出会ってはいけない二人

「舐めた態度しやがって! 歯を食いしばれ!」


 部屋を満たす甘い匂いと緊張感の無い言葉に、気が付けばその胸ぐらを掴み拳で寸分狂わず顎を打ち抜く。


「細川殿! 何をするのですか!! 今殴ったお方は次の公方様ですぞ!」


「仁木殿、今回ばかりは黙っててください。この都合の良い候補には一度現実を教えてやらないといけません」


「ですが……」


 背後から仁木 伊賀守殿が俺を咎めるが、振り返りもせず答える。目標からは絶対に目を逸らさない。尻餅を付き、顎を押さえて涙目となっている赤ら顔の足利 義維を見下ろしながら距離を詰める。


「足利様! そうして貴方が阿波国で怠惰な生活を送っていた間、現在の公方は幼少でありながらも兵を率いて細川 晴元に立ち向かったのですよ。貴方に同じ気概があれば、とうの昔に公方になれていたというのが何故分からない!」


 そう、これが同じ足利でも大きく違う点だ。


 片や飲んだくれ上手く行かない現実に悪態をつくだけの者。そして、片や勝てないと分かっていても、下手をすると命を落とすと分かっていても、それでも意地を通そうとする者。後者は実際に兵を率い、自らが武家の頭領だと行動で示せる気持ちの強さを持っている。


 血筋や家格は確かに大事だ。だが、最も大事なのはそれ以外の部分。足利 義維が公方となるには致命的に足りない物があった。


「細川殿!!」


「悪い長正。仁木殿を黙らせてくれ」


「はっ」


 キレてしまった俺はこんな言葉では収まらない。馬路 長正に仁木殿を拘束するよう命じて自身は義維に対して馬乗りになる。部屋に入った瞬間に見せた強気の態度も今や昔。アワアワと言葉にならない声を発し、怯え、涙目となる。


 こんな経験、これまでに一度も無かったのだろう。だからこそどうして良いか分からない。逃げようともせず、抵抗しようともせず、混乱する。誰かの助けが来るのを待ち続ける。


 俺はと言えば、この期に及んでも何もしようとしない姿に更にカチンと来て容赦無く張り手を続けた。右に左に。


 周囲の雑音が騒がしいが特に気にはならない。馬路党の連中が義維の家臣達を速攻で蹴飛ばし、間に割って入る。皆が俺のショータイムを後押ししてくれていた。


 一羽が討たれた時とはまた違う単純な怒りが体を突き動かす。これ程キレたのは、この時代にやって来て初めての経験であった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 話は少し遡る。


 無事信行寺との交渉を終えた後の動きは早かった。相変わらず平嶋館に動きが無いのを良い事に即座に軍勢で囲んでしまう。塀の向かい側からは人の気配があり、こちらの動きに動揺しているのが手に取るように分かる。事実、時折兵の一部が頭を突き出して様子を窺っているのも確認した。


 急いで館に兵を掻き集めたは良いが、方針が決まらず手持ち無沙汰になっていた。そんな所だろう。


 ならばと取り囲んだ兵で一斉に焙烙玉を投げ込む。


 交渉など野蛮人のする事だ。ここは穏便に暴力で解決するのが常識人たる俺達には相応しいと言わんばかりに、火と音と飛び散る破片で心を折りにいった。信行寺の代表から言質を取ったからこそ、ここで相手に考える時間を与えない強硬手段に打って出る。


 その甲斐あってか、門扉の勝手口が開き和睦を訴え出るのにそう時間は掛からなかった。


 こんなにも呆気なく終わると、これまで悩んでいたのが馬鹿らしくなる程である。


 さて、問題はここから始まる。 


 館内に入るまでの俺は、足利御一行様の武装解除を行ってただ領外に送れば良い。丁度良い事に道案内役となる仁木殿がいる。後は少しの路銀を持たせたら終了だろう。そんな考えでいた。


