バネの正しい使い方
「国虎様、敵先鋒が三町 (約三三〇メートル)までやって来ました」
「おっ、ついにか。報告ご苦労。今回は言葉合戦は無しのようだな。なら悪いが、すぐ北川村弓兵隊に準備するよう伝えてくれ」
「はっ。かしこまりました」
天文一七年 (一五四八年)の一二月、手薄となった蓮池城を落とさんと土佐一条家傘下である津野家の兵が盛大に押し寄せる。その数七〇〇〇を超える。
想定通りではあるが、敵はこちらの動きに呼応した形と言えよう。この出来事は畿内に兵を派遣した一〇日後であった。
対する遠州細川家の兵は約二〇〇〇であり、素直に城攻めをされてしまえば間違いなく落城してしまう数でしかない。城攻めの法則とも言われる兵の数が三分の一を下回っているのがその理由となる。
だが、家臣達はその兵力差を物ともせず、逆に「手柄を上げ放題だ」と喜ぶ始末。いつも通りの光景と言えばそうだが、とても頼もしい連中ばかりである。中には「津野軍など蹴散らせてくれましょうぞ」と勝つつもりの家臣もいたが、「それをすると別動隊が須崎港を落とせないから何とか堪えてくれ」と俺が宥めなければならない場面まである程だった。
そう、今回の作戦では敵を打ち負かして撤退をさせてはいけない。だからこそ今回蓮池城に運び込んだ火器は焙烙玉に限定し、杉谷 善住坊率いる新居猛太隊は畿内遠征組へと組み込んだ。
これまでの遠州細川家の戦いは火器を最大限に利用して勝ちを収めてきたが、その功労者とも言える火器を放棄してどう戦うのか? その答えが久々登場の「北川村弓兵隊」となる。
「お前等待たせたな!! これから楽しい楽しい戦の時間だ! 小便は済ませたか?」
『応ぅ!』
「神仏にお祈りは?」
『応ぅ!』
「味方の陰でガタガタ震えて命乞いする心の準備をしておけよ!」
『それは違うだろ!!』
「北川村弓兵隊! 新型土佐弓の力を見せつけてやれ! 一斉射撃!!」
俺の号令を受け、北川村弓兵隊五〇〇が待ってましたとばかりに矢を放ち始める。指揮を京で散った北川 玄蕃の忘れ形見である
まだ距離があるので致命傷こそ少ないと思うが、意識外からの攻撃だ。直接的な被害よりも、想像以上の距離を届かせるこちらの攻撃に慌てふためく心理的な混乱状態に陥っているのが手に取るように分かる。今更ながら急いで矢盾を出してきて、こちらの攻撃を何とかやり過ごそうとしているのではないだろうか?
蓮池城を巡る攻防戦は、まずこちら側が主導権を取る所から始める。
先ほど発した「言葉合戦」という言葉通り、今の俺達はいきなり城に籠るような真似はせず、城外に出て迎撃態勢を整えていた。空堀こそ手付かずではあったが、逆茂木等の障害物は各所に設置しており、敵の進軍を邪魔するようにしている。
隊は左翼が安芸 左京進率いる五〇〇に、右翼には松山 重治率いる五〇〇、中央には安岡 虎頼率いる直属軍兼後詰が一〇〇〇となり、内五〇〇が北川 木曽の北川村弓兵隊という構成となっている。明らかに何の工夫もないのが見た瞬間に分かるというもの。
だからこそ相手は油断したのだろう。少ない兵力にも関わらず間抜け面してただ待ち構えるしかできない遠州細川軍だ。大兵力を持ってすれば軽く一捻りできると考えてもおかしくない。
──しかし残念ながら、間抜け面をさらすのは当の津野軍であった。
その理由は今回実戦投入した「新土佐弓」となる。以前から弓胎弓を超えるより強力な弓の開発を行っていたが、ついに実戦投入できる形に仕上がった。完成には恐ろしく遠回りをしたが。
切っ掛けとなったのは、岡林 親信に任せていた種子島銃の生産の中で起こった失敗談である。
この種子島銃、恐ろしい事に弾き金と呼ばれるハンマースプリングに相当する部品が真鍮で作られており、引き金を引いてから弾丸が発射されるまでに予想以上の時間が必要となる。感覚的には引き金を引いてから一呼吸置いて発砲する形だ。この結果はバネ定数の低い真鍮では当然とも言えるが、元現代人の俺達には「あり得ない」という結論になる。
そうなれば「いっそ板バネを作ろう」というのは自然の流れ。刀鍛冶や製鉄の職人を動員して、焼き入れと焼き戻しの適切な温度を研究して完成した板バネが種子島銃において……全く役に立たなかったという散々な目に合う。
原因は銃口のブレだ。強いバネになればなる程、反発の衝撃が手元を狂わせる。真鍮製のバネは、反発力の弱さが幸いして逆に狙いがブレないという結果であった。
更には、バネの強さが引き金によってスライドさせる押え金の動きを阻害していた。その結果トリガープルは重くなり、「ガク引き」と呼ばれる症状さえも頻発する。
つまり種子島銃はその構造上、二重の意味で強いハンマースプリングが向いていない。何故真鍮製のバネが選ばれていたのかが、今回の失敗によって奇しくも発覚した。改めてシアーの偉大さを痛感した出来事とも言えるだろう。
