秘した思い
「お初にお目に掛かります細川様。ですが、お名前だけは以前より伺っております。私の室である喜玖から」
「使者の名をどこかで聞いた事があると思ってましたが、石成殿がそうだったとは。喜玖殿は病などに掛からず元気に過ごされておりますか?」
「私と出会った頃は塞ぎ込んでおりましたが、今ではそれも無くなり、これ以上のない自慢の室となり申した」
「喜玖殿も良い縁に恵まれたようですね。末永くお幸せに。そうですね、これも何かの縁ですから何かお祝いでもお贈りしましょうか?」
「なれば遠州細川家の援軍をお願い申し上げまする」
「……そうきたか」
言葉遣いは丁寧ではあるものの、攻撃的な言い回しが目に付く。鋭い眼光でこちらを見据え、笑顔の一つも見せようともしない。これで本当に停戦と援軍を求めようとしているのかはなはだ疑問ではあるが、こちらの弱みを利用して言い分を丸呑みさせようという魂胆が今回の交渉だというのが見て取れた。
完全に狙い撃ちとしか言いようがない。
後ろに控える谷 忠澄や尼子 経貞、護衛の柳生 宗直は口に出さないものの、使者の態度に怒っているのが分かる。第三者から見れば今のこの状況はあり得ない姿なのだろう。この三人なら話に割り込んで交渉をぶち壊すような真似はしないと思うが、念のためとして簡単に俺と喜玖殿との経緯を話して因縁を理解してもらった。
当然それを石成 友通殿が見過ごす筈がない。わざとらしく腕を組み、より態度が大きくなったように感じる。
非常にやり難い相手だ。交渉では弱みを見せた方が負けだという基本を忠実に実践している。先日の三好 長逸殿がどれ程楽な相手だったかと再認識する。
ならばその三好 長逸殿の失態を今ここで蒸し返してみてはどうかと考えたが、それをすると今度は俺の過去を過剰に脚色されて反撃されるのがオチだ。結果が単純な喧嘩別れに落ち着くなら良いが、新たな問題に発展する可能性すらある。断念するしかない。
そこで話を拗れさせないよう、感情的な面を排して今一度今回の交渉の意味を考えてみる。
今回の交渉の背景は、三好 政長の排除を目的とした三好宗家の氏綱派への転向にある。七月に畿内にばら撒かれた書状がその根拠だ。以前俺が「氏綱派に転向すれば三好宗家並びに阿波細川家との停戦に応じる」と啖呵を切ったのを三好 長逸殿が覚えていたのだろう。所属陣営を変えてまで戦う覚悟をしたというのに、背後が疎かであれば戦に集中できない。勝てる戦にも勝てなくなる。そこまでは分かる。
だとするならもう一つの「援軍の要請」とは、どういう意図があるのだろうか? そこを探る必要を感じる。
話の本質を見失わないように、ここは正攻法で攻めるのが適切ではないかと思う。
「幾つか確認したい点があります。三好宗家は氏綱派に転向したとの事ですが、それならば何故、細川 晴元を批難する声明を出さないのでしょうか? 三好 政長の罪をあれだけ糾弾しておきながら、首魁である細川 晴元には一切触れないのが不思議でなりません」
「そ、それは……」
「次に援軍の依頼は氏綱派の決起という意味ですね。なら、せめて細川 氏綱様からの書状もしくは連名の書状を出してください。何故今回の書状は三好宗家当主からの物だけなのですか? これでは三好宗家の私闘に協力しろと言っているようなものです」
「……」
「今回のお話、こちらから提案をしたのですから、約束通りに三好宗家と阿波細川家とは停戦を致しましょう。期限は二年とします。延長は現時点では考えていません。また、援軍派遣には応じられません」
「何ゆえですか?!」
「はっきり言っておきましょう。三好 長慶殿は三好 政長との戦が終われば、元の晴元派に転向するのではないのですか? 援軍を求めるなら当家は『氏綱派』としての兵しか出せません。三好 政長との戦に協力しろと言うのがそもそも間違っています」
「それだけはあり得ませぬ。我等は細川 晴元様とは決裂をしました。宗三殿と争うだけならば、我等だけで勝つ自信があります。ですが、状況はその枠組みを越え、今や細川 晴元様並びに近江六角家まで敵に回る所にまで拡大しております」
