忘れ去られた尼子
これぞ本当の予期せぬ客と言わんばかりの登場で俺の前に現れた者は、何の事はない、山中 直幸が連れてきてくれた出雲国からの仕官希望者であった。突然の出来事に俺への刺客ではないかと警戒もしたが、後から転がり込むように入ってきた直幸の姿がそれは違うと教えてくれ、事無きを得る。
護衛の柳生 宗直は既に剣を抜いて既にやる気であったためか、少し残念そうな顔をしていたのを俺は見逃さない。
とは言え、落ち着いてその男を見れば、およそ刺客には程遠い姿である。品のある顔立ちはしているものの、少しこけた頬が不健康そうな印象を与えており、何より体全体の線が細い。これで派手な大立ち回りをするには力不足だというのが見て取れる。
それはさて置き、これ以上波川 清宗と話をするつもりのなかった俺が、この出雲からやって来た新人に興味が向くのも自然な成り行きと言えよう。ついでとばかりに他にも土佐までやって来てくれた者達がいれば全員部屋に入れるよう伝えた所、何と女性や子供を合わせて一〇〇名を越える大所帯だという話となり、急遽大広間に場を移す形とした。何故かその移動に波川 清宗も付いてきたが、触れないようにしておく。
「よく土佐まで来てくれた。出雲国とは違い田舎なので驚いただろう。それでも安心してくれ。仕事だけは山ほどある。生活の保障もする。それと直幸は早速のお手柄だな」
「はっ!」
口ではこう言いながらも、内心では直幸は二度と土佐に帰ってこないだろうとほぼ諦めていた。土佐への移住者を募るよう活動資金や支度金を持たせて出雲国入りをさせていたものの、長期間連絡の一つも寄越さないとなればそう考えるのも仕方がない。金を持ち逃げしたか、命を落としたか、何にせよもう無理だと。それが一転、この居並ぶ移住者の姿は予想以上の結果と言わざるを得ない。
話を聞けば、出雲では生活に困っている家を中心として個別に声を掛けていたのが遅くなった理由なのだという。それに没頭する余りに連絡を忘れていたのだとか。こういう部分での視野の狭さはもはや性格だと割り切るしかないようだ。
直幸の甥二人が母親と共に土佐入りしたのもその延長線だろう。二人はまだ小さな子供のために仕官は年齢的にまだ無理だが、直幸の兄が数年前に亡くなっていたらしく、生活のままならない状況に追い込まれた三人を見過ごせないと無理矢理連れてきたと報告を受ける。しかも、その甥兄弟は兄の方が病弱だというのだから尚更である。
行き過ぎると逆に余計なお節介と成りかねないが、こうした義理人情に厚い姿は見ていてとても清々しい。これだから直幸は面白く、得難い人材とも言えた。俺も俺でその気持ちをないがしろにしないよう、何かあれば気軽に頼れと伝えておくのを忘れない。
そういった経緯で集められた集団だけに、移住者の多くは尼子家直臣である富田衆の庶流となる。独り身もいれば一家でやって来た者達と様々であるが、総じて皆逼迫した生活を送っている者ばかりであった。
ただ、そんな中に一人だけ特別枠がいる。それがあの時部屋に乱入してきた人物でもあった。
「まずは名前を教えてもらって良いか? 正直な所、あの登場には驚いた。面白かったぞ。打ち合わせ無しの即興でよくあれだけできたものだと感心したくらいだ。度胸もあるようだな」
「
一人だけ着ている服の素材が上質であるために、名のある家の出身だろうとは予測していた。しかし、まさかここで尼子の名が出てくるとは予想外である。さすがは特別枠と言うべきか、尼子 経貞の後ろには見るからに壮年の家臣とまだ元服前であろう少年が控えていた。
「……今一度確認しておく。本当に当家への仕官で間違いないのか? 出雲尼子家からの使者の間違いじゃないのか?」
「やはり不審に思われますか」
「気を悪くしないで聞いてくれ。見た所、年齢的には俺とほぼ変わらない。それで尼子一門ならば、普通なら領地を任されるなり役職を与えられるなりで出雲尼子家の運営に関わっていると思ってな。隠居するには早いだろうと」
「……」
