ココム違反
最近、和葉の機嫌が妙に悪い。
不本意な形ではあるが、長い単身赴任を終えてようやく土佐での生活を再開できると思った矢先、二人の時間は空気が重かった。時折刺すような視線で俺を見てくる。
長く土佐を空けていたとは言え、月に一度はきちんと顔を見せるようにしていた。時にはお土産を持って帰ったりという気遣いも忘れなかった。だというのにこれだ。
知らず知らずに俺が何か悪い事をしてしまったのだろうか?
「なあ和葉、そろそろ機嫌を直してくれよ。俺が何かしたのなら謝るからさ」
「……どうしてアヤメちゃんだけ……」
「悪い。聞こえない」
「どうしてアヤメちゃんだけ懐妊して、私には何も無いの! 私も国虎とのややこが欲しい!」
この意外な告白が妙に可愛く感じて反射的に抱きしめる。本人はそれを嫌がる素振りで抵抗を見せるが、お構いなしに顎をこちらに向けて強引に唇を奪った。
徐々に和葉の力が抜けていき、やがてトロンとした表情になる。
俺はずっと機嫌が悪いのかと思っていたが何の事はない、側室が子を宿して拗ねていただけであった。
武家の正妻というのは厄介なもので、奥から家を守らなければならない関係上、夫の単身赴任に合わせてほいほいと付いていける身分ではない。それが災いしてずっと寂しい思いをさせてきた。
だというのに和葉は、側室のアヤメを阿波国へ派遣して俺の身の回りの世話をするよう手配する。
そうなれば流れでする事をするのも自然というもの。しかも、誰から入れ知恵をされたのか自分の役割は子をなす事だという変な使命感を抱えており、さんざんに搾り取られる始末。初めての夜から俺の上に当然のように跨る肉食っぷりであった。
当然ながら回数も求められる。口を使って強制的に固くさせられるのは何度となく行われた。多分、日々の食事にも一服盛られていただろう。食べた後には体が熱く感じる時があったのを覚えている。
こういうのを本気で作業と言うのだろう。ある意味、妊娠という結果は順当でもあった。
ただ、もうこういうのは懲り懲りだ。俺にはやはり和葉との時のように恋人のようなゆったりとしたのが心地良い。今も和葉の体温を感じながら、俺にとっての一番が誰かを再認識していた。
「和葉には苦労を掛けたな。阿波は元氏に任せたから、これからは土佐にいる。寂しい思いはさせないから許してくれ」
「本当に?」
「土佐一条との戦が控えているから多少は戻れない日もあるだろうが、阿波攻略の時のような事は無いから安心して欲しい。……というか、次に土佐から離れる時は一緒に来るか?」
「それができればそうするんだけど、私は遠州細川家当主の正妻だから」
「本当、こういう時に武家は面倒臭いよな」
「何言ってるの。国虎が全て悪い! 私を置いてどんどん先に進んで行くから……」
言いたい意味は何となく分かる。俺自身、奈半利時代に戻りたいと思うのは今でもある。あの時代は銭がまだ少なかったが、それでも毎日が新鮮で楽しく皆で馬鹿な真似ばかりしていた。それが今はどうだ。分家ではあるが名門細川家の当主となり、多くの領土を抱え、多くの家臣を持ち、多くの責任が圧し掛かる。さっさと楽隠居したいと考えていても、それは許されない。生活そのものが一変してしまった。
しかしそうは言っても俺は俺で和葉は和葉であるのには変わりない。自分達まで変わったと認める訳にはいかなかった。そうなってしまえばこれまで積み上げてきた全てを失うよう、そんな気がする。
「そんなつもりは無いんだけどな。まあ、俺達二人共武家らしくないんだから、しきたりに拘らないようにしてみたらどうだ。例えば女衆の差配を任せられる人を側に置くだけで身軽になれるぞ」
「……国虎がそう言うなら。一度義母上やシノさんに相談してみる」
「真面目に考え過ぎるなよ。俺は和葉が側にいればそれで良いから、雑音は無視してくれて構わないからな」
「すぐそういう事を言う」
「本当の気持だから仕方ないじゃないか。止めさせたいなら和葉の口で塞いでくれ」
そうして互いの気持ちに身を任せて夜の帳に溶け込んでいく。心配していた和葉の機嫌もようやく治まり、今日もまた彼女の可愛い姿を堪能させてもらった。
誇張でもなく、俺の隣には和葉が似合っている。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「へぇ、意外だな。本当に真面目にやっているんだ。もっと我儘を言うと思っていたんだが、このまま続けば大成するかもな」
「はっ。御兄弟共に朝の体操に始まり、勉学は当然として皆と手分けして清掃活動にもしっかりと従事しております」
意気込みを買って受け入れた元亀王様御一行である足利 義維の子供達は、土佐の地で今結構な話題になっていると報告を受ける。
元々が源氏の頭領の血筋を受け継ぐ上、母親も大大名である大内家のご令嬢だ。それはもう眉目秀麗なお子様でとても目立つ存在である。且つ所作が全体的に上品とくる。これも血のなせる技と言えようか。明らかにこの田舎には似合わない異質さであった。
そのため、皆がチヤホヤして尊大な態度を取るようになっているのかと思っていたらそうではないらしい。毎日の課題には真面目に取り組んでいるという。嫌いな物も残さず食べないといけないので泣いている日もあるというが、それはここでは誰もが通る道なので気にはしていない。
こんな事なら足利の名を出せないようにと、出家をさせて別名を名乗らせるようにする必要はなかったかもしれない。教育を買って出てくれた細川 益氏様も筋が良いと褒めているらしい。
改めて考えてみれば、足利家の子供を養育するというのは随分と大それた話だ。まるで細川 高国様が播磨国から連れて来た足利 義晴のようではないか。そんな歴史がふと頭を過ぎる。
俺と高国様の違いは一目瞭然。公方の地位を与えられるか小領主の地位を与えられるかという、天と地ほど離れた待遇の差にある。だからこそ気位ばかりが高くなっては困ると、こちらからは筆頭家臣兼監視役として親信の父である安田 益信を隠居させて送り込んだ。これまでの仕事の後任は、養子とした井原 源七郎に引き継がせた形となる。現在は益信からこれまでの報告を受けている所だ。
聞けば、大内家のご令嬢も思った以上に大人しいと言う。これまで蝶よ花よと育てられたろうから贅沢が身に付き、カード破産をする勢いで浪費を続けているのかと思っていたら、そうではなく意外にも質素に暮らしているのだとか。
邸宅は安芸城の近くにそれなりのものを建てさせたし使用人等も手配したが、特に苦情も出ておらず、むしろ評判が良いとくる。ご近所のマダム (?)の憧れの的になっていると聞いた時には笑うしかなかった。
だからなのだろう。皆が何かと世話を焼く。田舎にありがちな話と言えばその通りだが、その当事者に俺の母上が含まれているのは何かの冗談かと思ったりもした。
ここで面白いのが、その行動の結果によって地域が活気付き、一種の村興しのようになっている事だ。京から業者を呼んで流行最先端の物に手を出すような発想が無いのだから当然かもしれないが、ご令嬢やその子供達にみすぼらしい格好はさせられないと腕に覚えのあるマダム達が着物を作り、それを贈る。更にはその着物を見たご近所が「私にも作って欲しい」と依頼を出す。そんな現象が起こり始めていた。
以前俺が和葉に頼んでいたタオルは製法が確立して以降、この現象に乗っかる形で領内に浸透している。「手拭い? まだそんなダサイ物を使っているのか? 今は大内家のご令嬢愛用のタオルが最先端だ」とばかりに愛用する者が増え始めていた。このまま行けば、領内での繊維産業は更に規模が大きくなるだろう。
こうなれば綿花の作付面積を増やす必要がある。石灰鉱山を手にしておいて本当に良かった。綿糸を明からの密輸入で賄うのは限界に近い。後は生糸も何とかしなければいけないのだが、こちらは阿波国北部を手に入れるまでは我慢するしかない。
何にせよ、俺としてはどんな形であれ母上が自分の楽しみに時間を使ってくれればと願っている。これまで友達と言えば木沢 相政の母親くらいだったが、大内家のご令嬢との付き合いが始まってから一気に交友関係が広がっているようだ。安芸家もしくは遠州細川家大事の生活もそろそろ頃合いだろう。
今も安芸城には長宗我部の子供を筆頭とした小さな子供ばかりの保育園人質組が設営されている。遠州細川家もここまで大きくなったのだから、いい加減誰かに任せて身軽になって欲しいものだ。現場から身を引いても罰は当たらないと思っている。
話が逸れた。今後はどうなるかまだ分からないが、足利 義維の子供達は周囲の支援もあってか期待の持てる人物へと成長しそうな雰囲気がある。領土統治を考慮した攻めた人材を選出しておいた方が良いだろう。
「なあ益信。今すぐではないが今村 浄久殿を亀王様に付けても土佐の統治を回せると思うか?」
「なるほど、ご子息に今村殿を付けるのはとても良き案かと。今村殿でしたら京の実態も商いの利権も御存知の上、寺社にも伝手をお持ちです。良き相談相手となるでしょう」
「それは良かった。後任はきちんと育っているか?」
「そちらにおいても今すぐでなければ問題無いかと。まだ若いですが、
「おっ、隆佐が正式に仕官してくれたのか。それは大きいな」
小西 隆佐との縁は偶然の一言でしか言い表せない。
堺との取引停止はやはり大きく、痛手の一つに薬が手に入らなくなったのが挙げられる。杉谷家に土佐山中での薬草採取を任せてはいても手が届かない症状も多々ある。それを何とかしようと本願寺の下間 頼隆殿に薬屋の伝手があれば紹介して欲しいと打診した所、派遣してくれたのが小西 隆佐であった。
意外にも本願寺と小西一族との仲は深い。その縁は遣明船となる。つまり、遣明船の協力者 (出資者)である本願寺の意向を受けて現地入りする商家の中に小西一族が含まれているのだ。遣明船はこの時代の金の成る木でもある。ならばそれに携わらせてくれる本願寺は、小西一族にとって頭の上がらない存在とも言っても良いだろう。