その証拠に現近江六角家当主である六角 定頼は三好 長慶の行動を謀反と断定し、細川 晴元様も各勢力に援軍を募っているという。対して氏綱派も遊佐 長教殿を始めとして、騒動の発端になった摂津池田家だけではなく多くの摂津国の領主達が三好宗家に味方するとの確約を得ていると声を荒げて訴えてきた。
つまりは戦の規模が拡大してしまい、最早晴元派に戻るという選択はできない所にまで来ていると言いたいのだろう。何となくだが、成り行きで氏綱派に転向しただけのようにも聞こえてしまう。
「なるほど近江六角家ですか。それなら援軍が欲しいという気持ちは分かります。いや待てよ。近江六角家がこの戦に参戦する理由が乏しいですね。先の舎利寺の戦いですら、どちらの陣営にも加担しなかった筈です。だと言うのに、何故石成殿は今回兵を出すと断言できるのですか?」
「舎利寺の戦いでは前公方様、現公方様共に氏綱派に転向しましたゆえ、娘婿である細川 晴元様との板挟みになったのがその原因かと察しまする」
「今回は違うと。公方陣営は晴元派の手にあるから、遠慮なく近江六角家が参戦できると言いたいのですね」
「その通りです」
……呆れた。未来の日本の副王がここまで見通しが甘いとは。公方陣営への手当は遊佐 長教殿が担当している可能性も考えられるが、ここまで多くを巻き込んでおいて、一歩間違えれば逆賊認定される可能性を考えないのだろうか? 細川 晴元が舎利寺の戦い前哨戦で、大義名分として足利 義維を利用したのを忘れているのではないかとも思えてくる。
援軍の要請をするのに細川 氏綱殿の名前を使用しない点もどうかと思ったが、これでは拍子抜けだ。三好 政長さえ倒せば、敵は手を引くとでも考えているのだろうか?
畿内にいない俺達ではその辺の匙加減は分からないが、この分なら細川 氏綱殿宛てに銭と兵糧の支援をして援軍を断り、須崎港の攻略に集中する方が正しいように思えてしまう。
……ん? 待てよ。……須崎港の攻略か……この援軍要請をそれに利用できるかもな。
例え失敗しても、遠征先で大火傷さえしなければ態勢は立て直せる。なら、一つ仕掛けてみるとするか。
「分かりました。近江六角家が相手というなら当家の家臣も『不足無し』と喜ぶでしょう。援軍をお出ししましょう」
「では!」
「但し条件があります。先ほど話しました通り、今回の援軍要請は何もかもが足りません。停戦をするとは言え、当家は三好宗家と敵対しているというのをお忘れなく。しかしそれを帳消しとする大義名分を用意できるなら話は別です」
「それは一体何でしょうか?」
「先ほど石成殿が認めたではないですか。『公方様は晴元派の手の内にある』と。それに対抗でき、尚且つ三好宗家とも手を握り合える大義名分はただ一つ。阿波国にいる足利 義維様の御出馬です!!」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
──数日後。
浦戸城の評定の間に主要家臣全てが集まる。今回は新たに当家に臣従した海部 友光殿にも来てもらっていた。それと畿内に詳しい義父の細川 国慶殿にも同席してもらっている。
使者の石成殿は俺の提案を「持ち帰って検討する」と言って摂津国へと戻った。ただ内容が内容だけに、そう簡単に実現しないのは織り込み済みである。例え足利 義維本人が出馬に乗り気であっても周りが止めてしまう可能性や、氏綱派が逆賊認定されてようやく重い腰を上げる可能性など考えればキリがない。最後の最後までどう転ぶか分からないというものだ。
そういった理由から、どんな形になろうと遠州細川家から兵を出す約束はした。しかし、条件が満たせない場合は誰からも一切の指示を受けず独自行動をすると明言する。三好宗家の私闘に協力する気は更々ないが、氏綱派としての義理を果たすだけの出兵である。
また、三好宗家にとって一番大事となる二年間の停戦の書面は、あの場でしっかりと交わしてはおいた。
これらの報告を皆に行った所、
「それで、国虎様はこれから何をするお考えですか?」
「相政でさえそれか。少し前なら『三好への援軍など承服できません』と俺に食って掛かってきただろうに、随分と冷めてしまったな。梅慶も梅慶で俺の仕掛けが何か知りたくて堪らないという顔をしているし」
「もう慣れました」
「当然ですな」
