二枚の紙切れ
月は変わって一〇月、ついに伊予侵攻が始まる。今回は東予方面と南予方面の二か所から同時に制圧を行うという、内容だけを見れば高度な作戦となる。
ただ、東予方面に於いては事実上の寄せ集め部隊となるため、多くを期待してはいけない。あくまでも石川 通昌の起こした乱に乗じた火事場泥棒である。勢いはあっても、敵との真正面からの激突は避けたいのが正直な所だ。東予方面での最重要は土佐北街道の完全掌握であり、川之江と土佐を陸路で結ぶ点にある。それが達成できたなら無理はしないように伝えておいた。幾ら備前国から物資の支援があるにしろ、後詰の兵をほぼ期待できない以上はこの辺が妥当と言えるだろう。
勿論、勝てそうな場合は壊滅させても良いとは伝えている。この辺りは現場の判断に任せる形だ。蓮池城の戦いで将として一皮剥けた安芸 左京進なら、臨機応変な対応をすると信じている。
なお、書状を出した宇喜多殿は二つ返事で快諾してくれた。兵数は二〇〇と少ないながらも、精鋭を派遣してくれると書き記されていた。心強い援軍である。
そして、俺が率いるのは南予方面から侵攻する部隊だ。今回の作戦の本命はこちらである。
南予方面は隊を三つに分け、本隊が船で伊予国法花津浦から上陸をする。別動隊は宿毛港から海岸線を陸路で北に進む隊と、同じく陸路で土佐国中村の町から
陸路は御丁寧にも国境が土佐一条家の残党の生息地となっているために、根こそぎ掃除するつもりだ。担当は海岸線方面が畑山 元明、河後森城方面が松山 重治とした。ベテランの域に達しているこの二人なら、確実な仕事をしてくれると期待している。
法花津浦は文字通り先の海戦で半壊させた法花津氏の勢力下にある。それが理由で上陸地点とした。陸兵と違い、海賊衆は立て直しに時間が掛かる。一年程度では数を揃えるのが精一杯だろう。ひよっこに大規模な海戦はほぼ無理だ。玉砕覚悟の突撃が関の山となるだろう。個人的には堂々とそれをできるなら大したものだと思うが、現実的に考えれば戦わないという選択が最も賢い。遠州細川家の船を見れば、逃げるか降伏するかのどちらかになるのではないだろうか? 港周辺を押さえるのはほぼ作業になると思われる。
後は南予西園寺家本拠地である
また、敵の本拠地のある
だが、そうはならない。例え強固な山城を築いていたとしても、新居猛太改の波状攻撃を受ければひとたまりもない。俺からすれば、自信満々な籠城は自らで棺桶に入るのとほぼ同義だ。是非その選択を後悔してもらおう。
要するに、南予西園寺家との戦いは勝てる戦である。だからこそこれまで攻略を焦っていなかった。しかも南予西園寺家の領地は、中村の町がある幡多郡と隣り合っている。これで焼き討ちの話が耳に入っていないというのは難しい。尚の事、引き籠ろうとするだろう。そのため今回の戦は、各個撃破を繰り返す地道なものになると踏んでいる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「えっ、焼畑とか冗談言うなよ」
「誠です」
「単純に土地が痩せ枯れているか、それとも水の確保が難しいのか、あるいはその両方か……うーん、伊予国だから裕福だと思っていたらそうでもないのか。何か産業を作ってやらないと食うのにも困っていそうだな」
「民達の主食は稗で、米はまず食べられませぬ」
南予侵攻は順調そのものだ。法花津浦に堂々と船団を突入させると、敵の海賊衆たちは蜘蛛の子を散らすようにあっさりと逃げ出す始末であった。おまけに法花津家の本拠地の城を囲うとあっさりと降伏までする。相当に先の海戦が堪えたのだろう。最早新生村上水軍は、妖怪変化とそう変わらない存在かもしれない。
とは言え、このまま宇和盆地入りして敵の本拠地を目指すのは面白くない。それに決戦 (?)の前に士気を上げる必要もある。そのため、手近な城に生贄になってもらおうと、本隊をそのまま南に向かわせて
そうした経緯を経て、現在杉谷隊が擲弾を発射しているのを横目で見ながら、手持無沙汰となった俺は新人の大野 直之と雑談に花を咲かせている。皆が必至で頑張っているというのに不謹慎極まりない大将であった。
話題は当家に来てから困った点や生活の不便な点があるかどうかから始まり、当然のように故郷の久万地区の生活へと続く。そんな中、久万地区の産業の実態を話してもらっていた所で思いもしない単語が飛び出てきた。
それが焼畑農業である。
焼畑農業というのはほぼ言葉通り森林や草地に火を付け、焼け跡を畑として利用する農法だ。現代ではアマゾン熱帯雨林で起きた大規模な森林火災によって良い捉え方をされない。前時代的な農法に見られるだろう。