「だと言うのに仕官を希望するなら、考えられる可能性は何らかの不祥事が原因で追放の憂き目にあった……となるんだが、お家騒動のような話は聞いていない。合っているよな? 直幸?」
「はっ、某もそのように聞き及んでおります」
「つまりはお手上げだ。これでも俺は遠州細川家の当主をしているんでな。大事な一門衆を奪うという、出雲尼子家に対する失礼な真似はできない。後で問題にならないように事情を話してくれないか? 頼むよ」
「……その任されるべき領地を横領されたと言えば、納得しますでしょうか? それも尼子一門に」
「まさか!! それは本当なのか?!」
そこからの話は「あり得ない」の一言となる。およそ一門衆に対する扱いとは考えられない内容。端的に言うなら、尼子 経貞の存在は忘れ去られたと言っても差し支えない状況であった。
尼子 経貞本人こそまだ若いが、父親は出雲尼子家の精鋭として名を轟かせている新宮党の創設に携わっており、尚且つ先代尼子家当主「謀聖」尼子 経久がとても頼りとしていた
そこから考えれば、息子である尼子 経貞は本人の資質に問題がない限りは出雲尼子家内で重用、もしくは何らかの役職を与えられて当然の立場だろう。
しかし、世の中というのは何が起こるか分からない。天文一〇年 (一五四一年)の吉田郡山城の戦いにてその尼子 久幸殿が討ち死にし、天文一二年 (一五四三年)に尼子 経久が亡くなった途端に風向きが大きく変わる。
現在の出雲尼子家当主である
偉大なる先代社長と同じ路線を続けていけば、現社長は常に比較され続けて評価されないというのは現代でもよくある話だ。特に先代の尼子 経久は「謀聖」の異名すらある。だからこそ「先代とは違う」という思い切った舵取りを行ったのだろう。ここまではまあ分かる。
ただ、この当主交代と政治方針の変更が大きな影を落とす。冷遇されたのは尼子一門衆も同様であった。例え先代当主が頼りにしていた者の息子であろうとそれは変わらない。
だと言うのに、尼子 国久殿は娘を当主に嫁がせた事で外戚の地位を確保し、その子供達や率いる新宮党共々繁栄を謳歌するようになった。
そうして話は領地の横領に繋がる。
尼子 経貞が父親から受け継ぐ領地を横領したのは新宮党、いや尼子 国久殿だという。先代の頃ならまだしも、出雲尼子家の重鎮となった尼子 国久殿が相手ではどんなに訴えた所で無視をされ、領地は戻ってこない。それは現当主も同様。外戚である尼子 国久殿への配慮と新たな政治方針から、訴えは認められなかった。
「父が討ち死にした際、私はまだ一二歳で分別がつきませんでした。国久様の『まだ若いから所領の管理は難しかろう』という言葉にまんまと騙されてしまった訳です。今思えば、何故あの時に抵抗しなかったのか。例え抵抗が無理でも、三年後に所領を返すと盟約した書類を作らなかったのかと今でも後悔しております」
「管理を名目として騙し取られたという訳か。よくある手と言えばそうだが、一門からそれをするとはな」
以来、尼子 経貞は逼迫した生活を送っていたのだという。食べるに困るという所までは追い込まれなかったようだが、存在を無いものとされて無為な日々を送るしかなかったそうだ。その間は勉学に励んでいたという。本人は「戦は苦手なのでそれ位しかできなかった」と笑っていたが、誰かのように酒に溺れたりせず自分の道を模索したのは十分立派と言えよう。
「問題は出雲尼子家ではその成果を認められなかったという所でしょうか。せめて武芸に励んでいれば、新宮党で隊を持てたかもしれません」
「いやいや、現出雲尼子家当主は節穴か。そういう者がどれだけ役に立つか分からないのか。それに領地を尼子 国久殿が返してくれないにしても、代替地を用意すれば良いだけだろうに。一門なんだから養子として送り込んでその領地を乗っ取らせれば頼れる与力になる」
「きっと
これは享禄三年 (一五三〇年)に起こった
「それは分かるが、当時と今では出雲尼子家の力は大きく違っているだろうに。それに豪族連中も十分に懲りていると思うんだがな。出雲国以外で考えれば幾らでも養子候補はある筈だが」
「話を進めさせて頂きます。出雲尼子家は山陰の地にありながら意外と中央の情勢に敏感でして、細川様の名を知ったのは舎利寺の戦い終盤での活躍となります」
「あれは細川 氏綱殿や根来衆が活躍した話になっている筈だが」
「出雲尼子家には鉢屋衆と呼ばれる間者集団がいますので表に出ない話もある程度知り得ます。そこで遠州細川家に興味を持った私は鉢屋衆を使って……と言ってもただ一人のみですが、細川様のこれまでを調べさせたのです」
「何か面白い話はあったか? 特に無いと思うぞ」
「そこは御自身の武勇を誇る所では。まあ良いです。私の大事な所はそこではないので。一番驚かされたのは土佐の地に足利学校の関係者を招聘した事です。これは細川様の本質は音に聞こえる武勇ではなく、学問を是としているのではないかと。事実、出雲国で山中殿が各庶家を回って遠州細川家への仕官を勧める際にも、読み書き計算ができる者を優遇すると言っておりました」
「さすがは直幸だな。後で褒美を出すから取りに来いよ」
「……いえ、国虎様、心苦しいのですがやはり庶流では勉学に励んだ者が少なく、此度の移住者では読み書き計算に通じている者は六名のみとなっておりまする。ですので褒美のお話は辞退させて頂きます」
「それは残念だ。だがその六名でも十分な成果だから、気が変わったらいつでも褒美を受け取りに来いよ」
「続けます。そこで遠州細川家なら私もこれまで学んだ事を生かして何かの役目を果たせるのではないか……正直に言いますと、尼子の名に恥じぬ大役を頂けるのではないかと期待して、この土佐まで足を運びました。念のために出雲国を出奔する前には主家に書状を出しておきましたが、何の反応もありませんでしたので細川様の御懸念は問題無いと思われます。むしろ今の当主は私の出奔を喜んでいるのではないかと」
「話してくれてありがとうな。俺には一門は頼りになる存在にしか思えないが、出雲尼子家当主がそうでないと言うならありがたく仕官を受け入れさせてもらう。今から経貞は遠州細川家の家臣だ。これからは頼むぞ。それで数日中にも重臣扱いにする。俸禄雇いになるのは理解してくれよ。まずは銭を渡すので鉢屋衆を大勢土佐に呼び寄せてくれ。全員武士待遇で召抱える。経貞はその管理者だ。それで呼び寄せた鉢屋衆を組織化をしてくれ」
「私には細川様が何を言っているのか分からないのですが……」
「そうか? 当家の間者働きは杉谷家に役目を与えているんだが……使い勝手が良くてな、ついつい他の役目も与えてしまったら手が足りなくなってしまった。あっ、勿論杉谷家も重臣だぞ。鉢屋衆を使える者なら同じ扱いになるのは分かるな」
「は、はぁ……」
「なら話は早い。一人でも多く鉢屋衆を集めてくれ。それと組織化した後は育成もできるようにしてくれ。勉学も役立てたいと言うなら、しばらくは俺の右筆の兼任もしてもらう。こっちも手が足りなくてな。後ろに控えている筆頭の忠澄に仕事を聞けば、幾らでも回してくれると思うぞ」
そう言いながら後ろを振り向くと、俺の案を喜ぼうともせずに呆れ返った表情を見せながら谷 忠澄がいつも通り嫌味の一言で応えてくれた。
「それは国虎様が仕事を怠けたいだけではないのですか?」
「忠澄、それは当然だろ。俺も書類仕事は嫌いだからな。できる者が来たら任せるさ」
とは言え、最早このやり取りも慣れたもの。忠澄は「またか」という表情をして普段ならここから小言が始まるのだが、大勢のいるこの場でそれを続けるのは良くないと思い、話題を変えて主題を元の尼子 経貞の方へと戻した。
「そういえば経貞、部屋に乱入して来た時に『この場を預かる』と言っていたが、波川家の問題はどう解決するつもりなんだ? 悪いな、ずっと聞きそびれていた」