とは言え、小西一族は堺を本拠地とする薬屋だ。例え恩のある本願寺からの依頼であっても、堺と決別する遠州細川家と取引をするというのは何かと都合が悪い。そこで京にいる一族に白羽の矢を立てる。遠州細川家との決別はあくまで堺の町としての方針であり、京にまで適用されている訳ではないからだ。感覚的には三角貿易、もしくはトンネル会社を利用した物品の横流しに近いだろう。ココム違反事件を思い出す。
その渦中となる京の小西一族が派遣したのが小西 隆佐であった。一族が堺に集中していなかったからこそできる裏技と言えよう。
結果、あの豊臣秀吉が信頼を寄せていたとも言われる財務に強い人材が手に入ったのだから、世の中というのは良く分からない。薬の納入にやって来て仕官を頼み込まれるのだから本人もさぞや困惑したと思われる。
問題があるとすれば流通の過程で薬の仕入れは一度京を通過してからこちらにやって来る事である。往復の通行税が薬価格に転嫁され、割高となってしまった。けれども仕官の条件に京の小西家からの定期的な薬の購入が含まれているため、背に腹はかえられない。
余談ではあるが、和葉が京で花嫁修業中に小西一族の経営する薬屋によく訪れており、二人は顔見知りであった。それを知っていればもっと早くから仕官を依頼していただろう。
「儂がこうして隠居できるのも、若い世代が育っているからですな。できれば隠居の名の通りに役目の無い生活を送りたいものですが、国虎様にはいつも苦労させられます」
「それは申し訳ないと本気で思う。俺でさえこうなるとは思っていなかったからな。このまま行けば土佐一国を遠州細川家で統一してしまう日も現実になりそうだ。益信には奈半利時代からずっと苦労を掛けてばかりだな」
「何の。もう慣れましたし、国虎様の偉業をこうして側で見られるのは我が事のように嬉しいものですぞ。愚息は今も国虎様に天下を取らせると息巻いておりますれば、同じくどこまでの高みまで行かれるのか楽しみでもありますからな」
「親信は変わってないな。まずは土佐一条の戦いを制しないとな。やれるだけの事はやってみるよ」
「期待しておりますぞ」
昔はそれこそ「天下なんて絶対無理だ」と否定していたが、この頃は俺も慣れてしまい軽く流せるようになる。多分、皆の思う「天下」というのは幕府のような組織を作り運営するというのではないのだろう。それこそただ軍を率いて上洛する行動を指しているのではないか? そう思うようになっていたからだ。
それで良いなら実現自体はできそうな気もするが、現実には畿内に深入りするのは経済力の面で続かない。金の切れ目が縁の切れ目になるだろう。下手に手を出すよりは地方でのんびりする方が俺には向いているし、力を付けられる。こちらの方が断然お得である。
皆にはまだ話していないが、俺の中では土佐統一後に何をするかは実はもう決めていた。それもあり、どの道天下は当分先の話だ。いずれにしても一足飛びに事は進まない。一つずつ前に足を運ぶだけである。
その直近の目的となる須崎港の攻略をどうするべきか、良い機会だから益信に現時点での腹案を聞いてもらおうか、と考えていた所で転がり込んでくるように使いの者が部屋に入って来た。
「国虎様、ここにおられましたか」
「どうした? 随分と慌てているが、麦茶でも飲んで落ち着くか」
「いえ、問題ありません。国虎様に面会を希望される使者がおいでになられました」
「その慌てぶりから見ると、どこかの商家や小領主とかではない大物の武家のようだな」
「はっ。面会を希望されるのは三好宗家です。御使者は石成 友通様でございます」
「内容は聞いているか?」
「三好宗家並びに阿波細川家と遠州細川家の停戦。それと援軍派遣の要請と言っておりました」
その言葉を聞いた瞬間、妙な違和感を感じて傍にいた安田 益信と顔を見合わせる。
「国虎様、停戦は分かりますが援軍派遣は筋が違いますな。細川 氏綱様の名代であるならまだ分かりますが」
「違和感の正体はそれか。益信の言う通りだな。焦って手続きを踏み忘れたか、三好宗家の私闘に協力しろのどちらかだろう。これはきちんと話を聞くしかないか。分かった。すぐ行く」
「御使者にはそう伝えます」
面倒な事になった。土佐一条家との戦いを本格化させようとしている最中に援軍派遣の要請が来るとは。しかも何か事情がありそうな予感がする。
それ以前に何故遠州細川家に援軍を依頼しようと思ったのかが謎だ。俺に対してあれだけの大見得を切ったのを忘れてしまったのだろうか? それとも、使者が変わったために先の決裂は無しとするつもりなのか? そうだとすれば随分と舐められたものである。
更には使者の名前も気になる。石成……どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。
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