とは言え、今は戦国時代だ。この時代、焼畑農業は日の本各地で行われている。特に山間部では日常の光景でもあった。
その辺が分かった上でも、やはり身近で焼畑農業の話を聞けば驚くのも無理はない。俺の身近な農業は一つの決まった場所で行うために、場所を転々と変えるこの農業にはかなり懐疑的であった。はっきり言えば、安定した収穫量が見込めないのではないかと。
耕作地の問題が先か農法が先かは分からないが、この時点で直之の故郷である久万地区が貧しい地域だというのを理解した。事実直之も、主食が雑穀の稗だと正直に話してくれる。
「もしかしたら本山村より悲惨な状況かもしれないな。直之、これは責任重大だぞ」
「何がでしょうか? 私は国虎様のお側に仕えて生活が大きく変わりましたが」
「いや、そういう話ではなく、久万の民の生活を底上げしないといけないだろうに。冷たい事言うなよ」
「お気持ちは理解できますが、今の私には何の力もありません。そういった話は父とされるのが良いと思われます」
「……そうだな。今は仕事を覚える方が先か。こちらの方を疎かにする訳にはいかないな。俺も直之には期待しているから、当家のために頑張ってくれよ」
とても珍しい反応であった。この時代の武家は土地に拘り、自らの出身地に拘るものだと思っていたが、そうではない者もいるという例を見たような気持ちとなる。何となくではあるが、故郷が嫌いなのだろうと感じた。だから興味を持てない。それよりも自分の生活が大事だ。そんな所だろう。
世が世なら「上京してビッグになる」、そんな台詞を言ってそうだ。
冗談はともかく、直之の言葉に伊予大野家が当家に臣従した理由を垣間見る。とても分かり易い理由ではあるが、これは一朝一夕には解決できない問題だ。それに放置しておけば、間違いなく火種となる。この戦が終われば、少しずつでも手を入れなければならないだろう。
何を行い何を伸ばすか、現地を見ていない俺には正確な所は分からないにしろ、それでも直之の話は参考にはなる。思い出したくはない記憶に平気で手を突っ込まさせる俺も随分酷い奴だと思いながら、直之との話はその後も続いた。
「申し上げます! 石城城主
「報告ご苦労。武装解除だけさせろ。素直に城を明け渡せば、命は取らない」
そうこうする内に石城落城の報せを受ける。結局今回も突入部隊の出番は無く、若干盛り上がりに欠ける結末となった。
後は武装解除させた兵を解散させ、接収を行う。城主の息子達は保護名目で土佐に送っておこう。今回も礼金目的で参加した海部 友光殿に依頼すれば良い。
ここまでは想定通りだ。ここから先、南予西園寺家の逆転の一手があるかとても楽しみである。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
……と、そんな風に思っていた時もありました。
石城の接収や戦の後始末を終え、「いざ行かん、黒瀬城へ」となった所で良い仕掛けを思いついたと突然書状を書き始める。内容は全面降伏を促すものだ。
やはり問答無用でいきなり攻め込むというのは宜しくない。きちんと対話の道を開き、無駄な血を流さないよう配慮するのも必要である。こちらとしても目的が達成できるなら、命まで取ろうとは考えていない。平和裏に解決できるのが一番の近道である。
そういう考えで書状を完成させた。それも二通。
「横山 紀伊、それと空念、頼むぞ。その場で返事をもらわなくて良い。今回は書状を渡すだけだ。とは言え、内容が内容だけに門番に渡して終わりとはならない。きちんと身分ある者に渡せよ。紀伊が南予
この時代、僧侶という存在は何かと役に立つ。中でも他家との交渉という役割でこれ程便利な存在はいない。何といっても姿が一目で分かる明瞭さだ。それが相手の警戒心を解く。武家が交渉役では、特に戦時の場合に話さえも聞いてもらえない事態がしばしば起きる。
そういった経緯から、戦の際は常に僧を引き連れていた。これまでは短期決戦ばかりで出番がなかったものの、ようやくその出番が回ってくる。
ただ、例え今回の役割が書状を渡してくるだけにしても、子供のお使いでは交渉役は務まらない。予め内容を理解して臨機応変な対応が望まれる。そのためには内容のすり合わせが必要であった。特に二人に渡した書状にはある仕掛けがしてあるため、その意図を知ってもらわなければならない。
「……おや、向かうのは南予西園寺家の黒瀬城ではないのですかな?」
「紀伊、黒瀬城は餌だ。書状の中身を読んでも良いぞ」
「では失礼して……ほほぅ、領地を手放して全面降伏せよという内容ですか。つまり国虎様が餌と言ったのは、黒瀬城のようになりたくなければという意味ですな。まだ黒瀬城も落としていないのに、よくこんな書状が書けますな。それと最後の一文、これはどういう意味でしょうか?」
