日常の光景

 幾つかの紆余曲折はあったものの、何とか今回の阿波国南部侵攻作戦は終了する。


 別働隊となった安芸 左京進と雑賀衆の傭兵達も難度の高い城攻めは無かったらしく、小松嶋港の占領も含めて二日目には全て終わらせていた。合流した際には熊山くまやま城の北にある園瀬川を境界線に設定して、既に野戦築城に取り掛かっていた程である。


 ここは阿波細川家並びに阿波三好家との最前線になるだけに、いつ攻められても大丈夫なように最優先で行っていると報告してくれた。


 ただ……こうした軍事的な事情を優先したためか別働隊では少し問題が発生する。


 結論から言うと、別働隊では略奪、暴行、放火、奴隷狩りが行なわれていた。


 事情は分かる。野戦築城が急務である以上、地域住民との交渉など面倒でやってられないと言いたいのだろう。急いで土地を接収する必要に駆られて村を焼いたという所か。それに傭兵にとっては、こういう時に荒稼ぎしておかなければ次いつ美味しい思いができるか分からないという事情もある。


 特に雑賀衆は城攻めも担当した。そうなるとここぞとばかりに城にあった食料は勿論、武具に金目の物と根こそぎ戦利品とする。ぺんぺん草さえ残らない勢いである。


 とは言え、


「俺も野暮な事を言うつもりは無かったが、さすがに奴隷狩りはやり過ぎだぞ。早々に解放しろ」


 これだけは見逃せなかった。


「幾ら雇い主とは言え、それは聞けません。どうしてもと言うなら、細川様が買い取ってください」


「……そう来るか」


 雑賀衆もこの辺りは手馴れているのか、元手無しの濡れ手に粟の商売を俺に持ちかけてくる。更には耳元で「俺達が悪者になれば、この地での民の移動が楽になるんですから感謝して欲しいものですね」と追撃まで加えてきた。


 どういう事かと言うと、まず傭兵達がこの地を先に荒らして暮らしていけないようにする。そこで俺達が住む場所や食料を用意して民を避難させれば、後は残った廃墟や焼け野原を好きなようにできるという寸法だ。奴隷は買い取った後に好きなように労働力として使えという意味である。


 ……これぞ雑賀衆のしたたかさよ。織田 信長が苦労したのもよく分かる。


「毎度あり。今後もよろしく頼みます」


 マッチポンプも良い所であるが、土地買収の手間が省けるのはかなり大きい。結局俺は雑賀衆の案に乗っかる以外の道を選べず、全ての奴隷を買い取る羽目になる。請求書は後日土佐に回してもらう形で決定した。


 なお、略奪や放火で生活ができなくなった民達と買い取った奴隷達の面倒は、信行寺に協力を依頼する。民達が寒さや雨露を凌ぐために境内を利用させてもらおうという算段だ。こちらでは随時炊き出しを行ない、絶対に飢えさせないようにした。それと防寒となる毛皮の配布も行なう。彼らの住む場所となる長屋作りが終わるまではしばらくこの生活が続くだろう。


 何かが間違っていると思うのはきっと俺だけではない。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 変な話ではあるが、俺はこの時代に来てからずっと奴隷というものを勘違いしていた。基本的には人攫いである以上、対象は一般人になる。武家は奴隷狩りの対象にはならないだろう。そう勝手に思っていた。


 ただ、戦が絡むと俺の考えなど浅はかだと言わんばかり出来事が起こる。


「これ、どうしたもんかねぇ……」


 長蛇をなす炊き出しの現場で姉弟と思しき幼い二人を見つけた。どちらも一〇歳未満だろう。視察に訪れた際の出来事であった。


 日本人は決まり事をよく守る国民性とは言われているが、それでもこういった場で秩序を乱す者は多くいる。


 具体的には;列に割り込みをする。盛られた量が少ないと文句をつける。足りないからと何度も並ぶ。他人の食料を奪い取る。etc……。こういうのは言い出したらキリが無い。


 要するに誰もが自分の事で精一杯であると、小さな子供達が傷を負って悲しそうな顔をしていても気にされないという話である。二人共が椀を持っていない所を見ると、大方誰かに奪い取られたのだろう。


 普通ならこういう場合は、親を見つけてもう一度並ばせれば良いだけだ。運悪くこぼしたりする事もあるだろうし、一回では満腹にならないかもしれないと、炊き出しではおかわり自由にしている。現代のアメリカでは配給で配られたフードチケットを転売する馬鹿がいたり、嫌いな食べ物を路上にそのまま捨てるとんでもない者もいたりするが、この時代はそこまでする者はいないために管理を厳格にしようとまでは考えていない。