最早悪だくみの披露会としか言えない雰囲気へと変貌してしまう。皆、俺が言葉通りに足利 義維を擁して上洛するという内容を一切信用していない表情であった。
「それはそうでしょう。あの阿波国での事件を知っていれば、国虎様が足利 義維様を推戴するとはとても思えません。何か別の真意があって利用したと考えるのが道理です。石成様は国虎様の悪行をご存じではなかったのでしょうか?」
「忠澄、『悪行』とは随分な言いようだな。せめて肉体言語で説得したと言ってくれ……と冗談はさて置き、あの件はまず表に出ない。相手にも面子があるからな。何が悲しくて、戦の最中に女性を侍らせ酒を飲んで酔っ払っていたという恥をさらす必要がある?」
「いえ、そちらではなく、国虎様が足利 義維様に暴力を振るった事です」
「一緒だよ。こっちは平嶋館を兵で取り囲んだのだから。あっさりと建物内に侵入を許して本陣を突かれた理由が酒だとは、恥ずかしくて誰にも言えないさ。今でも俺の顔を見れば、あの時の屈辱を思い出すんじゃないか?」
「待ってください。もしかして国虎様は『絶対に足利 義維様は出馬しない』と確信して、石成様に条件を出したのですか? 説明は全て嘘だったと」
「ご名答。今回の畿内派兵は最初から独自の行動をするためのものだ。三好宗家は細川 高国様の仇なのだから、俺が真面目に対応する筈がない。まあ、兵を派遣する以上は、細川 氏綱殿に挨拶する位はしても良いと思うが」
もう一つ、これは皆には話せないが、今回の派兵を決めた理由に個人的な思いとして石成殿への祝儀の面もあった。俺との会談で言った言葉をそのまま実行した形だ。何故この考えになったかというと、今回の停戦締結と援軍派遣の承諾が手柄となるのではないかと思ったからである。
石成殿が三好宗家の家臣である以上、手柄を立てれば褒美が出て生活は上向きになる。単なる自己満足なのは分かっているが、それでも喜玖殿には少しでも良い生活を送ってもらいたい。俺の我儘の犠牲者で終わらず、幸せを掴んでもらいたい。それを実現するための援護射撃になればという思いである。
石成殿や喜玖殿は余計なお世話だと言うと思うが……。
その辺は良い。それよりも待ち望んでいる今回の援軍派遣の種明かしをしていこう。
「皆が知りたいのはその独自行動で何をするかだと思う。俺には今回の話は三好宗家の私闘にしか見えないが、それでも晴元派は総力を結集するらしい。なら、お得意の火事場泥棒にはうってつけだとは思わないか? 特に領地の残り少ない総州畠山家に引導を渡してやるには丁度良いだろう」
木沢家のかつての主家である総州畠山家は、「太平寺の戦い」の後に没落をして、今や河内国・紀伊国・大和国の国境地帯に小さな領地を残すのみの勢力へと転じているという。
だと言うのに身を低くして大人しくする気配など全く無く、打倒尾州畠山の活動を止めようともしない。記憶に新しい所では舎利寺の戦いで遊佐軍相手に大活躍をしていた程だ。そこから考えれば、今回の争いにも遊佐殿を打倒するべく晴元派として兵を出すのはほぼ確実である。なら、出兵した隙にその領地を掠め取ってしまおうというのが畿内派兵の意味であった。
「ただ今の遠州細川家は畿内近くに領地は必要無いから、今回掠め取る領地は義父上に管理をお願いしようと考えている」
「儂が此度呼ばれた理由はそういう意味か。婿殿恩に着る。しかし、本当に良いのか?」
「問題ありません。今の遠州細川家には負担にしかなりませんので。それよりも一つお願いしたい件があるのですが……義父上、領地を奪うだけでなく、総州畠山の当主を捕らえて土佐に送ってくれないでしょうか? 領地との交換条件のようで申し訳ないのですが、家臣の畠山 晴満を総州畠山の当主にしてやりたいのです。例え名前だけの当主であろうと拍が付く筈です。方法はお任せします」
「まさかそのような考えで派兵を承諾したとは……婿殿、是非協力させてくれ! 婿殿の家臣と兵を使っても良いのであろう? なら大船に乗った気でいてくれ」
「国虎様、その話を聞けば私も黙っていられません。是非、遠征組に木沢家をお加えください」
「相政、相手は元主家だぞ。本当に良いのか?」
「はっ。物は考えようです。晴元派に属してこのまま総州畠山が滅亡するよりは、遠州細川家で保護される方が何倍も幸せかと。むしろ、畠山 晴満殿を当主にする事でお家再興になると考えます」
「本当、言うようになったな……」
木沢 相政の言い分にも一理ある。なるほど保護か。当家で総州畠山を冷遇するなら話は別だが、これなら大義名分も立つというもの。後は俺が晴満を重臣に引き上げれば良いだけだ。
遠州細川家で実践した俺だからこそ言える策だが、没落した名家にも使い道は色々とある。特に外交交渉において、家の格というのはかなり大きい上に結果も違ってくる。事実として、俺が安芸家のままなら本山家の降伏自体が無かったろうし、本願寺との付き合いや出雲尼子家の者達の仕官も実現しなかったと思われる。
そのような効果が期待できる老舗看板を三好宗家が利用したらどうなるか? 間違いなく養子戦略によって管領への道が開けてしまうだろう。まさに鬼に金棒。史実以上に巨大勢力になるのは間違いない。その芽を事前に摘むのも今回の目的と言えた。
「しかし婿殿、儂の領地のお膳立てをしてくれるのは良いが、肝心の土佐が手薄になっても大丈夫なのか?」
「それも策の一環です。義父上の言う通り、畿内に兵を出すと大々的に言えば、蓮池城の守りが薄くなると考えてもおかしくありません。特に土佐一条家傘下の津野家なら尚更でしょう。津野家は先代当主まで土佐一条家としのぎを削っていました。ならば蓮池城を手に入れれば今一度土佐一条家から独立できると考える可能性は高いと思います。その心理を突く……要はこの派兵は津野家への餌ですね」
「それで婿殿は津野家を釣り出して何をするつもりだ?」
「勿論須崎港の強襲です。蓮池城に敵兵が集まった隙に水軍を使って海から襲います。須崎港を前線基地として制海権を得てしまえば、いつでも海から土佐一条家の本拠地近くまで攻め込めます。そうなってしまえば、最早敵に打つ手無しで……あれっ? どうしました?」
「……いや、余計な事を聞いた儂が悪かった」
ふと、話す順番を間違ってしまったのだろうかと思ってしまった。何故か俺の言葉を受けて家臣達が一斉にため息をついている。
そもそもが今回の畿内派兵は須崎港攻略の策だ。土佐単独で見れば遠州細川家の力は土佐一条家と拮抗していても、全体で見れば既に上回っている。それを存分に活用する策であった。
室戸にいる水軍に紀伊国の傭兵を運ばせて直接拠点を狙う。通常時なら敵も徹底抗戦するが、蓮池城に戦力を集中させているなら落とすのも容易い。畿内派兵はその状況を演出するためのものとなる。ただ、それだけでは面白くないので、行き掛けの駄賃を頂こうという寸法だ。
俺にとっては畿内よりも足元の土佐の方が重要という当たり前の話ではあるが、家臣達は口々に「さすがは国虎様」と感心している。室内の温度が少し上昇したように感じた。
そんな熱にあてられたのか、これまで冷静に事の成り行きを見守っていた人物が突然口を開く。
「国虎様!! 須崎港の強襲は是非海部家にお任せください」
「どうしたんですか海部殿、いきなり大声を上げて? 海部殿には畿内への兵や物資の運搬を担当してもらえれば大丈夫です。長く続く戦に嫌気がさしたのも当家に臣従した理由の一つではなかったですか?」
「その言葉は今も変わっておりません。ですが此度の評定で血が滾らなければ武家ではありませぬ。国虎様の深慮遠謀に感服致しました。是非私もこの戦の中に加わりたく思います」
「大袈裟な。とは言え、その目を見る限り決意は変わらないようですね。分かりました。須崎港の攻略は海部殿にお任せしましょう」
何が海部殿を突き動かしたのか分からないが、こうなると止めるのはまず無理と言える。阿波南部の実力者である海部家が動いたのだから、この時点で須崎港の陥落は確定となった。
惟宗 国長率いる水軍衆の活躍は持ち越しとなる。
あれだけ手間暇かけて一から作り上げた水軍衆だと言うのに、未だ俺はその実力を知らない。畿内随一の海賊大将の腕前と遠州細川水軍衆の戦いは、いつになればこの目で見られるのだろうか?
その後、家臣達が誰を遠征組に参加させるかで殴り合い一歩手前の話し合いへと流れていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます