今日もどこかで細川
天文二〇年 (一五五一年)は時代の転換点とも言える年だ。
まずは周防大内家で起きた軍事クーデターとも言える「大寧寺の変」。これにより、周防大内家が
上洛という大遠征を起こすにはあり得ない量の物資が必要となる。それを安易に各領国に求めれば、負担が重く圧し掛かるために反発を招きかねない。いざ現実に直面すれば、上洛が口で言うほど簡単でないのは分かる筈。どこまで上手くやれるのかお手並み拝見である。
また、畿内では尾州畠山家の遊佐 長教殿が暗殺された。この遊佐 長教殿は氏綱派の中心人物であり、且つ尾州畠山家を事実上牽引していた程の大物である。そんな人物が亡くなったというなら、尾州畠山家と三好宗家との関係性は間違いなく悪くなるだろう。何より三好宗家が公方陣営と敵対しているのが大きな理由だ。これを放置していれば最悪決裂さえ起こり得る。この難局をどう切り抜けるのか、これもお手並み拝見である。
こうした無責任な感想が持てるのも、現状遠州細川家に大きな外敵がいないというのが理由であった。土佐統一を果たした恩恵だろう。潜在的には三好宗家や阿波細川家が敵であるものの、表立った対立はしていない。優先すべきは畿内情勢というのが大きい。
つまり、全ては対岸の火事。例え周辺が混沌へと歩を進めてはいても、当家だけは平和そのもの。強固な国造りを行うには理想の環境である。
とは言え、世の中というのはそう甘くはない。旅は道ずれ世は情け。混沌への旅路にはまだ席に余裕がある。ならばと無理矢理引きずり込み、皆で仲良く蟲毒を味わおうというのもまた世の常なのだろう。
魔の手は思わぬ形で当家へと近寄ってきた。
「……この細川 氏綱様からの書状では、細川 通董殿の居城である伊予国川之江城を先の戦の褒美として頂けると書いてありますが、本当にそれでよろしいのですか?」
「はっ。譲渡に関しましては問題ありませぬ。どの道現状の細川野州家では維持さえも難しき城です。ならば同族である遠州殿に委ねるのが最も適切な判断でしょう。細川 氏綱様より褒美としての譲渡の提案を頂いた際には、『その手があったか』と膝を叩きました。その代わりと言っては何ですが、某の身の安全を何卒お願い致しまする」
この年の一〇月、浦戸城に保護を求めて一人の人物がやって来る。名前は細川 通董。細川 氏綱殿の書状を携えていた。細川野州家の現当主と言えば聞こえは良いが、実質的な領地が川之江のみとなった斜陽の細川一族である。
ただ幾ら斜陽とは言え、伊予国川之江の地は四国における陸海の交通の要衝であり、その価値は高い。山奥で生活が苦しく保護を求めたという話とは違う。むしろ生活だけで考えれば裕福な方だろう。その証拠に細川 通董殿の衣服は一切みすぼらしくなく、肌も血色が良いのが見て取れた。
では何故当家に保護を求めてきたのかと言えば、伊予国でも畿内情勢に乗り遅れるなとばかりに、軍事クーデターが起きたのがその理由となる。
元々伊予国は南北朝時代より
面倒なのはこの両郡を任されたのが河野分家となる予州家だという点だ。いや、意図は分かる。同じ河野家内で争わさせて力を削ごうと考えたのだろう。それが長引けば長引く程、河野家の力が落ちるのは明白だからだ。互いが弱りきった後に実った果実を食べれば、それこそ極上の味がする。そうした対立構造を作りながらも川之江の地が細川家の直轄だったのは、予州家の裏切り防止が目的だったのではないかと思われる。管理は細川分家の
要するに伊予における河野本宗家と予州家の争いは、細川分家との代理戦争に近いと言える。
そうした背景の中で事件は起きた。謀反を起こしたのは
だがそれが全ての間違いとなった。切っ掛けとなったのは江口の戦いによる細川 晴元の敗退だろう。あの戦いは、細川家恐れるに足りずと思われても仕方ない内容であった。