「どういう意味も何も書いてあるままだ。空念の持つ書状には、南予宇都宮家で書いてある」
「よくこんな嘘をいけしゃあしゃあと書けますな。相手に問い質せば、簡単にばれてしまいますぞ」
「そうはならないのが人の面白い所だ。とは言え、俺もこの紙切れ一枚で相手が降伏するとは考えていない。余興と考えてくれ。だから、今回は渡すだけで良い。あっ、空念も読んでおくか」
「では拙僧も拝読させて……なるほど。この『南予宇都宮家は既に当家と秘密裏の降伏交渉に入っている』という一文ですな。実際には一切始まってもいない交渉をでっち上げて、河野本宗家の降伏を促す策だというのは分かりますが……この『秘密裏』の言葉で台無しにしているのではないでしょうか? 書状にこう書いてある時点で最早『秘密裏』ではありますまい。拙僧ならば読んだ瞬間に捨てますぞ」
今回の書状に書いた仕掛けは、最後に「〇〇家は既に当家と秘密裏の降伏交渉に入っている」という一文である。
横山 紀伊と空念に渡した書状はほぼ同一の文面だ。内容的には「当家に領地を明け渡して全面降伏しろ。嫌だと言うなら族滅させるぞ」となる。違うのは、南予宇都宮家に宛てた書状では「河野本宗家は既に当家と秘密裏の降伏交渉に入っている」と書いてあり、反対に河野本宗家に宛てた書状では「南予宇都宮家は既に当家と秘密裏の降伏交渉に入っている」と書いてあった。
まさしく空念の言う通り、読んだ瞬間に捨てるのが確定の嘘八百の内容である。子供染みた計略なのは間違いない。
「まあ普通はそうだろうな。ただ考えてみろよ。黒瀬城があっさりと落ちてしまえば、その次が何処になるかを。東予もそうだ。現状はどうなっているか分からないが、少なくとも兵を集結させて西へ進めている。ここで河野本宗家の背後である南予宇都宮家が降伏したらどうなるかを」
「……どちらも一族滅亡が確実ですな。もしやこの謀ありきの二方面からの侵攻ですかな?」
「それは買い被りだ。最初に言ったように今回は書状を渡すだけで良い。本当はすぐに北上したいが、黒瀬城を落としても南予西園寺家の残りの城全てが降伏する訳ではないからな。掃討が終わるまでの時間、疑心暗鬼になってもらうだけだ。運良く南予宇都宮家と河野本宗家が連携しなければありがたいという程度と考えてくれ。伊予大野家という伏兵はいるが、これは保険だ。動かせる兵が三〇〇から五〇〇らしいしな。戦局に大きな影響を与えるとは考えていない」
「つまり分断工作という意味ですな」
「ご名答。各個撃破の布石と考えてくれ。だから渡すだけで良い。それ以上は余計な真似はするなよ。最悪、両家と同時に争うのは覚悟している。理解したなら行って来い。あっ、門番買収用に直之から銭をもらっていけ。多めに渡せよ。そうすれば、即偉い人に繋いでくれるからな」
例えば事業の業績が好調な時に、消費者金融のダイレクトメールを見て金を借りたいと思うだろうか? 当然そうはならない。年利を考えれば、必要な資金は銀行で借りる選択をするだろう。
しかしそれが、手形が落ちるか落ちないかの瀬戸際であったならどうだ? 普段鼻で笑うダイレクトメールが救世主に見える。その後の事態を考えずに目の前の難局をどう乗り切るかが重要だからだ。
人というのはその状況によって、物事の見え方が変わる。
つまり、追い込まれれば追い込まれるほど、人は疑心暗鬼に陥り易い。南予宇都宮家の場合は、南予西園寺家の本拠地である黒瀬城が落ちた時点で次の標的が自分達となる。そこで頼りとする援軍の河野本宗家に、裏切りの兆候ありと知ればどう考えるか? それに尽きる。
まず俺が当事者なら、快諾して少数でもすぐに兵を出してくれない限りは相手の行動を疑う。例え、河野本宗家自身に脅威が迫っているという理由で援軍を出し渋った場合でも、自分達は見捨てられた。もしくは最悪の場合は敵に回ったと判断しかねない。
今回はそういった人の心を攻めた策である。
勿論、二人に言った通り、こんな子供騙しがそうそう上手く行くとは考えていない。何となく南予宇都宮家が万全の迎撃態勢を整える妨害をしたくなっただけだ。黒瀬城落城の効果を少しでも生かそうとしたに過ぎない。
後は俺達がどれほど短時間で黒瀬城を落とせるか、それに掛かっている。もし一か月以上も掛かってしまえば、本気で今回書いた書状がゴミとなり、全てが笑い話になってしまうだろう。
「あれだけの大言壮語を書いたのだから、恥ずかしい真似はできないな。今回は火力全開で即落とすか」
──細工は流流仕上げを御覧じろ。
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