 建物内に入り、実際に足利 義維のいる部屋に来ると予想外の光景が目に入る。


 ──そもそも武装さえしていなかった。


 いや、武装していないだけならまだ良い。部屋で行われていたのは評定ではなく宴であった。甘い臭いが部屋中に立ち込め、中にいるのは顔を赤くした男ばかり。そして傍らにいる女性が酌をする。


 この時点で全身の力がどっと抜ける。半日の間、俺は一体何をしていたのかと。酒を飲む事を否定するつもりはない。女性を侍らせるのもそんな時もあるだろうとは思う。


 せめて時と場合を考えろよと。


 極め付けはこれだ。


「余を次の公方である足利 義維と知っての狼藉か。今なら詫びを入れれば許してやろう。即刻兵を引き、以後は余のために粉骨砕身せよ」


 瞬間何かがプツリと切れた。気が付けば相手が足利の名を持っていようとお構い無しの行動を取る。楽しい宴の時間は終了。一転、怒号と悲鳴の時間が部屋に訪れる。


 良いのか悪いのか、俺の家臣は荒事に長けた者が多い。指示を出していないにも関わらず皆が独自に行動を起こし、場を制圧する。誰もが俺の行動を止めず、全力で協力してくれた。


 ……いや、一人いたな。仁木殿という最後の良心が。


 だが、彼もあっさりと長正に羽交い絞めにされて、挙句の果てには組み伏せられる。仕上げは顔面への一撃。これにて平嶋館接収の作戦は完了した。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 前後の見境がつかなくなっていた俺をさすがにマズイと思ったのか、馬路党の隊員が力尽くで止めてくれたので何とか最後の一線は越えずに済む。


 とは言え、興奮状態では話も何もできない。一旦仕切り直しとして、関係者は全員捕縛しつつも怪我の手当てを行いながら時間を置く。その間、館に詰めていた兵には武装解除を行わせた。


 そうして今度こそが正式な会談の場となり、上座に座る俺が足利 義維とその家臣達を眺める。


 全員が顔を腫らし、後ろ手に縄を打たれていた。部屋の隅には完全武装の馬路党の面々が仁王立ちで威嚇している。まさに貴人である彼への扱いはこれ以上ないと言わんばかりの丁重さと言えた。


 俺の思いが通じたのか、最早誰もが口々に騒ぐような真似はしない。この状態に至る過程には多少の誤解があったが、こちらが肉体言語という礼を尽くし真摯な態度で臨んだ結果、そのわだかまりも解ける。今や次にどんなもてなしが待っているのかと期待に胸を高めているようだ。


「先程の非礼をお詫び致します。つい足利様のお顔に生理的な嫌悪が生じて手が出てしまいました。このまま当家で保護すると、いつ私が刺してしまうか心配です。今後のためにも領外へお連れ致しましょう。きっと阿波細川家ならば、御身を大事にしてくれると思われます。平嶋の地は遠州細川家が接収させて頂きますので御理解ください」


「…………」


「何かご不満でも?」


 反応の悪さに何か問題でもあったのかと心配になり、極めて冷静に低いドスの効いた声で発言を促す。


 俺の言葉に足利 義維は「ひぃいいっ」と一瞬たじろぐが、やがて小さな声で自らの胸の内を吐露した。


「……遠州細川が上洛するのに余を必要としたのではなかったのか……」


「この期に及んでまだ世迷言を言いますか……足利様は保護していた信行寺にさえ、いや本願寺教団に既に見限られている存在だというのをご理解ください」


 俺もさっき知った内容だが、実は彼は舎利寺の戦いが勃発した四ヵ月後の一一月、未だ声の掛からない状況に業を煮やして堺に強行渡海していた。細川 晴元は義維を神輿として足利 義晴親子と戦っていたのだから、いずれは自らの出番が来るとずっと待ち望んでいたのだろう。ついに念願の公方になれると、その日を楽しみにしていたに違いない。