またこの結果は、種子島銃だけに当て嵌まる学びではない。クロスボウも似た事情であるのが容易に推察できる。当たるクロスボウを製作するには軽いトリガープルで尚且つブレない構造にする必要があるからだ。ブレはある程度本体の重量バランスで何とかなるにしても、軽いトリガープルを得るためには精巧な金属製シアーが必須。しかも用途が軍用となれば、木製では耐久性が足りない。
戦国時代の日の本の金属加工技術の低さを考えれば、クロスボウは安易に導入できる代物ではないと言えるだろう。良くてワンオフが精一杯だ。クロスボウはよく女性や子供でも扱えると言われているが、それは精度の高い部品が製作可能な環境があってこそ。そうでないならば、真っ赤な嘘となる。
そんな徒労を経験した俺達であったが、ここで諦めないのが悪い所でもあった。種子島銃には使えなかったものの、板バネ自体が完成したのは十分な成果と言えよう。ならそれを何とか使えないかと考え、思い切って弓への流用を試みる。簡単に言えば上下に板バネを配置した全金属製の弓の開発に着手した。しかも大きさは和弓並みで、形状的にはアーチェリーにおけるリカーブボウとほぼ同じという馬鹿げた仕様を選択する。
弓というのは言わば大きなバネだ。そうであるなら、これまでの竹の反発力から金属の反発力へと変われば、威力は格段に上がる。その上耐久性も高いとなれば、大量生産に踏み切るのは当然と言えよう。名前は「新土佐弓」と命名された。
始まりは海外から手に入れた合成弓が紆余曲折を経て、最終的には素材そのものが変わってしまう。とても馬鹿げた話ではあるが、俺達らしくて良い。新たな鈍器の誕生でもあった。
余談ではあるが、新土佐弓の完成によって改良型弓胎弓を生産停止にするつもりはない。これはこれで既存の弓より高性能なため、領外への販売品として生産は続けていく。
話は逸れたが、蓮池城攻防戦の第一日目は新兵器の活躍によって、敵が対処方法を見出せないままに終える形となる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
明けて二日目。
予想通りの展開ではあるが、敵は突入する部隊を左右の二つに分けてきた。後方には本陣と思われる隊が残っているため、いわゆる鶴翼の陣に相当すると思われる。こちらが中央部に弓兵を配置しているために的を絞らせないようにしたか、もしくは仮に片翼が崩壊しても、その反対側で俺達の陣を突き破ろうとでも考えているかのような動きであった。
……折角のお誘いだ。そのお持て成しに乗っからせて頂きましょう。
「敵が小細工しているが気にするな。片翼ずつ一斉に矢で攻撃を加えろ! 必ず片側に集中させろよ。多少近付かれた所で敵兵の動きは鈍い。十分に追い返せる。絶対に焦るな」
七〇〇〇対二〇〇〇の戦いとなれば普通なら兵の多い方が圧倒的に有利である。しかしどんなに有利であろうと、自らが標的となってまで味方に勝利をもたらそうとする兵というのは意外にも少ない。更には、どんなに犠牲が出ようとも勝てば良いと考える大将自体も少ない。戦というのはそういうものだ。
何が言いたいかというと、敵はこの有利な状況にも関わらず、無策に突撃を行わずにきちんと盾で防備を固めながら隊列を維持して距離を詰めてきている。当然ながらその分進みは遅く、こちらの障害物に到達する前に全て追っ払えてしまうという話であった。
盾さえあれば無限に矢の攻撃から身を守れるという事態はあり得ない。いずれは盾を持つ兵の手が痺れるか、盾そのものが破壊される。俺達はガードの上からひたすらに殴りつけるだけで良いというもの。
これも新土佐弓の高い威力があってこそ取れる戦法であろう。
ましてや万が一こちらの陣まで到達したとしても、そこからは安芸 左京進や松山 重治が退治してくれるから心配は無い。北川村弓兵隊の攻撃を掻い潜ってくる兵が、組織的な抵抗をできる数になるのはまずあり得ないからだとも言える。
つけ焼き刃の戦法など、こちらは始めから予想済みであった。
とは言えきっと第三者的な視点で見れば、両陣営が一進一退の攻防を続ける緊迫した好勝負に映る事だろう。しかしその実、兵の少ないこちらが余裕の状況であり、兵の多い敵の方が手詰まり感のある焦れた状況になっている。心理的には立場は逆転してこちらが圧倒的に有利であった。
ただ、敵も馬鹿ではない。初手こそはこの戦法が有効かどうかを確かめる狙いがあるにしても、それをごり押しし続けるとなれば何らかの意図があると見るのが自然な流れだ。奇策を狙わないとするなら、次の一手への布石と考えた方が良い。
敵が何を狙っているかは俺も分からない。けれども現状を途中経過とするなら、今敵のしている事は北川村弓兵隊の疲労を誘い、矢を消耗させるというのが妥当ではないか?
