。そんな変態が何度かフリット釉を完成させれば、自然と温度も体得するのだとか。


 その勘と経験を焼結金属製造に使ったのだという。こうした発想の転換ができるのが親信の優秀さであろう。最早呆れを通り越して感心するしかない。


「これも精巧なネジが作れるようになった恩恵と言った所だろうな。ただなあ、一足飛びに焼結金属まで進むか? 普通なら先にプレスだろうに」


「プレスはもうできるから心配するな。後な、俺も本当は鋳造と焼き入れで作るつもりだったんだよ。ただ思った以上に鋳造が難しくてな。それならと焼結金属に進んだだけだ」


「ああ、"巣"の問題か。素材の偏りも出そうだしな。鋳造はただ溶かして型に流し込むだけでは粗悪品しかできない。火薬の反動にも耐えられる部品にするには、素材を均一にしないといけない。離別霊体のように使い捨てを作るのとは訳が違うという所か。そう思うと鋳造も良い物にしようと思えば、難度も高くなるんだな。親信の苦労が分かったよ」


「せめてガスを完全に抜き取る方法が分かればな。現状では一度溶かしてインゴッドを作り直すくらいしかガス抜きの方法が思い付かない」


「思うようにしてくれ。その辺は親信に任せる。それよりも、プレスができるなら頼みたい事があるんだが?」


「何でも言ってくれ」


「銭の問題を解決しないといけない。ほら、伊予が領国に加わったじゃないか。それで浮き彫りになった」


「プレスで銭……なるほど。贋金作りか」


「せめて私鋳銭と言ってくれ。土佐や阿波南部だけなら、対外的には手形と銀による決済、領内は商品券形式で良かったからな。出回っていた悪銭も無視できた。元々銭の流通量自体がそう多くはなかったからな」


「つまり伊予には大量の悪銭があったと」


「そうだ。伊予は瀬戸内海に面しているからな。銭が流れ込んで来やすいんだろう。それと本願寺……というか、貝塚道場から悪銭を何とかして欲しいとも言われている。狙いすましたように悪銭で決済されているらしい」


「悪銭と言っても色々あるんじゃないか? ああ、そういう事か。相当品質の悪い物ばかりなのか」


「ああ。かなり悪い。まず一回りは小さい。それに大体文字が入っていない。割れや欠けもあるな。撰銭令えりぜにれい (銭の交換比率や混入比率を定めた法)では対象外な銭ばかりだ。確か打平うちひらめという呼び名だったか。貝塚道場も断りたいようだが、そうもいかないらしい。せめてもの対策として交換比率を下げたりしても、お構いなしに決済してくるんだとよ。堺が陰で糸を引いているんだろうと言っていた」


 今度は俺の方となる。この悪銭問題解決のために、親信の力を借りなければならなかった。


 四国は日の本の中でも比較的貨幣経済の導入が早い地域となる。その分悪銭の流入時期も早くなっていた。特に瀬戸内海に面した地域なら、その規模が大きくなるのも必然とも言えた。


 言われてみれば当然のこの話に気付かなかったのは、俺が土佐で業者間取引を主としていたからである。業者間取引は一回の取引額が大きいだけに、決済に銭を使用していれば、持ち運びが負担となる。


 それに俺は多額の借金を持つ身だ。そうなれば話は簡単で、商品代金を受け取らなくても、債権となる証文を相手に渡せば良い。代金分の借金返済を相手にしてもらうというやり方だ。こうすれば銭を一切使用しなくても決済できる。その後に必要物資を借金で手に入れるのは、お約束と言って良い。


 また、領内の決済に商品券方式を採用したのは、和紙製造の保護育成の側面がある。土佐は質の良い楮の取れる地だ。それに「土佐和紙」と言えば、「越前和紙」や「美濃和紙」と並ぶ三大和紙の一つでもある。これを伸ばさない手はない。


 それに津野家を降した事で、俺は土佐の中でも最も和紙製造の盛んな地域を手にしていた。より一層の育成に力を入れるのは必然と言えよう。


 余談ではあるが、須崎にいた大旦那衆や土佐一条家関係者を追放した際に、しっかりと手持ちの銭を持って出て行かれたのも、これまで悪銭を問題視しなかった要因に挙げられるだろう。


「だから遠州細川に何とかして欲しいのか。本当堺は禄でもない事ばかりする。何が気に食わなくて俺達を目の敵にするのか分からないぞ」


「こういう時、堺との仲の悪さが有名なのも考えものではあるな。ただ貝塚道場の件は抜きにしても、伊予の件があるからどの道何とかしないといけない。親信、鋳潰して作り直すのはできるか? それも精巧にだ」


「時間さえ貰えればそう難しくはないぞ。金型作りに手間が掛かる程度だ。どうする国虎? ミロクから切り離して単独の事業にするか?」


「そうだな。その方が無難か。伊予一国だけでも相当な量があるだろうし、悪銭の流れがこれで終わる訳がないしな」


「それで、作った贋金はどうするつもりだ?」


「まずは伊予へ流す。悪銭を私鋳銭に置き換えないといけない。そうしないと伊予国内で安心して買い物ができなくなるからな。伊予国外からの商人には、座に両替の役割をさせれば何とかなると考えている。それと……阿波海部家や紀伊鈴木党、紀伊太田党にも置き換えさせるか。この分だと俺が直轄していない地域は悪銭が蔓延してそうだ」