 だが、細川 晴元は舎利寺の戦いの数日後である七月二九日に足利 義晴との和睦を纏めていた。翌月には親子が京へと帰還する。


 この事実が足利 義維の元へ届いていなかったのは勿論の事、方針転換をして足利 義晴との和睦に踏み切るという事さえ、届いていなかったと思われる。だからこその強行渡海へと繋がる。


 義維の扱いの悪さに多少の同情もするが、この後がいただけない。何と訪れた石山本願寺からは相手にもされず、細川 晴元からは強引な説得を受け、今月平嶋の地にすごすごと帰ってきたと言うのだ。本願寺にとっては終結に向かおうとしている戦を余計な事をしてかき回さないで欲しいという思いがあり、細川 晴元にとっては足利 義晴親子を再び手にした事で義維は用済みになった、そんな所だと思われる。


 確かにこの二者の協力が無ければ彼が公方にはなれないというのは分かるが、物分りが良過ぎだろう。


 極め付けは、日々の生活が苦しいと前関白の九条 稙通くじょうたねみちの仲介で本願寺から一〇貫 (約一〇〇万円)の援助を受けた。これだけでも畿内で体良くあしらわれたのがよく分かる。


 ……本気で公方になりたいなら何故畿内に残って協力者を募らなかったのか? そういう泥臭い活動は公方候補としてみっともないと考えるかもしれないが、何もせず阿波国に帰ってきて不貞腐れて飲んだくれているよりは遥かにマシである。


 それ以前に三〇〇〇貫の領地を持っていて生活が苦しいというのはどういう訳だ。平嶋港の運営を信行寺に委ねていたとしても、収益を上げる方法は幾らである。信行寺の代表の態度から考えるに、これまで何度も彼は銭を無心し続けたのだろう。それが通用しなくなれば今度は親元である本願寺を頼りとする。これでは匙を投げられて当然とも言えた。


「そもそも足利様が平嶋の地をしっかり治めて兵を養っておけば、こんな扱いを受けなかったのでは無いですか? 一〇年以上もこの地で何をしていたのですか?」


「貴様! 無礼であブッ」


 さすがは南国阿波だ。一二月だというのにまだ蚊がいるらしい。少し煩かったが、馬路党の隊員が退治をしてくれた。


「……まあ、今更の話ですね。三〇〇〇貫の土地は足利様には宝の持ち腐れだったようです。これでせいせいするでしょう」


「もう公方への夢は捨てよと言うのか……」


「それはどうでしょう。もしかしたら、まだ使い道があるかもしれませんよ。こんな軽い神輿はありませんからね。細川 晴元と現公方である足利 義藤 (足利 義輝の現在の名前)との関係が拗れればまた声が掛かる可能性はあるでしょう。……但し、両者が和睦した時点で今回と同じようになると思いますが」


「……」


 これが現実である。酷い言い方ではあるが、彼は政治的な駆け引きに使用するカード、もしくは義晴親子の妥協を引き出すためだけの存在でしかない。


 ……きっと、これまで誰も教えてくれなかったのだろうな。


 いや、それより以前の問題として、前公方である足利 義晴が「何故公方であり続けられたか」という分析すら行なっていなかった気もする。


 実の所、足利 義晴にだって強力な庇護者がいるという訳ではない。公方になった切っ掛けは細川 高国様による擁立であったが、その高国様は約二〇年前の「桂川の戦い」で没落している。つまりは一度後ろ盾を失っている身だ。


 現在は近江六角家という大勢力が後ろ盾となっているが、所詮は細川 晴元と手を繋いでいる相手である。これまで自らの思い通りにならない事など山程あったに違いない。それでも必死の綱渡りで地位を守り続けていた。