……悲しいかな敵の意図が読めても、今の俺達には何もできない。下手に攻撃の手を緩めればこちらの陣が決壊してしまうからだ。
不幸中の幸いは、遠州細川軍では柔な鍛え方をしていない上に物資も大量にある点である。弓兵の疲労は心配だが、その点は北川 木曽が射手を入れ替えながら攻撃をしてくれているので「まだまだ大丈夫です」と太鼓判を押してくれた。とても頼もしい限りだ。
なら、今は家臣を信じて、この膠着した戦況を一日でも長く続けさせてもらおう。
その予想通り、三日間津野軍は同じ戦法を取り続けてくれた。表面上は何ら工夫の無い無駄な時間が経過しただけのように見えただろう。
しかし頃合いと見たのか、五日目となると敵は大胆な戦法を繰り出す。
それは一見すると何とも歪な形とも言える姿。陣形的にはこれまでと何ら変わらず鶴翼のままであったが、両翼に配置された兵の数が明らかに違う。大体ではあるが敵右翼には五〇〇、左翼は三〇〇〇近くとなっていた。しかも全員が盾を持たない軽装備である。
「一番面倒臭い事やりやがった。左京進、担当する敵右翼は多分精鋭兵だ。鉢屋衆からの報告では装備に統一感があるらしい。敵は強いぞ。弓兵の援護は無いがやれるか?」
「はっ。ずっとこの時を待っておりました。お任せください」
「虎頼は左京進の後詰だ。崩れそうになったら、迂回して無理矢理にでも割って入れよ」
「かしこまりました」
「重治は弓兵隊が射ち漏らした兵の掃討だ。例え囮と分かっていても、こっちから先に始末しないといけない。頼むぞ」
「俺が安芸の旦那の代わりにそっちに入りたいが、こっちはこっちで万が一にも抜かれたら崩れてしまうからな。分かった」
「ここが正念場だ。皆頼むぞ」
『応ぅ!』
今回敵が選んだのは精鋭兵の投入である。この時代の戦は農兵の徴用などもあり、一つの隊でも装備がバラバラなのが普通だ。遠州細川家のような常備兵のみの軍であっても、納品時期や製作者の違いによって仕様は意外と違っている。家内制手工業の時代特有の事情と言えるだろう。
拘りが無ければ装備というのはこういうものであるが、敢えて皆が同じ装備にするとどうなるか? 他とは違うという特別感を与え、隊に所属する者に一体感を与える。手垢塗れではあるが、精鋭兵というのは形から入っている場合が多い。
つまりは三日間無意味な戦いを続けていたのは、このための布石だったという事になる。ついに勝負を掛けてきた。
勿論ただ精鋭兵を出してきただけなら何ら問題は無い。問題なのは御丁寧に囮部隊まで出してきた事である。しかもその数が無視できないものであるなら、こちらはその囮の壊滅を優先しなければならない。無視した場合の被害の大きさがその理由だ。
「国虎様、鉢屋衆から新たな報告が入りました。敵右翼は津野家中における最大の武闘派との呼び声高い
「筆頭家老が出てきたか。これは本気だな」
今回の戦から尼子 経貞が呼び寄せた鉢屋衆を斥候に使っているが、さすがと思わさせる精度だ。
津野家筆頭家老である中平 元忠は津野軍の全てと言っても良い。津野家が数年前まで土佐一条家と争ってこられたのが全てこの人物のお陰である。例えるなら越前朝倉家における
……筆頭家老なのだから本陣で津野家当主の傍にいろよと言いたいが、そういう訳にはいかない状況になったと見るべきか。
いや、今は余計な事を考える場面ではない。今日のこの攻勢を何とか凌がなければ次へと続かない。相手の全力にはこちらも全力を尽くそう。
天文一七年 (一五四八年)一二月の蓮池城攻防戦は、ついに佳境を迎える。
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