 余談ではあるが馬路党の鍛錬で最初にぶち当たる壁は、食事の際に「野菜も残さず食べる」だそうだ。いつの時代も野菜嫌いは多いらしい。


 話は逸れたが、迷子なら親を呼び出して後を任せれば良いかと思った所で、ふと気付いた点があった。この寒い中裸足であるにも関わらず、この姉弟は他の者達よりも明らかに素材が良い服を着ていると。汚れて擦り切れていようと、それだけで周りから浮いているのが分かる。


 間違いなく名主 (村長)か武家の子供だ。二人が無視されているのは、そうした事情が影響しているかもしれない。


「お前等二人共、親とはぐれたのか? 良かったら探すのを手伝うぞ。それとも飯の方が先か? 俺が貰ってきてやるぞ」


「…………」


 余計なお節介だとは思うが、気が付けば二人に声を掛けていた。新手のナンパだ。不審人物である俺から突然声を掛けられた二人は、当然ながら冷ややかな視線で対応する。


「……足……二人共、足は寒くないのか? って、寒くない筈がないか。宗直、悪いがこの手拭いを紐状に裂いてくれるか? それと忠澄は二人の分の食べ物を貰ってきてくれ」


 護衛任務をしている宗直にさせる仕事ではないと思うが、これも腕の見せ所である。きっと見事な太刀捌きで手拭いを綺麗に切断してくれるだろうと、困惑する柳生 宗直を無視して有無を言わせず持っていた手拭いを押し付けた。


「それと、この干し芋を食っとけ。少しは空腹が紛れる。そこのお兄さんが食べ物を持ってくるまで我慢しろよ」


「……うん」


 余程腹が減っていたのか、初めて見る干し芋にたじろぎもせずに二人はすかさず口の中へと放り込む。喉に詰まらせる姿にほっこりしながら、水筒代わりの竹筒を手渡した。


 そこからは二人の身の上話を聞いていく。


 親とはぐれたのかと聞いて無言だったのは、今回の戦で両親を亡くしたからであった。


 父は芝山しばやま城主である小命 藤政こみこふじまさの一族であり、討ち死に。母は攻め入った敵兵達 (雑賀衆傭兵)に散々に乱暴され、殺されたのだとか。二人は命こそ取られなかったものの、抵抗もできないままその場で捕まる。


 最初は奴隷として売られると聞いていたのだが、何故か突然解放される。とは言え、頼る親も親戚も既におらず、途方に暮れる二人には言われるままに平嶋に来る以外の選択肢はなかったらしく、そのまま信行寺での共同生活を始めた。


 生活を始めた当初は寺の人達が親身になってくれていたが、人が増えてくるとそういう訳にもいかなくなる。やがては二人に構う時間が無くなり、孤立していった。


 同じ惣村の人々は顔見知りであり、互いに協力もする。けれども、誰一人知り合いのいない二人には手を差し伸べてくれる者はいなかったという話だ。


 勿論全ての者が冷たいという訳ではない。自らが動き助けを求めれば、中には手助けしてくれる者もいるだろう。そうだとは分かっていても、両親を失ったばかりの二人にはもうそんな気力は残っていなかった。


 気付けば、二日間水だけの生活を送っていたという。


「……良し。とりあえずはこれで凌げるか」


 切断した手拭いを足に巻きつけて、簡易的な足袋にする。あくまでもその場凌ぎであり、裸足よりはマシという程度だ。それでも二人にとっては足元が暖かくなったのか、随分と喜んでくれた。


 そうこうする内、暖かな雑炊の入った椀を二つ持つ谷 忠澄が戻る。余程腹が減っていたのか、二人はその椀を奪うように受け取り、急いで雑炊を胃の中へと放り込むのだが……気管に入ったらしく涙目になりながらむせていた。


「おかわり自由だからな。足りなければ言えよ」


 麦や雑穀の混じった雑炊を美味そうに食べる二人を見ていると、何だか懐かしい気持ちになったりもする。


 だが、忘れてはならない。この時代ではこの光景が日常であるという事を。親を失った孤児など掃いて捨てるほどいるという事を。


「……国虎様、少しお話を宜しいでしょうか?」


「うん? 何だ?」


「国虎様が変な気を起こしていないか心配になりまして。現状でも国虎様の政は十分に誇るべきです。後は信行寺に任せておけば良いかと思われます」


 そう、だからこそ下手な同情は禁物である。二人にこれ以上の何かをするのは単なる偽善でしかない。それよりも、俺には土佐の人々を飢えから解放するという優先すべき約束があった。


 ただ……


「そうだな。忠澄の方が正しい。これ以上の情けはかけない方が良いとは分かっているんだがな……いかんせん為政者の立場から見れば次世代の人材への心配が出てくるものさ。一人でも多く文官は必要だと思ってしまう。直轄事業の多い遠州細川家ならではの切実な悩みだな」


「そう言われますと仕方ない部分がありますね。私が浅慮でした」


 ここは判断の難しい点としか言いようがないだろう。


 今後の土佐統一を考えると、残る重要拠点は須崎港や宿毛すくも港、後は四万十しまんと平野と幡多鉱山辺りであろうか? 他の多くは生産性が低いか初期投資が多く必要な土地ばかりだ。


 そうなると、遠州細川家を今以上に発展させなければ新たに獲得した領土が支えられない可能性すらある。結果、マンパワーが重要なこの時代では行き着く所は一人でも多くの人材確保であり、その人材が畑から生えてくるという都合の良い話は無いというだけであった。領土拡大の早さがこの問題の根底にあると言える。


「気にするな。現状での考え方は忠澄の方が正しいからな。俺が欲張りなだけさ。……っと、二人も食べ終わったようだし、最後の仕上げとするか」


 そう言いながら、雑炊を食べ終わり満足そうな顔をしている二人に近付き、同じ目線になるようどっかと地面に腰を下ろす。


「どうだ。二人共、美味かったか。それでだな……二人に言う事がある。実は俺の名前は細川 国虎で……まあ、要するにお前等二人の両親を殺した者達の親分になる。仇だな。という訳でまずこの脇差を渡す」


「……」


「で、ここで二人に選ばせてやる。その脇差を使って俺を殺し、両親の無念を晴らして死ぬのと、俺の罪を許して遠州細川家で小命家の再興を目指すかだ。二つに一つ。好きな方を選べ」


『国虎様!!』


 外野二人が少し騒がしいが、その辺は完全に無視して二人の目をじっと見る。


 弟の方はまだ四歳か五歳くらいか? 俺の言った意味を理解していないかもしれない。決めるのは姉の方だろう。とは言え、突然の難問にどうして良いか分からず葛藤を繰り返しているようにも見える。手にした脇差の鯉口を一度は切ったが、すぐに戻したのが印象的であった。


「……」


「俺としては二人には是非生きて遠州細川家の未来を支えてもらいたいのだが、親の仇の元で生き永らえたくないという気持ちも分かるんでな。後悔しない方を選んで欲しい」


「……あっ、あの……」


「どうした? 分からない事があれば聞いてくれよ」


「私はどうなっても構わないのですが、せめて弟にはもうこんな生活を送らせたくないです」


「あっ、言い方が悪かったかもな。俺を主君と認めてくれるなら、二人の生活は保証する。飯は腹一杯食って良いし、裸足で痛い思いはさせない。寝る時も寒い思いはさせない。その代わり勉学漬けの日々になると思うがな」


「女の私もですか?」


「そうだ。お前も武家の娘なんだから勉学は必須になる。それに繊維部門が軌道に乗れば、任せるには女の方が良い。奴隷として売り飛ばすような真似はしないから安心しろ。そういう訳で俺には二人の力が必要でな。期待しても良いか?」


「えっ、はっ、はい!」


「良し、交渉成立だ。一〇年後を楽しみにしているぞ。精一杯励めよ。じゃあ、後は忠澄お兄さんに任せる。手続き頼むな」


「何ですか? その『忠澄お兄さん』というのは。……分かりました。やっておきますから、国虎様は先に館に戻っておいてください。本当にこの人はどうしていつもこうなんだ……全く」


 ほぼなし崩し的に押し切った形ではあるが、こうして孤児の件も一件落着。後の面倒な手続きは全て忠澄お兄さんに丸投げして、俺と宗直は帰路へと付く。


 その道中、不機嫌そうな顔をする宗直から最後に小言をもらってしまった。


「国虎様、護衛としての立場上、今回の一件は見逃せません。二度とああいう真似はなさらないでください」


「ああ、脇差の件か。宗直なら気付いていると思ったんだがな。あの二人のどちらかが満足に扱えると思うか? 危ない橋は渡らないから安心しろ」


 幾ら元武家であったとしても、一〇歳未満であれば刀の正しい使い方などまず会得していない。腹を刺してくるような真似さえされなければ、肉を多少斬るのが精一杯だと言えよう。素人が刃物を持った所で人は簡単には殺せないというのは当たり前の話であった。


 事実、渡した脇差は姉が鯉口を一度切ってそれで終わる。抜いて構えようとすらしなかった。その時何を思っていたか俺には分からないが、一撃で殺せる自信を持てなかったがために躊躇したという所か。それと、小さな弟を生かしたいという気持ちも影響したのだろう。


「それでもです。今回は国虎様の意図に気付いたので何もしませんでしたが、次は子供でも容赦無く斬ります」


「分かった。もうしないから許してくれ」


 母親が乱暴され殺された現場に遭遇し、何とか命を繋いだと思ったら今度はその親玉に遭遇する。俺との会話はどれ程恐ろしかったか。しかも俺を殺せる機会を得ても、現実にはそれすらできない。さぞや自分自身を無力に感じただろう。


 ただ、それでも思う。折角命を繋いだのだから、それを大切にして欲しいと。親の仇に拘るよりも自身の未来に拘って欲しいと。


 今日俺は、この時代どこにでもある日常の光景に遭遇する。

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