 そう考えれば、足利 義維の環境は足利 義晴と比べて十分に恵まれていると言えるだろう。なのに、未だ公方としての目が全く無いのは本人の資質としか言いようがなかった。


 俺達が館を囲んでいた際も金が入ったからと酒に溺れていた緊張感の無さ。部屋をチラリと見れば、高価な磁器や調度品が目に入る。これで生活が困窮していたというのは子供の言い訳にもならない。生活に困っているというのは、出会った頃の一羽や和葉のような状態をいうのを知らないのだろう。


 結局の所、ただ口を開けていれば餌を与えてくれるものだと勘違いしているだけだ。相手はこれまで何度も修羅場を潜ってきたのだから、そんな考えではまず勝てない。本当に勝ちたいなら、自らで力を持ち動くのみ。


 それに気付かず無為に時間を過ごしてきたのだから、今後は余程の出来事が起こらない限りは逆転の目は無い。


「話はこの辺で終わりましょうか。後は当家で阿波細川家の領地まで送ります。護衛は仁木殿が引き受けてくれるでしょう……ん? どうした?」


「実は……足利様のご嫡男である亀王様が是非国虎様と話をしたいと申しておりまして……」


「よく分からんが、話くらいは聞くさ。隣の部屋に行けば良いのか?」


 側近の有沢 重貞が俺の側にやって来て耳打ちをする。


 亀王様……そう言えば一〇歳になる義維の子供がそんな名前だったと思い出した。


 会談と言いながらも結局は俺の独演会に成り下がったこの茶番にも飽きた所ではあるし、最後に亀王様の顔ぐらいは見ておくのも悪くないと思い、部屋を移動する。


 そうして部屋に入った途端、平伏した亀王様から予想外の話が聞かされた。


「細川殿、失礼ながら父上との話は聞かせて頂きました。ならば是非にお願いがあります。私に領地を富まし、兵を養うすべを御教授くだされ。細川殿の話ではそれができるなら公方になれるとの事。父の念願を私が成したいと考えております」


 どうして侵略者の俺に平伏するのか? 父親へ暴力を振るった俺を怒らないのか? そんな疑問が出ては消えていくが、亀王様の発した言葉が妙に腑に落ちる。


 子供だからこその考えだと思うが、自らで兵を率いて上洛すれば公方になれるとでも言いたげである。


 ……へえ。例え敵であっても、念願が成し遂げられるなら頭を下げられるのか。少し耳聡ければ奈半利の発展ぶりは聞いているだろうし、それを真似したいと考えてもおかしくはない。これはなかなか面白い。


「術だけ学んでも、領地も無く家臣もいなければそれは絵に描いた餅にしか過ぎないんだが……それはそれとして、面白い事を言ってくれるな。本気でそう考えているなら、土佐に来るか? 学ぶ場は用意しよう。但し厳しいぞ。特別扱いはしないしな。だが、それに耐えて才を見せれば領地をやろう。後は好きにすれば良いさ」


「細川殿、誠ですな」


「ああ。嘘は言わない。だから絶対に途中で投げ出すなよ。やれるか?」


「やります!! 領地のお言葉、絶対に忘れないでくだされ!」


 完全に安請け合いであるが、これだけの行動ができる亀王様をこのまま阿波細川家で飼い殺しにさせるには勿体無い。何となくではあるが化けるかもしれないと、そう思ってしまった。現実的に考えてこの程度で公方になるのは無理だが、それでも上手くすれば地方の一勢力として足利の名を後世にまで残せるくらいにはなれるだろう。


 足利家を大名化させるのは悪くない案である。その手助けくらいならしても良い。あの父親の元で育てば将来生活に困る可能性は高い。なら、生き残る術は知っておいて損は無い。


 後は本人の頑張り次第という所か。


「国虎様、本当にそれで良いのですか?」


「何か変な事を言ったか?」


「……いえ、国虎様が良ければそれで良いかと」


「おかしな奴だなぁ」


 隣の重貞が何やら不思議そうに言葉を投げ掛けてくるが、また何かやらかしてしまったのだろうか? まあ良いさ。それよりも、俺は俺で亀王様に良い領地を与えられるように少しは頑張る必要があるな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る