「それは……我等出雲からの移住者が傭兵を使って波川家と争うという策です。それなら波川家も存分に力を見せられます。我等が勝てば波川家は滅亡せずに降れますし、無論波川家が勝っても疲弊した状態ではその後に遠州細川軍と争う力は残っていません。囲えば素直に降れます。これならどちらが勝っても遺恨も残らないかと」
「なるほど。波川家の面子に配慮しながらも当家に降る口実を与えるという策か。面白い考えだな。却下だ。経貞は戦が苦手と言ってたんだから無理するな」
波川家の問題は、大きく分ければ「面子」と「既得権益」、そして「家の存続」の三つが重要と言える。尼子 経貞の策はその中でも「面子」と「家の存続」の二つを重視した。平たく言えば波川家の力を見せる場を作ろうというものだ。それさえ満たせば、後は「家の存続」のために行動するだろうと。確かにこれならあの場に乱入したのも頷ける。それ位よく考えられた策だ。
ただ、波川家の問題は遠州細川家との価値観の違いにあるので、申し訳ないが策は却下せざるを得ない。
「そ、それでは隅にいる波川殿はどうされるつもりですか?」
確かにそれはその通りだ。俺としては波川 清宗がここまで粘り強い対応ができるとは思わなかった。部屋を移動してからは無視されていても騒ぎ立てる事無く隅で一言も発さずに大人しくする。尼子 経貞の存在や乱入時の大見得に一縷の望みを託していたというのもあるだろうが、何とかして活路を見出そうとする姿勢は評価に値する。なら、何故俺が軍事的に波川家の力を必要としていないのかの種明かしをしても良いとは思う。
これまで武を頼りとして生きていた者には、その拠り所が崩されなければ降る決断ができない。けれどもそれ自体が幻想であると分かれば考え方も変わるだろう。勿論、直接本人にそれを話せば意地を張るのが目に見えている。そのため、あくまでも尼子 経貞への話という体で波川 清宗に遠州細川軍の実態を教える形をとるようにした。
「経貞は当家への仕官が今日からだから分からないと思うが、遠州細川軍は常備兵の強みを生かして兵の体力作りから基本的な武具の扱い、隊列や連携とみっちり鍛錬するんだよ。そこから目に留まった者が指揮官となる。ここまで言えば分かるな。当家は最初から武芸自慢の将はいらない。飛び抜けた実力があれば話は別だがな。小領主は軍を率いるには何もかもが足りないから一から鍛え直す必要がある。そうなると実力を勘違いしている者はまずいらない。例外はあるけどな」
「では、その例外というのは」
「素直に頭を下げられる柔軟な思考を持つ者だ。頭の固い者では環境の違いを受け入れられない。遠州細川家では役に立たないのが目に見えている」
遠州細川家は万年人手不足なのだから、どんな形であれ人材が手に入るというのは一見喜ばしいように思える。
しかし常備軍化された現状では、それは当て嵌まらない形となっていた。阿波国南部攻略の際、加勢すると言った武田 信綱と敵対した過去も同じ理由に近い。
練度の違い、行軍速度の違い、戦い方の違い、その他諸々何もかもが違い過ぎると、それを受け入れられる者しか遠州細川軍ではやっていけない。下手に甘い顔を見せると、いざ実戦になった時に足を引っ張られて自分自身が死ぬ羽目となってしまうからだ。
ここまで言っても波川 清宗が理解できないなら、もう諦めるしか手はないだろう。
「恐れ入りました」
「という訳で波川殿どうする?」
「……持ち帰って家中を説得致します」
「良い判断だ。素直に降れば今後は将として使う事を約束する。但し鍛錬は厳しいぞ」
肩を震わせながらも必死で感情を殺し、無条件降伏の台詞を絞り出す。紆余曲折があったとしても、こう結論付られる者はそうそういない。波川 清宗は意外とできる人材かもしれないと今一度評価を改めていた。
しかし、今回の結果は遠州細川家としてはそう喜べない。何故なら波川郷を手にしたという意味は緩衝地帯が無くなり、土佐一条家との全面抗争を加速させるからだ。
これはこれで頭が痛い。そろそろ何か仕掛けを考えないといけないな。
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