その結果、石川 通昌は備中守護の細川野洲家の手から離れ、予州河野家の手からも離れて独自の行動を起こす。予州河野家の執政である
勿論クーデターと言うからにはこれで終わる訳がない。石川 通昌は公然と予州河野家に反旗を翻して勢力が二分される。当然分が悪いのは当然予州河野家の方だ。こうして東予地方は、謀反人である石川 通昌の手に落ちるのが秒読み段階とも言える状況へと激変した。
この状況であれば気付くだろう。現状では予州河野家と敵対をしているとしても、既に河野本宗家と通じている。石川 通昌はおはようからおやすみまで常に備える必要が無いというのを。予州河野家が下手な行動を取れば、その隙を突いて河野本宗家が背後から襲うのも可能である。
つまり、予州河野家は動きが封じられた。そうなれば石川 通昌は、交通の要衝を押さえるべく矛先を川之江に変更するのも十分に考えられる。川之江から得られるアガリは大きい。より予州河野家との戦を有利に進めるためにも、急がば回れという選択は決して間違っていない。
ここまで分かれば、細川 通董殿が身の危険を感じたのも頷ける。だからこそ細川 氏綱様へと助けを求めた。細川野洲家の本拠地である備中国は、とっくの昔に周防大内家の支配下に置かれているのだから尚更と言えよう。
「それはご安心ください。細川 通董殿だけではなく、家臣の
「感謝いたします」
「問題は川之江城の譲渡の方ですね。ほぼ隣接しているとは言っても、川之江の地が土佐からは厳密には飛び地になっているのが一点。もう一点は当家と周防大内家との争いが表面化する事です。多分、罠ですね。そう思うだろ、忠澄?」
正直な所、書状を読んだ瞬間にもう少しで大笑いしそうになった。確かに川之江は四国でも最も重要な拠点である。四国の四つの国と陸路が通じ、その上で港まであるのだ (土佐との隣接は宇摩郡新宮村)。しかもその港は江戸時代に土佐藩の参勤交代にも利用されていた。この点だけを見ても、価値の高さが良く分かるというもの。
そんな重要拠点を当家が手にすればどうなるか? 間違いなく他勢力からは睨まれる。まだ弱小勢力の領地であれば無視をしても良いだろう。だが、ある程度以上の力を持つ勢力が手にすれば、それは脅威へと繋がる。
何故ならこの地を橋頭保として瀬戸内海に進出されれば、周防大内家にとっては堪ったものではないからだ。間違いなく上洛の妨げとなる。
それらを全て理解した上で、画策したのが今回の川之江譲渡の策であろう。あからさまではあるが、伊予情勢を利用した見事な一手であるのは間違いない。
「はっ。国虎様のお考えでほぼ間違いないかと。昨年当家は河野麾下の水軍を半壊させました。特に周防大内家傘下の能島村上家へ与えた被害は甚大です。これに周防大内家が気を良くするとはとても思えません。両家の対立を煽るための策かと考えます。確証はありませんが、細川 氏綱様は三好宗家に利用されたのではないでしょうか?」
「忠澄もそう考えるか。敵対の危険を冒してでも、川之江の地を手にする利点があるかどうかだな。その点どう考えますか、益氏様?」
「国虎殿、その辺にしておけ。野洲殿が困っておろう。儂は周防大内家との本格的な敵対の危険を冒してでも、川之江の地を得る利はあると思うぞ。同族の誼も勿論あるが、瀬戸内の海を確保できるのは大きい」
「あっ……細川 通董殿、悪気は無かったのです。申し訳ありません」
細川 益氏様から指摘をされ、自らのやらかしに気付く。本来この手の話題は、細川 通董殿が退出してから内緒で話す内容だ。それを忘れてしまっていた。急いで陳謝をする。
