老黄忠

 「栄枯盛衰」「驕る平家は久しからず」 細川 晴元の現在の凋落を見るとそんな言葉が頭を過る。


 三好宗家を味方に付けた氏綱派が同族争いに勝利した形となり、あの強大だった細川 晴元帝国が往年時と比べれば見る影もなくなった。また、今回の細川野州家においても同様である。内輪での争いによって全てを失った。「備中守護家」という肩書が今は羽のように軽い。


 今や領地を持つ細川家は、阿波守護家と遠州家程度だろう。細川 氏綱殿が京兆家を継げば守護の地位を手に入れるにしても、実態はそう現状と変わらない。


 とは言え、そんな斜陽一直線の細川一族に残された物が何も無いという訳ではない。きちんと遺産が残っている。例えば積み重ねた歴史もその一つだろう。あるいは人脈と言うべきか。それは当然一度は死に体となった遠州細川家にも当て嵌まる。


 今回はそんな意外な事実が発覚した出来事と言えるだろう。


 事の起こりは伊予侵攻を決定した数日後、皆が戦の準備に取り掛かり慌ただしくなった頃だ。そんな時にとある人物が浦戸城を訪ねてやって来た。


 その人物は大野 利直おおのとしなおと名乗る。伊予国久万くまの有力豪族であり、河野本宗家に所属する。勢力圏は意外にも大きい。


「細川様、この度は土佐統一おめでとうございまする。駆け付けるのが遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。遠州細川家が復活を遂げて、某も我が事のように嬉しく思っております。今後とも末永く伊予大野家を宜しくお願い申し上げまする」


 年の頃は五〇を超え、老境に差し掛かった頃だろうか? 白髪交じりの髪と髭が特徴的であった。とは言えその覇気は未だ衰えていない。戦となれば自らが隊を率いて駆け回るのは朝飯前だろう。「若い者にはまだ負けん」、そんな言葉を言ってそうだ。


 織田 信長が好んでいた幸若舞こうわかまいの「敦盛あつもり」では「人間五〇年」という一節があるが、元津野家筆頭家老であった中平 元忠も含めてこの時代の五〇代も元気な者が多い。


「こちらこそご足労をお掛けしました。お言葉誠に嬉しく思います。それで、本日のご用件はどういったものでしょうか? 腹の探り合いは嫌いですので、単刀直入にお願いします」


「はっ。それではお言葉に甘えて正直に話させて頂きまする。此度の伊予侵攻において、我が伊予大野家を遠州細川家の攻め手として加えてくだされ」


「? ……理解が追い付いておりませんので、間違っていましたら訂正ください。それはつまり、河野本宗家を裏切って当家の味方をするという意味でしょうか?」


「その認識で間違いありませぬ」


「……ご遠慮致します。お引き取りください」


「何ゆえですか?」


「地方領主が生き残りのために強い方に付く、その気持ちはとても良く分かります。ですが、それは簡単に裏切るという意味と同じです。自らの利益しか考えない方を味方にすると、後の統治で苦労するのが見えています」


「細川様、それは誤解ですぞ! 某はむしろ細川様が伊予侵攻をするという噂を聞き、いの一番に駆け付けた次第です。これまでは仕方なく河野本宗家に従っていただけの話。もしや伊予大野家が、南北朝以来遠州細川家と懇意の家だというのをご存じないのですか?」


「……まさか」


「まさかではありませぬ。某は悲しく思います。細川家の悲願は四国統一です。ですが、長年河野本宗家がそれを阻んでおりました。今は没落した伊予森山家と共に、当家は遠州細川家と馬を並べて河野本宗家と争っていたと伝え聞いておりまする。時には土佐に軍を派遣した事もあり申した。応仁の乱以前の話ではありますが……」


「ならどうして河野本宗家に従って……そうか、応仁の乱と細川政元様暗殺後の乱で、当家が滅亡寸前まで追い込まれたからか」


「左様ですな。それに河野本宗家に従っていたとは言え、実態は反抗しては和睦を繰り返していたと聞いておりまする。事実、某自身も何度も河野庶流の戒能かいのう家と争っては退きの繰り返しです。河野本宗家への従属は、土佐一条家の脅威があったが故の表面上にしか過ぎませぬ」


「では土佐一条家の脅威の無くなった今だからこそ、元々の関係に戻りたい。今回の訪問はそういう意味なのですね」


「さすがにそこまでは恥ずかしくて申せませぬ。当時と現在の遠州細川家では力が全く違いますからな。現在の方が何倍も上でしょう。ならば臣下の礼をとって、遠州細川家の四国統一の手助けをするのが当家に与えられた役割かと考えておりまする。何卒臣従をお認めくだされ」


 義父である細川 益氏様からは、これまで一度も伊予事情を聞く機会は無かった。そこから考えれば、益氏様自身も知らないと見た方が良い。確か生まれた時点で父親は亡くなっており、しかも政元様の暗殺事件後には一族丸ごと京へ駆け付けたいう。丁度数えで五歳頃の出来事だ。一人残された当時の益氏様に、過去の遠州家を伝える者が誰もいなかったのだろう。


 大野 利直殿が言うには、細川京兆家直々の依頼を受けて、遠州細川家の伊予侵攻をこれまで手助けしていたらしい。


 伊予国に対する細川家の活動を既に細川 通董殿から聞いていた俺には、信憑性があると感じた。要は東予戦線のみではなく、土佐からも河野本宗家に攻め込む二面作戦を展開していたという話なのだろう。同族争いに付け込んで利を掠め取ろうとするだけでは飽き足らず、しっかりと背後から殴り掛かっていた。伊予に対する執念が良く分かる。


 逆を言えば河野本宗家は、この逆境を良くこれまで耐え忍んだものだ。それでは飽き足らず、伊予平岡家のような周辺豪族をも抱き込んで家臣化まで果たしている。ちゃっかりと支配領域を広げているその手腕は、見事としか言いようがない。意外とやり手の可能性もある。


 いや、河野本宗家に対する評価はひとまず置いておこう。問題はこの臣従願いをどうするかだ。


 これまでのやり方に沿えば、伊予大野家のような有力者の臣従は認められない。伊予国併呑後の統治に大きな弊害となるからだ。平たく言えば思い切った改革が行えない。領地を残しておけば、既得権益を守るための抵抗勢力となるのが目に見えている。あくまでも室津や野根の件は例外だ。俺と惟宗家当主の仲が良かったから何とかなっただけである。他家も同じようになるとは考えなてはいけない。


 けれども今回の場合は、それを無視しなければならない背景ではないのか? 幾ら俺が養子だと言っても、遠州細川家の歴史は大事にしなければならないのではないか? そんな疑問が頭の中でグルグルと回り始める。


 何となく後ろに控える谷 忠澄の顔を見る。やはり俺と同じく悩んでいるようだ。表情を濁らせて、結論をはっきりと出せていないように感じる。きっと、「長く当家と付き合いのあった家に恩知らずな真似はしたくない」とでも考えているのだろう。


 そう、今や遠州細川家は土佐一国を領有する勢力だ。抱える家臣も以前に比べれば多くなっている。ここで杓子定規な対応をすれば、家臣達の心が離れかねないという懸念があった。


 臣従を決めた理由が日和見であるなら影響は出ないだろう。しかし今回は、先祖以来長年の盟友を助けるために傘下に入るという、何とも義に篤い理由である。これを喜ばない武家はまずいない。


 言い換えれば、義理人情の話である。


 どうやら今回は諦めて特例を適用するしかないようだ。幸いなのが、伊予大野家の領地が山間部である点だろう。大規模な開発には適さない地だ。鉱山でもない限りは介入は難しい。


「分かりました。伊予大野家の臣従を認めます。以後は遠州細川家のために存分に力を振るってください。……差し当たって人を派遣しませんか? 実は伊予大野家の隣の地域では石灰鉱山の開発を行っております。食事と報酬を出しますので、派遣した人足には良い小遣い稼ぎになりますよ」


「そ、それは……感謝致します。ただ、鉱山の開発と言っても何をすれば良いものか? 足手纏いとなりませぬか?」


「そう難しく考えなくても大丈夫です。まずは試しとして力自慢を数名出してください。後の事はそれから考えれば良いでしょう」


「確かに、その通りですな。領地に戻り次第、早速手配致しまする。それと、本日は我が息子を人質としてお預け致します。直之なおゆき、細川様に挨拶をするように」


 大野 利直殿の後ろに控えていた少年が前に出て、深々と頭を下げる。見た所、年齢的には谷 忠澄とそう変わらない。だというのに、こうして礼儀正しく振る舞えるのは素直に凄いと思う。小さい頃から教育が行き届いているのだろう。初めて会った時の忠澄とは態度が大違いであった。


 そんな優秀な子供を人質として預けるのだから、覚悟も十分に伝わってくる。しかもこちらが要求していないにも関わらず、先に提案をする手際の良さだ。国境に生きる地方領主のしたたかさも感じさせられる。


「はっ。只今紹介に預かりました伊予大野家が六男、大野 直之おおのなおゆきと申します。本日は誉れある遠州細川家当主 細川 国虎様にお会いできて誠に嬉しく思います。以後、誠心誠意お仕え致しますので何卒宜しくお願い申し上げます」


「凄いな。まだ元服したばかりだろうに。よくこれだけの口上をすらすらと言えたものだ。それに落ち着いてもいる。とても見所がある……と言いたい所だが、俺の評判で良いのは無い筈だぞ。気を遣ってくれるのは嬉しいが、そういうおべっかはいらないからな。以後気を付けてくれ。とりあえずどうする? 俺の傍で右筆として働くか、武官として一から鍛えるか。好きな方を選んでくれ」


「はっ。それでは細川様の傍で右筆として働かせて頂きます。お役に立ってみせますので、期待ください」


「それは頼もしいな。こちらこそ頼むぞ。これからは国虎呼びにしてくれ。これも頼む」


「はっ。国虎様、かしこまりました」


「大野殿、良い息子ですね。当家ではきっと良い働きができるでしょう。責任を持って預からせて頂きます」


 この挨拶だけでも人質に選ばれた理由が良く分かる。まず当家にはいない種類の人材だ。しかも、最初から右筆を選ぶのがまた珍しい。読み書きには自信があるという意味だろう。まさに当家が喉から手を出すほどに欲していた人材でもあった。


 気になるのは、この若さで随分と大人びている点だろうか。それに視線が無暗に鋭い。とは言え、それ自体は個性のようなものだろう。変に疑わずに軽く流しておいた方が良いだろう。


 それに元々、当家には俺を筆頭に悪人面は大量にいるというのを思い出す。 


 その後は伊予侵攻の打ち合わせへと話題を変える。伊予大野家が当家の傘下に入った以上は、しっかりと連携を取るためにも擦り合わせを行う必要があった。


 既に東予と南予の攻略を先に行う方針が決まっているため、大野 利直殿には中予の河野本宗家が動けないようにする牽制を主な役割として依頼した。当人は俺と共に大野領から河野本宗家の本拠地を突きたかったらしく、ガクリと肩を落とす。


 とは言え、伊予大野家の加入によって作戦はより複雑化した。ある意味三方面からの攻撃となる。伊予大野家の動きが作戦の難度を左右するのは間違いない。上手く嵌まれば大きく低下するだろう。


 そうなればより緊密な相互の連絡が必要という考えで纏まり、もう何人かの人員を送ってもらう約束を取り付ける。これにより戦の主導権は当家が受け持ち、伊予大野家には勝手な行動をしないようにとの楔を打ち込んだ。


 ただ、これでやる気満々の大野 利直殿が納得できるかと言えば、当然収まりはつかない。


「……無念です。当家の臣従がもう少し早ければこうはならなかったものを。いや、伊予の統一が最優先なのは分かっておりますので、此度は裏方に徹します。それは安心くだされ。ただ……」


「ただ?」


「当家が一番槍の栄誉を賜るつもりでしたので、それが心残りです」


「そう肩を落とさなくても、河野本宗家を倒したなら次は残党狩りが待っています。そこでなら活躍の機会が幾らでもある筈です。そうすれば、大野 利直殿は当家でも一目置かれる存在となるでしょう。何も心配する事は無いと思いますが……」


「無論、残党狩りは土地勘のある当家に一日の長がありまする。謹んでそのお役目は受けましょう。ですが、それでは足りぬのです。一番槍となりませぬ」


「……」


「こう致しましょう。讃岐国侵攻の際は是非伊予大野家を主力に加えてくだされ。一番槍をお任せくだされば、某が責任を持って敵を打ち破ります。此度のうっ憤は全てそれにぶつけましょうぞ」


「いやいや、伊予侵攻も始まっていないのに何を言うんですか。気が早過ぎですよ」


「お願い申す」


「……考えさせてください」


 天文二〇年 (一五五一年)一〇月、伊予侵攻作戦開始を目前にして次の攻撃目標が勝手に決まる。と言うよりも、戦馬鹿が新たに加わったという表現の方が正しいだろう。


 ──老いてますます盛んなり


 「三国志演義」に登場する黄忠こうちゅうも大野 利直殿と同じくこんな暑苦しい人物だったのではないか、ふとそう感じた。

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