「それは言えるな。よし、国虎は用地の選定と悪銭回収の手配を頼むぞ。後は俺に任せておけ。プレスの機械自体は、手動の万力のような物で設計しておく。それと圧延用のローラーか。まずは小さな規模から始める形で良いな?」


「それは助かる。今の遠州細川家に人手の余裕は無いからな。少人数しか絞り出せない」


 プレス加工自体はそう難しい技術ではない。原理的には言葉通り圧力を掛けるだけである。問題なのはこの戦国時代に、どのような方法でそれを工業的に使用できるようにするかだ。当然ながら重しを乗せてプレス加工をするという、頭の悪い発想は却下とする。


 最も単純な方法がネジ技術の応用と言えよう。ネジは物体を固定するだけが役割ではない。親信が言った万力がとても分かり易い加圧方法と言える。ハンドルを回してネジを締める。挟み込む口金部分が銭の金型となっていれば、最後まで搾り上げると銭が完成するという流れだ。銭は銅を主成分としているために、加工をし易いというのが大きい。


 いずれは足踏み式のプレス機にまで進むと思うが、初期は部品点数の少ない単純な構造から始めるのが手堅い。そうすれば不具合の洗い出しも難しくはないだろう。さすがは親信と言える。


「それにしても悪いな。本業は船の設計なのに、最近は船に関係の無い仕事ばかりをさせて」


「気にするな。気にするな。船はこの時代なら君沢形とその上のクラスがあれば十分だからな。俺の出番はもう殆ど残っていない。それに船大工の岡のオッサンを家臣に加えてからは、現場に出る必要も無くなった。奈半利組とも上手くやっていて、新人の面倒までしっかり見てくれているんだから大したものだぞ」


「そう言ってもらえるとありがたい」


「元々俺は物作りが好きだからな。だから、今の仕事は超楽しいぞ。のめり込み過ぎて早瀬に叱られる時もあるが、彼女もあれでいて新しい物好きでな。試作品を見るのが楽しいそうだ」


「なら良かった。……とそうだ。忘れる所だった。もう一つ、生糸用の座繰りの設計も依頼して良いか?」


「座繰り? 何だそりゃ。ああ、糸巻き機か。仕様を書いてこっちに送ってくれ。図面を引いて介良地区の木工職人に試作品を作らせる。その後は不具合を見ながら改良を加えていく。これで良いな?」


「助かる。これで生糸製造も事業化できる。これまで手繰りで糸を紡いでいたと報告を受けた時には、卒倒しそうになったぞ」


「本当、色々と手を出すな国虎は。まあ、そのお陰で土佐は激変したからな。俺も協力し甲斐がある」


「まだ全然足りないけどな。それよりも、悪銭の件が何とかなりそうで良かったよ。左京進と貝塚道場には土佐に悪銭を送るように連絡しておく。それと、土佐や阿波南部の悪銭も集めさせないといけないか」


「金型製作用のサンプルも忘れるなよ」


「そうだった。ありがとう」


 呆気ない結末であったものの、こうして悪銭問題は一応の解決を見る。これは室町時代に入り、経済規模が大きくなったがための弊害だ。その状態でも銭を海外からの輸入に頼らざるを得なかったのが、根本の原因である。


 正直な所、今回の私鋳銭作りはかなり怖い。もしこの私鋳銭が領外に流れてしまえば、どういった経済的な影響を与えるか分からないからだ。


 幸いなのは、精銭と呼ばれる良質の銭と打平に代表されるような質の悪い悪銭とは、使用されている素材の比率が違う点であろうか。これなら私鋳銭と簡単に認識されるだろうから、領外の商人もそう持ち出しはしないと考えている。


 いや、下手な考え休むに似たりだ。例え遠州細川産の私鋳銭が領外に流出しても、それよりも悪銭問題の方が深刻だから話題にも上らない。それ位に割り切っておいた方が良い。まだ何も始まっていないのに、余計な事を考えるのはよそう。


 そうとなれば、切り替えて雑談に花を咲かすか。


「それにしても、親信と悪巧みの話ができるのも随分と久々だな。お互いが偉くなったからこそ会えなくなったというのは、寂しく感じる」


「何言ってんだ。偉くなったのは国虎だけだろうに。俺ならミロクに来ればいつでも会えるぞ」


「嘘つけ。しょっちゅう各地の視察に回っているくせに。きちんと休みは取れよ。そうだ、今度早瀬殿と一緒に紀伊に行って来い。たまにはゆっくりさせてやれ」


「何を言うかと思えば、遅い新婚旅行か?」


「それは良いな。よし、ついでに伊勢神宮にも行って来い。こういうのは大事だぞ」


「……そうだな。焼結金属の工業利用はまだでも、一つの区切りは付いた。羽を伸ばすのも良い時期かもな」


「そうしろ。そうしろ。帰ったら旅行の話を聞かせてくれ。但し、護衛はきちんと付けろよ。それだけは忘れるな」


「それが面倒なんだよ」


坂本 龍馬さかもとりょうまより三〇〇年も前に新婚旅行に行くなんて、大きな歴史改編になるぞ。歴史に名前が残るかもな」


「……それが目的か」


「こういうのも面白いだろう? どんなバタフライエフェクトが起こるか楽しみだ。そうは思わないか?」


「ねぇよ」


 戦国時代にやって来て二〇余年。未だにこうした馬鹿話ができる相手がいるというのは、とても嬉しいものである。 

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