細川 通董殿も自分が謀略に巻き込まれたという自覚がこれまで無かったのだろう。俺の言葉を聞いた時は「まさか」という表情をしていたが、俺が頭を下げると気を取り直してくれた。
傍に控えていた家臣の赤澤殿からは、「此度の件は我々は関与しておりませんので」と必死な表情で弁明をしてくる。
「ご安心ください。今回は三好宗家に細川 通董殿も嵌められたと理解しております。むしろ被害者でしょう。保護を取り止めにはしませんので、落ち着いてください。……それで川之江の件で一つお伺いしたいのですが、もし当家で受け取ったとして、周辺地域の切り取りをしても問題は無いでしょうか?」
「こちらも取り乱してしまいお恥ずかしい限りです。切り取りの件は思うようになさってください。名分上のみですが、伊予の地は宇摩郡と新居郡を引き継いでおります。こちらの権利もお譲りいたしましょう。また、河野本宗家とは元より敵対している身です。遠州細川家が引導を渡してくだされ。後……これは河野本宗家を倒せたならで良いですが……」
「大丈夫です。遠慮なく話してください」
「先ほど周防大内家の話が出たばかりというのにこのような話をするのは少し心苦しいのですが、可能なら某が備中国に復帰する手助けをお願いできないでしょうか? すぐとは言いませぬ。河野本宗家を倒した後、お考えくだされ」
「細川 氏綱様からの書状に書いてあったのはこの事ですね。いつになるか分かりませんよ。当家の力が足りず、小さな領地になるかもしれませんよ。それでも良いというなら空手形を切りましょう。期待しないで待って頂けると嬉しいです」
「感謝します。今はその言葉だけで充分です」
細川 氏綱殿からの書状には、いずれ替わりの土地を与えてやってくれと書かれていた。これが暗に備中国を指していたのだろう。中国地方は十分に隙のある地だ。俺の考えている策が上手く嵌まればいずれ現実となるだろうとは思うが、それは未来の話なので現状では確約できない。
「……という訳で、罠だと分かって川之江を手にするんだが、実は俺自身も良い機会だと考えている。元々南予の西園寺家を壊滅させる予定でな。これは数年後を考えていた。この機会に計画を前倒しする。西園寺領に攻める理由は分かるな。あの地には土佐一条家の残党が残っている。その掃討だ。土佐一条家水軍の一員である法花津家にも落とし前をつけないといけない。まだ当家に詫びが来ていないのは周知の事実だろう。なら、西園寺家諸共潰す必要がある」
「押忍! 国虎様、続きをお話しください」
「何だ、もう分かったのか。先に南予西園寺の話をしたのは南予侵攻と同時に東予も攻略するからだ。最終的な目標は伊予全域の占領とする。東予は石川 通昌殿のお陰で楽に蹴散らせるぞ。いつもの火事場泥棒をする。ただ、一つ問題があってな」
「押忍! 国虎様、何が問題なのでしょうか?」
「道の問題だな。土佐から川之江に出るのは平安時代に開かれた土佐北街道があるんだがな……これが狭い。道も悪い。峠越えもある。大軍を動かすにはまず向いていない」
最初は兵や物資の輸送を船に頼れば良いと気楽に考えていたが、川之江譲渡が三好宗家の策だとすれば、輸送の妨害に走るのが確定だと気付く。向こうの意図としてはこちらを困らせたい。なら伊予での勢力拡大は望まない筈だ。阿波、
同様に伊予周りで川之江に向かおうとしても、今度は周防大内家を刺激する。こちらも妨害されると考えた方が良い。
残った手段は陸路での移動のみとなるが、それがまた困難を極める。この点が今回の策の不備であった。
とは言えそこは脳筋揃いの遠州細川家。戦の話となると俄然張り切る者が出てくる。
「押忍! 馬路党なら何の問題もありません。鍛え方が違います。是非お任せください」
「それは心強い。謹慎明けだから力が有り余っているんだな。長正、任せたぞ。新装備の鹿革リュックがある。色んな物がたっぷり入るぞ。大筒にはスリングも装着済みだ。肩掛けで担げる。登山のつもりで踏破してこい。とは言え、兵数は五〇〇か。数が足りないな」
「国虎様、足りない兵はあっしに任せてもらえませんか?」
「どうした四宮殿。何か策があるのか?」
備前国児島の海賊である四宮 隠岐殿とは今も良い関係が続いている。最近は姫倉親子と共にちょくちょくシャム (タイ)へと行き来する程だ。今や当家の外注先となっている。そんな四宮殿は、今回細川 通薫殿一行を土佐まで送り届ける役目でやって来ていた。
会談への参加は顔見せのようなものである。後で雑談交じりに近況を聞こうと思っていたのだが、どうやら四宮殿も戦となれば血が騒ぐ人種だったらしい。
「水臭い事言いっこ無しですぜ。児島にいるウチの血の気の多い奴等を援軍として使ってくださせぇ。それと宇喜多殿に援軍も要請してくだせぇ。川之江なら国虎様が書状を出せば、援軍を出してくれるんじゃないですか?」
「そうか。川之江の港が使えるから、備前国から兵を送れるのか。ありがとう。恩に着る」
「国虎様、児島から兵が送れるなら、物資の搬送も依頼されてはどうでしょう? 軽装で良いなら、兵を選抜して某も川之江に向かいます。五〇〇は確実です」
「左京進、それはありがたい。頼むぞ……いや、折角の機会だ、武田 信実も連れて行ってくれるか?」
「安芸武田家当主の武田殿ですか。何か理由があるのでしょうか?」
「仕込みと言えば理解できるか? 信実が今は当家で立派な将になっていると分かれば、海の向こうは穏やかにはなれないだろうと思ってな。結果はすぐに出そうとは考えていないから、焦るなよ。今回は良い所で使ってやってくれ」
「かしこまりました。安芸国に伝わるよう、城攻めで使いましょう」
こうなると今度は当家の者が黙っていない。部外者ばかりに活躍させはしないと、一族筆頭の安芸 左京進が手を上げる。しかも道の悪さの問題点のほぼ最適解を出す要領の良さであった。
遠征において最も困難なのは物資の輸送である。特に道の悪い場所ではこれが一番頭を悩ませる。
しかし四宮殿の所有する八浜の港は穀物の集積港であった。なら八浜港から川之江港に物資を輸送すれば、手持ちは最低限で済む。これなら例え悪路であろうと兵の輸送だけを考えれば良い。
当然四宮殿には割増価格で輸送した物資を請求されるだろうが、これは必要経費として割り切る。
なし崩しのような形にはなったのは否めないものの、何とか東予制圧の目処が立つ。大将には安芸 左京進、副将には武田 信実、主力は馬路 長正率いる馬路党と四宮 隠岐殿、遊撃兼後詰として宇喜多 直家殿が決定した。
「次に南予方面だが、これは陸と海からの同時侵攻とする。こちらもそう難しくはないな。各個撃破も良し、城を捨てて兵を集めてくれても良し。どちらでも対応できる。本当は幡多郡がもう少し落ち着いてからのつもりだったんだが、この機を逃すのは勿体無い。電撃的に伊予の勢力を殲滅して、海の向こうからの援軍を間に合わせないようにするぞ!」
『応!!』
鬼が出るか蛇が出るか。伊予侵攻により遠州細川家が今後どのようになるかは今は分からない。ただ、現状でも三好宗家から標的とされた点を考えれば、土佐だけではまだ力が足りない、そういう意味なのだと思う。更なる謀略を仕掛けられないためにも、相手の謀略を逆手に取って力を増すのが必要だと感じた。これで下手な真似をできなくなるだろう。
それにしても相変わらず気苦労が絶えない。
とりあえず、まずは宇喜多殿への書状を書くとするか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます